Epic

すずかけあおい

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Epic⑦

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「俺さ、二年の時に付き合ってたコがいたんだけど」
「…はい」
「バイト先…あのコンビニね。そこで知り合ったN高の子なんだけど」

 聞きたがったのは楓だ。でも綾斗さんの元カノの話だとかなり複雑な気持ちになってくる。心が焦がされるような、嫌な感覚。

「すごくいい子で。楓みたいによく部屋の前で座り込んで俺の帰りを待ってたりして。待ってるってメッセージも送ってこないで。びっくりさせたいからって」

 綾斗さんは目を合わせない。視線は楓と交わっているのに、どこか違う何かを見ている。

「前にも言ったけど、俺、母親が消えてから女ってそういう生き物なんだって思ってたんだけど、その子は違うように見えて。俺の存在認めてくれてて」
「……」
「部屋の前で遅くまで待たせるのも心配だし悪いから合鍵渡したんだよね」

 この部屋の合鍵。綾斗さんが楓に渡さないと言った、鍵。

「そしたらさ、その子さ、」

 暫し言葉が途切れる。いつも通りの綾斗さんの表情なのに、楓はなぜか切なくなった。

「俺の留守中に部屋に男連れ込んでた」

 諦めたような瞳。楓には綾斗さんが諦めてきたものが何かはわからないけれど、でもどこか自分に重なる部分があるように感じた。

「それも一回じゃなかったみたいで、しかも相手も毎回違ったみたいなんだよね」
「……」
「俺が見たのは一回だけなんだけど、問い詰めたら結構よく連れ込んでたらしくて」

 わからない。今、楓が一番わからないのはその綾斗さんの元カノの気持ち。綾斗さんがいて、なぜそんな事ができたのか。

「なんかさ、謝って欲しかったのかな。どっかでまだ縋りたかったのかも」

 綾斗さんは苦しそうに言う。楓はテーブルに置かれた綾斗さんの手を握りたくて、でもできなかった。

「でもさ、『浮気くらい、いいじゃん。綾斗が構ってくれなくて寂しかっただけなんだから』って開き直られて」

 元カノの言い分もわかってしまう自分自身が楓は嫌になった。もうやらないと決めた。だからといって過去が消えるわけじゃない。寂しさを埋めるためにたくさんの男に抱かれていた楓は、確かに楓自身だ。

『でも合鍵は渡さないよ。男連れ込まれたら嫌だし』

 あの言葉は楓に向けてじゃなくて、綾斗さんの心に残る傷だったのかもしれない。

「そこからはもうぐっちゃぐっちゃ。頭ン中も、感情も。…だから俺は楓も信用してない」

 ああ。そうか。近寄れるのに近寄らせてくれないのは、綾斗さんの扉が閉ざされているからだ。

「俺が寝てる間にキッチンから包丁持ち出して俺を刺すかもしれないとも思ってる」
「そんな事…っ」

 するわけない。でもそう言ったところで綾斗さんには届かない。

「それに、楓はあの“楓ちゃん”だしね。一時的な感情で俺に懐いてんだとしか思ってない」
「それは……」

 間違っていないかもしれない。確かに楓は今だけの感情で綾斗さんに懐いてそばにいたいのかもしれない。でもそれだけじゃない気もする。楓自身が何を思っているのか。何を望んでいるのか。自分でもわからない。楓が黙り込むと。

「楓に言った、『人間、生きてるだけで価値あるよ』って、その子が俺に言ってくれた言葉なんだよね」
「………」

 また何も言えなくなる。楓は綾斗さんの元カノの言葉に救われたのか。でも、その言葉があって綾斗さんと知り合えた。そう考えれば悲観する事もない…のだろうか。

「咄嗟に出た言葉だったから余計悔しかった。まだ俺の心の中にいるんだって思ったら、すげー悔しかった」

 楓も悔しい。綾斗さんの心にまだ住み続けられるその人が。楓はほんの少しでも綾斗さんの心に住むことができるのだろうか。

「俺、多分あの時、楓に自分を重ねてた。自分には価値がないって」
「俺は…綾斗さんのあの言葉に救われました」
「だよね、救われちゃうよね。……だから余計悔しい」

 本当に悔しい。綾斗さんの中でまだそんなに大きな存在である元カノが、妬ましい。楓はどうやったってそんな存在になれない。

「……綾斗さんが忘れないとこの世で生きていけないって思ってる事は、その元カノの事ですか?」
「それもあるけど」
「?」
「一番は自分」

 憎々しげな声。綾斗さんは自分を敵のように言う。

「俺自身を忘れて生きなきゃ生きていけない。本当の俺は弱くて脆い、誰かに認められたくて、支えがなけりゃ崩れちゃうような人間だから」
「………」

 何も言えない。でも綾斗さんの一部でも知れたようで嬉しい。でも悔しさも湧き起こる。色々な感情が交錯して楓は頭が痛くなりそうだった。
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