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天使の居場所㉑
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よく眠れずに月曜日の朝になった。
桐都は帰ってこなかった。ぼんやりする頭を起こすために顔を洗うが、まったくすっきりしない。朝食を、と思ってやめる。なにかを食べられる気分ではない。
「いなくならないでって言ったのに……。桐都さんの馬鹿」
ひとりごちて苦笑する。馬鹿は伊央のほうだ。こんなふうに終わってしまうなら、きちんと言うべきだった。「俺も桐都さんがほしい」と。後悔しても時間は戻らない。言えていたら、今も桐都は隣にいて、泣き出しそうな伊央を抱きしめてくれたのだろうか。
重い心を抑え込み、後悔しか口から出ない自分を叱って大学に行く支度をする。桐都の姿を探し、力なく床にうずくまった。
もう彼は戻ってこない。
「川村さん、ちゃんと寝てる?」
「はい。元気です」
「でも目の下のくまがすごいよ」
柳が心配してくれて、申し訳ない気持ちでいっぱいだけれど、元気に振る舞うこともできない。唯一できる「元気です」を口にすることだけが、今の伊央の支えでもあった。そう言っていれば、本当に元気でいられるような気がするのだ。
桐都が帰ってこなくなって二週間が経つ。ふたりで寝たベッドに、ひとりでいることが耐えられない。眠気が訪れても浅い眠りしか得られない。目を開けたら桐都が隣にいて、彼が帰ってこないなんて夢だったのではないかと期待しては希望が砕かれる。朝になって目を覚ますたびに心が軋んだ。
力が入らなくて、毎日をどうすごしているか伊央自身もわからない。それでもなんとか生きていられるからいいか、と投げやりな気持ちしか起こらない。
「桐都さん」
あの日の桐都のように夜空を仰ぎ、呼びかける。
こうなって、彼のことをなにも知らなかったのだと痛感する。メッセージアプリの連絡先は彼がアカウントを削除したのか、もうメッセージは送れなかった。桐都とのつながりはこんなにも呆気なく終わるのだと、「Unknown」の表示に愕然とした。
「幸せでいてください」
いつでも笑顔でいてほしい。それでももしもまた会えたら、言えなかった言葉を伝えたい。
心が重いまま、まだ見慣れない部屋の床に座る。
桐都とふたりですごした部屋にひとりでいることがあまりにつらく、すべてを忘れるために引っ越した。ちょうどいい物件がすぐに見つかり、早々に契約をした。
引っ越し業者が去り、ひとりになった部屋でぼんやりと天井を見あげる。段ボールを開くこともせず、マットレスを置いただけのベッドに横になった。ベッドも買い替えたかったけれど金銭的に余裕がなかった。
もう桐都の体温は残っていないのに、そこにいてくれるような気がする。朝になれば「おはよう」と微笑んでくれて、夜には「おやすみ」と抱きしめてくれる――そんな日々はもう戻らない。
「ベッドも買い替えたほうがよかったかも」
桐都との思い出が残るものをひとりでかかえていられるほど、強くなれない。
「伊央」
幻聴が聞こえる。ぼんやりする頭で夜空を見あげるのも、もうすっかりくせになった。諦めの悪いことに、こうするとあの日に戻ってやり直せるような気がしてしまうのだ。忘れるためにあれこれとやってみても、忘れるなんてできない。
「伊央」
低く優しい響きが、もう一度聞こえた。ゆっくりとそちらに視線を向けると、幻覚まで見える。ずっと願ってやまなかった相手が、そこに立っている。
今、自分はなにをしていたのだったか、と考える。そうだ。アルバイトが終わって帰るところだった。なんとなく足が止まったら、幻聴が聞こえて――。
「伊央、大丈夫か?」
「……桐都さん?」
懐かしい名前が唇から出て、伊央自身が驚いた。あんなにも答えのなかった呼びかけに、応える人がいる。
「どうして」
「お金を返しにきたんだ。遅くなってごめん」
夢かもしれないが、それでもいい。
「桐都さん……」
「伊央、ちゃんと食べてるか?」
こくん、と力なく頷く伊央を心配そうに見つめる琥珀色の瞳は、あの日々と変わらない。差し出された封筒を見おろし、整った顔をまた見あげる。
「引っ越したのか? アパートに行ったら空室になってた」
「――」
喉が詰まって言葉が出てこない。せりあがった感情が胸を圧迫し、息苦しさを覚える。手を伸ばしたら触れるのだろうか――そっと持ちあげた手をすぐにおろした。幻覚だったら立ち直れない。
「たくさんありがとう。幸せに」
また桐都が背を向ける。あの日と同じだ。
「……っ」
幻覚でもいい、すがりたい。声をかけようとしても声が出ず、背の高いうしろ姿が霞んで見えて、足を踏み出したはずなのに身体が崩れた。
桐都は帰ってこなかった。ぼんやりする頭を起こすために顔を洗うが、まったくすっきりしない。朝食を、と思ってやめる。なにかを食べられる気分ではない。
「いなくならないでって言ったのに……。桐都さんの馬鹿」
ひとりごちて苦笑する。馬鹿は伊央のほうだ。こんなふうに終わってしまうなら、きちんと言うべきだった。「俺も桐都さんがほしい」と。後悔しても時間は戻らない。言えていたら、今も桐都は隣にいて、泣き出しそうな伊央を抱きしめてくれたのだろうか。
重い心を抑え込み、後悔しか口から出ない自分を叱って大学に行く支度をする。桐都の姿を探し、力なく床にうずくまった。
もう彼は戻ってこない。
「川村さん、ちゃんと寝てる?」
「はい。元気です」
「でも目の下のくまがすごいよ」
柳が心配してくれて、申し訳ない気持ちでいっぱいだけれど、元気に振る舞うこともできない。唯一できる「元気です」を口にすることだけが、今の伊央の支えでもあった。そう言っていれば、本当に元気でいられるような気がするのだ。
桐都が帰ってこなくなって二週間が経つ。ふたりで寝たベッドに、ひとりでいることが耐えられない。眠気が訪れても浅い眠りしか得られない。目を開けたら桐都が隣にいて、彼が帰ってこないなんて夢だったのではないかと期待しては希望が砕かれる。朝になって目を覚ますたびに心が軋んだ。
力が入らなくて、毎日をどうすごしているか伊央自身もわからない。それでもなんとか生きていられるからいいか、と投げやりな気持ちしか起こらない。
「桐都さん」
あの日の桐都のように夜空を仰ぎ、呼びかける。
こうなって、彼のことをなにも知らなかったのだと痛感する。メッセージアプリの連絡先は彼がアカウントを削除したのか、もうメッセージは送れなかった。桐都とのつながりはこんなにも呆気なく終わるのだと、「Unknown」の表示に愕然とした。
「幸せでいてください」
いつでも笑顔でいてほしい。それでももしもまた会えたら、言えなかった言葉を伝えたい。
心が重いまま、まだ見慣れない部屋の床に座る。
桐都とふたりですごした部屋にひとりでいることがあまりにつらく、すべてを忘れるために引っ越した。ちょうどいい物件がすぐに見つかり、早々に契約をした。
引っ越し業者が去り、ひとりになった部屋でぼんやりと天井を見あげる。段ボールを開くこともせず、マットレスを置いただけのベッドに横になった。ベッドも買い替えたかったけれど金銭的に余裕がなかった。
もう桐都の体温は残っていないのに、そこにいてくれるような気がする。朝になれば「おはよう」と微笑んでくれて、夜には「おやすみ」と抱きしめてくれる――そんな日々はもう戻らない。
「ベッドも買い替えたほうがよかったかも」
桐都との思い出が残るものをひとりでかかえていられるほど、強くなれない。
「伊央」
幻聴が聞こえる。ぼんやりする頭で夜空を見あげるのも、もうすっかりくせになった。諦めの悪いことに、こうするとあの日に戻ってやり直せるような気がしてしまうのだ。忘れるためにあれこれとやってみても、忘れるなんてできない。
「伊央」
低く優しい響きが、もう一度聞こえた。ゆっくりとそちらに視線を向けると、幻覚まで見える。ずっと願ってやまなかった相手が、そこに立っている。
今、自分はなにをしていたのだったか、と考える。そうだ。アルバイトが終わって帰るところだった。なんとなく足が止まったら、幻聴が聞こえて――。
「伊央、大丈夫か?」
「……桐都さん?」
懐かしい名前が唇から出て、伊央自身が驚いた。あんなにも答えのなかった呼びかけに、応える人がいる。
「どうして」
「お金を返しにきたんだ。遅くなってごめん」
夢かもしれないが、それでもいい。
「桐都さん……」
「伊央、ちゃんと食べてるか?」
こくん、と力なく頷く伊央を心配そうに見つめる琥珀色の瞳は、あの日々と変わらない。差し出された封筒を見おろし、整った顔をまた見あげる。
「引っ越したのか? アパートに行ったら空室になってた」
「――」
喉が詰まって言葉が出てこない。せりあがった感情が胸を圧迫し、息苦しさを覚える。手を伸ばしたら触れるのだろうか――そっと持ちあげた手をすぐにおろした。幻覚だったら立ち直れない。
「たくさんありがとう。幸せに」
また桐都が背を向ける。あの日と同じだ。
「……っ」
幻覚でもいい、すがりたい。声をかけようとしても声が出ず、背の高いうしろ姿が霞んで見えて、足を踏み出したはずなのに身体が崩れた。
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