しあわせをあなたと

すずかけあおい

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木曜日、灯里の心

木曜日、灯里の心②

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 帰宅して先にお風呂を使わせてもらった莉久は、部屋でスマートフォンを操作した。二十二時を五分ほどすぎているから、もうホテルに戻っているだろう。呼び出し音のあとに、聞き慣れた低い声が応答した。

『どうした?』
「父さん、元気?」
『元気だ。それだけなら切るぞ。まだ仕事が残ってるんだ』
「ま、待ってよ! 聞きたいことがあるんだ」

 背後に音は聞こえないので、ホテルには戻っているようだった。
 急に話を聞きたくなった。父ではない灯里の、心の中を。

「あのさ、梓眞さんとつき合ってたとき、父さん幸せだった?」
『……』
「引き離されたって聞いたけど、そのとき父さんはどう思った?」
『……梓眞から聞いたのか?』

 うん、と控えめに答えると、灯里はなにか悩むように黙った。しばし沈黙が流れる。

『そうだな。幸せだったよ。これ以上ないくらい』
「梓眞さんのお父さんに反対されたんでしょ?」
『きっかけはな。俺の親も俺たちを離すのに賛同した。そのことがあってもう連絡もとってない。向こうも「息子は死んだものだと思う」って言ってたな』
「そうなんだ……」

 親の話がはじめて灯里の口から出た。灯里にはいまだつらい関係なのかもしれない。

『梓眞を愛してた。引き離されたときの俺の精神状態は普通じゃなかったし、きっと梓眞も同じだと思う』
「うん……」
『俺の父親と梓眞の父親は根本的に反りが合わなくて、最後は親対親のいがみ合いみたいになってた。「あんなやつの息子には絶対会わせない」って、結局俺たちの関係への反対より、親同士が揉めてるほうが大きくなってた気がする。今、冷静になって考えるとだけどな』

 灯里の口から聞くのは、梓眞から聞くのとはまた違った話だった。
 父ではない灯里は梓眞を愛していた――それをもう受け入れられないなんて言えなかったし、言いたくなかった。莉久まで梓眞や灯里の親と同じように受け入れなかったら、ふたりの気持ちがかわいそうだ。

「母さんのことは、愛してた?」
『愛してたよ』

 ひとつ息を吐いた灯里は、またしばし無言になった。莉久は続く言葉を待つ。

『季彩とは、はじめは傷の舐め合いだったと言うのが正しいのかもな。梓眞を失った俺と、同じ時期に事故で両親を同時に亡くした季彩と、なんとなく似たような陰を背負っていて気になった』

 灯里から別れた母との出会いを聞くのもはじめてだった。今まで聞いても適当にはぐらかされていたのは、莉久に受け止める覚悟がなかったからかもしれない。母方の祖父母が亡くなっていることは知っていたが、事故だというのも初耳だ。

『お互いを心配し合うことで気持ちを外側に向けるようになって……。そのうちに、また人を愛せるかもしれないと思った』
「うん……」
『うまく愛せる自信がない俺を、季彩が受け入れてくれた。結局別れたけどな』

 莉久は静かに深呼吸をして、思い切って尋ねた。

「……俺は、父さんにとって邪魔じゃない?」
『馬鹿だな。そんなわけないだろ』

 電話越しでも灯里が苦笑しているのがわかった。なにを言い出すのかと思っているかもしれない。

「梓眞さんとやり直す気はないの?」
『……』
「梓眞さんはまだ――」
『莉久』

 重々しい声で呼ばれて言葉を切ると、灯里は小さく息を吐いた。それがなにを表すものかはわからない。

『……もう切るぞ』
「あ。待って、まだ他にも聞きたいことがある」

 通話を終えようとする灯里を引き留めた。

「父さんはゲイなの? ノンケ?」
『そういう言葉は誰から教わったんだ?』
「怜司さん。梓眞さんと父さんのことも、最初は怜司さんから聞いた」
『ああ……』

 あの子か、と灯里は怜司のことも知っている様子だ。梓眞から事情を聞いているのかもしれない。

『俺はノンケだ。ゲイじゃない』
「じゃあ、どういうふうに梓眞さんを好きになったの? 好きになるとどんな気持ち?」
『莉久?』
「梓眞さんとつき合うとき、どうやって男の人とつき合う覚悟ができたの?」

 聞きたいことが溢れ出し、唐突な問いを重ねる莉久を、灯里は電話の向こうで訝っているようだ。

『なんでそんなこと聞くんだ?』

 あれ、と思う。どうして自分はそんなことを聞いたのだろう――莉久もわからない。わからないけれど心に不思議な波紋が起こり、脳裏に怜司の笑顔が浮かんだ。


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