大人な貴方とはじめてを

すずかけあおい

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大人な貴方とはじめてを③

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 終業時間が近づくにつれてそわそわとしはじめた。仕事が終わったあとに予定があるなんて、部署の飲み会や奥原と軽く飲んで帰るくらいしか、これまでになかった。でも今日の予定は、デートだ。たぶん。
「……」
 ただの食事のつもりで誘われていたのだったら、意気込みすぎていて少し恥ずかしい。もう少し気軽に、なんでもないふうを装って――。段取りを頭の中で組んで、よし、と手に力を入れる。張りきりすぎず、あくまで食事をするのが目的で、デートとは考えない。そうしよう。
 終業時間になり、私物を整理して椅子を立つ。よし、と気合いを入れてから、張りきらないんだろ、と自分に突っ込む。
 待ち合わせはビルの一階なのでエレベーターホールに向かい、あれ、と足を止める。そのエレベーターホールのほうから崎森が歩いてきていた。
「お疲れさま」
「どうしたんですか? 待ち合わせって一階じゃ……」
 崎森は恥ずかしそうに頬をわずかに赤くし、目を細めた。
「早く松田くんに会いたくて、迎えに来たんだ」
 そんな甘い言葉をさらりと言えるあたり、やはり恋愛慣れしているのだろう。なんとなく引け目を感じて少し俯く。本当にこんな自分でいいのか。
「行こう。おいしいお店を予約しておいたんだ」
「は、はい」
 背を軽く押され、促されるように歩き出す。すべてがスマートで、どこを取っても大人の男性だ。ちらりと隣を見あげる。すっと背筋の伸びた姿勢のいい崎森は、松田の視線に気がついて柔らかく微笑んだ。慌てて俯いて視線を逸らし、盗み見がばれたことが恥ずかしくて頬が熱くなった。
 エレベーターに乗り、一階におりる。なにか話しかけたほうがいいのか悩んでいたら、崎森から食べものの好き嫌いを聞かれた。
「なにか食べられないものはある?」
「これといってないです」
 苦手な食べものも特にない。松田の答えに崎森は微笑んだ。まるで「偉いね」と褒められいてるようで、胸がくすぐったくなった。
「崎森さんは、なにか苦手な食べものがあるんですか?」
「僕は牡蠣が苦手なんだ」
「え、あんなにおいしいのに!」
 オイスターバーなどのおしゃれな店で、ワインや日本酒に合わせて牡蠣の味を楽しみそうな雰囲気なのに意外だ。松田がそう言うと、崎森は照れているのか、ほのかに頬を赤くした。
「うん。そう言われるんだけど、どうしても昔から苦手なんだ」
「へえ」
 本当に意外だ。話してみると苦手なものがあったり恥ずかしそうにしたり、同じ人間だ、とほっとする。本当にたぬきやきつねに化かされていると思ったわけではないが、なんとなく完璧なイメージがあった。崎森からしたら勝手なイメージが先行していると思うのかもしれないが。
「じゃあ好きな食べものはなんですか?」
「煮物が好きなんだ。特にさといもが好き」
 フレンチやイタリアンのおしゃれな料理が出てくると思ったから、これもまた意外だ。遠くから見ていただけの崎森の実体が見えてきたようで、違和感が不思議と楽しい。
 見ているだけではわからないものだな、と思ってからはっとする。それは崎森も同じではないか。イメージした松田と違ったら、がっかりされるかもしれない。
 頑張らないと。
 張りきらないつもりだったのに力が入ってしまう。松田が崎森をよく知らないように、逆もまた然りなのだ。互いを知り合うためにつき合っているのではあるが、なるべくなら幻滅されたくない。
 少し姿勢をよくして、きびきびと歩く。見た目や中身はすぐに変えられないから、せめてみっともないところは見せないようにしよう。
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