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十二月『消ゆ根雪』
その零
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九月、『子猫の嫁さがし』の騒動が起きるその直前――休暇をとった彼が棚葉町の七本屋を訪れた、その深夜のことである。
「全く、貴様と飲むのは気が進まんな」
「そう言うなよ。小生はこれを楽しみにしているんだから」
女子供が寝静まった夜更けの書斎にて、彼は七本三八と酒を酌み交わしていた。気が進まんと言いながらも、彼は三八の猪口に酒を注いでやっている。というのも、七本三八というこの男は嗅覚が鋭いから、彼が注いだ酒の匂いさえあれば、語らずとも『それ』が分かるのだ。
三八は注がれた酒の匂いを嗅いで、口に含んで転がして、く、と喉に流した。
「やはり美味いな、越午の酒は。特に辛口がいい、後味がすっきりしている。君も小生の好みが分かってきたというところか」
「今年は出来がいいと言っていた。奮発してきてやったんだから、大事に飲めよ」
「はいはい、恩着せがましいねえ」
三八が飲み終わった猪口を差し出してきたのでもう一杯注いでやる。手元の猪口にも一杯注いで、彼もまたそれを呷った。
「……なにか、大きな進展があったのかい」
ふた口目を味わった三八が聞く。彼はそれに頷いた。
「今ので察しただろう。こちらが探すまでもなく、向こうから姿を現した」
「……先日の殺人事件か、藤京と横濵の」
「あぁ。警察隊からお呼びがかかってな。まさに大本命といったところか」
「根拠は?」
「どれも急所を一撃、遺体の痕跡からして刀によるもの。加えて現場には椿の花が落ちていた。殺された人数分の、な」
「一応聞くけど、よく似た山茶花ではないよね?」
「無論。本職の花売り数名に確認をとったが、間違いなく椿だと。――まだ秋だというのにな」
「なるほど、実も熟してきたか。もうじき食べ頃かな」
三八は無言で猪口を差し出し、三杯目を要求する。それに無言で酒を注ぐ彼。
「……ねえ、柄田。一応確認なんだけど」
三口目を味わった三八は、唐突に言った。
「君のそれは、本当に復讐譚なのかい?」
それに対し、この期に及んで何を言うのか、と彼は三八を見る。
「疑う余地があるのか」
彼には決してそのつもりは無かったが、彼は元々目つきが鋭いものだから、軽い目配せでも睨んだように見えてしまう。まあ、七本三八がそんなことは気にもしない性格なのだから関係ないが。
「いんや、ないのだけど。なんだろうね、勘かなぁ」
「くだらない。私は復讐の為だけに今まで奔走してきたのだ。それを今更否定されて――っけほ、げほっ」
彼は途端、激しく咳き込む。何度も何度も咳をし、ひとたび間が空いて苦しげにえずいたと思ったら、また咳を始めた。――わざわざこんなふうに大袈裟に書いているのだから、勿論これは単なる風邪ではない。
「ちゃんと医者には診せてるのかい」
咳き込む彼の背中を摩るでもなく、ただ確認のために三八は言う。猪口に残った僅かばかりの数滴を舐めて、苦しむ彼を諌める。
「神鳴郷もあんまり使いすぎるなよ。本来あれは、君には最も相性の良くない類の禁書なんだから」
「――……分かっている」
分かっている。この男は、自分を心配しているのではない。単純に、譚が貰えないと困るからそう言っているのだ。希望的観測をするのであれば、欠片くらいの気遣いはあるのかもしれないけれど、そうだとしても理由のごくごく一部であろう。
なんにせよ――彼にとっての因縁の相手がこの時機に姿を現してくれたことは非常に都合がいい……とまでは残念ながら言えないが、ぎりぎりと言ったところであろう。つまり、間違いなくこれが最初で最後の好機だ。
「決して測り間違えるな。君の残りの命を」
「全く、貴様と飲むのは気が進まんな」
「そう言うなよ。小生はこれを楽しみにしているんだから」
女子供が寝静まった夜更けの書斎にて、彼は七本三八と酒を酌み交わしていた。気が進まんと言いながらも、彼は三八の猪口に酒を注いでやっている。というのも、七本三八というこの男は嗅覚が鋭いから、彼が注いだ酒の匂いさえあれば、語らずとも『それ』が分かるのだ。
三八は注がれた酒の匂いを嗅いで、口に含んで転がして、く、と喉に流した。
「やはり美味いな、越午の酒は。特に辛口がいい、後味がすっきりしている。君も小生の好みが分かってきたというところか」
「今年は出来がいいと言っていた。奮発してきてやったんだから、大事に飲めよ」
「はいはい、恩着せがましいねえ」
三八が飲み終わった猪口を差し出してきたのでもう一杯注いでやる。手元の猪口にも一杯注いで、彼もまたそれを呷った。
「……なにか、大きな進展があったのかい」
ふた口目を味わった三八が聞く。彼はそれに頷いた。
「今ので察しただろう。こちらが探すまでもなく、向こうから姿を現した」
「……先日の殺人事件か、藤京と横濵の」
「あぁ。警察隊からお呼びがかかってな。まさに大本命といったところか」
「根拠は?」
「どれも急所を一撃、遺体の痕跡からして刀によるもの。加えて現場には椿の花が落ちていた。殺された人数分の、な」
「一応聞くけど、よく似た山茶花ではないよね?」
「無論。本職の花売り数名に確認をとったが、間違いなく椿だと。――まだ秋だというのにな」
「なるほど、実も熟してきたか。もうじき食べ頃かな」
三八は無言で猪口を差し出し、三杯目を要求する。それに無言で酒を注ぐ彼。
「……ねえ、柄田。一応確認なんだけど」
三口目を味わった三八は、唐突に言った。
「君のそれは、本当に復讐譚なのかい?」
それに対し、この期に及んで何を言うのか、と彼は三八を見る。
「疑う余地があるのか」
彼には決してそのつもりは無かったが、彼は元々目つきが鋭いものだから、軽い目配せでも睨んだように見えてしまう。まあ、七本三八がそんなことは気にもしない性格なのだから関係ないが。
「いんや、ないのだけど。なんだろうね、勘かなぁ」
「くだらない。私は復讐の為だけに今まで奔走してきたのだ。それを今更否定されて――っけほ、げほっ」
彼は途端、激しく咳き込む。何度も何度も咳をし、ひとたび間が空いて苦しげにえずいたと思ったら、また咳を始めた。――わざわざこんなふうに大袈裟に書いているのだから、勿論これは単なる風邪ではない。
「ちゃんと医者には診せてるのかい」
咳き込む彼の背中を摩るでもなく、ただ確認のために三八は言う。猪口に残った僅かばかりの数滴を舐めて、苦しむ彼を諌める。
「神鳴郷もあんまり使いすぎるなよ。本来あれは、君には最も相性の良くない類の禁書なんだから」
「――……分かっている」
分かっている。この男は、自分を心配しているのではない。単純に、譚が貰えないと困るからそう言っているのだ。希望的観測をするのであれば、欠片くらいの気遣いはあるのかもしれないけれど、そうだとしても理由のごくごく一部であろう。
なんにせよ――彼にとっての因縁の相手がこの時機に姿を現してくれたことは非常に都合がいい……とまでは残念ながら言えないが、ぎりぎりと言ったところであろう。つまり、間違いなくこれが最初で最後の好機だ。
「決して測り間違えるな。君の残りの命を」
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