貸本屋七本三八の譚めぐり

茶柱まちこ

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三月『糜爛の処女』

そして、語られるまで(結)

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 譚と人は切っても切れない。
 譚は人を人たらしめるもの。
 心臓のように人を動かすもの。
 いつも人の中で芽吹いているもの。
 だから、本当の意味で譚と人は訣別することはできない。
 譚とは心であり、芯であり――同時に背負うものであり、足枷でもある。
 そこに価値なんてない。
 価値という価値観はない。
 無価値でさえない。
 ただただ、そこに在るもの。 
 そこで生きているもの。
 だから、彼の真実の譚は今も彼の中に生き続けている。
 彼の心臓が、彼の息が止まるその時まで――生き続ける。
 おれは、そんな彼の譚を見届けようと思う。
 最後まで愛し抜こうと思う。
 最期まで読み解こうと思う。
 数十年後、あるいは数百年後の誰かに読み解いてもらえるように。

 ――そんなことを考えてしまうほどに、おれは恋をしていた。
 彼の譚に、恋をしていた。
 きっとそれは、彼と出会ったあの時から。


 *****


「だからおっさんに弟子入りしたわけか」
「そういうこと」

 ほのかに陽気を感じさせるそよ風を受けながら、双子は縁側に座っていた。
 顔つきだけは瓜二つの双子の兄弟――弟の唯助は柄でもないことを言いながら団子を咥えている。傍らの兄・世助は湯呑みを片手にそれを聞いていた。

「ま、いいんじゃねえの。お前はおっさんの元にいたほうが愛子としての生き方も学べるだろうしな。おれが守ってやるよりよっぽど建設的だ」
「あ、だから髪切ったのか? ばっさりと」
「さっぱりとな」

 世助は首の後ろ――少し前までは結髪が垂れていたその位置まで手を持ってくる。今はもう、そこには何も無かった。どうやってかき集めたところで結えない。しかし、世助はばっさりと切ってしまった髪になんの未練もなかった。

「もう似せる必要はないしな。邪魔くさい髪の毛ともこれでおさらばだ」
「服も洋装になってるし……こりゃ見違えるなぁ」

 変化したのは髪型だけではない。洋風のシャツに質素なモチーフのループタイ、黒のベストに洋袴――藤京に初めて行った時の柄田がしていたような、モダンな服装になっていた。

「好きな服が着られるようになって嬉しいだろ」
「おう。紫以外の服を着るのは久しぶりだしな。ちょっと憧れてたんだ、柄田さんや秋声先生みたいな洋装」

 とはいえ、腕まくりをしているあたり、柄田や秋声のような洗練された領域には届かない無骨さがあるけれど。筋肉質の世助にはボタンを留めるもきつかったのだろう。その腕まくりも、良くとらえれば彼の個性の一部である。

「で、世助は柄田家に養子入りかぁ。寂しくなるな」
「あ、それなんだけど」

 ここで――世助はさらりと、とんでもないことを言い放つ。

「養子入りの話、断っちまった」
「……はぁっ!?」

 世助の紙屑を投げるかのような軽さの爆弾発言に、唯助は思わず素っ頓狂な声を上げる。

「おっさんから聞いてなかったか? 最近、柄田家が荒れてるらしいんだよ」

 唯助はぷるぷると首を振る。世助が養子入りを辞退したこともそうだし、柄田家が荒れていたということも寝耳に水である。

「ほれ、つい最近色々やらかして懲戒免職になった第四部隊の隊長いるだろ。そいつがどうやら柄田家の出身だったらしくて、帝国司書隊の関係者から非難轟々らしい」

 帝国司書隊としての体面を保つ意味合いで表沙汰にされていないとはいえ、噂だけなら市民の間にも密かに広まっている。もっとも、唯助はここ最近、周りの劇的な環境の変化に翻弄されていたため、世間話など耳に入ってこなかったのだが。

「だからおっさんや蒼樹郎そうじゅろうさんと話し合って、話を取り下げることにしたんだよ。おっさんなんかこんな顔してたぜ」

 世助はギュッと眉根に皺を寄せ、オエーッと今にも何かを吐き出さんばかりの『気持ち悪い』表情をして見せた。
 とはいえ、あの不祥事の非難もで済んでいるのは、『国賊の企みを命懸けで阻止した英雄・柄田修一郎』もまた、柄田家ゆかりの人間だったからだ。
 まあ、それはさておいて。

「じゃあお前、禁書士になるための勉強はどうすんだよ? 禁書士の資格を取らなきゃ、禁書医として秋声先生に師事することもできないんだろ?」
「蒼樹郎さんにお願いした」
「……なるほどな。あの人、ちょっとくらい休めばいいのに」
「無為に時間を過ごすのは却って落ち着かないんだとよ。何もしないんじゃ頭も体も鈍るばかりだし、せめて頭だけでも動かしたいってあっちから買って出てくれたんだ」
「……なんというか」

 相変わらず忙しい人だ。
 唯助は団子を咥えながら、ぼんやりと空を眺めた。


 *****


「――っ、くしゅっ」

 まだ雪が残るこの地では、空気もまだ冷え冷えしている。春の気配を匂わせ始めた棚葉町で双子が話しているのと時を同じくして、同じ空を眺めながらくしゃみをした男がいた。

「おや、寒いのですか」
「いや、平気だ。誰かが私の噂話をしていたのやもしれん」

 気にすることではない、と言いながら、男は窓の外を眺めていた。

「ここの春は遅いな。早く暖かくなってほしいものだ。くしゃみや咳ひとつで体が痛む」
「ですが、以前ほど痛いとは言わなくなりましたね」
「ああ。感覚的にだが、骨も肉も大分しっかりしてきた気がする」

 崩壊していた肉体は、彼自身の驚くべき回復力のおかげでなんとか繋がってきた。が、それは他者の不注意で動かされても、崩れたりはしなくなっただけという話。今の彼は、絶対安静の身であった。

「動けないということがこんなにも苦痛だとはな。これならいっそ、働きまくっていた時の方がいいような気もする」
「立派な仕事中毒ですね」
「今すぐにでも頭を使うことがしたい。筋肉が目に見えて落ちているのに、脳味噌まで落ちてしまったら私の取り柄がなくなってしまう」

 ――口ではそう言いつつ、しかして彼は障子の窓から残雪をぼんやりと眺めていた。久方ぶりに帰った故郷の雪景色を、安らかな心持ちで眺めていた。

「貴殿は行かなくてよかったのか、秋声殿」
「病人を置いていくことはできませんよ。それに、僕もしばらくはお国の目から隠れなくてはいけません。貴方こそ、出席すればよかったのでは? 彼らから声をかけられていたのでしょう」
「私が出たところで何になる。こんな体で祝いの席に出席しては、主役に要らぬ気を遣わせる。酒も止められているし、自力で飯を食うこともできん体ではどうしようもない」
「そうですか。では、僕たちは僕たちで世助くんの土産話を楽しみに待つとしましょう」

 そう言いながら、男の傍らにいた白衣の男――鷺原秋声は、書見台に置かれた本に目をやる。つい先ほどまで、男が読んでいたものだった。

「……頭を使うことがしたい、とは言っていますがね。今も頭を使っているのではありませんか、蒼樹郎さん」

 男――椿井つばい蒼樹郎そうじゅろうはそれに何も答えない。黙殺しているのではなく、このやり取りが何度も繰り返されているから今更返す意味がないのだ。だから、秋声もその問いはなかったことにして、別のことを問いかけた。

「起業するおつもりなのでしたか。それで、どんな事業をお考えで」
「譚本専門の出版社だ」

 これは別に最近になって考えついたことではない。元々そういう展望を描いていて、それを具体的な構想段階に持ち込んだだけに過ぎない。
 武芸の才能を一切持たない天才である彼は帝国司書隊を離れた今、隠棲する日々の中で相も変わらず本を読みながら知識を身につけているのだった。

「このご時世、道のりは楽ではないだろう。だが、こちらには漆本蜜というこの上なく強力な助っ人がいる。帝国司書隊で譚本の部署にいた奴らにも声をかけて、優秀な人材を集めるとしよう」

 正直、帝国司書隊にいた頃はろくな目に遭わなかったと思っていた蒼樹郎だが、十年間働いて築き上げてきたものは決して無駄ではなかった。
 伝説の禁書士・八田光雪に弟子入りしなければ譚本の魅力を知ることはなかっただろう。帝国司書隊に入らなければ本を如何に作り上げていくか、民衆の手に届けるか、それらを管理していくかも分からなかっただろう。声をかける人材の宛てだってつかなかっただろう。

「あとは資金繰りだな。鍔倉家の貯蓄だけでは心もとないから、試しに博打でも打ってみるか」

 さらりと。
 真面目な話をしている中に、蒼樹郎はとんでもないことを言う。流れるように放たれた発言に、秋声は自身の耳を疑った。

「………貴方、賭博の経験は」
「賭場に行ったことはない。が、花札も麻雀も西洋カルタも仲間内では一番強かった。まあ、こっそりイカサマをしたこともあるが」
「……最後のは聞き違いでしょうか」
「安心しろ、貴殿の耳は正常だ」

 秋声が聞き取った内容には一つの聞き違いもない。真面目が服を着て歩いているようなこの男から、その真逆の印象を与える言葉がさらさらと出てきていることに、秋声は奇妙な感じを覚えた。

「皆は私のことを『ズルをしない真人間』だと勝手に思っているようだが、私は目的のためなら手段を問わない狡猾な人間だ。騙し討ちは得意分野でな」

 そうでなくてはやっていけない――なにせ、自分は弱いのだから。

「私を生真面目なやつだと認識した時点で、そいつは私の術中に嵌っていると言えような。……さすがにこれは大口を叩きすぎか」

 弱いからこそ無駄を出さず、有意義に、有益に。かつ柔軟に虚を衝いて対抗する。『真人間』『不正をしない』――そんな印象付けも、彼の布石なのだ。
 蒼樹郎は、にっと笑う。

「私はどうしたって弱いままなのだから、そのうえ真面目に当たって砕けるのでは救いようがない。弱い奴が強い奴に対抗するには、結局どこかでずる賢く立ち回るしかないのさ」

 生真面目すぎる人間は弱いうえに脆い。だからこそ、彼は手堅くズルをする。それも一つの手段だと考えて、正々堂々とズルをする。

「言っておくが、脱税や着服は絶対にしないからな」

 ――肝心なところは誠実に。
 周囲に『生真面目で責任感のある隊長』で通してきた彼だ。そのへんはしっかりと線引きしていたのだろうし、過ちも犯すことはないだろう。

「……貴方のその不屈の闘志の一端には、そういった狡猾さもあるのでしょうね」
「正攻法だけで渡っていけるほど、世の中は甘くないからな」

 そんなことを言っている最中も、彼は思考する。
 これから先の未来のこと、これから創っていく会社のこと。――そして、そろそろ始まろうかと思われる、かの夫婦の新たな譚のことを。


 *****


 その日、棚葉町の東端にある譚本専門の貸本屋・七本屋にて、小さな祝言が挙げられていた。
 ひっそりと、誰の目にも触れないように。そう、彼らがいたのは本物の棚葉町ではなく――禁書の世界に作られた虚構の棚葉町である。
 禁書『子猫の嫁さがし』の中に作りあげたハリボテの町。祝言を挙げていたのはその子猫ではないのだが、挙式の場としてここを提供したのはその子猫である。
 禁書の毒を弱化できる愛子が二人もいたからこそ実現した異空間での祝言。
 祝言を挙げたその主役たる夫婦は、宴会場と化した二階の部屋をこっそりと抜け、一階の縁側に肩を並べて語らっていた。

「それにしても、今日の君は本当に綺麗だね」
「もう、みや様ったら。先程からずっと仰ってますよ」

 月はなく、星だけが瞬く夜。
 可笑しそうに微笑んでいる妻・音音は、今宵の空の色に溶け込むような色打掛を纏っていた。その色は七本屋の暖簾の色であり、夫・三八の象徴でもある。

「紺色の打掛とは、また風変わりなものを見つけてきたね」
「紫蔓さんが提案してくださったのです。旦那様の色に染まっちゃいなさいって」
「また粋なことを考えつくものだね。それに、その簪も」

 彼女の結い上げられた黒髪には、桃の花を模した簪がある。それは、夫の誕生日である三月三日を象徴したものであった。

「もう五年も経ちましたから、白無垢よりはこのお色の方が良いとわたくしも思ったのです」

 夫婦になって五年経った今――二人はこの日、ようやく正式に祝言を挙げたのであった。夫の三八が一つの門出を迎えたその節目に、 なにか記念になることをしないかと音音が提案して話し合った結果、こうなったのだ。

「君の晴れ姿を町の人間にも自慢できなかったのが残念だが――しかし同時に、こうして君を独り占めできることに安堵してもいる。……このまま、ずっと見ていたい」
「そんなに見つめられたら、穴が空いてしまいますわ」

 三八から注がれる熱視線に赤くなった音音は、そうは言いつつも嬉しそうにしている。そんな音音を見て、三八はふっと笑顔を消した。

「――君は、変わらないね」
「え?」
「小生はもう、こんな見た目になってしまったというのに」

 真顔から、少しばかり自虐の入った笑みに変えて、三八は言うのだった。
 そもそも、こうして禁書の世界の中でひっそり祝言を挙げている理由――それは、三八が自虐しているその見た目にある。

「こんな髪の色では、おじさんを通り越しておじいさんではないか」

 二十六歳からずっと見た目が変わっていなかった三八だが――彼は今、若さというものが全く感じられない姿になっていた。
 ――黒く艶のあった髪は色という色をことごとく無くし。
 ――体のあちこちには年相応に皺ができ。
 ――以前のような身軽さは失われ。
『糜爛の処女』に結をつけたその日、突然老いてしまったのである。否、止まっていた時間の流れが動いたのだから、本来の姿に追いついたというのが正しいのだけど。

「皺もできて、本当に見た目も親子ほど離れてしまったというのに」

 髪が完全に白くなってしまったのは、三十年もの間封印していた譚を全て取り戻した時に受けた衝撃が、あまりにも大きかったからなのかもしれない。
 夫婦の見た目は、今や親子を通り越して祖父と孫娘のようにさえ見える。
 三十四年という差は、実に大きい。
 二人が二十代の若いおしどり夫婦として周囲に認識されていたからこそ――本来なら町全体を巻き込むような祝い事も、禁書の中で隠れるように行っていたのである。

「……みや様。わたくしは、みや様の見た目だけに惚れたわけではありませんよ」

 む、と唇を尖らせて、音音は言う。

「確かにお若い姿のみや様は色っぽくてかっこよかったです。でも、今のみや様だって、穏やかで優しげで、素敵ですよ」

 するり、と音音が三八の頬に手を伸ばす。
 まるで夜風が撫でるような柔らかさで、張りのなくなった肌に触れる。

「それに、えくぼがあってよいではありませんか。貴方の優しさの象徴のようで、わたくしはとても綺麗だと思います」

 楽しくて笑い、嬉しくて笑い。
 褒める時も慰める時も、それら以外の作り笑いも。
 それは三八が何度も笑って生きてきたという何よりの証拠であった。

「こんなに優しい人から愛されて、わたくしは果報者にございますよ」

 だから、見た目など気にしていない。気にもならない。
 音音が三八に惚れた理由は年季の入ったその優しさにもあったのだから、それとはどこかちぐはぐであった若い見た目が、ぴったりと相応しい見た目に変化したというだけなのである。

「……そんなことを言われたら、また泣くよ」
「よいではありませんか。わたくし以外は誰もおりませんよ」

 しかし、三八は頑なに首を振って、零れそうになる涙を拭う。音音の花嫁姿を見た瞬間、全員の目の前で泣いたのだって想定外だったのに、これ以上恥ずかしい思いはしたくない。

「なあ、音音。人間は歳を取ると無欲になると言うけれど」

 唐突に、三八が涙を拭いながら言う。

「小生はその逆らしい。歳をとってから、色々と欲が強くなった」

 涙を拭った、皺の増えた手を見ながら言う。
 徐々に時間をかけて老化していく過程をすっとばし、一気に三十年分も老いてしまったがゆえに――その三十年という裂け目がいかに膨大であるかは、語り尽くせない。

「君が鯖に連れていかれかけた時、小生は『君が幸せになれるなら離婚したっていい』と言っただろう。でも、小生はもう、そんなことは言えない」

 少し前の、若い姿をしていた自身の発言――それがどこまで本気でどこまで嘘だったのかは分からないけれど。

「君が望んでくれるならずっと一緒にいたいし、望んでいなかったのなら望んでくれるまで努力する。それくらい、君を手放したくないと、今は思っている」

 己の全てをかけても、己の全てに代えても、己が妻だけは手放したくない。
 少し前まで音音の幸せを第一に願っていた三八が口にした、自分本位な願い。
 その思考の変化は極めて大きい。
 聞いていた音音の心を揺さぶるほどに、大きかった。

「みや様」

三八の名を呼ぶ音音の声は、震えていた。

「望んでないわけ、ないでしょう」

 星明かりを閉じ込めた大粒の涙を瞳に浮かべて。
 それでも、三八と同じように堪えながら笑う。

「……ねえ、みや様」

 直接的に言っては泣いてしまうから、そうならないように彼女は言った。

「月が綺麗ですね」

 三八であれば間違いなく知っているであろう言い回しを選んで。
 三八なら心ときめくような返しをしてくれるだろうという期待も込めて。

「君と見る月はいつだって綺麗だよ」

 三八はすぐにそう返して、さらに付け加える。

「望月の夜も、欠けたる夜も」

 はるか昔に詠まれた歌から取った返し。
 古典文学に造詣が深かった漆本伽那子の血統を感じさせる、彼らしい返歌。
 音音は笑みを深くする。

 それ以上は何も言わずに、三八の肩にそっと身を預けて――三八もまた音音の肩を抱く。
 示し合わせるまでもなく、二人の目が合い、互いにその色に吸い込まれるまま顔を近づけた…………その時だった。

「に゛ゃッ!」
「…………」
「…………」

 二人のうち、どちらのものでもない声が、甘い空気を一瞬のうちに消し去った。

「熱い熱い熱い! おばさんあっちぃにゃぁ!」
「おいおい、あんたはついてきちゃ駄目だろ!」
「す、すまぬ! じゃが……」

 二人の後方にあるのは、三八の書斎である。今宵、禁書たちも巻き込んだ宴会場として使われていたのは、広々とした二階の部屋。使われていない書斎の灯りは当然ながら灯っているはずがない。
 にも関わらず。
 障子の向こう側が明るい。電球をつけたような明瞭な明るさではなく、ぼんやりと頼りない明るさだ。

「……げっ、こっち見てる!」
「あらまぁ、こりゃ駄目ね」

 三八も音音も、後方の障子をじっと見ていた。……正確には、障子に映ったいくつかの人影を見ていた。

「……そこにいる全員、出てきなさい」

 三八が低い声で言うと、後方の障子がすすす……と遠慮がちに開けられる。
 障子の向こう側の光が漏れて明るくなっていくと同時に、そこには気まずそうな顔が三つあった。

「す、すいません旦那……」
「わ、悪い……ちょっとした出来心ってやつで……」
「め、面目なかった……」

 申し訳なさそうに謝る双子と、しゅんと小さく燃えている阿子。

「おとねがぁ~……」

 申し訳なさ以上に悲しみを隠せない子猫の鯖。

「残念、もうちょっと見たかったわぁ」
「いいところだったんですけどねぇ」

 謝る以前に悪びれてさえいない紫蔓と珱仙。
 六者六様の表情を浮かべる彼らに、

? それはこっちの台詞だ、野暮天やぼてんども」

 と三八は言う。
 隠すつもりもない怒りと、小っ恥ずかしいところを見られた羞恥心で、その声は大きく荒立っていた。

「『あとは若いお二人で』とかいう粋な気遣いはなかったのか、君たちは! いや、小生は若くないんだけどさ!」

 せっかくの情緒的な場面を台無しにされた三八は、珍しく怒鳴るような声で怒っていた。この人数で、まともな人種も含めたこの面子で、誰か一人でも止めてくれる者はいなかったのか――空気が読める双子あたりが止めてくれるだろうと期待していただけに、その期待を裏切られた三八の意気消沈ぶりは激しかった。
 勿論、傍らにいた音音も――あと少しで口付けできるところだったのに、すんでのところで妨害されてしまったのだから、内心かなり落胆していた。
 けれど、最終的に二人は、彼らを笑って許すことにした。
 こんなありきたりな展開もたまには良かろう。それに、自分たちの譚はこれからも続くのだから――と。


 *****


 後の世にて大昌と呼ばれた、激動の時代。
 そこに芽吹いていた一つの譚。
 虚構に満ちた一人の物語。
 ──稀代の文豪。
 ──伝説の帝国司書。
 ──小さな町の貸本屋店主。
 彼を指すそれらの言葉はいずれも、時が経つにつれて、およそあてにならないものとなるだろう。
 けれど――それが虚構に満ちていたとしても、彼の譚は後の世にも長く語り継がれることとなる。
 この譚に登場した誰もが、そう望んだように。

 そんなこんなで、多くの譚に愛されながら生きた一人の男の物語は、ここでひとたび、幕を下ろす。



三月『糜爛の処女』・了
『貸本屋七本三八の譚めぐり』・了
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