貸本屋七本三八の譚めぐり ~実井寧々子の墓標~

茶柱まちこ

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四章「崩れた少女」

その六

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唯助は柔らかなソファの感触で一気に覚醒し、がばっと身を起こした。
「起きましたか」
「おっ、奥村、総統……」
「やはり時間がかかりましたね。五時間は眠っていましたか」
「ごッッ……!?」
五時間も、泥のように眠ってしまっていたというのか。そして、奥村はその間ずっと見守っていたというのか。しかも、ソファに横たえられた唯助の体には薄い毛布がかけられている。唯助はそれを見て青ざめると、わざわざ綺麗に畳んでから、怒涛の勢いで頭を直角よりも深く下げた。
「すみません! 申し訳ありません! こんなところで五時間も寝てごめんなさい!!」
気を失うかもしれないと前置きしていたとはいえ、お偉い様のソファの上で寝てしまった上、覚醒まで五時間も待たせたのだ。恐縮を通り越して、もはや萎縮してしまった。
「あぁ、いえ。いいのです。自分も仕事をしながら、片手間で見ていましたので」
赤べこのようにべこべこと頭を下げまくる唯助に、落ち着けと諭す奥村。
「しかし、不思議なものですね。
寝入る瞬間、貴方の目の色が琥珀色に見えましたが……」
唯助は、奥村の言葉にまた動転する。背中から嫌な汗が噴き出す。なんとか誤魔化したくても、上手い言葉も見つからず狼狽している唯助に、奥村は再度落ち着くよう諭す。
「ご安心を。ここで起きたことは誰にも口外しない、その約束は忘れておりません。理由を尋ねるということもしません」
「あ、ありがとう、ございます……」
なんか、律儀すぎないか、この人。唯助は却って恐怖が増した気がした。
この眼についてある程度気になっているにもかかわらず聞いてこないのもそうだが、閲覧禁止の本をどうしてもと見たがっている理由についても深く尋ねてこない。禁書士でもないのに密かに禁書の毒を連れ込んでいることについても、一切疑われていないようだった。唯助の挙動はどう見たって怪しすぎるのに、彼は何一つ追及してこないのだ。
こうなると、もしかして寝ている間になにか探られたりしたのだろうか、それでなにかに気づいて、聞くまでもないから黙っているのだろうか、しかし奥村に限ってそんなことはないだろう、でも……などと変に勘繰ってしまう。
相手がいい人過ぎるというのもなかなか気が気でないものだ。
「体調はどうですか? 優れないようでしたら、少し休んでいても構いませんが」
「いえ、大丈夫です。すぐに帰りますので」
気遣ってくれる奥村には大変申し訳なく思うが、この場にこれ以上いたら心臓が萎縮しきって潰れてしまいそうだ。早く秋声のもとに行ってひと息つきたい、と唯助はソファから立ち上がった。

*****

「お疲れ様でした、唯助くん」
「ありがとうございました、先生」
執務室まで迎えに来た秋声を見て、唯助はようやく肩の荷が下りた気がした。壁のような体格をした彼の安心感が、今は一等ありがたく感じる。
「唯助くん、少し奥村くんとお話がしたいので、先に表の本棚で待っていてくれますか」
秋声は手にしていた鞄から茶封筒を取り出しながら言った。
条件だった研究の資料を手渡すのだろう。唯助はそう察して、先に執務室を後にした。
唯助の気配が十分に遠のいたのを見計らって、秋声が切り出す。
「奥村くん。唯助くんのことについてはくれぐれもご内密に。万が一、帝国司書隊のせいで愛弟子に危険が及べば、『毒の王』も黙っていませんよ」
と、脅しをかけた。彼からしてみれば、これは他人の威を笠に着る形になってしまうので、美しくないやり方なのだが。
しかし、奥村はそんな脅しに少しも動揺することなく、あっさりと頷いた。
「全て承知しております。あの方からも同じように脅されました」
「……なるほど、もう根回しされていましたか」
頷いた秋声も、少しも驚かなかった。むしろ、今まで感じていた違和に説明がついたとばかりに、納得していた。
「貴方が読み解きの立会人になるよう、あの男から事前に設定されていたということですか。道理で話がトントン拍子に進むわけです」
普通、交渉したとしても閲覧禁止の本の閲覧が認められるわけがない――まして、一般市民の唯助が閲覧許可を出されるなど、本来天地がひっくり返ってもありえないことだ。それに、超多忙の奥村が、たかだか唯助ごときのための時間を五時間も確保したというのも、運が良かったと片付けるには無理があった。そもそも、秋声はアポイントも無かったのに、多忙なはずの奥村と時を待たずして交渉できた。その時点で不自然だったのである。
最初から、奥村はすべて織り込み済みで構えていたのだ。
「『私の弟子についてを知ったとしても、組織には絶対に漏らすなよ』……と言われましたので。全く、あの方は自分に何度秘密を託すのでしょう」
「貴方も苦労人ですね。要領が良いだけに」
元部下で、ある程度融通が利くとはいえ、三八も随分な負担を強いるものである。さすがに秋声も同情していた。
「そんな貴方のために、ちゃんと持ってきましたよ」
同情していた……はずなのだが。
「……!? 秋声殿、これは一体……?」
ここまで厳格な表情を貫いてきた奥村は、茶封筒の中身をあらためて、初めてそれを崩した。
対して、秋声は満面の笑みで返す。それはそれはもう、愉快痛快とばかりの笑みで。
「僕は契約通りのものを持ってきましたよ。それが今の僕の研究内容です」
「いや、しかし、これはどう見ても」
「どう使おうが自由です、と言い添えておきなさい。あとは研究班の方々に任せてしまえばいいのです。僕はきちんと約束を守りましたからね。ではこれにて失礼」
「あの、秋声殿! 秋声殿!」
大いに困惑しながら呼び止める奥村の声に、秋声は最後まで振り返らなかった。

*****

図書館の外に出ると、日は地平線の向こうに沈んでいた。空にはまだ橙色がかろうじて残っていたが、それをすぐさま塗りつぶさんとするように、紫紺の帳が降りてきている。
「……奥村総統、吃驚しただろうな」
足取り軽く晴れ晴れとした秋声の横を歩きながら、唯助は小さく漏らした。
『どう見てもだもんね、あれ……』
唯助の懐にしまわれた禁書『糜爛の処女』――その黒い頁の隙間からにょっこりと頭を出した黒蛇も、それに同調する。
「椿井さんはきちんと解読できましたよ。法則に気づくまで時間がかかったようですが」
秋声は一応そう弁解しているが、それにしたって意地悪が過ぎる。
秋声が奥村に渡してきた資料は一見すると薬膳料理の作り方――カモフラージュしたその中身は、ある法則に従って暗号を解読しなければならないのだ。
果たして、何も告げられていない帝国司書隊の者たちがそれに気づけるかどうか。
「ちなみに、暗号を解く鍵はこちら側にありますので、少なくとも椿井さん以上に頭が良くないと解けないでしょうねぇ」
「うわぁ……」
さしもの唯助も、思わず声に出してしまった。
こう言ってはなんだが、あの底意地悪い師匠と長年友人としてやってきただけあるというか……類は友を呼ぶとはよく言ったものだと言うべきか。
「幾度も煮え湯を飲まされたのです。奴らにそう易々と情報を与えてやるものですか」
――鬼畜だ。
唯助とミツユキは同時に、同じことを思った。
あんなものを手渡された時の奥村は、果たしてどんな顔をしていたのだろう。研究班と秋声の間で板挟みになった彼が気の毒でならなかった。
『それにしても、ひやひやしたよ。君がなにか変なことをされないかと』
「……無理言って悪かった」
『全くだ』
「……本当にごめん」
『まあいいさ、無事にことが終わったんだ』
「………」
確かに、ミツユキにはかなり心配をかけてしまったと思う。相手が三八が信頼する奥村だったとはいえ、秋声がいまだに警戒している組織の頂点である。
無事に渡りきったとはいえ、落ちたら一貫の終わりという、危険な綱渡りだった。
『はぁ、さすがに私も疲れちゃった』
ミツユキは疲労困憊とばかりに、禁書の隙間からだらんと垂れ下がるような形でくたびれていた。もう襟巻に化ける気力も残っていないらしい。
「禁書本体に戻ってるか? 棚葉町に帰るまで寝ててもいいぞ」
『うん。そうさせてもらおうかな』
蛇が巣穴に帰っていくかのごとく、ミツユキの体が静かに禁書の隙間に吸い込まれていく。
秋声はその様を見て、心底呆れたように言った。
「……僕は彼の同行が奥村くんにバレないかとひやひやしていましたけれどね」
「……ですよね」
秋声につられるように、唯助もまた、どっと大きなため息をつく。
「禁書士でもない貴方に禁書本体を帝国司書隊の本拠地へ持ち込ませるなんて、自滅行為もいいところですよ」
当初、ミツユキは帝国中央図書館に行く折に鷺原診療所に置いてくる予定だった。しかし、ミツユキの帝国司書隊に対する警戒心は筋金入りで、秋声がいくら唯助を守ると言い聞かせても「連れて行け」と譲らなかったのだ。挙句の果てには連れて行かないならずっと絡みついて邪魔してやる! という宣言通り、本当に唯助に絡みついて外出を邪魔し続けた。ゆえに、唯助はやむを得ず、帝国司書隊のトップの前で違法行為を敢行していたのである。
唯助が愛子であることが露見しないか、そして、禁書士でもない唯助が禁書を持ち込んでいることが露見しないか――彼の恐怖もまさにひとしおであった。
「全く……我儘に他人を振り回すところまで、あの男にそっくりですよ」
「まあ、幸い奥村総統はミツユキに気づいていなかったみたいですし……」
「気づいた上で見逃してくれていた可能性もありますからね」
「うっ」
仮に黙認されていたとしても、それは奥村の尊敬する元上司の愛弟子という肩書きがあってこそのものだ。その上、影で三八が奥村に根回ししていなければ、唯助は禁書の存在に勘づかれた時点で捕まっていてもおかしくない。
「いずれにせよ――禁書士の資格を取るまでは、もう二度と禁書を連れて帝国司書隊に会わないでください。万が一貴方が違反行為で捕まったとしても、僕はそこまで弁護しきれませんからね」
「はい……」
二重の恐怖を味わった唯助は、懐にしまった『糜爛の処女』をそっと睨みながら、はたと思い出した。
――そういえば、七本屋の門番の役目はどうなったのだろう、と。
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