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二章『童女遊戯』
その四
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「ねばるなぁ、お兄ちゃん。降参しちゃっていいのに」
兵隊たちの正体が列車にいた乗客である以上、上限はあるはずだ。そう考えて、反撃しながら探索をするつもりだったが、兵隊は倒す先から新しいものが投入されて増えていくばかりだ。一体あの列車には何人乗っていたというのか、下手をしたら数百人規模の可能性もあるのだが、まさか本当にその全員を人形に変えているのだろうか。だとしたら、まともに相手にしているとリツを見つける前に体力が尽きてしまう。
「ったく、あいつとんでもねえことしてくれたな」
子供には感情をぶつけないよう意識しているおれだが、この理不尽な仕打ちを前にしては舌打ちのひとつも出てくるというものだ。
「仕方ねぇ、ちと強引だが……!」
ここまで追い詰められたら、強硬手段に出ざるを得まい。子供を危険な目に遭わせるのは気が引けるが、一応この空間を支配している禁書だから大事には至らないだろう。
「おい、嬢ちゃん! 壁際寄ってろ!」
「え?」
周囲の兵隊を退けて、ひゅっと呼吸して、全体重を乗せた拳で真下の床を強く打ち抜いた。
人間の体も案外強く出来ている――鍛え方と体の使い方によっては、素手でも底無しの威力を発揮する。拳から床へ伝わった力は、打ち抜いたその場所を中心に波を起こし、うねり、凄まじい音を立てて割れていく。
「きゃああっ!?」
部屋の床どころか壁にまでヒビは拡がったらしい。轟々と唸る音に驚いた女の子が、部屋の隅で悲鳴をあげている。床伝いに衝撃を食らった兵隊たちは当然、無事では済まない――全身を襲う激しい振動に、全員が気絶してしまった。
五十はいた手駒が一発で撃沈してしまったのを見たところで、女の子には何が起こったのか理解できないのだろう。口をぽかんと開けて茫然自失の彼女をおれは軽く睨めつけながら、わざと声を低くして言う。
「また兵隊増やすんなら、これと同じことをもう一回するからな」
「ひっ……」
白煙が立ちこめ、兵隊たちが元の姿に戻っていく中、尻もちをついて愕然としている女の子にそう告げる。この場合、おれは子供を力で脅した――ということになってしまうのだろう。大人として褒められた行為ではない。
なんとも心地の悪い気分を味わっていると、おれの足元が突然、ピシッと音を立てて沈んだ。
「ぉえっ?」
……どうやら力加減を間違えてしまったらしい。ヒビが入って脆くなったおれの足場は、成人男性の体重負荷に耐えきることができず、一気に穴になって拡がった。
「おわぁああ!!」
勿論、そこに乗っていたおれは真下へ垂直に落ちていく。真っ暗な、深い深い地下の空間へ――。
「ぐえッ!?」
幸い、落ちた先の床はクッションのように柔らかかった。打ち付けた衝撃で尻が四つに割れるという事態を回避できたのは幸いだったが、叩き潰された瞬間の蝿のように無様な声が出てしまってどうにも格好がつかない。
「いってぇぇ……今度はなんだぁ?」
痛む尻を擦りながら立ち上がる。床が柔らか過ぎて、些か歩きにくい。バネのように、足を跳ね返してくる感触もする。辺りが暗くてよく分からないが、おそらく、落ちた先に運良くクッションがあったというよりは、床全体がクッションで出来ていたのだろう。
天井に空いた穴から、僅かに明かりが差している。まだ暗闇に順応しきっていない目でどうにか探ると、奥の空間に、人の身長よりも一回り大きな何かがあるのが見えた。
近づいてよく見ると、それは大きな鳥かごだった。布と針金でできた花で飾り付けられている。――その中に、自分以外の熱と呼吸の気配を感じた。
「――リツ!?」
「ん……」
リツは鳥かごの中に置かれた椅子に腰をかけて眠っていた。赤い薔薇のドレスに身を包み、白粉をはたいて、真っ赤な口紅を挿して、レースがふんだんにあしらわれた帽子を被った、まさに生きた西洋人形とも言うべき姿で。
「よすけ……?」
「…………」
やばい。めちゃくちゃ可愛い。普段凛としているリツが眠たそうな声でおれの名前を呼んでいるのがまた良い。ふぁ、と小さく欠伸をするその愛らしい仕草に、おれの視線はすっかり釘付けにされている。このまま見続けたらおれは鼻血で失血死するんじゃないか、いや、それならそれで幸せな死に方じゃないか。頼むからあと一時間は世界で一番可愛いこの人形を眺めていたい。神様とやらがいるのなら、世界の時間の流れを止めてくれないものか。
「あ~っ! わたしのお人形!」
「おッぶぁへッ!?」
リツに夢中になっていたおれは、後ろから女の子に叫ばれたのに仰天した。疚しいことを考えまくっていただけに、およそ人間のものとは思えない醜い声が出る。人間の口からこんなにも汚い音が出るのか、初めて知った。一生知らなくていい情報だった。
「触らないでよ! わたしのお人形さんよ!」
憤慨する女の子に呼応するように、部屋の奥から鉄砲兵や騎馬兵が飛び出し、おれに襲いかかってくる。飛んでくる弾丸から、おれは再び逃げ回った。
「おい、お前嘘ついてたな!? あの部屋じゃなくて地下に隠してたじゃねえか! 卑怯だぞ!」
「うるさいもん、うるさいもん!!」
まあ、禁書のやることだからそんなことだろうと思ってはいたけれど。子供のやりかねないことだから、嘘も吐くかもしれないと構えてはいたけれど。
「待て待て待て、もう撃つな! お姉ちゃん見つけたんだからおれの勝ちだろ!?」
「やだぁ~っ! わたしのだもん! わたしのお人形さん!」
駄々をこねる子供と言えばまだ可愛げがあるように聞こえるが、癇癪が度を超えている。きちんと真正面から勝負に応じたのに、逆上されて蜂の巣にされたらたまらない。リツも見つけたし、この様子なら乗客も無事だろうし、とっとと空間に穴を開けて脱出しようと試みた、その時だった。
聞いたこともないような、けたたましい音が、辺りに反響した。
「え……?」
「えっ」
おれも、そして女の子も、その光景に目を疑う――さっきまで寝ぼけていたはずのリツが、おれの背後に立っていた。豪奢なドレスのスカートを大きく引き裂いて、すけすけの長靴下を履いた脚を大胆に晒したリツが――なぜかその手に軍刀を携えていたのだ。
反響したのは音だけではない――けたたましく響いた一つ目の音から、ほとんど間髪入れずに、今度はあちらこちらで音が発生する。
おれの頭にはありえない推論が一つ浮かびあがる。が、一度浮かんだらそうとしか思えなかった。
おそらくだが――おれに向かっていたであろう弾丸がすべて軌道を変え、部屋中の壁を跳ね返っていたのだ。そして、最終的には。追いかけてきていた兵士たちに命中し、兵士たちは白煙を上げて元の乗客の姿に戻った。
「――え、えぇ……?」
おれは再びリツを見て、困惑する気持ちをそのまま声に出した。
「リツ、今何したの?」
「何って、弾を打ち返したのよ。見てなかった?」
「いや……」
見てなかった、じゃない。見えなかったのだ。リツの動きも、剣の軌道も、おれの動体視力では一切視認できなかった。
しかし、リツの発言から考えるに、一回目のあの音はリツが弾を打ち返した音だったのだろう。リツは鳥かごから飛び出すなり、おれを追いかけていた兵隊から軍刀を奪い、すべての弾丸を打ち返したのだ。あんなにけたたましく聞こえたのは複数の弾丸を超短時間で打ち返したがために、一つの音にまとまって聞こえてしまったからだったのだろう。
……考えを述べておきながら言うのもなんだが、こんなのありなのか。全盛期の蒼樹郎さん、もとい柄田さんならともかく、リツがそれをやってのけたなんて。どうなってんだ、こいつの身体能力。こんな戦い方ができるなんて聞いてない。
「……うえええええええんっ!」
途端、女の子が地べたに座り込んで泣き喚いた。
「お人形さんかわいくしただけなのにぃ! わたし悪くないもん! どうしていじわるするのぉ! こわいことするのよぉ!」
そんな彼女にリツは歩み寄り、
「お黙りなさい。見苦しいわよ」
と、母親のように厳しい声で叱りつける。別におれが叱られた訳でもないのだが、こういう時のリツを見ているとなぜかおれまで背筋が伸びてしまう。
「私たちはお人形遊びやかくれんぼなら付き合ってあげると言ったけど、チャンバラをしていいとは言ってないわよね? 貴方にいきなり乱暴なことをされたから、このお兄さんは吃驚しちゃったのよ」
「う、うう……」
「大体、先に銃で撃ったり、剣で叩こうとしたりしたのは貴方でしょう? なら、同じように暴力で返されても文句を言う資格はないわよ」
「わ、わたしじゃなくて兵隊さんだもん!」
「指示をしたならやったのと同じよ」
女の子の言い逃れをピシャリと切り捨て、睨むリツ。女の子が悔しそうに黙り込んだところで、おれはなぜか萎縮しながら手を上げる。
「あの……リツさん、一点だけツッコミ入れていい?」
「どうぞ?」
「あんたがおれを巻き込んでたのかよ!」
おれはてっきり、リツが勝手に人形扱いされていると思っていたのだ。そして、おれはリツと乗客の身柄を賭けて勝負に挑んだつもりだった。それがどうだ。実際には、リツは合意の上で女の子の遊びに参加していて、しかも私たちと言っておれまで勝手に巻き込んでいた。
「おれ、撃たれたり斬られかけたりして死ぬかと思ったんだけど」
「あら、ごめんなさい。武器が出てくるなんて想定してなかったの。でも、貴方の強さならある程度対処できるでしょうと思って」
「じゃあ、眠ってたのは別に禁書の力ということではなく……」
「見つかるまで少し休もうと思って座ってたら、居心地が良くて寝ちゃった」
「…………」
つまり、おれを勝手に巻き込んだリツは、おれの必死の戦況を見守るどころか、クッションの中でころっと寝落ちしていたということだ。おれは半ば囚われのお姫様を助けに行くような意気込みでいたのだが、そうやって悦に入っていた自分が実に馬鹿らしく思えてきた。
「なにお気楽に禁書と遊んでるんだよ、あんた……」
「仕方ないじゃない。私も列車が迷路みたいになっちゃって困ってたのよ。きっと世助も同じでしょうし、この子に『遊んでくれたら出口を教えてあげる』って言われたから、その条件で付き合ったのよ」
はあ、とおれは半ば釈然としない心持ちで返す。
「ただ、寝落ちした私が言うのもなんだけど、いつもの貴方ならもう少し冷静に状況をとらえられたんじゃないかしら」
リツは肩に担いでいた軍刀の刃をおれに見せながら、こう言った。
「よく見てみなさい。この剣、ただのブリキの玩具よ」
ほら、斬れないでしょう? とリツが刃先に指を滑らせて、痛みも出血もないことを実演して見せる。続いてリツは、おれの足元を指さした。
「その弾だって、よく見れば分かるわ」
リツが示したところに弾が落ちていたので、拾い上げて確認する。想像よりも軽いそれは、祭りの屋台でもよく見かけるようなコルク弾だった。
「……おれだってあんたと同じで眠かったんですぅ」
痛くもない攻撃から真面目に逃げ回る大人を見れば、そりゃ子供にとっても可笑しいはずだ。腹を抱えて笑うのも当然だろう。苦し紛れに放った言い訳の幼稚さも相まって、おれはだんだん恥ずかしくなってきた。行き場を失った恥じらいの力はそのまま指先へ流れ、摘まれていたコルク弾は哀れ木っ端微塵に潰れた。
この徒労感と羞恥心は、果たしてどうすればいいのか。おれにはもう分からない。全身のあらゆる筋肉が緩み、おれはその場に膝をついてガックリとうなだれた。
「禁書は禁書でも第四級だったのかよ……」
第四級は禁書の中でも最下位の階級だ。傷害の可能性はあるものの、ほとんどのものは無害に近い。こういった危険性の低い禁書なら遭遇する機会もそう珍しくない、と教えてくれたのは秋声先生だったかおっさんだったか――人を化かしたり、ちょっと悪戯したり、その程度の些細な有害性なら、禁書の仕業だと気づかない一般市民も多いとか言ってた気がする。
おれが今まで遭遇してきたのは、人を殺したり危害を加えたりする第二級以上の禁書ばかりだったから、ついその認識で構えてしまったのだ。『先生の匣庭』や『子猫の嫁さがし』を引き合いに出して考えたのがいけなかった。
「ほら、いつまで泣いているの。ちゃんとお兄さんに謝って」
鼻をすすって泣いている女の子に、リツが謝罪を促す。しかし、女の子は頑なに首を横に振って拒否していた。
「わ、わたし、本当に悪いことしてないもん……! お兄ちゃんが怖いのがいけないんだもん!」
女の子はリツのドレスにしがみついたまま、おれとは目を合わせようともしない。
「いつまでぐずぐず言っているの。私が止めたから大事に至らなかっただけで、下手をしたらお兄さんが大怪我をしていたかもしれないのよ?」
「まあリツ、ちょっと待ちなよ。おれがさっき床に穴開けた時に、その子を脅しちまったのは事実だし……」
身の危険を感じての自己防衛だったとはいえ、子供を力で脅したことはおれとしても非常に後ろめたかった。だから、この件に関してはおれも謝罪して然るべきだろう。
「怖がらせてごめんな、嬢ちゃん。おれはもうお前に近づかないし、手出ししないから。でも、夜明けまでにはそのお姉ちゃんと乗客を帰してくれないか。でないと、おれたちも困っちまう」
それさえちゃんとしてくれれば大丈夫だから、と、顔を伏せたままの女の子に伝え、おれはその場からそっと離れた。
女の子は意外そうな表情でおれをしばらく見ていたが、やがてリツの影からそっと出てくると、
「わかった。…………乱暴して、ごめんなさい」
と、小さく頭を下げた。
兵隊たちの正体が列車にいた乗客である以上、上限はあるはずだ。そう考えて、反撃しながら探索をするつもりだったが、兵隊は倒す先から新しいものが投入されて増えていくばかりだ。一体あの列車には何人乗っていたというのか、下手をしたら数百人規模の可能性もあるのだが、まさか本当にその全員を人形に変えているのだろうか。だとしたら、まともに相手にしているとリツを見つける前に体力が尽きてしまう。
「ったく、あいつとんでもねえことしてくれたな」
子供には感情をぶつけないよう意識しているおれだが、この理不尽な仕打ちを前にしては舌打ちのひとつも出てくるというものだ。
「仕方ねぇ、ちと強引だが……!」
ここまで追い詰められたら、強硬手段に出ざるを得まい。子供を危険な目に遭わせるのは気が引けるが、一応この空間を支配している禁書だから大事には至らないだろう。
「おい、嬢ちゃん! 壁際寄ってろ!」
「え?」
周囲の兵隊を退けて、ひゅっと呼吸して、全体重を乗せた拳で真下の床を強く打ち抜いた。
人間の体も案外強く出来ている――鍛え方と体の使い方によっては、素手でも底無しの威力を発揮する。拳から床へ伝わった力は、打ち抜いたその場所を中心に波を起こし、うねり、凄まじい音を立てて割れていく。
「きゃああっ!?」
部屋の床どころか壁にまでヒビは拡がったらしい。轟々と唸る音に驚いた女の子が、部屋の隅で悲鳴をあげている。床伝いに衝撃を食らった兵隊たちは当然、無事では済まない――全身を襲う激しい振動に、全員が気絶してしまった。
五十はいた手駒が一発で撃沈してしまったのを見たところで、女の子には何が起こったのか理解できないのだろう。口をぽかんと開けて茫然自失の彼女をおれは軽く睨めつけながら、わざと声を低くして言う。
「また兵隊増やすんなら、これと同じことをもう一回するからな」
「ひっ……」
白煙が立ちこめ、兵隊たちが元の姿に戻っていく中、尻もちをついて愕然としている女の子にそう告げる。この場合、おれは子供を力で脅した――ということになってしまうのだろう。大人として褒められた行為ではない。
なんとも心地の悪い気分を味わっていると、おれの足元が突然、ピシッと音を立てて沈んだ。
「ぉえっ?」
……どうやら力加減を間違えてしまったらしい。ヒビが入って脆くなったおれの足場は、成人男性の体重負荷に耐えきることができず、一気に穴になって拡がった。
「おわぁああ!!」
勿論、そこに乗っていたおれは真下へ垂直に落ちていく。真っ暗な、深い深い地下の空間へ――。
「ぐえッ!?」
幸い、落ちた先の床はクッションのように柔らかかった。打ち付けた衝撃で尻が四つに割れるという事態を回避できたのは幸いだったが、叩き潰された瞬間の蝿のように無様な声が出てしまってどうにも格好がつかない。
「いってぇぇ……今度はなんだぁ?」
痛む尻を擦りながら立ち上がる。床が柔らか過ぎて、些か歩きにくい。バネのように、足を跳ね返してくる感触もする。辺りが暗くてよく分からないが、おそらく、落ちた先に運良くクッションがあったというよりは、床全体がクッションで出来ていたのだろう。
天井に空いた穴から、僅かに明かりが差している。まだ暗闇に順応しきっていない目でどうにか探ると、奥の空間に、人の身長よりも一回り大きな何かがあるのが見えた。
近づいてよく見ると、それは大きな鳥かごだった。布と針金でできた花で飾り付けられている。――その中に、自分以外の熱と呼吸の気配を感じた。
「――リツ!?」
「ん……」
リツは鳥かごの中に置かれた椅子に腰をかけて眠っていた。赤い薔薇のドレスに身を包み、白粉をはたいて、真っ赤な口紅を挿して、レースがふんだんにあしらわれた帽子を被った、まさに生きた西洋人形とも言うべき姿で。
「よすけ……?」
「…………」
やばい。めちゃくちゃ可愛い。普段凛としているリツが眠たそうな声でおれの名前を呼んでいるのがまた良い。ふぁ、と小さく欠伸をするその愛らしい仕草に、おれの視線はすっかり釘付けにされている。このまま見続けたらおれは鼻血で失血死するんじゃないか、いや、それならそれで幸せな死に方じゃないか。頼むからあと一時間は世界で一番可愛いこの人形を眺めていたい。神様とやらがいるのなら、世界の時間の流れを止めてくれないものか。
「あ~っ! わたしのお人形!」
「おッぶぁへッ!?」
リツに夢中になっていたおれは、後ろから女の子に叫ばれたのに仰天した。疚しいことを考えまくっていただけに、およそ人間のものとは思えない醜い声が出る。人間の口からこんなにも汚い音が出るのか、初めて知った。一生知らなくていい情報だった。
「触らないでよ! わたしのお人形さんよ!」
憤慨する女の子に呼応するように、部屋の奥から鉄砲兵や騎馬兵が飛び出し、おれに襲いかかってくる。飛んでくる弾丸から、おれは再び逃げ回った。
「おい、お前嘘ついてたな!? あの部屋じゃなくて地下に隠してたじゃねえか! 卑怯だぞ!」
「うるさいもん、うるさいもん!!」
まあ、禁書のやることだからそんなことだろうと思ってはいたけれど。子供のやりかねないことだから、嘘も吐くかもしれないと構えてはいたけれど。
「待て待て待て、もう撃つな! お姉ちゃん見つけたんだからおれの勝ちだろ!?」
「やだぁ~っ! わたしのだもん! わたしのお人形さん!」
駄々をこねる子供と言えばまだ可愛げがあるように聞こえるが、癇癪が度を超えている。きちんと真正面から勝負に応じたのに、逆上されて蜂の巣にされたらたまらない。リツも見つけたし、この様子なら乗客も無事だろうし、とっとと空間に穴を開けて脱出しようと試みた、その時だった。
聞いたこともないような、けたたましい音が、辺りに反響した。
「え……?」
「えっ」
おれも、そして女の子も、その光景に目を疑う――さっきまで寝ぼけていたはずのリツが、おれの背後に立っていた。豪奢なドレスのスカートを大きく引き裂いて、すけすけの長靴下を履いた脚を大胆に晒したリツが――なぜかその手に軍刀を携えていたのだ。
反響したのは音だけではない――けたたましく響いた一つ目の音から、ほとんど間髪入れずに、今度はあちらこちらで音が発生する。
おれの頭にはありえない推論が一つ浮かびあがる。が、一度浮かんだらそうとしか思えなかった。
おそらくだが――おれに向かっていたであろう弾丸がすべて軌道を変え、部屋中の壁を跳ね返っていたのだ。そして、最終的には。追いかけてきていた兵士たちに命中し、兵士たちは白煙を上げて元の乗客の姿に戻った。
「――え、えぇ……?」
おれは再びリツを見て、困惑する気持ちをそのまま声に出した。
「リツ、今何したの?」
「何って、弾を打ち返したのよ。見てなかった?」
「いや……」
見てなかった、じゃない。見えなかったのだ。リツの動きも、剣の軌道も、おれの動体視力では一切視認できなかった。
しかし、リツの発言から考えるに、一回目のあの音はリツが弾を打ち返した音だったのだろう。リツは鳥かごから飛び出すなり、おれを追いかけていた兵隊から軍刀を奪い、すべての弾丸を打ち返したのだ。あんなにけたたましく聞こえたのは複数の弾丸を超短時間で打ち返したがために、一つの音にまとまって聞こえてしまったからだったのだろう。
……考えを述べておきながら言うのもなんだが、こんなのありなのか。全盛期の蒼樹郎さん、もとい柄田さんならともかく、リツがそれをやってのけたなんて。どうなってんだ、こいつの身体能力。こんな戦い方ができるなんて聞いてない。
「……うえええええええんっ!」
途端、女の子が地べたに座り込んで泣き喚いた。
「お人形さんかわいくしただけなのにぃ! わたし悪くないもん! どうしていじわるするのぉ! こわいことするのよぉ!」
そんな彼女にリツは歩み寄り、
「お黙りなさい。見苦しいわよ」
と、母親のように厳しい声で叱りつける。別におれが叱られた訳でもないのだが、こういう時のリツを見ているとなぜかおれまで背筋が伸びてしまう。
「私たちはお人形遊びやかくれんぼなら付き合ってあげると言ったけど、チャンバラをしていいとは言ってないわよね? 貴方にいきなり乱暴なことをされたから、このお兄さんは吃驚しちゃったのよ」
「う、うう……」
「大体、先に銃で撃ったり、剣で叩こうとしたりしたのは貴方でしょう? なら、同じように暴力で返されても文句を言う資格はないわよ」
「わ、わたしじゃなくて兵隊さんだもん!」
「指示をしたならやったのと同じよ」
女の子の言い逃れをピシャリと切り捨て、睨むリツ。女の子が悔しそうに黙り込んだところで、おれはなぜか萎縮しながら手を上げる。
「あの……リツさん、一点だけツッコミ入れていい?」
「どうぞ?」
「あんたがおれを巻き込んでたのかよ!」
おれはてっきり、リツが勝手に人形扱いされていると思っていたのだ。そして、おれはリツと乗客の身柄を賭けて勝負に挑んだつもりだった。それがどうだ。実際には、リツは合意の上で女の子の遊びに参加していて、しかも私たちと言っておれまで勝手に巻き込んでいた。
「おれ、撃たれたり斬られかけたりして死ぬかと思ったんだけど」
「あら、ごめんなさい。武器が出てくるなんて想定してなかったの。でも、貴方の強さならある程度対処できるでしょうと思って」
「じゃあ、眠ってたのは別に禁書の力ということではなく……」
「見つかるまで少し休もうと思って座ってたら、居心地が良くて寝ちゃった」
「…………」
つまり、おれを勝手に巻き込んだリツは、おれの必死の戦況を見守るどころか、クッションの中でころっと寝落ちしていたということだ。おれは半ば囚われのお姫様を助けに行くような意気込みでいたのだが、そうやって悦に入っていた自分が実に馬鹿らしく思えてきた。
「なにお気楽に禁書と遊んでるんだよ、あんた……」
「仕方ないじゃない。私も列車が迷路みたいになっちゃって困ってたのよ。きっと世助も同じでしょうし、この子に『遊んでくれたら出口を教えてあげる』って言われたから、その条件で付き合ったのよ」
はあ、とおれは半ば釈然としない心持ちで返す。
「ただ、寝落ちした私が言うのもなんだけど、いつもの貴方ならもう少し冷静に状況をとらえられたんじゃないかしら」
リツは肩に担いでいた軍刀の刃をおれに見せながら、こう言った。
「よく見てみなさい。この剣、ただのブリキの玩具よ」
ほら、斬れないでしょう? とリツが刃先に指を滑らせて、痛みも出血もないことを実演して見せる。続いてリツは、おれの足元を指さした。
「その弾だって、よく見れば分かるわ」
リツが示したところに弾が落ちていたので、拾い上げて確認する。想像よりも軽いそれは、祭りの屋台でもよく見かけるようなコルク弾だった。
「……おれだってあんたと同じで眠かったんですぅ」
痛くもない攻撃から真面目に逃げ回る大人を見れば、そりゃ子供にとっても可笑しいはずだ。腹を抱えて笑うのも当然だろう。苦し紛れに放った言い訳の幼稚さも相まって、おれはだんだん恥ずかしくなってきた。行き場を失った恥じらいの力はそのまま指先へ流れ、摘まれていたコルク弾は哀れ木っ端微塵に潰れた。
この徒労感と羞恥心は、果たしてどうすればいいのか。おれにはもう分からない。全身のあらゆる筋肉が緩み、おれはその場に膝をついてガックリとうなだれた。
「禁書は禁書でも第四級だったのかよ……」
第四級は禁書の中でも最下位の階級だ。傷害の可能性はあるものの、ほとんどのものは無害に近い。こういった危険性の低い禁書なら遭遇する機会もそう珍しくない、と教えてくれたのは秋声先生だったかおっさんだったか――人を化かしたり、ちょっと悪戯したり、その程度の些細な有害性なら、禁書の仕業だと気づかない一般市民も多いとか言ってた気がする。
おれが今まで遭遇してきたのは、人を殺したり危害を加えたりする第二級以上の禁書ばかりだったから、ついその認識で構えてしまったのだ。『先生の匣庭』や『子猫の嫁さがし』を引き合いに出して考えたのがいけなかった。
「ほら、いつまで泣いているの。ちゃんとお兄さんに謝って」
鼻をすすって泣いている女の子に、リツが謝罪を促す。しかし、女の子は頑なに首を横に振って拒否していた。
「わ、わたし、本当に悪いことしてないもん……! お兄ちゃんが怖いのがいけないんだもん!」
女の子はリツのドレスにしがみついたまま、おれとは目を合わせようともしない。
「いつまでぐずぐず言っているの。私が止めたから大事に至らなかっただけで、下手をしたらお兄さんが大怪我をしていたかもしれないのよ?」
「まあリツ、ちょっと待ちなよ。おれがさっき床に穴開けた時に、その子を脅しちまったのは事実だし……」
身の危険を感じての自己防衛だったとはいえ、子供を力で脅したことはおれとしても非常に後ろめたかった。だから、この件に関してはおれも謝罪して然るべきだろう。
「怖がらせてごめんな、嬢ちゃん。おれはもうお前に近づかないし、手出ししないから。でも、夜明けまでにはそのお姉ちゃんと乗客を帰してくれないか。でないと、おれたちも困っちまう」
それさえちゃんとしてくれれば大丈夫だから、と、顔を伏せたままの女の子に伝え、おれはその場からそっと離れた。
女の子は意外そうな表情でおれをしばらく見ていたが、やがてリツの影からそっと出てくると、
「わかった。…………乱暴して、ごめんなさい」
と、小さく頭を下げた。
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2025.4.19☑~
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※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
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