愚者ハイドラの復讐

タタクラリ

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二章 虚なる化け物

11. 港町の崩壊

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 対峙するはスライム──いささか巨大で七色の体は異様だが、推奨される戦力は聖者二人ほど。ここにいる三人なら、倒すのにさほど危険を伴わないだろう。
 しかし、すぐに倒してしまうわけにはいかない。

「コレー。この虚骸を倒せば、街にガスが降りる。すぐに魔法の準備を始めてくれ」
「うん、わかった!」

 ガスの被害を緩和する魔法。この効果の絶大たるや、今まさに実感しているところだ。
 コルトスの住人は避難を始めてくれているだろうが、そう短時間では終わらないだろう。そこで、件の魔法を住民全員にかけてしまおう、というわけだ。

「けどよハイドラ。そんな大規模な魔法、とてつもない量の宝珠が必要なはずだ。鉱山の鉱脈じゃ、宝珠がばらけ過ぎてる。どこにそんな宝珠があるんだ」
「問題ない。いいか、コレー」

 ケイロンの心配はごもっともだが、山積みになった宝珠の原石がちょうどこの近くに埋まっているのだ。
 強力な魔法には質のいい宝珠が、広域魔法には大量の宝珠が必要となり、本人の資質はこれらに影響をほとんど及ぼさない。スライムの巨体に押し潰されてしまったドヴァーが生前に集めていた宝珠の山があれば、仮にコレーが魔法の才に恵まれておらずとも、大都市コルトスといえど住民に魔法を行き渡らせるに足る。

「廃墟の地下? そこの宝珠を使うんだね」
「ああ、頼むぞ。ケイロン、それまで俺たちは時間稼ぎだ!」

 軍が鉱山の外側から坑道の宝珠を灯したように、宝珠の場所を知っていれば遠くからでも使用できる。しかし距離に比例した集中力は肝要であり、そのために俺とケイロンはスライムを生かさず殺さずの状態にしておかなければならない。
 ケイロンはガスで殺されかけたお礼に、魔法で強化された赤く光る矢を一本放った。

「ブオォォオン……」
「効いてるな。ガスで厄介にはなってるが、素体はスライムだな」

 矢の刺さった部分がレモンを直接舐めた口元のように引き絞られ、スライムはプルプルと痛みを堪える。その後矢傷からガスがプシュー、と吹き出し、スライムの図体が少し縮んだ。
 所詮はスライム……と、油断してはならない。死にかけたことは良い勉強になった。

「ブオォォオ!!」

 スライムの咆哮、それと同時に巨体の色が深青に輝いた。それは魔道士が宝珠を扱った際のような……いや、まさに同様の現象だ。

「魔法だ! 来るぞ!」

 スライムの口から熱風が放たれた。燃やす炎と切り裂く風を併せ持つ熱風は、直撃すれば傷口から体の内側を蝕む危険な魔法だ。

「任せろ!」

 熱風の押しのけた空気が肌をちりつかせた瞬間、スライムと俺たちの間を半透明の障壁が遮った。
 魔導防護壁──敵の魔法や物理的な攻撃をも防ぐ強力な魔法だ。ケイロンが作り出した防護壁は色や幅が薄いにも関わらず頑強で、熱風を完全に防ぎきった。

「今だ! ハイドラ!」
「ああ! 急所は……口の中か」

 数の優位を活かすのに、敵の攻撃後の隙を付かない手はない。
 身の安全を防護壁に任せ、俺は壁の裏で懐に踏み込む用意をしていた。
 鈍重なスライムに対し斜め方向に急接近。壁を駆け上がり、天井を蹴り、勢いのまま縦に斬り下ろし、怯んだところを横に斬った。

「若い動きだなぁ。疲れない?」
「真正面からの突撃は熱風の余波で負傷する恐れがあった。愚者の負傷は、コレーの灼印を反応させて集中力を削ぐからな」
「良い判断だ。だが、そろそろこいつ死んじまうぞ」

 スライムの口は十字に裂けた。剣創からはガスは漏れ、悲鳴のような重低音が響く。耐えがたい痛みに苦しんでいるようで、まともな戦闘は継続できないだろう。
 ろくに動かなくなったため時間が稼げる。そう考えた時──

「ケホッケホッ……あなたたち、ここで何をしているの!?」

 ひとりの女性が、俺たちを見つけた。
 若い女性だが、軍が支給する平服を着ている。そして、声に聞き覚えがある。記憶によれば、俺が愚者になった後の覚えだ。
 女兵士は俺たち三人の顔を見た後、コレーを指差した。

「あ、あなた……! アルテミスと一緒にいた!」
「えっ? だ、誰?」
「それに、ハ、ハイドラさ……!? いえ、ハイドラは愚者に! では、これは一体?」

 ひたすら混乱している、と見える。だが、この状況を理解するための最低限の知識は持っているらしい。「アルテミスと密会していた女が、愚者と化した男と共闘している」と。
 その声で放たれた「アルテミス」という言葉に、俺はその女兵士のことを思い出した。たしか、ドヴァーと地下室で隠れていた時に上で喋っていた女と同じ声だ。

「コレー、気にせず続けてくれ」
「何の魔法を放とうとしているの!? やめなさい!」
「止めるな。コルトスの住民を守るための魔法だ」
「ふざけないで! 愚者の言葉を信じるほど私は腐っていないわ!!」

 真実を伝えるが、女兵士は信じようとしない。よほどの天邪鬼でなければ至って当然の反応だ。俺は愚者なのだから。
 女兵士はコレーに掴み掛かろうとするが、剣を向けると肩をビクと跳ねさせ足を止めた。恐怖、もしくは実力不足からなる不安が見て取れる。
 しかし、口だけは強情であり続けた。

「クソ、卑劣な愚者共め! アルテミスに報告しないと……この女が愚者に与する妖女だったって!」

 女兵士は捨て台詞のようにそう言い残し、踵を返して坑道を去ろうとした。
 だが、そんな報告をされては困る。コレーから聞いた話によると、アルテミスはコレーを『仲間』だと思っているらしい。アルテミスが虚骸にならないためには、コレーには『仲間』であり続けてもらわないといけない。

「待て」
「ヒッ……やめろ、触るな……」

 女兵士の襟を掴み、引き留めた。アルテミスには会わせられない。少なくとも、アルテミスが死ぬか虚骸になるまでは。

「お前は、生かしておけない」
「こ、殺すの?」
「……コレー、魔法に集中するんだ」
「……っ」
 
 コレーは納得のいかない表情をした。だが、この兵士を見殺しにしてもらわなければならない。一人よりもより大勢を守るために。「住人の命だけは守りたい」と言ったコレー自身の責任を果たすために。

「アルテミスが今虚骸になればどうなる。避難中の住人は混乱するし、誰の手にも負えない化け物になればガスなんて関係なく全員死ぬことになるんだ。それにこいつは、コレーの正体を知った。これからコレーが聖者を騙るためにも、ここで始末しないといけない」
「……そう、だね」

 女兵士はじたばたと暴れる。まあ、今の会話を聞いて冷静でいられるとも思えないが。
 剣を女兵士の首にあてがった。
 その時、

「コレー、目を瞑れ。ハイドラ、その女性の顔をスライムの方へ向けろ」
「なに?! 何をするつもりよ! やめなさい! やめろクソ野郎!!」

 ケイロンは俺たちに指示を出し、スライムに矢を放った。
 スライムは傷口からガスを噴出する。そのガスは、女兵士の顔の方に飛んだ。
 泣き叫んでいたその口にガスが吸い込まれると言葉は途端に酷い咳に変わり、一度体を大きく痙攣させるとそれからはピクリとも動かなくなった。

「……死んだか」俺がそう言うと、
「殺したんだ」ケイロンはそう返した。
「…………」

 目立った外傷は無い、ガスを死因とする死体が生まれた。これなら剣で斬るより足は付きづらい。
 コレーが魔法の準備を切り上げこの女兵士に使用すれば、一つの命は救われていたかもしれない。だが、コレーは指示通り目を瞑った。
 ──大勢のために一人の犠牲を許容する。それがとても受け入れがたいことだと、俺にもわかる。
 自分では受け入れられなかったのに、コレーにはそれを強いるなんて……女兵士の言う通り、俺は都合の良いクソ野郎だ。

「コレー、魔法の準備は?」
「もうすぐ終わる!」
「よし、ハイドラ。トドメを刺すぞ!」

 ケイロンは赤い魔法の矢を構えた。
 栄養をきちんと摂ってさえいれば無限に放てる魔法の矢は、戦術、戦略的にも非常に有用だ。使用にはやはり宝珠が必要だが、ケイロンは金属製の弓に宝珠をはめ込んでいるようだ。

「グオォォォォン!!」

 スライムは力を振り絞るように吼えた。人獣問わず、追い詰めた時が一番危険だ。手負の獣は時に、本来以上の能力を発揮する場合がある。
 スライムの体が、異様な光を放った。

「チッ、何をしやがる?」
「ケイロン! 防護壁だ! 爆発する!!」

 カッ────……!!

 暗い坑道は、目の前が真っ白になるような光に包まれた。
 無防備なコレーを庇うように、スライムに背を向ける。後ろからは防護壁がひしゃげる音が聞こえ、焼けるように熱い塵が背中を襲った。

「くっ……」
「大丈夫!?」
「ああ、全く大丈夫だ」

 コレーの灼印を起こさないため、背中の傷は隠し、無理にでも笑顔を見せた。
 スライムの決死の攻撃は、防護壁によって衝撃こそ防げたものの、なおも俺たちの生を脅かした。
 ほんの一瞬ではあったが、爆発の衝撃で山が上へ浮き上がり、坑道にあり得るはずもない陽光が差した。スライムが破壊したのは俺たちではなく、鉱山そのものだった。

「まずい! 崩れるぞ! 出口に走れ!」

 言われずともそうするであろうケイロンの命令のまま、鉱山から脱出を試みる。一番近い出口は、ここから主坑道に出てそのまま外へ出る経路だろう。
 しかし……

「だめだ! 帰り道が塞がれてる!」

 主坑道の大きな空洞は真っ先に土砂に埋もれてしまった。そこから連鎖するように、坑道が崩落し始める。

「前だ!! 前に走るんだ!!」
「この先は行き止まりだろ!?」

 ケイロンは「俺が切り開く!」と叫び、事故の現場だった坑道の最奥に魔法の矢を放った。強引過ぎるが、後ろに道がない以上前に進むしかない。前に走りながら、何度も何度も矢を奥の岩壁に撃ち続ける。

「はぁ……はぁ、はぁ!」
「コレー! 着いて来れるか!」
「はぁ、無理……」

 しかし、どうしてもコレーが遅れる。仮に着いて来れたとして、全力疾走の最中に魔法を扱うなどよほどの使い手でないと難しい。
 一旦後ろに下がり、コレーの後ろに回る。地面に落ちた天井の破片が足を掠めていった。このままでは崩落に追い付かれてしまう。

「ケイロン! ペース上げろ!!」
「キツいこと言うな!!」
「えっ!? わ、私、もう無……きゃ!?」

 コレーの体を抱えあげた。身長は大きいが体は華奢で軽く、走る速度はそれほど落ちない。

「魔法に集中しろ! あと少しだ!」
「ハイドラ! 外だ! 気をつけろよ!」

 ケイロンの矢は岩壁を削り続け、ついに奥から光が漏れた。外に繋がったのだ。眩い太陽に目を細めながら、坑道が鉱山の自重に押し潰されるほんの寸前、山肌に開けた横穴から新鮮な空気が溢れた空の下へ飛び出した。

「くっ、落ちる!」
「ケイロン! 駆け降りろ! 山が崩れてくるぞ!!」

 外に出たとて、安らぐ時間は訪れなかった。
 スライムの大爆発で内側から破壊された鉱山は、かつて坑夫にツルハシを振るわせていた頑丈さも忘れ、もはやケーキのようになっていた。
 凄まじい轟音。それは、かつて山頂を担っていた岩や土砂が崩壊し、山肌を転げ落ちていく音である。

「よし、魔法、使える!」
「いいぞ! やれ!」

 鳥肌の立つような振動が体を突き抜けた。高出力の魔法が使用された際の現象だ。これで、住民たちが「ガスによって」死ぬ事はないだろう。

(ドヴァー、お前の三十年は、一応無駄じゃなかった。だが、まだだ)

「魔法は使えたけど、山が!」
「コルトスが飲まれるぞ……!」

 ガスの問題は解決したが、俺たちが山を駆け降りる速度よりずっと速く、土砂は雪崩落ちてくる。どれだけ避難が早くとも、このままでは間に合わない。
 轟音を伴う落石が、すでにいくつかの家屋の屋根を粉砕している。

「どうすんだ! 俺の防護壁じゃ流石に止められないぞ!」
「防護壁……。アルテミスちゃんが、鉱山を囲う防護壁の用意をしてるって!」
「あいつが?」

 飛び出した魔導師の名に一抹の安心感を覚える。いかな虚骸の攻撃も、アルテミスの防護壁を突破できた事はない。
 目前に城壁のような半透明の構造体が出現した。察するに、アルテミスが鉱山を取り囲む魔導防護壁を発動したのだ。

「ほんとに防護壁が!? 私たち出られないの!?」
「まだ実体化していない! 急げ!」

 足を加速させる。いまや馬の最高速度を上回るほどの速度で山を降っており、減速の目処も立たないまま防護壁の外側へ逃れようと地を蹴った。間に合わなければ防護壁と土砂に押し潰されるのだ。いくら愚者の体でも耐久力には限界がある。
 だが、防護壁の色は濃くなっていく。実体化してしまえば最後、アルテミスの作った防護壁が攻城兵器の一つもなしに壊れるはずがない。

「だめだ間に合わん!!」
「壊すしかない!」
「どうやって!? 俺の矢は破城槌じゃないぞ!!」

 どうしようもないと思ったその時、アルテミスが言った。

「ねぇ! さっきスライムが使った爆発魔法、使えるかも!!」
「本当か!!」

 まさに神の慈愛といっても差し支えない、希望をもたらす一言だった。
 魔法を見るだけでその使い方を理解する魔導師は一定数おり、アルテミスもその一人だ。コレーは聖者になっていれば、上から片手で数えられる実力を誇っているかもしれない。
 山の標高をおよそ半分にしてしまった爆発の威力は疑うべくもない。

「頼む!」
「いくよ! 後の事は知らないから!!」
「……ん?」

 爆発魔法はその名の通り、対象や空間を爆発させる魔法であり、当然ながら前方に向かって使う魔法である。
 しかし、爆音は背後から聞こえた。爆発魔法は、防護壁に対して使用されたのではなかったのだ。それを示すように、眼下に実体化した分厚い防護壁が出現した。
 眼下に──である。高さにして三十メートルはある巨大な壁がを、俺は見下ろしているのだ。

「は? あ、ぁあ、うわぁぁあ!!!!」

 浮遊感は遅れてやってきた。
 俺の体は宙を舞っていた。爆発の勢いで空中に投げ出され、見事に防護壁を飛び越えたのだ。
 雪崩落ちる山は防護壁に破滅的な衝撃を絶えず与え続けたが、壁は不動であり続けた。山は型を取ったゼリーように、防護壁の円形に倣った台地と化した。

「コルトスは守られたか知らんが、俺たちはどーなんだ!?」
「クソっ、海だ!」

 防護壁を飛び越えた先には大海原が広がっていた。俺たちは今から否応無しに、海に飛び込むのである。

「防護壁で衝撃を和らげるしかない!」
「あっ! 私もさっきの防護壁使えるかも!」
「お前が優秀な魔導師で助かったよ」
「……全くだ」

 三人を包み込む二重の防護壁に守られながら、俺たちは三十メートルの防護壁とそれに等しい岸壁を合わせた高さから海に落下した。
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