クラシオン

黒蝶

文字の大きさ
206 / 216

あなたへ贈る鎮魂歌

しおりを挟む
「よし、なんとか詞だけは形になった…!」
結衣さんのスピードはものすごいもので、丁度クッキーが焼けたところで終わりになる。
「お疲れ様。もしよかったらこれもどうぞ」
「わあ、ありがとうございます。丁度甘いものが食べたかったんです」
彼女は本当に嬉しそうにそう話して、ひとつ摘んで口にした。
「美味しい…!これってバターですよね?」
「そうだよ。そっちがチョコチップで、そっちがヨーグルト、あとは…」
「…やっぱりマスターはすごいですね」
「だけど俺は、君みたいに長い時間頑張れないよ。君は本当にすごいと思う」
「…最初の頃はユイって名乗るのも嫌だったけど、あの子が呼んでくれた名前だから、大切にしようって思えたんです。
もし私が頑張っているとしたら、理由はそれだと思います。ユイを傷つけてしまわないようにしているんです」
彼女にとって、アーティストの自分は別物として考えているのだろう。
その輝きが失われないように、また自分自身を殺してしまっているのかもしれない。
「今回の曲は、君自身が作れた?最近人気のアーティストのユイではなく結衣さんとしてできたなら、どんな形になったとしてもそれだけでいいと思うんだ」
「マスターは私自身にこだわってくれますよね。いつもありがたいです」
そう話しながら、想いが散りばめられた歌詞を見せてくれた。
【またあなたに名前を呼んでほしくて、きらきら輝く星の海から探す。…必ずあの日の約束を叶えるから】
「俺はこの最後の1節が好きだな…」
「1番想いと決意をこめた場所、よく分かりましたね。いつも思うけど、マスターの観察力には敵わないです」
「そんなことないよ。俺だって見落としたものは沢山あるから」
…そう、見落とし過ぎほど見落としている。
あの人のことも砂時計のことも、未だに小夜さんの問題も解決していない。
「マスターも、もっと自信を持っていいと思います。今私がこうして生きているのは、マスターがいてくれるおかげですから」
「ありがとう。結衣さんは優しいんだね」
特別な相手の為にだけ考えられたものは、何よりも強いものだと思う。
彼女はこれからもきっと、想いと祈りをのせた歌を誰かの為に歌い続ける。
だが、彼女の心にはまだまだ傷が残ったままだ。
そのうえで必死にもがいている彼女を本当に尊敬する。
「ありがとうございました。また静かな場所にいたくなったら、いつでも来てください」
「ありがとうございます。絶対また来ます」
離れていく姿を見送りながら、今回のお代としていただいたイヤホンを耳に差し込む。
中にSDカードが残っていたのか、ゆったりとした音楽が流れ始めた。
『この店が誰かにとっての支えになること…難しいかもしれないけど、それが俺の1番の望みかもしれない』
…俺は今、あなたが望む形にできていますか?
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

恋が温まるまで

yuzu
恋愛
 失恋を引きずる32歳OLの美亜。 営業課のイケメン田上の別れ話をうっかり立ち聞きしてしまう。 自分とは人種が違うからと、避けようとする美亜に田上は好意を寄せて……。

遠回りな恋〜私の恋心を弄ぶ悪い男〜

小田恒子
恋愛
瀬川真冬は、高校時代の同級生である一ノ瀬玲央が好きだった。 でも玲央の彼女となる女の子は、いつだって真冬の友人で、真冬は選ばれない。 就活で内定を決めた本命の会社を蹴って、最終的には玲央の父が経営する会社へ就職をする。 そこには玲央がいる。 それなのに、私は玲央に選ばれない…… そんなある日、玲央の出張に付き合うことになり、二人の恋が動き出す。 瀬川真冬 25歳 一ノ瀬玲央 25歳 ベリーズカフェからの作品転載分を若干修正しております。 表紙は簡単表紙メーカーにて作成。 アルファポリス公開日 2024/10/21 作品の無断転載はご遠慮ください。

女王ララの再建録 〜前世は主婦、今は王国の希望〜

香樹 詩
ファンタジー
13歳で“前世の記憶”を思い出したララ。 ――前世の彼女は、家庭を守る“お母さん”だった。 そして今、王女として目の前にあるのは、 火の車の国家予算、癖者ぞろいの王宮、そして資源不足の魔鉱石《ビス》。 「これ……完全に、家計の立て直し案件よね」 頼れない兄王太子に代わって、 家計感覚と前世の知恵を武器に、ララは“王国の再建”に乗り出す! まだ魔法が当たり前ではないこの国で、 新たな時代を切り拓く、小さな勇気と現実的な戦略の物語。 怒れば母、語れば姉、決断すれば君主。 異色の“王女ララの再建録”、いま幕を開けます! *カクヨムにも投稿しています。

西伊豆の廃屋から東京のタワマンへ。美しき食人鬼たちは、人間を喰らって愛を成す

秦江湖
ライト文芸
【美しき兄妹、実は食人鬼】 西伊豆の心中屋敷に踏み込んだ者たちは、二度と帰ってこない。 そこにいたのは、か弱い兄妹ではなく、獲物を待つ「捕食者」だった。 精神病棟から帰還した妹・世璃(より)は、死んだ姉の皮を被った「人食いの怪物」。 足の不自由な兄・静(しずか)は、妹に「肉」を与える冷徹な支配者。 遺産目当ての叔父、善意を押し付ける教師、興味本位の配信者、そして因習に縛られた自警団……。 「弱者」を狩りに来たつもりの愚か者から順番に、今日の献立が決まっていく。 それは食事であり、共犯の儀式であり、二人だけの愛の証明。 西伊豆の廃屋から、東京のタワーマンションへ。 最上階を新たな「城」にした二人の、残酷で美しい捕食記録が幕を開ける。 「お兄様、今日のごはんはなあに?」 「――ああ、今日はとても元気のいい『獲物』が届いたよ」

芙蓉は後宮で花開く

速見 沙弥
キャラ文芸
下級貴族の親をもつ5人姉弟の長女 蓮花《リェンファ》。 借金返済で苦しむ家計を助けるために後宮へと働きに出る。忙しくも穏やかな暮らしの中、出会ったのは翡翠の色の目をした青年。さらに思いもよらぬ思惑に巻き込まれてゆくーーー カクヨムでも連載しております。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

下っ端宮女のひたむき後宮恋譚 ~前世の夢を追いかけていたらいつのまにか寵愛されていました~

紀本明
キャラ文芸
妃嬪から嫌がらせを受けつつも耐え忍んでいた下っ端宮女の鈴風(りんふぁ)はある日突然前世の記憶を取り戻す。料理人になるのが夢だった彼女は、今世でもその夢を叶えようと決意した矢先、ぼさぼさ頭の宦官・雲嵐(うんらん)と出会い、毎晩夕飯をつくることになる。料理人になるべく奮闘するも、妃嬪からの嫌がらせはひどくなる一方だった。そんなある日、事件が起こり、鈴風は窮地に立たされるが……――?

処理中です...