泣けない、泣かない。

黒蝶

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泣けないver.

安心できる場所

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そこは、何もない海だった。
波の音だけで、他には何もない。
「...すごい」
「綺麗だね。もう夕方だから人通りも少ない」
場所選びひとつ取っても、いつもこうして私を気遣ってくれる。
「...ここなら本当にふたりだけの世界かもしれない」
「詩音...そうだ、お腹すいてない?」
そういえば、お昼は食べられなかったのだ。
私のお弁当は、砂弁当になっていたから。
思い出すと少しだけ息苦しい。
「食べようか」
「い、いただきます」
ふたりで同じものを食べて、同じ景色を見る。
それが私をひどく安心させた。
「その塩むすび、塩控えめにしてみたんだけど...美味しくなかった?」
「ううん、すごく美味し、」
そのとき、優翔に抱きしめられた。
...私の目元が潤んでいたことに気づいたからだろうか。
「大丈夫だよ」
とんとんと背中を優しくたたかれ、また涙が零れ落ちる。
(どうしよう、止まらない...)
他の人に同じことを言われたら、何が大丈夫なの?と訊いているだろう。
だが、優翔に対してだけはそんなことを思わないのだ。
涙なんて枯れたと思っていたのに、溢れ出して全然止まらない。
これからが不安で堪らない。
優翔がいなくなったら、私はあの学校に居場所なんてなくなる。
きっとまた生きるのが辛くなってしまうのだろう。
「詩音」
私の名前を呼ぶ声が、抱きしめてくれる腕の中が、私を否定しないでいてくれることが1番安心する。
...ここになら帰ってきてもいいのだと思えるから。
「優翔、いつもありがとう」
ひとしきり泣いた後、彼は他のおかずも分けてくれた。
卵料理に野菜、スープ...デザートには沢山のフルーツを手渡してくれる。
その度に、絶対に離さないとでも言うように力強くてを握ってくれた。
私が安心して帰れる場所は、もうここしかない。
「残念だけどそろそろ行かないと...」
「...そうだね。今日はありがとう」
せいいっぱいの笑顔を作ってみるけれど、彼には誤魔化せないようだ。
「寂しいって思ってくれてる?」
「うん。本当はすごく寂しい。ずっと側にいたいって思う。
だから、その...」
「そうだね。『ただの恋人』に戻った後、いつでも泊まりにおいで。
君が嫌がることは絶対にしないから」
「うん。楽しみにしてる」
こんなふうに未来の約束ができることは、決して当たり前じゃない。
こんなふうに毎日話して会えるのも、決して当たり前じゃないのだ。
「それじゃあ、行こうか」
「...うん」
我儘を言って困らせるつもりはない。
今はまだ聞き分けのいい子でいよう。
差し出された小指に、そっと自分の小指を絡ませる。
──波の音だけが、いつまでも反芻していた。
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