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5日目
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「森川さん、起きてください」
「おはようございます…」
欠伸を噛み殺しながら体を起こす。
昨日少し夜ふかししたからか、まだちょっと眠い。
それでも、規則は規則だ。
「今日は追加で検査があります」
「追加ですか…検査はあまり好きではありません」
今までそんなことがあったのは、あんまり具合がよくないときだ。
ただ、最近は手術前に調べておきたいからと何回かそういうことがある。
どっちなのかを研修に来たであろう目の前の看護師さんに訊く勇気はない。
検査までは時間があるので、私は白いイヤホンを耳にあてる。
音楽を聴くときはいつもこうやっていた。
「はい、お疲れ様でした」
「ありがとうございました」
結構時間がかかったものの、なんとか検査を終えてそのまま屋上へ向かう。
少しだけお腹が空いていたけど、それより景色が見たかった。
「奏多さん」
「君は本当に飽きないね」
「飽きませんよ。奏多さんの歌が好きなので」
「…そう」
奏多さんはいつも夕方にならないと現れない。
彼が着ているのは多分この近くの学校の制服だと思うけど、突っ込んでしまっていいのか分からないままでいる。
学校が楽しいなら、きっとこの場所じゃなくて楽しい場所で歌うはずだから。
「今日はどんな曲を…」
そこまで話したところで、奏多さんは持っていた鞄から音楽について書かれている資料を沢山取り出した。
「先に探すところから。これも持ってきたし」
「可愛いピアノですね」
「必要ならあげる。僕はもう使わないものだし、その方がピアノも喜んでくれると思う」
「奏多さんが大切にしているものではないんですか?」
「ここで弾くこともあるだろうし、少し退屈そうに見えるから…迷惑じゃなければ使って」
どうしてそんなふうに言うんだろう。
それに、なんだか悲しそうで痛そうに見える。
「それじゃあ、いつかお返ししますね」
「僕の話聞いてた?それとも、いきなりこんなものをもらっても迷惑?」
「いえ、そういうわけではないのです。ただ、本当に大切にされた痕跡があるので、手放してしまってもいいのかと思いまして」
「いいんだ。だって僕は…」
その続きは風にさらわれて聞き取れなかった。
口の動きも読めなかったからもう1度言ってもらおうと思ったけど、なんでもないと返されてしまう。
「その本は貸しておく」
「ありがとうございます」
奏多さんの歌声はいつも以上に寂しそうで、なんとなく何か意味がこめられているような気がした。
「また明日も来ます」
「分かった」
その素っ気ない一言には優しさが隠れている気がする。
こうして、何もなかった私の部屋に可愛らしい小さなピアノが仲間入りした。
【今日もあの子がいた。会ったのも何かの縁だと言うなら、そう思いピアノを託した。
内職のお金で買ったものだったが、もう僕は弾くことがないだろう。
あと25日、彼女に歌う日が続いていくのだろうか。最後くらいは人の役に立ちたい】
「おはようございます…」
欠伸を噛み殺しながら体を起こす。
昨日少し夜ふかししたからか、まだちょっと眠い。
それでも、規則は規則だ。
「今日は追加で検査があります」
「追加ですか…検査はあまり好きではありません」
今までそんなことがあったのは、あんまり具合がよくないときだ。
ただ、最近は手術前に調べておきたいからと何回かそういうことがある。
どっちなのかを研修に来たであろう目の前の看護師さんに訊く勇気はない。
検査までは時間があるので、私は白いイヤホンを耳にあてる。
音楽を聴くときはいつもこうやっていた。
「はい、お疲れ様でした」
「ありがとうございました」
結構時間がかかったものの、なんとか検査を終えてそのまま屋上へ向かう。
少しだけお腹が空いていたけど、それより景色が見たかった。
「奏多さん」
「君は本当に飽きないね」
「飽きませんよ。奏多さんの歌が好きなので」
「…そう」
奏多さんはいつも夕方にならないと現れない。
彼が着ているのは多分この近くの学校の制服だと思うけど、突っ込んでしまっていいのか分からないままでいる。
学校が楽しいなら、きっとこの場所じゃなくて楽しい場所で歌うはずだから。
「今日はどんな曲を…」
そこまで話したところで、奏多さんは持っていた鞄から音楽について書かれている資料を沢山取り出した。
「先に探すところから。これも持ってきたし」
「可愛いピアノですね」
「必要ならあげる。僕はもう使わないものだし、その方がピアノも喜んでくれると思う」
「奏多さんが大切にしているものではないんですか?」
「ここで弾くこともあるだろうし、少し退屈そうに見えるから…迷惑じゃなければ使って」
どうしてそんなふうに言うんだろう。
それに、なんだか悲しそうで痛そうに見える。
「それじゃあ、いつかお返ししますね」
「僕の話聞いてた?それとも、いきなりこんなものをもらっても迷惑?」
「いえ、そういうわけではないのです。ただ、本当に大切にされた痕跡があるので、手放してしまってもいいのかと思いまして」
「いいんだ。だって僕は…」
その続きは風にさらわれて聞き取れなかった。
口の動きも読めなかったからもう1度言ってもらおうと思ったけど、なんでもないと返されてしまう。
「その本は貸しておく」
「ありがとうございます」
奏多さんの歌声はいつも以上に寂しそうで、なんとなく何か意味がこめられているような気がした。
「また明日も来ます」
「分かった」
その素っ気ない一言には優しさが隠れている気がする。
こうして、何もなかった私の部屋に可愛らしい小さなピアノが仲間入りした。
【今日もあの子がいた。会ったのも何かの縁だと言うなら、そう思いピアノを託した。
内職のお金で買ったものだったが、もう僕は弾くことがないだろう。
あと25日、彼女に歌う日が続いていくのだろうか。最後くらいは人の役に立ちたい】
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