皓皓、天翔ける

黒蝶

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第1章『はじまりの物語』

第6話

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「スミさん、この花の香りは分かるかい?」
「ええ、歳三さん。春に咲く花よね?たしか、片喰…」
「今年も綺麗に咲いているよ」
「歳三さんが嬉しそうだから分かりますよ」
老夫婦が笑顔で話しているのが見える。
あの杖は、さっきのお客さんのものではないだろうか。
だとしたら、あのおじいさんは……

──そこで場面が変わる。
「スミさん、おはよう」
「あら、和田さん。おはようございます。申し訳ないんだけど、おじいさんにお菓子を祀ってもらえないかしら?」
「ちょっと待ってくださいね。おまんじゅうお供えしておきますね」
「ありがとう」
「頼まれていた本、点字をつけてきました。よければ読んでみてください」
「まあ、もう?早いわね…。どんな本なのか楽しみだわ」
この人が和田さんか。
可愛らしい女性という印象を受けたものの、服装から看護師さんまたは作業療法士さんだろうと仮定できる。
楽しそうに過ごす日々が流れた後、様子がおかしい日がやってきた。
「和田さん?少し待っていて」
インターホン越しに立っているのは男だ。
おばあさんには見えていないから、そのまま扉を開けてしまう。
「動くな!金目の物よこせ!」
「あなた誰?それから、泥棒は駄目よ」
「う、うるさい!」
乱暴しようとしていない犯人は、なんだか焦っているように見える。
「大人しくするから、ヘルパーさんに電話してもいいかしら?ゆっくりお茶でも飲みましょう」
「ど、どうせ警察に、」
「いいえ。苦しんでいる人がいたら助け合う、私はそうして生きてきたの。
申し訳ないけど携帯電話をとってくださる?」
普通ならこんなことを言われても、無視して脅しにかかるだろう。
けど、その男は従った。
「妙な真似したら許さないからな」
「ありがとう。…あら、和田さん?」
『こんにちは。どうかされましたか?』
「今日は訪ねてくる人がいるから、来なくて大丈夫。夕方に少しお願いしようかしら」
『分かりました。何かあればすぐ連絡してください』
「そうさせてもらうわね。それじゃあ、」
どす、と鈍い音がしておばあさんが倒れる。
刺したのは入ってきた男とは別の男だ。
『スミさん⁉』
電話の向こうから聞こえる声に、おばあさんは特に声色を変えることもなく電話を続けた。
「少し…転んでしまったの。また、後で」
『分かりました』
直後、おばあさんの腕が蹴飛ばされ、携帯が遠くに飛ばされた。
何か話しているようだけどよく聞こえない。
「おい、なんで殺したんだよ!」
「おまえがさっさと奪ってこないから悪い。誰か来るんだろ?とっとと始末するぞ」
おばあさんの首に勢いよくナイフが突き刺さり、苦しそうな表情を浮かべている。
泥棒たちは火を放ち、その場を後にした。
「と、ぞ……」
最期の言葉を、まともに話すこともできないまま。


「……目が覚めた?」
「あ、えっと…ごめん」
さっきの長い夢が本当におきたことなら…そう考えると悲しくなる。
「悪い夢でも見たの?」
「ごめん。悪い夢というか…おばあさん、最後まで和田さんっていう人に感謝してたんだなって」
「どうしてそう思ったの?」
どう説明すればいいのか分からず、涙が溢れて止まらない。
そんな私に、宵月君は優しく声をかけてくれた。
「落ち着いたらでいい。言いたくないならそれでもいい。もうすぐ着くからそれまで休んでて」
誰かが側にいてくれてこんなに落ち着くのはいつ以来だろう。
訊きたいこともあったのに、涙が止まった頃にはもういつもの駅に辿り着いていた。
「…じゃあ」
「あ、あの。やっぱり私、車掌さんやりたい。何時に来たらいい?」
宵月君は驚いた顔をしていたけど、メモ用紙に色々書いて渡してくれた。
「時間は夜8時以降ならいつでもいい。そのメモを見せたら俺以外でも気づくはずだから」
「分かった。さっきはありがとう」
「…別に」
宵月君はそれだけ言って、すぐに歩いていってしまった。
知らない男の人がいるということは、私には戻れる場所がない。
これからに期待と不安が入り混じる。
どうして列車に乗れたのか、そもそも宵月君が車掌さんになった理由は…気になることも沢山あるけど、一先ず学校へ行くことにした。
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