皓皓、天翔ける

黒蝶

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第1章『はじまりの物語』

閑話『もうひと仕事』

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普段どおり学校に顔を出し、午後まで授業を受ける。
……それにしても、まさか隣の席の生徒が乗りこんでくるとは思わなかった。
時々屋上で見かける程度の仲だったのに、あんなにぺらぺら話すことになったのは予想外だ。
「宵月、今日は早退だったな」
「はい」
ぼんやり考えていた俺に担任教師が声をかけてきた。
「最近事故が増えてるから、気をつけて帰れよ」
「ありがとうございます」
周りで騒ぐ人間がいても面倒だ。
正直、教室で大量の人間に囲まれるのは苦痛で仕方ない。
他の人間に絡まれる前に、なんとか脱出した。
今日は早退する予定ではなかったが、お客様の願いを叶えるために必要な時間だ。
「え、リーダー!?随分早いですね。学校はいいんですか?」
「はい。今日は運びものがありますから」
「リーダーも頼まれたんですね」
今話しているのは、後輩のひとりだ。
黄泉行列車の車掌にはもうひとつ仕事がある。
それは、お客様の声を届けることだ。
「……ここか」
ホームあいおいと書かれた看板を見つけ、インターホンを押す。
出てきたのは、まだ慣れていない様子の女性だった。
「こんにちは。突然すみません。手渡しで直接渡すように頼まれておりまして…。
和田さんという方はいらっしゃいますか?」
「私ですけど、荷物なんて何も頼んでいません」
「あなた宛に手紙が届いています。…スミさんをご存知ですよね?」
「あなた、スミさんの知り合いですか?」
「いいえ。私はただの運び屋です。スミさんから渡してほしいと頼まれました」
相手の顔がこわばる。
死んでもなお伝えたい想いがあるなら届けたい。
それだけなのに、何故こんなに怯えているのか。
「あ、ありがとうございます…」
「申し訳ありませんが、今この場で読んでいただいてもよろしいでしょうか?確認作業までが仕事なんです」
「分かりました」
女性は震える手で封を切る。
そこに書かれているのは感謝の言葉だけだ。
列車の中で話を聞きながら書いたのだから分かっている。
「私、私があの日、もう少し早く訪ねていれば……」
「スミさんの事件は新聞で拝見しましたので知っています。…あなたが後悔して苦しめば、スミさんが悲しい思いをしたままになります。
彼女は、あなたには特によくしてもらっていると話していましたから」
涙をぽろぽろ流しながら、思いの丈を話してくれた。
電話がかかってきて異変に気づいたこと、すぐに駆けつけたがもう全て手遅れだったこと…。
「私のこと、恨んでいるんじゃないかってずっと思っていたんです。そうじゃないって信じてもいいんでしょうか?」
「少なくとも、私は恨んでいないと思います。彼女が誰かを恨む姿なんて想像できないでしょう?」
まさか死んだ後代筆したとは言えないので、なんとかありきたりな言葉を返す。
しばらく泣いていた彼女だったが、やがて顔をあげる。その目に迷いはなかった。
「ありがとうございました。…スミさんに教えてもらった優しさで、これからも進んでいこうと思います」
彼女の表情にもう一点の曇りもない。
そのことに安堵しつつ、どうしても拭えない疑問がひとつある。
──死者の資料を読んだわけでもない彼女が、何故頭を下げて見送ってくれたヘルパーの名前を知っていたんだ?
本人に尋ねていいものか悩んだが、結局言わないことにした。
連絡先が分かるわけでもないし、どうせもう列車には来ない、もう夜に会うことはない…そう考えていたからだ。
このときの俺は、まさか本当に現れるとは思っていなかった。
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