皓皓、天翔ける

黒蝶

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第2章『初仕事』

第11話

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「館長、お疲れ様です。最近働きすぎじゃありませんか?」
「いえ。職員のみんなに協力してもらっているのだから、俺の仕事はしっかりやらないと」
胸元についているバッジは、美術館の職員である証だ。
催し物のチラシを見たきはするけど、人が少ない時間に少し覗こうと思う程度だった。
「館長、企画展の照明の相談なんですが…」
「新しいものを搬入したんでしたね」
「館長、こっちの確認をお願いします」
「了解しました。そっちも確認させてください」
「館長、お客様がいらっしゃいました」
「すぐ行きます」
どんな仕事なのかいまひとつぴんときていなかったけど、ただ偉そうにしている人じゃなかったことはよく分かる。
そうでなければ、これだけ多くの人に慕われるはずがない。
「館長って、本当にフェルメール好きですよね」
「相田さんが好きな画家はいらっしゃらないんですか?」
「ありきたりですけど、ゴッホのひまわりが好きなんです。あのタッチが……」
絵に詳しくない私でも、楽しく話していることくらいは分かる。
「相田さんに任せてよかった」
どうやら今回の企画を考えたのは館長さんの秘書のような人らしい。
周りの人たちに集合するよう声をかけて、館長さんはにこりと微笑んではっきり言った。
「皆さん、次の展覧会の案も浮かんだものがあれば教えてください。考慮します。
それから、強制ではありませんが簡単な食事会をしましょう。日付は展覧会が終わってから、ご家族との参加もできる場所を用意します」
他の人たちからはわっと拍手が沸きおこったものの、徐々に心配する声が増えていく。
「館長、ちゃんと休んでますか?」
「そうですよ。俺たちより働いているんじゃ…」
「大丈夫です。今日はあと絵を受け取りに行ったら終わりですから」
「私が代わりに行きましょうか?」
「大丈夫です。丁度ゴッホの絵を受け取るところですから」
学芸員さんたちのことを労っているものの、この人は全然休まない。
「気をつけてくださいね」
「はい。いってきます」
いつ食事をしているのか、いつ寝ているのか全然分からない。
それほどこの人は動き回っていた。


──場面が変わり、スキップしながら歩道橋を歩く館長さん。
反対側から杖を持った人がやってきて、通りやすいように避けている。
「でさ、まじだるいわ…」
「分かる、もうちょいでレベル上がるのに」
「あの店入ってゲームやるか!」
「賛成!」
学生たちがわらわらと横に広がって歩いている。
館長さんが避けようとした瞬間、肩が勢いよくぶつかった。
「あ、すんません」
「……!」
館長の体が宙に飛ぶ。
それと同時に、持っていたアタッシュケースを歩道橋へ軽く投げた。
上手く乗ったのを確認して安堵した直後、走ってきたトラックにそのままひきずられる。
周りの悲鳴と激痛…最期に見えたのは、真っ青な顔をした運転手が駆け寄って救急車を呼ぶ声だった。


「起きた?」
「あ、うん。…館長さんは、最後まで絵を愛していたんだね」
「どうしてそう思うの?」
「…命がけで守ったんだと思うから」
身を挺してでも絵を守りきった。
だから館長さんは後悔がなかったのかもしれない。
人の末路をまたひとつ知って、胸が締めつけられた。
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