皓皓、天翔ける

黒蝶

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第7章『複合』

第36話

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《あの…》
「どうかなさいましたか?」
《水、ありますか?》
「すぐにお持ちします」
冷水を注いだグラスを渡すと、男性は一礼して薬を飲みはじめた。
「ご病気なんですか?」
《小さい頃から持病持ちで、これがないと発作がおきてしまうんです。…他にはどんなものがありますか?》
「えっと…お客様がご希望されるものなら、基本的になんでも用意できると思います」
流石に健康な体を要求されたら無理だけど、できるだけ希望に沿う形をとりたい。
男性は少し困った表情を浮かべていたものの、囁くように言った。
《できればその、唐揚げを食べられれば…》
「か、かしこまりました」
未だに緊張してしまうのを反省しつつ、なんとかお客様に注文された品を用意する。
…小さなフライヤーまであるなんて、このワゴンには一体どれくらいの機能がついているんだろう。
「おまたせしました」
《黄金唐揚げ…ありがとうございます。では、早速いただきます》
男性は一口齧ったものを美味しそうにもぐもぐしていて、その様子を見ていると安心した。
《美味しいです》
「ありがとうございます」
先日おばさんに作った唐揚げのレシピを再現しただけだったけど、気に入ってもらえたならよかった。
恐らくこの人もどうして自分が死んでしまったのか覚えていない。
どう切り出そうか考えていると、男性は困った顔で腕時計を見せてくれた。
《車掌さん、どこかいい修理業者を知りませんか?》
「申し訳ありません。あまり詳しくないんです。祖、その時計、随分年季が入っているようですね」
《はい。とても大切なものなんです。母の形見で、ベルトだけ変えてずっと使っていたんです。
けど、ぜんまい式の古いものだからもう動かすのは無理かもしれないな…》
そう寂しそうに話す男性の時計は、たしかに止まったまま動いていない。
「動かす方法があればいいんですけど…」
《すみません。悩ませるつもりはなかったんです。ただ、俺があのとき転ばなければよかっただけで…ん?転んだ?》
「お客様、どうかされましたか?」
男性はまた困った顔をしていて、時計を見つめながら首を傾げる。
《どうして時計が壊れたのか、いまひとつ思い出せないんです。
どこで転んだのか、なんで転んだのか…すみません、変ですよね》
「いえ。そんなことありません。…ゆっくり話していただけませんか?その間に思い出せるかもしれませんから」
《誰かと話していると整理できそうなので、聞いていただけますか?》
「勿論です」
《ありがとうございます》
「飲み物をご用意しますね」
ずっと麦茶のパックに視線がいっているのに気づいて、冷えた麦茶を淹れる。
男性はそれを受け取り、少しずつ話しはじめた。
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