皓皓、天翔ける

黒蝶

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第26章『届かなかった歌を君に』

第155話

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「小春!」
「美春…」
「今日は調子よさそうだね」
「まあ、一応」
ふたりは通信制と併用型の学校へ入ったらしく、普段は制服を着ていたけど日曜日もお昼まで授業を受けていた。
「3年生になったとき、負担を減らせるでしょ?」
「たしかに…。ちょっと大変だけど、あのときの美春の提案を受けてよかった」
「普段楽器の練習時間をあんまりとれないから、だったらいっそ先に授業を終わらせちゃおうって思ったんだ」
ギター少女は屋上でいくつかフレーズを弾いている。
多分作曲中だ。
「あの…よかったらこれ、歌ってみて」
「え、歌詞!?私、自分で詞を書けなくて困ってたから助かるけど…本当にいいの?」
「うん。きらきらした曲になると思うんだ」
「調子がいいときは小春が歌ってよ。その方が絶対楽しいから」
少女は驚いた様子だったけど、それからというもの少しずつ歌う機会が増えていった。
ただ、日常生活での苦労は変わらない。…いや、少しだけ減っている。
「八乙女、これやっといて。…ああ、ごめん。聞こえないか」
「ちょっとあんたら、いい加減にしなよ。小春は心でばっちり聞いてるんだから。…傷つかないわけないでしょ?」
「はあ?ブリキが何言ってるんだ、よ…」
男子生徒の腕を掴んだ少女は一言言い放った。
「美春に謝れ」
「ちっ、なんなんだよ!」
走り去っていく男子生徒を見て、少女ははっとした。
「小春、聞こえてるなら言い返してよかったんだよ?」
「私のことはどう思われてもいい。でも、美春の悪口は許さない」
「小春…ありがとう。そうだ、さっきの授業のノート、コピーしてきたよ」
「ありがとう」
ふたりはお互いやりづらい部分をカバーしあって、周囲にいる一部の生徒のことはひたすら無視していた。
「ねえ、小春。もし小春がよかったらなんだけど…このコンテスト、出てみない?」
「え、いいの?」
「うん。顔出ししなくていいらしいし、やってみようよ!」
「最近調子いいから、やってみようかな」
家族からもひたすら存在を無視され続けた少女は今、ギター少女と楽しく生活できている。
…それがずっと続くと、ふたりは思っていたに違いない。
「ごめん、ちょっと買い忘れ!ここで待ってて」
「分かった。いってらっしゃい」
少女がぼんやりしていると何かが体にぶつかる。
その拍子に体が倒れ、道路に放り出された。
「──!」
同じ制服の生徒が何か話しているが、嫌な気持ちになることを話していることしか分からない。
耳鳴りで動けない少女の手には、粉々になった補聴器が握られていた。
「猫さん、こっちに来たら危ないよ。一緒に向こうまで渡ろう」
耳鳴りがするのを我慢して猫を誘導しようとしていると、あたりが真っ白になる。
咄嗟に突き飛ばされた猫は無事だった。
「……ごめんなさい、美春。ふたりの夢、もう叶わないかも」
重い体は一度も起こされることなく意識が沈んでいく。
周りの人たちの喧騒さえ、彼女には届いていなかった。
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