皓皓、天翔ける

黒蝶

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第28章『泥水に咲く花』

第161話

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「おはよう」
また席が隣同士になった氷雨君に小声で声をかける。
向こうからも小さく返事が返ってくることが多いけど、今日はそういうわけにもいかないらしい。
「宵月君ってスポーツ大会出るの?」
「出ない」
「宵月君、クールだもんね…」
「頼むよ宵月」
「苦手なんだ。申し訳ないけど別の人に声をかけて」
もうすぐ朝のホームルームなのに、口早に話で出ていってしまった。
多分、他のクラスメイトたちは氷雨君と一緒に何かをやりたいんだと思う。
だけど、本人がそれを望んでいない。
「あ、あの、お弁当…」
「…相変わらず律儀だね」
そう言いつつ、氷雨君はいつだって綺麗に完食してくれる。
私には、もう他に美味しそうにご飯を食べてくれる人がいない。
他の人でもいいという話ではないけど、氷雨君が食べてくれるからお弁当の手を抜かずにいられている。
「今日も美味しかった。…あと、これ」
「ありがとう」
綺麗に洗われたお弁当箱が返ってきて、その中に紙が挟まっているのを見つける。
【美味しかった】
「…ありがとう」
メモ用紙を別のファイルにはさんで、真っ直ぐ屋上を後にする。
新学期早々、学校を抜け出した。


「成川さんの荷物はこれで全部になります」
「あ、ありがとうございました」
施設の部屋はベッドがひとつあるだけの、まっさらなものになった。
おばさんがここにいたことまで消えてしまいそうで不安だったけど、施設の職員さんたちが親切にしてくれたから少しだけ心の整理ができた気がする。
「ありがとうございました」
「いえ。こちらこそありがとうございました」
おばさんの荷物は思ったより少なくて、ダンボールふたつ分くらいしか入っていない。
私が借りていたマンションの部屋は実はおばさんが買ったものらしく、正式に私の家になった。
成人するまで名義は保証協会のものになるらしいけど、このまま住めるのはありがたい。
「…終わったの?」
「うん。色々、全部」
夜、新しくなったマントを羽織りながら氷雨君と話す。
「今夜の車両はあまり気分がいいものではないと思うけど、やれる?」
「が、頑張ってみる」
せめて、おばさんに恥じない人でありたい。
この1年で色々なことを学んで、色々な人と出会って…少しだけ救われた。
誰かの支えになれるこの仕事を、これからも全力でやっていこう。
…今の私にできるのは、それしかないから。
「それじゃあ、行こうか」
「うん」
列車に乗った直後、何かが割れる音がした。
その方向へ走っていくと、少女がうずくまっている。
《なんで?なんで私…》
混乱している少女と目線を合わせて声をかけてみる。
「お客様、どうされました?」
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