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File1 自覚無き殺人犯

第十四話 そして逮捕

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「お、おまえは……誰だ」

想定外の人物に服部は驚く。
全く面識のない人物だったのだ。

服部の目の前の人物は紺のキャップを深く被り、顎には髭を生やし、髪は大きく外に跳ねさせている。服装は上は白のパーカー、下はジーンズ、靴はボーダースニーカーのラフな格好をした男だった。
見た目は三十から四十代くらいの印象の男だった。

「服部和毅……だよな? 初めまして、俺は殺人犯に仕立てあげられた加藤大輔の弟、加藤春樹だ」

「お、弟?」

加藤大輔の弟とは面識はなく、話し方は似てないと感じ戸惑いつつも顔の作りから兄弟なのだと服部は理解した。

「この場所に来たってことは何か思うことがあったからなんじゃないのか?」

加藤の弟──春樹の小馬鹿にしたような話し方が鼻につくが、ペースを乱されてはならないと服部は冷静を装う。

「そんなことあるわけないだろう。犯人はおまえの兄貴だ。証拠もすべて揃ってるって警察が言っていた。ここに来たのは俺を犯人に仕立て上げようとしてるやつが誰か確かめにきたんだ」

服部が蔑むように言い放った。

「へぇそう。でも、ここにあんたがやったって証拠があるんだよな~」

春樹がへらりと余裕な笑みを浮かべながらそう言うと、背に隠した大きな茶封筒を示指と母指で摘み前に掲げた。

「な、馬鹿な嘘にきまってるだろ!」

まさか証拠をここに持ってきているとは思わず、服部は一瞬声を詰まらせ、声を荒げた。

証拠と掲げられた茶封筒をよく見れば、そこそこ分厚い。


は、ハッタリだ! きっとそうだ。
証拠なんてあるはずがない!


動揺する服部が自身に言い聞かせどうにか落ち着かせようとする。

「じゃあ一つだけ、あんたが殺人犯だっていう証拠をいま話してやる」

春樹が満面笑みを服部に向けて続ける。
目は全く笑っていない。






「あんた、兄貴の身体乗っ取って、自分の妻を殺したんだろ?」








瞬間、服部の額と掌にどっと尋常ではないほどの汗が浮きはじめ、顔を真っ青にさせた。


何でおまえが俺の能力のこと知ってんだよ!
 

警察も誰も知らないはずの服部の秘めた能力をさらっと暴く春樹のその言葉は、服部の冷静さを奪うには十分だった。

「い、いい加減にしろよ! おまえが兄貴の罪を俺になすりつけようとしてるって訴えてやるよ!」

服部は斜めにかけたショルダーバッグに手を入れた。

「訴えるんだったらおまえがやったしょ、証拠もいるよな?」

服部が声を震わせながらそう言いうとインスタントカメラ"チェキ"を取り出し、前方に立つ春樹の姿を撮った。
出てきたフィルムは無地で現像液による色づきがない。

「いいぜ? 好きに訴えなよ。どうせ無実なんだったら、この証拠も警察に渡すなりネットで流しても問題ねーよなぁ?」

挑発的な春樹の言葉が服部をますます苛立たせる。

「ハッ!調子に乗んなよ。兄弟揃って務所にぶち込んでやるよ!」

服部がフィルムに視線を移す。
フィルムはしっかりと春樹の姿を捉えていた。
それを見て勝ったとでもいうかのように、服部は余裕を取り戻した。

服部がフィルムに写る春樹の頭に母指で触れ、グッとフィルムがしなるくらいに力を込めた。

瞬間、服部が手に持っていたチェキがガシャリと音を立てて床に落ちる。
反対の手に持っていたフィルムはヒラリと飛んで床に着くと同時に、服部は膝から崩れ落ちるように倒れ込んだ。

倒れた服部に一瞬、春樹は肩を揺らしたが、あまり動揺は見られない。
 
服部は今、春樹の背後に立っている。
それは目視できるものではない。
服部は霊体として春樹の背後に立っているのだから。





背後に立った服部がやることは一つ。




"コイツの身体を乗っ取って、犯罪者にしてやる!"




服部が右手を春樹の後頭部に勢いよく突っ込む。

しかし、春樹は気配を察知したのかそれを避ける。首を捻り視線を服部のいる後方へ向けながら走り、座席に手をかけて飛び越え距離を置く。


な、見えている⁉︎


今まで避けられたことがなかったため、この状況に驚く服部。

しかし、


なわけないか、ただの感がいい奴に決まってる。
チッ! 紛らわしいやつめ!


距離を置いた春樹が服部の方へ視線を移すが視線が交わっていなかったため、見えているわけではないと服部は思った。

肉体を手放し、霊体となって浮遊し両手を広げて飛行する服部は重力をもろともしない。 

肉体という重りを抱え、更に重力に逆らいながら座席を飛び越え逃げ回る春樹にとっては圧倒的に不利だった。服部のスピードには敵わなかった。

「─────クソ!」

春樹の悔しげな声に服部がニヤリとする。

シュルッと春樹の頭部から服部が入り込む。
春樹の触覚、味覚、嗅覚、聴覚、痛覚、視覚、肉体の自由を服部が蝕み呑み込みはじめる。

「さ、せるかよ!」

春樹の視覚と肉体の自由を半分奪ったところで、春樹がよろりとしながらプラネタリウムに並ぶ座席の一つに手をかける。


ガンガン!


「ゔッ! イッ……!」

春樹が最後の力を振り絞り、座席シートの角に頭をぶつけたのだった。
痛みに悶絶する声は春樹と服部のものである。
春樹本人にも服部にもダメージはあった。


コ、コイツしぶとい奴め! 早く呑みこまれろ!


春樹は服部に完全に呑みこまれ、全ての自由を奪われた。春樹の目蓋は重くなり、瞳を閉ざした。身体は崩れ落ち、掴んでいた座席シートを手放し、ドサッと身体を床に打ち付ける。

春樹の片手に持った茶封筒がガサリと音を立て床に落ちた。

春樹が膝に手をつきながらゆっくり立ち上がり、目を開けた。正しくは春樹の肉体を乗っ取った服部がだ。


な、ん、だこれ?
  

服部は乗っ取った春樹の視覚に驚いた。

服部には今、二の景色が見えていた。
一つはプラネタリウムに水が溢れかえったような景色。もう一方は誰かの部屋。

前者の景色に服部は目を奪われていた。
プラネタリウムに溢れかえった水の中にいて、その中に意思を持ったように泡の連なった線が動いていた。その線は倒れた服部自身の身体と春樹の身体をぐるぐると回っていた。

服部が今の状況を一瞬忘れてしまうほどに幻想的な光景だった。

「ガッハッ!」

直後、春樹の肉体を乗っ取った服部が身体を折り曲げ、胸に感じる苦しさで咳をした。床に落ちたのは紛れもなく春樹の口から出た赤い血だった。

瞬間、春樹の身体から弾き飛ばされたように霊体が離れ、目を覚ませば、視線は床に落ちていた。

服部自身の身体に戻ったのだ。

「ゴッホゴホ!」

床に膝をついた体勢で咳をすれば、服部も血を吐いた。



な、ん、だよ。こい、つは!



服部はわけがわからなくなっていた。
他人の身体を乗っ取ろうとして避けられるのも、乗っ取りかけて抵抗されるのも、完全に乗っ取ったかと思えば訳の分からない景色が見えたり、血を吐いたり、弾き飛ばされて自分の身体へ戻ったりするのも初めてのことだった。

「な、んなんだよ。おまえは!」

苛立ちと怒りを露わにし、血で汚れた口を袖で拭いながら服部は立ち上がる。

春樹は服部の能力から解放され、ゆらりとしながら腰を伸ばした。

両者とも、肩を上下させ息をする。
服部の能力により随分身体に負荷がかかったようだ。

「やっぱり、おまえが殺人犯じゃねぇーか。とっとと認めて自首しやがれ!」

春樹が服部に対し煽るような言葉をかける。

「うるせぇ! 黙れ黙れ!」

服部は声を荒げながら、視線を床に彷徨わせ何かを見つけたようにニヤッとした。


まだ終わってねぇ! 今度こそ────!


服部が春樹に背を向け走った。

「おい! 待て!」

服部が逃走を試みたと思い春樹は焦った声を出し、追いかける。

服部が床に手を伸ばす。
手の先にあるのは、春樹が写る一枚のフィルム。
フィルムに指先が触れるその瞬間、



バンバン!



プラネタリウムに響くのは、
 



───銃声。





銃弾が射抜いたのは、服部が手を伸ばしていた春樹の写る一枚のフィルム。見事にフィルムに写る春樹の頭部を撃ち抜いていた。

「な!」

フィルムを取ることに夢中になっていた服部には銃弾がどこから来たのか全くわからなかった。
 

コイツが打ったのか⁉︎


服部が春樹に背を向けた状態だったことが幸いした。

春樹が銃を持っていると勘違いしたのである。
銃弾は別の方向からであるのに。


クソッ! クソクソクソクソクソクソ!

コイツの身体を乗っ取って、俺の顔を殴れば兄弟揃って務所にぶち込めるってのに! これじゃあ、このままじゃ俺殺される!

コイツ、俺を殺す覚悟までして銃まで用意したってのか⁉︎


服部は恐る恐る振り返り春樹を見た。
春樹が銃など持っていないことは一目瞭然であったが、服部はもはや正常に判断する思考は持ち合わせていなかった。

春樹が歩いて服部に近づいていく。
無言で感情のない顔に服部は恐怖した。
服部は足をガクガクと震わせ、膝を両手をつき、額を床についた。

「な、なんでもする。なんでもするから──か、金か? 金いくらかかっても準備するから、このことは黙っててくれ! 見逃してくれ! 俺、おれを殺さないでくれ! 頼む!」

「認めるんだな?」

汗と涙でぐしょぐしょになった服部が顔を上げ、目の前まで来ていた春樹の顔を見上げ、春樹の足に縋り付いた。

「あぁ! 俺が加藤を殺した。俺が加藤の体を乗っ取って殺したんだ。なぁ、頼む警察には言わないでくれ!」

「自白、して下さって有り難う御座います」

春樹がセールスマンのような笑みを浮かべて言った。

「……は?」

服部は言われた意味が分からず、唖然とする。

春樹はキャップを取り、頭部を剥がした。

「な、お、まえ、は!」

驚きで尻餅をついて後退し、服部が声を震わせた。
 


そこにいたのは、

服部が馬鹿にしていたあの高良という警官だった。




「四日ぶりですね、服部和毅さん」

「ぐあっ!」

能力の使えない訓練を受けていない服部はただ高良にされるがまま床にねじ伏せられる。

「十六日午後二十時三十分。現行犯で逮捕します」

その言葉とともにガチャリと手錠がかけられた。

「は?」

手首に感じる金属のヒヤリとした感触に徐々に現実味を帯びてきて、服部が状況を理解するのにそう時間はかからなかった。



「だ、騙したな! 俺を騙したのか! クソ、クソーーー‼︎   う゛あ゛ーーーーーー‼︎」




四日前、高良と話した内容を服部は思い出した。

『加藤が犯人だと確信している』

今になって服部は気がつく。



あれは、俺を油断させるための嘘だったのか⁉︎
そのためにコイツはワザと守秘義務を破ったんだ!



その叫び声には、悲しみ、悔しさ、絶望が入り混じっていた。

服部は捻じ伏せられたまま、大粒の涙を流し床を濡らしたのだった。
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