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10時限目 頼れる後輩
しおりを挟む深夜まで魔導学の教科書を読んでいたダンテが起きると、すっかり太陽が昇ってしまっていた。
「やべえ、寝坊だ」
枕元には魔導学の教科書が転がっている。何度も眠気と戦いながら、分厚い教科書と解説書を読んでいたが、結局一ミリも理解できなかった。
(この分だと、今日の授業も頓死だな)
自分の腐りきった頭が恨めしい。ねぼけた目をこすりながら、教室へ向かうと、意外なことに教壇にはすでに人影があり講義を始めていた。
おかしい、教授陣は派遣されてこないはずなのに、と恐る恐るドアを開けると、そこにはダンテにとっては見知った人物がいた。
「フジバナ……」
「お久しぶりです。ダンテ隊長」
すらりと背の高い黒髪の女が、ダンテに深々と頭を下げた。真面目で几帳面そうな雰囲気は相変わらずで、きりっとした眉は寸分の狂いなく左右対称に整えられていた。
「どうしてここに……」
「アカデミアの噂を耳にしました。バーンズ卿の嫌がらせで、隊長がお困りになっていると聞いて、いてもたってもいられませんでした」
「お前、仕事はどうした」
「有給をいただいております」
「……先生、2人はいったいどういう関係ですか?」
最後列にいたマキネスが怪訝そうな顔をして、手を挙げた。
「俺の兵団時代の部下だ。これ、どういう状況だ」
「魔導学の授業です。特別講師だと思っていたんですが……とても分かりやすくて……」
「良かったニャ」
シオンとミミは満足そうに言った。
「フジバナ、お前」
「ある程度の素養はあります。末端ではありますが、一応貴族の端くれなんです。ご迷惑……でしたか?」
「めっちゃ助かる」
「先生」
再びマキネスが手を挙げて言った。
「……2人はいったい『どういう』関係ですか」
「だから、俺の部下で……」
「彼は私の命の恩人です。マキネス・サイレウス」
ダンテの言葉を遮って、フジバナが言った。そわそわするマキネスに、彼女は言った。
「改めまして、私の本名はフジバナ・カイ。謎の魔導学特別講師ではなく、現役の王都兵です。以前の任務で危機に瀕した私を、隊長は身を呈して守ってくださいました。そのせいで、隊長はバーンズ卿の怒りを買って、王都を追放されたんです」
「そうだったんだ……」
「隊長には返しても返し切れぬ恩があります。この度は何か力になれないかと、参上した次第です」
「良いって。気を使わなくても」
「いえ、やらせてください。大丈夫です。隊長の脳が筋肉でできていて、こういう些事には向かないことは了承済みです。目のクマ、取れていませんよ」
「うっ」
頭を抱えたダンテは何も言い返せなかった。
「というわけでダンテ隊長。ここは私が請け負います。魔導学でしたら、人並みの知識はありますので」
「あんな分厚い教科書が理解できたのか?」
「あんなのは高慢ちきな教授陣が作った自己顕示欲の塊ですよ。生徒たちに理解できるように作られているものではないです。もっと分かりやすくするべきだと、常日頃から思っていました」
「へー……俺の頭が腐っていたわけではなかったんだな……」
「さ、さ。隊長はお休みになって。さっそく始めましょう」
ダンテの背中を押して、椅子に座らせるとフジバナはごほんと咳払いをした。教室に座った生徒たちを見渡すと、最初にリリアを指差した。
「では授業の続きです。リリア・フラガラッハ。魔導学とは、何を学ぶものだと理解していますか?」
「えぇと……魔導の使い方?」
「それはどちらかというと、実践魔導の分野になります。魔導学とは、そもそも魔導とはどんなものかというものです。そこで、マキネス・サイレウス」
フジバナは続いてマキネスを指差した。
「魔導とはどんなものですか?」
「……うーん、召喚術のことですか……?」
「そうですね。合っていますが、正解ではありません。それは結果として現れるものであり、魔導の根幹ではないのです。魔導とは一言で言うと……」
フジバナはチョークを持って黒板に文字を刻んだ。
「神秘への接続。あるいは異界物質の現界術式。それが魔導の本質です」
「……異界ってあんまりイメージ湧かないんだよね」
「その疑問はもっともです」
不思議そうに首をかしげたリリアに、フジバナは言った。
「異界とは本来目には見えない世界のことです。ですが世界という言い方には少し語弊がありますし、それを見た人間もいません。存在はあくまで理論上でしかありません。例えるなら、ページの表と裏のようなものでしょうか。決して表からでは確認できない場所。私たちが表なら、異界は裏。裏は確かに存在する。そして、その二つの世界を一時的に結びつけることを、『魔を導く』すなわち『魔導』と呼んでいます」
「へー……」
「無意識的に魔導をそれを行使できるのは、私たちにはもともと、異界に接続できる力が備わっているものと考えられています。知識がなくとも、その接続方法……つまり詠唱文と真名ですね。それさえ分かれば、魔導は行使できる。例えば、隊長のように」
「ぐーぐー」
寝息を立てるダンテをスルーして、フジバナは話を続けた。
「さて、ではなぜ魔導は魔導としてなるのか。私たちが神秘と呼ぶものはいったい何でできているのか。ミミ、分かりますか?」
「分からないニャ」
「素直でよろしい。例えば、初等魔導として一般的な魔導弾ですが……」
フジバナは手のひらから黒い球体を発生させた。
「この球体の弾丸は本来は異界のものです。その成分をこちら側に引っ張りだす際に、魔導弾として再構成されるのです」
「つまり僕たちが魔導として使っているものは、もともと異界の物質ってことですか?」
「その通りです、シオン・ルブラン。それが顕著だと言えるのが、召喚魔導ですね。あれは異界生物を呼び出して使役する、極めて難易度の高い魔導です」
「なるほど……」
「魔導のことを別名で『異界物質』と呼ぶ訳はこういった理由です。また、その難易度の高さを『異界レベル』と言うのはその物質の神秘の強さに関連しています。例年の傾向を見る限り、この辺りがテストに出るので、しっかり覚えておいてくださいね」
「はーい」
「なかなか分かりやすいニャ」
せっせとノートを取り始めた生徒たちを見渡して、フジバナは丁寧な図を黒板に刻んでいった。前日、徹夜していたダンテは結局授業が終わるまで、目を覚ますことはなかった。
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