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第8話 大英雄、愚痴る
しおりを挟む「どうした、悩み事?」
気が付くと俺の横にはリタが座っていた。背の高い細身の身体つき。袖をまくったシャツからは、小麦色に日焼けした肌が見えている。
「なんだ、暇になったのか」
「暇じゃないよ。心配してるの。ため息ばかり付いちゃって、もう」
そう言いながら、リタはおかしそうに笑った。
パトレシアが色白で自分の畑以外ではあまり外に出たがらないのに対して、リタはその何十倍も活発だ。パトレシアと一緒に暮らしてはいるが、リタはこのカサマド町を中心に行動している。引っ越してからすぐにこの町の商会のトップにまで出世した。
「リタちゃん、こっちこっち。肉野菜炒め追加で!」
「はいよー、ちょっと待っててねー!」
もちろん、その美貌の評判も高い。
人当たり良く、快活な彼女を目当てに来る客も多い。今日もリタは客たちから声をかけられては、元気良く店の中を行ったり来たりしていた。
客との景気の良いやり取りの後で、リタはグラスを持って俺の隣に戻ってきた。
「はい、乾杯。店長権限で非番にした」
バンダナを降ろしたリタは、持っていたグラスを俺の頬に押し当てた。ひんやりとグラスが冷たい。
「顔が元気ないよ。この席だけ湿気ってる。おかけで店の景気が悪くなる」
「悪いな」
「ね。浮かない顔をしてちびちびビールを飲んでたんじゃ、せっかくの良い男が台無し」
「……なぁ、俺の顔を見て嫌な気持ちになったことはあるか?」
「は?」
グラスを傾けながら、リタは怪訝そうな顔で首をかしげた。酒を飲んでゴクリと喉を鳴らしたあとで、彼女はしげしげと俺の顔を見た。
「どうだ」
「ちょっと暗いところはあるけど、良い顔だよ。私は好き」
「……そうか、どうも」
「はいはい。褒めたから悩みを聞かせて。世界を救った大英雄にどんな悩みがあるのか」
「別に大したことじゃないぞ」
「良いから良いから」
やたら聞きたそうにリタは俺に寄ってきた。興味深げな顔で、上目遣いで俺のことを見てくる。こういうところは本当にパトレシアとそっくりだ。
「分かった、話すよ。実はさ……」
酒と肉をつまみながら、レイナのことを話す。
最近のレイナは俺とまともに会話しようともしないし、目を合わせようともしない。前まではこんなはずではなかったような気がするのだが、今日の態度はあからさまに何かを隠しているようだった。
話を一通り聞いたリタは腕を組んで、うーんとうなった。
「本当に大したことじゃなかった」
「いや、深刻だからな。レイナとも長い付き合いだし、今更隠し事とかされるようなのは若干傷つくんだけど。触らないでください、とか」
「別に嫌われている訳じゃないと思うけど。あ、もしかしてレイナちゃんに恋人が出来たとか……」
「…………え」
頭が真っ白になる。
「あ、うそうそ! ごめん、本当にごめん! 泣かないで!」
「脳が……壊れる」
「マジでやめて! レイナちゃんに他に恋人が出来てたら、気付かない訳ないでしょ。狭い村なんだから!」
「……それもそうか」
良かったホッとする。大脳皮質は守られた。
それならなぜと言うと、リタは悩んだように天井を見上げた後で、ポンと手を打った。
「分かった。照れてるとか?」
「照れてる?」
リタにそう言われて、サッと振り払うように俺の手から逃れたレイナを思い出す。照れてるとかではない。心の底から触れるのを避けていた。
「それは無い」
「そうかなぁ。実際問題、あんたが女に嫌われるっていうのは考えられないけど。だってモテモテだろ」
「……それは、否定できない」
『異端の王』を倒した大英雄として迎えられた俺は、一気にモテ期へと突入した。街を歩けば女性から声をかけられて、実を言うと隣国の姫からの縁談も来ている。
今まで(前世も含めて)では考えられなかったことだ。嬉しいといえば嬉しいけれど、知らない人から好意を寄せられるのは不思議な気持ちだ。
「俺が好意を寄せらせるのは単なるレッテルみたいなものだろ。大英雄とかそういうところじゃないところを、見て欲しいんだ」
「思春期みたいなこと言うね。レッテル万歳じゃないか、謙遜するなって」
「だからさ……」
「大丈夫。レッテルが剥がれたとしても、あんたは十分良い男だよ。少なくとも私みたいにあんたを知っている人間からしても、ちゃんとした魅力がある」
「魅力……ねぇ」
「果報は寝て待て。あんたにお客さんだよ」
リタは俺の肩をポンポンと叩くと、指で酒場の入り口のところを指差した。
振り返るとナツが歩いてきていた。昼間の動きやすそうなシャツから着替えて、可愛らしいワンピース姿になっている。俺の姿を見とめると、ナツは手を振ってこっちの方に歩いてきた。
「ナツか」
「やぁやぁ、アンク奇遇だね。1人?」
「寂しいことに。良かったら一緒に飲もう」
「やったー! リタ、わたしもビールちょうだい!」
リタが並々注がれたビールをナツに渡す。嬉しそうにジョッキを受け取ると、ナツは一気に飲み干した。ゴクゴクと喉を鳴らして、うまそうに空のジョッキをテーブルに置いた。
「良い飲みっぷりだ」
「8歳の頃から飲んでるからねー。ほらサラダ村祭りの夜に聖堂の神酒を盗んだじゃん。覚えてる?」
「そんなこともあった。懐かしいな」
ナツと俺はいわゆる幼馴染だ。
子供のころから一緒だったナツとは、たくさんの思い出がある。俺がサラダ村を旅立つまでに、良く遊びまわった。それまでの思い出話を数えるとキリがない。
女神の命によって生き返った俺は、最初は世界の危機とやらにピリピリしていたが、どうも何かが起こる気配がないので、徐々に忘れて魔法世界での生活を楽しむようになっていた。
特に子ども時代は良かった。
童心に帰って、ナツと一緒にいたずらの限りを尽くした。聖堂の神酒を盗んだのはシャレにならなくなるほど怒られたが。
「聖堂はまだあるのか?」
「移転の時に放棄されちゃったよ。後継がいなくなっちゃったらしくて」
「そうか、サラダ村祭りもなくなっちゃったしな」
「寂しいねー」
サラダ村は最近、移転している。
今あるサラダ村は以前あった場所から、少し離れたところにある開拓地だ。子どもの頃遊んだ面影は当然ない。帰ってきた時に俺の故郷はもうそこに無かった。
そんな中でナツがいたことは、俺にとってありがたかった。
彼女の明るい性格は変わっていなかった。長い時を経ても、そこに変わっていないものがあるというだけで、ホッとした気持ちになれた。
しみじみと昔の話をしていると、ナツが俺の肩をとんとんと叩いた。
「アンク」
ガタリと椅子を動かして、ナツは俺に寄ってきた。近くで見ると、彼女の唇には薄いピンクのルージュが引かれていることに気がついた。普段の印象とは違って、大人っぽくも見える。
「あの……悩み事があるんだって?」
「お、おう」
「そのことなんだけど」
……いや、何も変わっていないわけではなかった。ナツだってもう子どもじゃない。
服装も、身体付きも、化粧も。野を元気に駆ける少女から変わろうとしていた。
小さく細いナツの手が落ち着かなく、テーブルの下で動いていた。
「もしかたら魔力、足りていないんじゃない?」
「魔力……」
「そう魔力不足。魔法を使ったら魔力炉が空っぽになるじゃない。きっとちょっと疲れているんだよ」
辺りを気にすることもなく、ぴったりと身体を寄せて、彼女は囁くように言った。
「良かったら、今からうちに来て、魔力を貯めていかない?」
蠱惑的、とも思える色っぽい笑みをナツは俺に向けていた。
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