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第31話 大英雄、誘う
しおりを挟む翌朝になって俺が階下に降りていくと、レイナはすでに朝ごはんの準備をしていた。昨日余った餃子の皮を使って、スープを作っているようだった。
塩味と鶏ガラの効いたスープの良い匂いが、食卓に漂っている。
「おはよう」
「おはようございます」
スープの味見をしながら、俺の方を見たレイナはいつも通りのクールな表情だった。昨日の会話を聞いていたような感じは無い。
「おっはよーう」
「おはようございます」
間も無くして、サティがボサボサの寝癖のまま階段を降りてくる。青い髪のところどころからピョンピョンとアホっぽい毛が飛び出している。
食卓に着くなり、サティはクンクンと鼻を動かして、子犬のような笑みを浮かべた。
「良い匂いだねぇ。鶏ガラのスープ?」
「はい。先日、ナツさんから鶏を分けてもらったので。サティさんは良く眠れましたか?」
「うん、ぐっすりと眠れた。私は眠りが深い方なんだ。だから、隣の部屋でどんなに声をあげても眼を覚まさないから、安心してくれ」
「声……?」
その言葉に、レイナは不思議そうな顔をして首を傾げた。
……本当に節操がない。
昨日の「早く性行為をしろ」というのはどうも本気らしい。しかしこんな朝っぱらから下ネタで責めるというは、果たしてこの女神は正気なんだろうか。
「どういうことでしょうか……?」
「何でもない。こいつの言うことは気にするな。ご飯を食べよう」
「……? ……はい」
サティからチッと舌打ちのような音が聞こえた。
レイナがスープを食卓に並べる。ふんわりと、良い出汁が香っている。随分と早く起きて、味付けをしていたようだ。カリカリにトーストしたパンと合わせれば、これ以上無い朝ごはんだ。
「いただきまーす」
早速、食べようとパンに手を伸ばしたら、サティが俺の肩をつついて棚の方を指差した。
「ねぇ、私、いちごジャムよりオレンジジャム派なんだ。取ってくれないか」
「なんで俺が……」
「君の方が近いじゃないか。早く早く、冷めちゃうよ」
急かされるように突つかれて、仕様がなく腰をあげる。棚の上の方に置いてあるオレンジジャムを取り出す。
目ざといやつだ。パトレシアからもらったオレンジジャムは、この前作ったばかりで楽しみに取っておいたものだったのに。
「ほらよ」
「ありがとう。うん、良い匂いだ」
そう言いながら、サティはスプーンで大量のオレンジジャムをすくうと、べっとりとパンに付けた。どう考えても分量がおかしい。あれじゃあ、ジャム付きのパンじゃなくて、パン付きのジャムだ。
「お前、貴重な果肉部分まで……!」
「うまい、うまい」
サティは俺の視線を気にすることなく、むしゃむしゃとパンを貪った。早いところこの女神を追い出さないと、我が家の食糧がまた枯渇してしまう。
さらにジャムを重ね塗りしている女神を横目に見ながら、パンを一口。そして、手元のスープを飲む。
ん?
「っっっっっっっ……!!!」
スープを口に含んだ瞬間、痛み、熱さ、痺れ、それから激痛が走った。
いつもの幻覚、じゃない。
この暴力的な刺激はただ単純に、
「かっっっらっっっっぁあああ!!!」
味覚器官をズタボロにぶっ壊すような辛さ。もはや味ではない。弾ける爆竹を口に含んだようなシンプルで暴力的な痛み。
「ど、どうしました!?」
正面に座るレイナが慌てて立ち上がった。見ると、レイナは普通にスープを飲んでいたようだ。悪いのはもちろんレイナの味付けではない。
となると元凶は隣に座るこの女。
「てめぇ……何がしたいんだ」
「辛味を入れすぎたんじゃないか。次はパンも気をつけた方が良いと思うゾ。なんにせよ、早く仕事をして欲しいなぁ」
自分のパンをパクリと食べて、サティはわざとらしくウィンクをした。
……舌が痺れている。何が女神だ。人の朝ごはんに大量の唐辛子をそそぎ込むなんて、正気の沙汰じゃない。
サティはレイナが水を取りに行ったタイミングで、辛さに悶え苦しむ俺に耳打ちした。
「君がもたもたしているからだ。早く彼女をベッドに誘うんだ。そうしなければ、君の朝ごはんは永遠に訪れないと思え」
確信した。この女は人でなしだ。
そもそも女神であるサティに倫理が通じるはずがない。彼女はやると言ったらやる。本当にパンに唐辛子を仕込むはずだ。
「大丈夫、僕が保証する。絶対にうまくいくから。今、誘ってしまえ。君だって男だろう。レイナのことは嫌いじゃないはずだ」
俺から顔を離すと、サティはレイナの方に目配せして、再びウィンクをした。そこには当然、脅迫の意味ももちろん含まれている。
……やるしかないのか。
水の入ったグラスを持ったレイナが帰ってくる。真っ白な髪をおろして、心配そうに俺を見つめるレイナの姿は……
まぁ、確かにかわいいけれども。
「どうなさいました?」
レイナが俺の視線に気づいて、キョトンとした顔をする。大きな瞳がパチパチと俺の顔を見つめる。
「あぁ。まぁ、その……」
「スープはお取り返しました。どうして、あんなに唐辛子が……」
「それは良いんだ……それより、レイナ、今夜空いているか?」
ガチャン、と。
レイナの手からこぼれ落ちたグラスが、床とぶつかって割れた。唖然とした顔のレイナは、ワナワナと声を震わせた。
「そ、それはどういう意味でしょうか?」
「そのままの意味だよ。つまり、今夜。一緒に過ごせないかな」
「い、いっしょに?」
レイナが声がうわずって、手がカタカタと震えていた。
「そう、朝まで。君と一緒にいたい」
その言葉にレイナの顔が固まる。
数秒後、言葉にもならない声で、叫んだ。
「……ぁ……!」
耳の先端まで、真っ赤に染まったレイナはテーブルの下を見ていた。声を震わせて、レイナはなんとか言葉を吐き出した。
「そ、それは、そういう意味でとらえてよろしいのですか」
「うん、そうだ。今夜、君を抱きたいんだ」
頷いて、レイナの方をまっすぐ見つめる。
サティのアドバイス通り。直接的にまっすぐな言葉で。
「だ、き、た……!?」
拳を握りしめてその言葉を繰り返したあと、レイナは大きく深呼吸した。
そして呼吸を落ち着かせると、唐突にガタンと勢いよく椅子を蹴り飛ばした。衝撃でキッチンの方まで吹き飛ばされた椅子が、激しい音を立てた。
「レ、イナ………?」
それは、あまりのスピードに何が起こったのか分からないほどだった。
「バカっ……!!」
レイナの叫び声。
バチン!、と頬に鋭い痛み。
お星様が頭の中で激しく輝く。「バカ」とレイナの叫びが俺の中で何度も鳴って、エコーする。
「こんな朝っぱらから何を言っているんですかっっっ!?」
あ、当然だ。
顔を鬼のように真っ赤に染めたレイナは、頬に手を当てて宙を見ていた。
「……やっぱダメだったかぁ」
そう言ったのは隣に座っていた女神。倒れた俺を見下ろしながら、サティはのんきに俺の分のパンをかじっていた。
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