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第66話 大英雄、抱っこする
しおりを挟む「もう記憶を引き出そうとするのは止めてください。どのような形であれ、私から秘密を聞き出そうとするのは、アンクさまがやるべきことではありません。だから、もう私に気を使わないでください」
レイナの勘は決して鈍い訳では無い。
俺たちが彼女から記憶を引き出そうとしていることは、バレていてもおかしくないとは思っていた。
誰にだって見られたくない記憶ある。誰にでも秘密はある。
俺がやろうとしていることは、レイナの領分に不用意に踏み込むことだとは感じていた。
ただ……それとこれとは別問題だ。
「レイナ、あのさ」
「はい……」
「俺がコンサートに一緒に行こうって言ったのは、別にレイナの記憶を引っ張り出そうと思ったからじゃない」
悲しそうに目を伏せる彼女に素直な気持ちを言う。
「本当に一緒に行きたいって思ったからだ。この一件とは関係が無く、俺は君のことを誘っていた。だから、それだけは信じてほしい」
「アンクさま、そんな」
レイナは俺を見上げると、慌てた様子で言葉を続けた。
「わ、私はそういうことが言いたかった訳ではありません。ごめんなさい、私こそ失礼なことを言ってしまいました。そうですよね、せっかく誘ってもらったのに。ひどい言葉でした」
「いや、勘違いさせるようなことをしたのは俺の方だ。レイナが謝ることじゃない」
「ですが……」
「もう記憶のことは忘れよう」
レイナの言葉に首を横に振る。
今は、このデートを楽しみたい。この瞬間が幸福なら、俺はそれで良かった。
「普通に楽しもう。次の任務がどうこうとかいう話は置いておいて、今日は出かけるには良い天気なんだし」
「良い……天気」
「だろ?」
不安そうに俺のことを見ていたレイナは、木々の隙間から見える太陽の光に目をやって微笑んだ。
「そうですね。今日はとても良い天気です。……こんな日が訪れるなんて、私は思っても見ませんでした」
俺たちは今のところ、何も気に病む必要は無い。何にせよ幸福なのだから、その感情に間違いはない。
「本当に……良い天気です」
レイナは感慨深げに言った。
目を閉じて、風や空気や太陽の暖かさを感じて、大きく息を吸い込んだ。
歩いていくと、リタが言っていた通り広い川に出た。両端を森に囲まれたゆったりとした流れの川だった。
「ここを渡れば近道ってことか」
水深はそこまで深くなさそうだ。
ちゃぷんちゃぷんという水を弾く音が耳に心地よく、底まで見える透明な河底では魚たちが気持ちよさそうに泳いでいた。
森の木漏れ日が差し込む河の水面は、光を反射してキラキラと輝いていた。涼しげな空気をまとった河の向こうには、色とりどりの花々が咲いていた。
「綺麗ですね……」
「ここはあまり変わっていないな、良かった」
「えぇ、とても良いところです。水も冷たくて、すごく気持ちが良いです」
レイナが川の水を手につけて様子を確かめていた。彼女の隣に座って手を伸ばすと、ひんやりと気持ちの良い水の感覚が指先に触れた。
川を渡れば、カルカットまで一直線に続く国道に出る。そこから歩いていけば、コンサートまでには余裕で間に合うだろう。
「さぁ、もうちょっとだ」
リタからもらった魔法薬で元気も出たし、と思って足を進める。
ひんやりと冷たい川はレイナが言った通り気持ちが良く、足元に触れる砂利のザラザラした感じもくすぐったくて心地が良かった。
ちゃぷちゃぷと水を弾きながら進んでいく。流れもゆったりとしていて、歩くことは簡単だった。
「おー、冷たくて気持ち良いぞ。レイナも早く来いよー」
「……あの」
だが、レイナがなかなか歩いて来ようとしていなかった。俺が歩き始めているにも関わらず、彼女はまだ川岸で立ちすくんでいた。
「レイナ、どうした?」
レイナは川を見つめながら、困った様子で口を開いた。
「あの……失敗してしまいました」
「失敗?」
「川を渡れば、服が濡れてしまいます。アンクさまにもらった綺麗な洋服を、こんなところで濡らす訳にはいきません」
「ちょっとスカートを捲りあげれば? そんなに深くないぜ」
「いえ、万が一ということもあります。両手が塞がってしまいますし、不測の事態があるかもしれません」
レイナの運動神経なら問題無いと思われるが、そこまで心配するなら強要は出来ない。
「裾を腰のところで結べば?」
「下着が見えてしまうかもしれません」
「だめ?」
「だめです。服がシワになってしまうのも嫌です」
レイナはブンブンと首を横に振った。
川はところどころに石が見えているが、川幅も広くジャンプして渡るのは無理そうだ。水に足を浸けなければ、進むことはできない。
しかし、今更引き返している時間はない。
ここから橋がある方向までは、かなり遠く、歩いてきた道を戻ることになる。さすがに今から移動ルートを帰るというのは困難だ。
「こまりました……どうしましょう……」
レイナは川に視線を落としながら、悲しそう呟いた。
意を決して水の中に脚を浸してみてはいたが、すぐに引っ込めてしまう。
「こまりました、こまりました……」
どんどんと沈んだ表情になっていく。
彼女にとってこの服が大事になったことはかなり嬉しいことなのだが、これでは先に進めない。
そうなると……これしかないか。
「レイナ、ちょっと失礼」
「え……ひゃ、ひゃあっ!」
川岸に戻って彼女の身体を抱える。水に濡らさないように、身体の前の方でレイナをお姫様だっこする。
「俺が抱えて進めば問題無いだろ。しっかり掴まってろよ」
「あ……わ……」
俺に抱きかかえられたレイナは目を白黒させて「何が起こっているか分からない」というように、口をパクパク動かしていた。
「はわわわわ」
「これならオッケー。一緒に行こう」
「アンクさま、そ、そんな……」
「ダメか?」
「ダメ……ではないですけど」
顔真っ赤にしたレイナは、恥ずかしそうに視線を伏せた。緊張したように呼吸を乱していたが、やがて意を決したように小さな声で囁いた。
「お、お願いします……」
—————やる気がもりもり湧いてきた。
レイナの身体は軽く、綿でも持っているかのようだった。こんなに軽い人の身体を持ったのは初めてだった。
俺の首の後ろに手を回したレイナは、身体を強張らせながら、時折おそるおそる流れる川の方を見ていた。
「怖いか?」
「いえ……こわく、ないです」
「声が震えているぞ」
「……少し怖いです。誰かに身を委ねるというのは中々に怖いことなのですね」
困惑したように視線を動かしながら、レイナは言った。ふるふると震えながら、つかむ腕に力を入れていた。
その分、レイナと俺との身体の距離が縮まっていく。
「すいません、重くはないですか?」
「全然。羽根でも持っているみたいだ。ちゃんとご飯食べてるか?」
「食べています、1日2食……あの、歩きにくくはないですか?」
「いや、全く。バケツを運ぶよりも楽だよ」
「よ、良かったです」
よほど慣れないことなのか、レイナの身体は湯たんぽのようにどんどんと熱くなっていく。顔真っ赤にしたレイナは所在無げに、辺りをキョロキョロと見回していた。
しばらくすると、レイナは言葉を発することもなく震えていた。
そんな彼女の様子がおかしいと気がついたのは、川の半分辺りに進んできた時だった。
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