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第90話 彼が見たもの
しおりを挟む「ゆ……め、か」
目を覚ました時、俺は正直安堵していた。今まで見ていたものが現実ではなく、自分が当事者ではないことにホッとしていた。
「レイナ……」
これはやはり彼女の記憶だ。子どもさらいの後の記憶。
この孤児院にあるという推測は正しかったのだと、確信した。
「アンク、大丈夫?」
「あぁ、なんとか……」
パトレシアに手を貸してもらってなんとか立ち上がる。
……気分が悪い。
この痛みは彼女が実際に味わったものだ。どろりとした血の味は、喉の奥で未だにへばりついているように思えた。
「また1つ、記憶のピースを見つけたみたいだね」
パトレシアとナツが俺のことを心配そうに見つめている横で、サティが言った。その瞳は俺が何を見たのか、理解しているようだった。
「サティ、おまえ知っていたのか。ここで何が起こったのか」
「人体実験だろ。孤児や奴隷の子どもたちをさらって、何を起こしたいかはだいたい想像がつくけれど……詳しく聞かせてくれるかい?」
「……ひどいもんだった」
3人に俺が見た記憶のことを話す。子供を連れ去り、強制的な血の儀式が行われていたことを聞くと、ナツとパトレシアの顔はサッと青ざめた。
「そんなことが、この場所で?」
「孤児院というのはカモフラージュだったのね。実態は邪神教による儀式の場。それも子どもを使うだなんて、ひどすぎる……」
「あいつらはここで『異端の王』を誕生させると言っていた。つまり……『異端の王』というのは血の儀式によって作られたものだったのか」
血を飲みこんだ感触を思い出して、吐き気が込み上げてくる。
単純な魔力の流入だけではない。
もっと深い感情のようなものを、あの血は内包していた。
「体液による魔力共有は、深度を上げすぎると感情の同調へと繋がる。心臓に近い差し出されたら、それはもはや呪いに等しい。ましてや、それが負の感情だったとしたら、人格は崩壊していくだろうね」
子どものレイナが味わっていたものは、おそらく教祖と呼ばれる人間の記憶だ。目の前で家族を焼かれた憎しみ。異端者として迫害された深い恨みが、レイナの中に流れ込んできていた。
「……くそっ!」
出来れば、今からでもあの2人を助けたい。邪神教から救い出して、血の儀式なんてものをぶっ壊してやりたい。
しかし、これは全て過去に起こったことだ。事態はすでに手遅れで、俺はそれを見ることしか出来ない。
それが歯がゆくて仕方がない。
拳の振り下ろす先すらも分からずに、震えているニックに問いかける。
「お前は、この下で血の儀式を見たんだな」
「お、俺は何もしてねぇ。本当は関わりたくなかったんだ! ただ古い縁で、手伝っていたんだだけだ! 他にどこにも行く場所が無かったんだよ、信じてくれ!」
男は狂ったように叫ぶと、今度は怯えたように泣き始めた。
「扉なんか……開けなければ良かったんだ。あんなもの、見なければ良かった。あんたが思っている以上に、血の儀式はずっとひどいものだぞ……」
「何があった、そのとき」
彼は言葉にするのもためらっていたが、ゴクリと唾を飲み込むと吐き出すように言った。
「子どもが……死んでいた」
「死……」
最悪の事実に鳥肌が立つ。
ニックはガタガタと歯を震わせながら、言葉を続けた。
「あんたが言ったように、教祖さまが子どもに血を飲ませていた。自らの心臓を差し出して、さらってきた子どもに無理やり食わせていた。俺が見たとき、その子どもは苦しそうな声で叫んでいた」
ニックは自らの記憶から逃れるように自分の耳を塞いだ。
彼が言うところによると、そのとき、透明化の能力を使って血の儀式の一部始終
を見ていたらしい。子どもは女の子が1人と、男の子が1人だった。
呻いて、苦しみ始めたのはやせ細った男の子の方だった。
「叫んでいた子どもから、どすぐろい魔力が漏れ始めた。今までみたどんな色より真っ黒な色だった。それから恐ろしい量の蒸気が子どもの身体から出てきて……」
「……どうなった」
俺が問いかけると、ニックは小さな声で「弾けたんだ」と言った。
「はじ……けた?」
「身体が風船みたいに膨らんで……弾けた。魔力が蒸気みたいに溢れて、後には黒い塊だけが残った」
「血を飲んだだけで……?」
ニックは小さくうなずいた。
「俺は恐ろしくなって逃げ出した。ありゃあ人間がすることじゃねぇ。地下に隠れて、教祖さまたちは恐ろしい儀式に手を出していたんだ」
子どもたちの命すら厭わない実験。
ナツとパトレシアは言葉を失い、真っ青な顔でニックの話を聞いていた。彼の言葉に返答することが出来たのは、サティだけだった。
「ニック、ここには何人の子どもが運ばれた?」
「……100人以上はいたはずだ」
「だろうね。当時のイザーブは人口超過だったと聞く。それこそ放っておいたらのたれ死ぬ子どもたちが、ネズミのようにいただろ」
サティは自分の推測を確かめると、小さく頷いた。
「何人もの子どもを必要とするということは、犠牲が出ることは前提だったんだ。『異端の王』が1人で良いのなら、さらうのも1人で良い」
「じゃあ、何人もさらっていたってことは……」
「失敗が前提だったとしか考えられない。彼らにとって血の儀式というのは、不確定な現象だったんだ。だから何人もの子どもをさらっていた」
「だからって……こんな酷いことをすることは無かったはずだ。なんの罪も無い子どもを攫うなんて、人間のすることじゃない」
「人間じゃないよ、君の言う通りだ。彼らは人間をやめたんだ。邪神教の連中は、人間を人間だとも思っていない」
レイナの記憶の中で教祖が同じようなことを言っていたことを思い出す。
『私はもはや人間ではないのだと、知った』
あの憎しみの感情は嘘偽りではなかった。
だから彼らは子どもだろうが、何だろうが殺すことが出来た。
理解できない憎しみだ。
今思い出しても、吐き気が込み上げてくる。けれど俺はこれから、さらなる記憶のピースを追わなければならない。
きっと、この先にはさらに陰惨な記憶が待ち受けているはずだ。
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