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【私の罪(No.12.1)】
しおりを挟む「……なによ、それ」
私に心臓を差し出す彼を見て、思わず呆然となった。
この子は一体何を言っているんだろう。その意味を本当に分かっているのだろうか。
「だから、僕の心臓を食べてって」
「そうじゃない! あなた……自分から死にに来たってこと……!?」
脈打つ心臓は本物だ。ここには彼の魂が入っている。
魔力を流す器官を失えば、彼は1日と生きることは出来ない。
そのことを知っているはずなのに、彼は平然と言った。
「そう、死にに来たんだよ」
「ただ、死にたいって訳じゃないでしょ。何が目的……?」
「心臓による魔法の継承だよ。僕の心臓を食べて、お姉ちゃんには『世界の目』を引き継いで欲しいんだ。そうすることで、お姉ちゃんの存在は女神に見つからなく済む。僕という『異端の王』が死んで、お姉ちゃんという『異端の王』は秘匿される」
「あなたは……」
「僕は死ぬ。もうこの魂の一辺にさえ、もう生きる意味は残されていない」
弟の手のひらで鼓動する心臓は、一定のリズムを刻んでいた。
どくん、どくんと跳ねるように躍動するたびに、吸い込まれるのではないか黒い闇を発していた。
「要はバレなければ良いんだよ。お姉ちゃんの存在を女神から隠すためには、『世界の目』を失うわけにはいかない。そして、その器に足るのはお姉ちゃんしかいない。僕の心臓を食べられるのはお姉ちゃんしかいないんだ」
信じられないようなことだった。
そうまでして、彼は私に生きて欲しいと言っている。
「……どうしてそこまでするの?」
「弟として最後に出来ることだよ」
彼は照れ臭そうにはにかんだ。
「さっき、お姉ちゃんは生きるのを楽しいって言ったよね」
「……うん」
「じゃあ、それを応援するのが弟として最後に出来ること。僕に残された人間性が最後にやることなんだ」
彼は洞窟のすみで、深い眠りについているアンクのことを見た。静かな寝息を立てるアンクは深い眠りについていて、当分起きる様子はなかった。
「あの人がお姉ちゃんにとって最も大切な存在で、それが生きる楽しみになっているなら、お姉ちゃんはあの人ともっと生きて良いはずだよ」
「……でも、あの人は女神の遣いで、『異端の王』の敵よ。そんな彼騙すことなんて私には出来ない」
「良い方法がある。『異端の王』の力に「記憶改ざん」がある。それを使えば良い」
弟は鼓動する心臓を指で撫でると、青く発光させた。夜明け前の星のように静かな輝きを見せた心臓は、鼓動のリズムを早めた。
「記憶をいじれば良いんだ。【自分は『異端の王』を倒した。だから、自分が最も身近にいる『異端の王』には気がつかない】そういう暗示をかければ良いんだ。そうするだけの魔力がここにある」
「違うよ……私が言っているのは方法じゃなくて、気持ちの問題」
「気持ち?」
「私はこの人を裏切りたくない」
この人はずっと『異端の王』を倒すために旅をしてきた。地獄のような戦場を駆け抜けて、それでも人々を救おうともがいてきた英雄だ。
彼の苦労を側で見ていた人間として、彼の気持ちを裏切るわけにはいかない。
「『異端の王』は死ななければならない。これは絶対よ」
「じゃあ、お姉ちゃんは自分の幸せを諦めるんだね」
「う……ん」
「言っておくけれど、これ以外の方法では逃げ切れない。この人の記憶を改ざんしないと、お姉ちゃんはおろか、この人も死んでしまう」
「アンクが……死ぬ?」
弟は大きく頷いた。
「女神の使いは契約を破ると、魂を没収される。『異端の王』を殺さないと判断した時点で彼は死ぬ。だから、彼はお姉ちゃんと僕を殺すしかこの人に道はないんだ」
アンクが私を殺す?
殺すのを何より嫌っていたこの人が、誰かを殺さなければ生きることが出来ない?
「だってこの人は女神の使い、で……」
「女神の使いなんか幾らでも代わりはいる。この人がいなくなったところで、違う神託の英雄がお姉ちゃんを殺しにくる。この人が『異端の王』を殺せないと知ったら、女神は迷いなくこの人間を廃棄する」
「そんな……」
「さらに言うとね。教祖の心臓を取り込んで『不死』を持っているお姉ちゃんは自ら死ぬことが出来ない」
弟は「もう道はないんだよ」と私に言った。
「問題は簡単なんだ。お姉ちゃんは自分の欲望に従えば良い。僕の心臓を食べて、彼と生きる道を選べば良い、それだけのことなんだ」
それは罪だ。
この上なく甘美な悪欲だ。描いてはならない夢だ。女神から背信して、世界を裏切って、好きな人を騙して、そこまでして生きたいと私は思っていない。
「違うよ。それは裏切りじゃない。第一、世界が僕たちに何かをしてくれたことなんて、一度もない。僕たちが何かに従う必要なんてこれっぽちもないんだよ」
「でも、私はもう十分……」
「十分生きた? 十分幸福だった? 違う違う、そんな諦めを僕は見たくない。そんな嘘を僕は聞きたくない」
「嘘……じゃなくて……」
「嘘、だよ。お姉ちゃんはこの人とずっと一緒にいたいと思っている」
頼みごと、とはこれだったのか。
彼はまた、あの懐かしい目に戻っていた。彼の唯一の望み。彼に残された唯一の人間性。
彼の目は私を捉えて離さない。
「お願いだから、希望を捨てないでよ、お姉ちゃん」
彼の言葉にノーと言えない。
希望というのは毒だ。口に含んだらもう取りこぼせなくなる。そこにあると知ったら、どうしても振り返らずにはいられなくなる。身体を侵食して、手放せなくなる。
私は生きていて良いのだろうか。
彼と生きていて良いのだろうか。
私を殺してと頼むのか。私と生きてと頼むのか。
その希望は罪だ。
その希望は破滅への道だ。
「…………少し…………考えさせて」
弟は目を閉じて私の返答を聞いた。
「分かった。明日また来る。それまで、この洞窟を雪で閉ざすよ」
弟はそういうと音もなく間に消えた。夢でも見ていたように、弟の気配は忽然と洞窟の中から消えていた。
残された私は隣で眠るアンクに目をやった。
「彼に何て言えば良いんだろう」
考えても答えは出ずに、私は知らず知らずのうちにまどろみの中へと落ちていった。少なくとも明日起きれば、彼が隣にいる。
それもまた希望であり、毒だ。
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