四匹の猫と君

花見川港

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君の願い(3)

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「いっ、てぇっ!」

 一階に背中から落とされ、全身に響いた衝撃に悶える修治の足が何かに引っ張り上げられる。常ノ梅の横で笑った女、笠元を見つけたあと修治たちの前に現れた最初の女が、その細い片腕には不釣り合いな力で修治を引きずってどこかへ行こうとしている。

 背中を擦られる感覚に修治は苦々しい表情を浮かべた。

 痛いのは嫌だってのに!

「止まれ!」

 二階から飛び降り、足をついて綺麗に着地を決めて叫んだ常ノ梅に、嘘だろ!?、と修治は目を瞠る。追いかけてくる同級生の姿から、執念のようなものを感じて背筋が震えた。

 大広間らしき場所に入ったところで常ノ梅の手は修治に届いた。常ノ梅に睨みつけられた女は、ひきつけ起こして蝋燭の火のように掻き消える。手首を締め付けられる痛みに修治は「離せ」と口にした。

「ごめん」

 常ノ梅はあっさりと手を離す。

 カッカッと床で爪を鳴らしながら、猫たちは座り込む修治を囲んだ。

 制服は破けていないが、背中の皮は何箇所か傷ついているのだろう。ヒリヒリと痛む。

 大広間の入り口は扉で閉ざされ、修治たちは再び出口を失った。

 ——梅様。

 大広間を彩る大きなステンドグラスの窓の下に、執事服の男が立っていた。一見、欠けたところのない、生者と変わらないその男は、常ノ梅に向かって一礼した。

 ——ようこそいらっしゃいました。梅様。

 修治はちらりと常ノ梅を窺う。

 こいつのことだよな。

 常ノ梅は修治を背に庇う形で男と目を合わせる。

「貴方は……」

 ——坊っちゃまはもうすぐ参ります。しばしこちらでお待ちください。

「いえ。僕たちは帰ります」

 常ノ梅に促され、修治は立ち上がる。

 男は、なりません、と言う。

 ——坊っちゃが参ります。お待ちください。

「会う気はありません」

 恐れることなく常ノ梅は言い切った。男は瞼を痙攣させながら、膝をついて懇願した。

 ——お救いください梅様。お救いください、坊っちゃまをお救いクダサイクダサイスクイスクイヲ——

 それは祈りであった。

 ——坊っちゃまをころ、コロ、コロコロコロコロさあければ、シナナイ、アアボッチャマッ!

 それは叫びであった。

 頭を描きむ擦り出した男を見て、常ノ梅が呟く。

「そうか。貴方が日記の」

「側仕えか」

「うん。そして、鷹田家長男を——主人を殺した人」

 側仕えの日記には、これから・・・・犯す罪の告白が書き残されていたという。

 主人を止めるため、主人の望みを叶えるため、側仕えは、その手で主人を殺し、その罪を以て自らの命も絶とうとしていた。主人を苦しめないために薬で深く眠らせてから、と段取りもご丁寧に書いてあったそうだ。

 以降の記述はない。しかし、彼も彼の主人もこうして未練たらたらに現世に残っているところを見ると失敗したのだろう。

「つまり、あいつが今も彷徨いながら自殺を繰り返してるのは、こいつのせいか」

「どうして?」

「眠っている間に殺したから、死んだ自覚がないんだ」

「そんなことがありえるの?」

 常ノ梅は目尻を下げて、楽しげな表情をしていた。その意味がわからなかったけれど、深く考えることはせず、修治は頷く。

「自分が死んでることに気づいてない幽霊なんて、よくある話さ」

 まったく、不幸なことだ。

 終わるはずだったのに終われなかったなんて、同情せずにはいられない。

「……松原君」

 あたたかい手に握られ修治は固まった。顔を伏せても向けられる視線を意識しないではいられない。

 こいつは、なんなのだろう。

 幽霊よりも得体の知れない同級生。

 側仕えに「梅様」と呼ばれた少年。

 この地を支配した常ノ梅家の末裔。

 なぜ、自分はあのとき、彼の言葉に従ってしまった。

 なぜ、幽霊たちは彼を恐れる。

 なぜ、こいつは俺を見放してくれないんだ。

 胸の内から重みが消えていく。空っぽ。いや、底のない抜け穴のこの胸には、もとから何もなかった。

 静水のごとき感情が冷え切って、目の前の現実がガラス越しのように感じた。

 ——コロスボッチャンコロシタクナイボッチャンコロスコロスナイナイコロス——

 側仕えは顔を手で覆って呻いていた。指の間から、瞬きをしない目がぎょろりぎょろりと動いているけれど、そこには何も写っていない。



 男は、主を憐れんだ。

 これ以上、嘆き、傷つく主を見ていられなかった。

 禁を犯してでも安らかにしてやりたかった。

 薬で深い眠りについた主の胸に、研いだばかりの脇差を突き立てた。

 溢れた血に涙が混ざる。願いを叶えることで主を安楽に導けるなら、己の苦しみなど些細なこと。

 これでいいのだと、男は引き抜いた脇差を自らの首に滑らせた。

 それで終わり。

 それで、終わるはずだった。

 しかし主は再び目を覚ます。

 人としての営みを忘れ去り、ただ己を殺すことだけを繰り返す。

 己の一族を潰してもなお、主は繰り返す。

 そのためだけに、目を覚ます。

 男の声は、もう届かなかった。
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