余命僅かの悪役令息に転生したけど、攻略対象者達が何やら離してくれない

上総啓

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4巻

4-3

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 優しい言葉を聞いて逆に不安になってしまった僕は、ぽつぽつと呟いた。
 シモンは俯く僕に目線を合わせたまま、小さく頷いて続きを待ってくれた。
 その優しい反応にまた涙が浮かびそうになりながら、なんとか最後まで言葉を紡ぐ。

「おんなじこと、何回もまちがえるとね、きっとがっかりするの。呆れて、僕をきらいになるの。でも、ぼく……シモンには、きらわれたくないな……」

 ひっくと嗚咽おえつ交じりの泣き声が漏れる。
 俯いて堪えて、なんとか隠していたのに全部無駄になっちゃった。
 怖くて、不安で、ただ震えて泣くことしか出来ないでいると、ふといつの間にか回り込んできていたシモンに、ぎゅうっと強く抱き締められた。

「……シモン?」

 驚いて一瞬だけ震えが止まる。そして、気付いた。
 なぜか、僕だけじゃなくシモンまで震えていた。さっきまで優しい笑みを浮かべていた顔が、なんだか切実そうな、泣きそうな表情になっていた。

「ガッカリなんてしないし、嫌いにもなりません!」

 叫ぶように訴えられたそれに、思わず息を呑んだ。
 シモンは目を見開く僕を抱え込んだまま、再び大きく叫ぶ。

「ていうか! 同じところを何度も間違えるなんて勉強あるあるですから! 何かを一発で覚えられる人間なんて滅多にいないし、何度も間違えて当然ですから!」

 ぱちくりと瞬く。
 勢いに押されて固まっていると、やがてシモンはパッと顔を上げて宣言した。

「子供が分からないと言ったら分かるまで教える、それを何度だって繰り返す、それが教師の……いや、大人の役目です! 間違える子供が悪いんじゃなく、根気のない大人が悪いんです!」

 あまりに当然のごとく断言されるものだから、僕もうじうじと考え込む暇もなく頷いてしまった。

「そ、そう、なの」
「そうです!」
「僕……まちがえてもいいの」
「間違えてもいいんです! どんとこいです!」

 胸をポンと叩くシモンを呆然と見つめ、やがて小さく噴き出した。
 いつの間にか涙は止まっていた。
 僕は一度机に教科書を置いて、シモンをぎゅっと抱き締め返す。

「うれしい。シモンが、先生になってくれて。シモンと一緒にいられる時間、いっぱいで……僕、とってもうれしい」

 ふにゃふにゃと頬を緩めると、シモンも嬉しそうにはにかんだ。


 結局、家庭教師を雇うことは出来なかったけれど……でも、結果的に一番良いところに収まったからよかったのかもしれない。
 今はシモンと一緒に勉強をして、家庭教師の件はしばらく経ってからまた考えよう。

「──それじゃあ、授業を始めましょうか」

 アドルフ先生の時みたいに威圧的な空気でもなければ、お兄さん向けの難しい教科書でもない。
 穏やかな雰囲気と共にわくわくと鼓動が高鳴る中、今日の授業が始まった。



  攻略対象file4:最恐の暗殺者
   第一章 舞踏会


 とある寒い日のことだった。
 いつものように朝食を済ませ、ウサくんと雪遊びに行こうとした時、ふと執事が部屋にやってきてお父様が呼んでいると報せに来た。
 僕はそれを聞いてすぐに着ていたコートを脱ぎ、マフラーとネコミミ帽子も全て取り払い、慌ててお父様のもとへ向かった。


「フェリ! おはよう。今日も最高に可愛いね!」

 応接室の扉を開くと、そこには見慣れた友達――ライネスの姿があった。
 その向かいには眉間を押さえるお父様とニコニコ笑顔のお母様が座っていて、何やらカオスな状況だ。
 それに、お父様が手に持っている封筒にある紋章は皇宮のものみたいだけれど……

「ライネス、おはよう。ライネスは今日もかっこいいね」

 そう言いながら彼らに近寄り、お疲れの様子のお父様に用件を問う。

「お父さま。よびましたか……およ、お呼びですか」

 いつもの調子で聞いてしまいそうになり、慌ててシモンから教わったばかりの敬語に直した。
 こうして突然呼び出されるのは珍しいから、どんな真剣な用件なのかと思えば……ライネスまで居るのはどうしてなのだろう。
 大公子だから、普通の貴族よりもずっと忙しい身のはずだけれど。
 僕の問いに、お父様が顔を上げて答える。

「おはようフェリアル、朝から呼び出してすまない。少し面倒なことが起こりそうでね……フェリアルにも伝えておきたくて呼んだのだ」

 疲労を滲ませた様子のお父様を心配に思いながら、空いているライネスの隣に腰掛ける。
 ライネスは「突然来ちゃってごめんね、びっくりしたよね」と困ったように微笑んだ。
 僕はううん、と首を横に振る。

「大丈夫。雪あそびをね、しようかなってところだったの。雪あそびはいつでもできるから、大丈夫だよ」
「かわっ……! そ、そっか。雪遊びの邪魔しちゃってごめんね。お話終わったら、一緒に雪遊びしようね」
「いっしょ? たのしみ。ありがと」

 ふにゃあと緩みきった笑みを浮かべるライネスに、こくりと頷く。
 雪遊びは一人でするより二人でした方が楽しいから、ライネスの言葉はとても嬉しい。早く雪遊びをしたい衝動に駆られ、ライネスの言うお話について真剣に聞く体勢になった。

「おはなしって、なぁに?」

 ライネスと出会ってから一年以上が経つけれど、彼が事前の手紙もなく邸に来たのは初めてだ。
 大公家の悲劇を阻止して以来、執務がない日には、毎日のようにライネスは公爵邸に遊びに来てくれるようになった。距離が遠くて中々会えないと思っていたけれど、そんな苦労は一切見せずに毎朝手紙を送って邸に訪れて……それが日常のようになっていた。
 レオが邸に通っていた頃のような賑やかさが蘇って嬉しいけれど、それにしたって北部から東部への移動をほぼ毎日というのは辛いだろう。
 手紙なしに突然訪れたということは、もしかして今日はそのことを話しに来たのかも。
 これ以上は面倒だから来られない、とか。
 悲しいけれど、それを言われてしまえば僕は何も言えない。覚悟を決めないと、とひとりしょんぼりし始める僕にライネスが語ったのは、全く予想していなかった言葉だった。

「舞踏会のパートナーとして、私を選んでほしいんだ」
「……? ぶとうかい?」

 きょとんと目を瞬く僕に、眉間を押さえていたお父様が溜め息交じりに説明してくれた。

「今度、皇宮で舞踏会が開かれるんだ。第二皇子殿下の披露目を兼ねているからか、歳が同じフェリアルにも招待状が届いたんだが……ヴィアス公子はそれをどこから嗅ぎ付けたのか、一足先にパートナー候補にと名乗り出てきたんだよ」
「公子だなんて。私のことは気軽にライネスとお呼びください、公爵。あ、それなら私は公爵のことをお義父とうさま、とお呼びした方がよろしいでしょうか?」

 ニッコニコのライネスを、お父様は笑顔で見据えてグシャリと封筒を握りつぶす。
 大丈夫かな、その手紙、皇族からの招待状のはずだけれど。

「ははっ。公子、少々ご冗談が過ぎるかと」

 額に青筋をぴくぴく浮かべるお父様の隣で、お母様は少女のように頬を赤らめて「まぁまぁ!」と高い声を上げた。

「素敵ねぇ。青春ねぇ。公子様になら安心してフェリを任せられるわ」
「ク、クロエ! フェリアルに青春はまだ早いのではないか? それにこの男が一番危険だと思うのだが──」
「あなた。公子様に失礼でしょう? こんなにフェリに良くしてくれて、フェリだっていつも楽しそうに公子様の話をするじゃない。私はパートナーの件、大賛成よ」
「クロエ……!」

 楽しそうなお母様の言葉に、僕は照れくさくなって顔を伏せた。
 そこへ、ライネスが嬉々として顔を覗き込んで尋ねてくる。

「へぇ。フェリ、いつも楽しそうに私の話をしてくれるの?」

 その言葉に含まれている揶揄からかいを聞き取って、僕はぷいっとそっぽを向いた。真っ赤な耳がライネスから丸見えになっていることには気付かないままで。

「うぐッ‼」

 なぜか悶え始めるライネスにきょとんと首を傾げる。
 ライネスったらどうしたんだろう……と困惑していると、お父様が渋々といったように呟いた。

「はぁ……まぁ確かに、陰湿にフェリアルの貞操を狙うやからよりかは公子が幾分マシかもしれないな……」

 それを耳聡く聞き取ったライネスは、キラキラッとレオに似た爽やかな笑みを浮かべて語り始めた。

「私をパートナーとして認めてくださるということですね⁉ 嬉しいです、お義父様!」
「次にお義父様と呼んだら、以降送られる求婚状は全て燃やします」
「一枚目から燃やしているでしょうに……」

 ふいに始まる大人のお話。僕が理解出来ない話が始まったらその合図だ。
 求婚状ってなんのことだろう。疑問を二人に問う前に、ピリピリしたお父様と話していたライネスが笑顔で僕を振り返った。

「何はともあれ、やったねフェリ! 一緒に舞踏会へ参加できるよ!」
「ほんと? おかし一緒に食べられる?」
「お菓子一緒に食べられるよ。フェリはまだ九歳でダンスはないはずだから、万が一誘ってくるような男がいたらすぐに私に教えてね」

 にっこりと微笑まれて大きく頷く。

「うん。僕おどれないから、困る。だから、すぐライネスに教える」
「ふふ、いい子。フェリは本当に可愛くていい子だね。大好きだよ」
「かわいくない……けど、僕もライネスすき」

 ふにゃあと頬を緩めると、何度目かの呻き声が返ってくる。鼻血まで噴き出しているからとんでもないダメージを負ってしまったのだろう。
 今日のライネスは、なんだかシモンみたいだ。

「なんだ、なんなのだ。この雰囲気は……」
「あなた。我が子の春を見届けるのも父の役目でしょう?」
「それは分かっている! だが! だがフェリに春はまだ早い……!」

 ぐぐぐッ……と拳を握り締めるお父様が気になったけれど、お母様がゆるふわーっと宥めてくれているみたい。気にせずライネスに視線を戻した。
 ライネスは嬉しそうな笑顔を絶えず向けてきて、僕が何か話す度ふにゃふにゃと笑う。
 その様子にぱちぱちと瞬いた。

「ライネス、ごきげん?」
「うん? ふふ、もちろん。フェリと過ごしている間はいつだってご機嫌だよ」
「そっか。じゃあ僕もごきげん」
「かわッ……!」

 ライネスがぐわーっと悶え始める。またかぁ、と特に反応せず流した。
 舞踏会──第二皇子殿下の披露目。
 ゲームの過去編にはなかったイベントだから、大きな事件は起こらないはずだ。
 とにかく公爵家の名前を汚さないようにだけ気を付けよう。
 そう密かにぐっと決意する僕を見下ろし、ライネスは「雪遊びに行こっか」と爽やかに嬉しい提案をしてくれた。



  【嫌な気配】


 それから、僕はライネスとシモンと一緒に、雪の積もった庭園に出た。
 せっせと雪を丸める僕を、二人はのほほんと微笑ましそうに眺めていた。

「ウサくん、できた」

 雪で作り上げたデフォルメされたウサくん。
 毎年作っているからか、年々クオリティが上がってきた気がする。どれだけ上がったかというと、ガイゼル兄様も一目でウサギだとわかるくらいの出来栄えだ。
 まだまだ形はいびつだけれど『山作るの上手いな』とガイゼル兄様に言われていた頃に比べれば大きな進歩だ。
 長い耳を落ちないようにきゅっきゅとつけてパッと手を離す。ライネスとシモンの方を振り返ると、二人はぱあっと表情を輝かせてぱちぱち拍手し始めた。

「流石フェリアル様! ウサくんも嬉しそうです!」
「とっても上手だねフェリ。最高にキュートなウサくんだ」

 キラキラ笑顔の二人が、雪ウサくんの出来栄えをわぁっと褒めてくれる。
 抱えていたぬいウサくんをシモンが右に左にと揺らして語る姿に心がぽかぽか温まった。
 本当だ、何だかとても嬉しそうに見える。

「次はね、うにくん作る」

 褒められたのが嬉しくて、早速次の作品に取りかかろうと雪をかき集める。
 あと作っていない友達は……と考えてシモンの影であるうにくんの名を挙げると、シモンが笑顔のままピタッと硬直した。

「……えっ。う、うにくん作るんですか?」
「うん? うん。うにくん作る」

 うにくんを作ると何かまずいことでもあるのだろうか。
 きょとんと首を傾げる僕を見て、シモンが異様なほどの量の冷や汗を流し始める。それからブツブツと何やら焦った様子で呟き始めた。

「触手はちょっと……いやかなりアウトだよな……形めっちゃ卑猥だし……フェリアル様の腕前なら絶対卑猥なアレになるし……」
「シモン? どしたの、大丈夫?」

 シモンがなんだかものすごく悩ましい表情でうーんと唸る。
 何をそんなに考え込んでいるのだろう。うにくんを作るだけなのに。
 ぱちぱちと瞬く僕とぐるぐる悩み込むシモンを交互に見つめ、ライネスがふと困ったように笑った。
 僕のそばに来ると黒い手袋を取り、以前まで呪いにむしばまれていた――今はとっても綺麗な手で両頬を包み込んでくる。
 そして、ライネスはほんの一瞬だけ小さく息を呑んだ。

「……? ライネス?」
「あぁ、ごめんね。あんまりぷにぷにしていたから驚いた。ほっぺが真っ赤だったから、寒いのかなって温めてあげようと思ったんだけど……」
「ほっぺ、まっか?」
「うん。林檎みたいに染まってとっても可愛いことになっているよ」

 そう言いながら、ライネスは頬をむにゅむにゅと撫で回して上機嫌に微笑んだ。
 手袋に包まれていたからか、ライネスの手はとってもぽかぽかだ。
 包み込まれるように触れられると、その温かさにふわふわと力が抜ける。すとん、と膝を伸ばした状態で座り込むと、ライネスは僕の頬から手を離してむぎゅっと全身を抱き締めてきた。

「ほっぺだけじゃなくて全部寒かった? ぎゅーってする?」
「うぅん……ぎゅーする」
「ぐぅッ! よ、よしよし……ぎゅーしようね」

 ぎゅーっとする僕達を、シモンが苦笑を浮かべて見つめる。
 そしてふいに邸の方を指さした。

「フェリアル様の体も冷えてきたみたいですし、中で温かいココアでも飲みましょうか」

 ちょうど喉も渇いてきていた頃だったから、その提案にこくこくと頷いて手を挙げた。

「ココア飲む。チーズケーキも食べたい」
「いっぱい動いたからお腹空いちゃったのかな? 可愛いね」

 ニコニコするライネスに続いて、シモンが「よし、うにくん回避! ――ちょうど良い時間ですし、お茶にしましょうか」とにこやかに笑顔を作った。
 前の方は聞き取れなかったけど、うれしい。

「うん、お茶する!」

 コクコク頷いて立ち上がると、ライネスがさり気ない動きで僕をひょいっと抱き上げようとする。その気配を察してそそくさと離れると、ライネスはたちまちガーンと顔を蒼白にさせた。

「フェ、フェリ? 私のことが嫌いになったの? 私の抱っこ、嫌になっちゃった?」
「う、ううん、そうじゃない。ただ、もうお兄さんだから、だっこは卒業するの」

 来年には十歳を迎えるのだ。いい加減抱っこはやめないと。
 僕ももうお兄さんと呼ばれる年なのだから、あまりにも子供っぽいことはそろそろ卒業していかないとまずい。
 このままではいつまで経っても『才色兼備のクールな悪役』と呼ばれたフェリアルに近付けない。
 ゲームで登場した生粋の悪役フェリアルのようになれば、きっと可愛いじゃなくかっこいいと言ってもらえるようになるだろう。

「僕、本気でかっこよくなるの。だから、だっこはだめ」

 指でばってんを作って言うと、ライネスはしょんぼり肩を落として「そっかぁ」と呟いた。
 落ち込んだ様子のまま眉尻を下げると、いかにも残念そうな声音で小さく語り始める。

「抱っこされてるフェリ、とってもカッコよかったんだけどなぁ。でもダメなら仕方ないよね……」
「えっ……」

 抱っこされている僕が、かっこいい……?
 ぴく、と耳が動く。ライネスの言葉が鮮明すぎるくらいはっきりと鼓膜に響いて、邸に向かおうとしていた足がピタリと止まった。
 ぎぎぎ……とぎこちなく振り返り、残念そうに歩き出すライネスをちらりと見上げる。僕の横を通り過ぎて邸へ入ろうとするライネスの裾を、きゅっと掴んで引き留めた。

「うん? どうかした?」
「あ、あぅ……っ」

 ライネスがきょとんと不思議そうな瞳を向けてくる。
 流石に言ったことを今更手のひら返しするのはどうなのだろう、と躊躇して口をぱくぱくさせる僕を見下ろし、ライネスはニコッと笑った。

「大丈夫だよフェリ。ゆっくりでいいんだよ」

 宥めるように頭を撫でられて少し落ち着く。すーはーと深呼吸してライネスに向き直り、ぱっと両腕を伸ばした。

「や、やっぱり……だっこ」
「くはッ‼」

 気のせいだろうか。ズキューンという効果音が辺りに響いたような気がした。
 胸を押さえて一度うずくまったライネスだったけれど、すぐに立ち上がって僕を抱き上げた。

「かっこいい?」
「うんうん! 最高にかっこいいよ。フェリはもうお兄さんだね」

 ふふん、と満足気に頬を緩める。
 シモンも爽やかな笑顔でうんうん頷いているし、今の僕は確かに周囲からかっこよく見えているに違いない。
 きりっとした顔でライネスにぎゅっと抱きつく。
 ライネスがぷるぷる肩を揺らしながら「か、かわっ……」と何やら呟いたけれど、すぐに笑顔を戻して何事もなかったかのように歩き出したので気にしないことにした。

「──?」

 その時、どこからか視線を感じた気がして顔を上げた。

「フェリアル様? どうかしました?」

 突然の動きにシモンが声を上げ、それに続くようにライネスも立ち止まった。
 きょとんとするライネスと目を瞬くシモンを交互に見つめ、やがて首を傾げてふるふると首を横に振る。

「……うぅん。なんでもない」

 二人が何も感じていないということは、きっと僕の気のせいだろう。
 視線に敏感なシモンや人の気配に敏いライネスのことだ。万が一誰かから監視されているようなことがあれば、僕よりも真っ先に気が付くはず。
 そうでないということは単なる気のせいだろう。そう頭の中で結論付けて、一瞬感じた気がした気配から気を逸らした。


   ***


「──あのガキか」

 背の高い木の上で、相棒のローズが双眼鏡を片手に呟いた。
 視線の先には、エーデルス公爵家の邸宅がある。その庭で楽しそうに笑っている子供が、今回のターゲットだ。

「無害そうに見えるけど、る意味あんのかねぇ」

 ふわふわと無防備な印象を感じるその子供は、見る限り恨みを買うような人間とは思えない。
 というか、まだ九歳の子供だ。幼い子供を相手に、殺すほどの恨みを抱く者はそういない。
 俺の呟きに、ローズが肩をすくめる。

「……トラード、一見無害そうな人間ほど危険だ」
「まぁ、そりゃ分かってるけどよー……」

 俺の名前を呼んだローズを見て、俺はナイフを懐から取り出した。
 傍から見て無害そうな悪人というのは本当にたちが悪い。それはなぜか。
 そいつには『自分は悪人である』という自覚がちゃんとあって、その上で『善人のフリをする』という高度な知能を備えているからだ。
 今回のターゲットであるエーデルス家の三男は、ちまたで『公爵家の天使』だなんて呼ばれているほど悪い噂を一切聞かない。いっそ不自然なほどに。
 ローズの警戒心がいつもより強いのも納得出来る。

「まぁでも、死を願われるほどの子供だ。悪人だと思って殺せば、そう気も沈まないだろ」

 そう言えば、ローズは一瞬眉をひそめると、ナイフを指先でもてあそぶ俺に硬い声で答えた。

「忘れるな。ガキをるのは今回きりだ。痛みは感じさせるな、一撃で──」
「わーかってるって。今回の依頼、お前が渋々受けたってことくらい理解してるよ。あいつらを守るためなら仕方ねぇ、そうだろ?」
「……」

 ローズはライラック色の髪をなびかせ、ターゲットを見据えて黙り込んだ。
 眉尻を下げたその表情には、『帝国ていこくやみ』と呼ばれ恐れられる最強の暗殺者の面影はない。
 いつものこいつなら、この依頼を引き受けることは絶対になかっただろう。
 本来こいつは、満場一致で死を望まれるようなクズしか殺さないと誓っているのだから。
 だが今回の依頼主は小賢しい悪魔のような人間で、俺達の家族を人質に取ることで依頼を断れない状況に追い詰めた。
 今回のターゲットであるあの子供と同い年ほどの奴だというのに、まるで人生を何度も繰り返しているかのような狡賢ずるがしこさだ。

「依頼を終わらせてアイツらを取り戻したら、奴を殺すぞ」
「はいはい、分かってるよ。俺もそのつもりだ」

 復讐、だなんて都合の良い言葉は使わない。
 今から殺す人間の復讐をするなんて、口が裂けても言えない卑怯な口実だ。
 ただ、選択と行動には責任を持たなければならない。それが暗殺者としての絶対の掟だから。

「それにしても、本当にあの子はなんであんなに憎まれてんのかねぇ」

 見るからに無垢なあの子供を、異常なほどの憎悪が籠った目で殺せと訴えてきた今回の依頼主。
 名前は確か──アベルとか言ったか。

「来るなり『悪役を殺せ』だのなんだの意味分からんし、めちゃくちゃ苛立ってたもんなぁ。俺らの弱点だって、一体どうやって調べたんだか……」
「そんなことはどうでもいい。今は依頼のことだけを考えろ」

 お前がピリピリしてっから場をなごませてやろうとしたんだろうが、なんて言葉は大人しく呑み込む。こんなことで冷静に戻れたら苦労はないだろう。
 ローズは子供とその周りを固める二人の人間を見据え、ローズマダー色の瞳を歪めて呟いた。

「あの護衛は見るからに手練れだな。黒髪の方も厄介な気配を感じる」
「まずは周りをどうにか引き離さないことには、実行すら難しそうだな」

 俺の言葉に、帝国最恐の暗殺者である相棒は面倒くさそうに溜め息を吐いた。



  【かわいいとかっこいい】


 舞踏会へ行くことが決まって直面したのは、衣装選びの問題だ。
 今回は第二皇子殿下のお披露目も兼ねている大事なパーティーなので、失礼にならないようにいつもよりもしっかり装いを考えなくてはいけない。
 けれど残念なことに、僕にはファッションセンスがなかった……
 というわけで、僕は舞踏会で着る衣装をライネスに選んでもらうことにした。パートナーだし、衣装の色合いとかを合わせたりするだろうと思って。
 面倒事を頼んでごめんなさいとお願いしたら、ライネスはなぜか飛び上がるほど喜んでいた。
 もしかして、ライネスってオシャレさんなのかな。お洋服選びが好きな人っているよね。
 そんなこんなで頼みごとをしてから数日が経ち、ライネスとの予定が合った日に、僕は大公家へと訪れた。


   ***


「この白いやつが良いんじゃねぇか。なんかフリフリしてっし、フェリアルが着たら天使みたいになるだろ」
「馬鹿ね。そんなものを着なくたってフェリちゃんは素で天使よ。せめて色鮮やかでなければフェリちゃんの愛らしさを飾ることすら出来ないわ」
「うーん、フェリの瞳の色で合わせるというのも捨てがたい……」

 大公家の三人が真剣な視線を向ける先には、数え切れないほどの何着もの衣装が並んでいる。
 その全てが一目で高級な一流品だと分かる上に、背後で控えている仕立屋さんたちの中には、世間知らずな僕でも知っているほどの有名な方たちがたくさんいた。
 僕の正装を選んでもらうだけのはずが、なんだか僕より本気で考えていそうな三人の後ろで一人あたふたする。
 慌てて三人に駆け寄り、一番近くに立っていた大公の裾をくいくいと引っ張った。

「大公さま、大公さま」
「あ? どうしたフェリアル。大公様じゃなくてパパだろ」
「大公さま、あの」
「パパ」
「う……」

 いつからか大公はパパ呼びを強制してくるようになった。
 今ではパパと呼ばないとまともな返事をしてくれない。
 一体なんの遊びなのかと困惑しながらもそれを口にはしない。大公の謎の冗談や遊びは今に始まったことではないからだ。

「……ぱ、ぱぱ。あの、お洋服、僕も」
「あぁ。そうだな、フェリアルも一緒に見るか。おら、抱っこしてやる」

 頬を火照ほてらせながらもなんとかパパ呼びを遂行し、舞踏会の衣装選びという本題を口にする。

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