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【聖者の薔薇園-開幕】
259.神か人か
しおりを挟む影の中からにょろりと現れたそれに、ひょいっと下から抱き上げられたのは一瞬の出来事だった。
それはマーテルから距離を離すように後ろへ跳んで、僕の体を横抱きにぎゅっとする。ぽかんと丸くしていた目を瞬いて見上げると、懐かしさすら感じる数日ぶりの緑の瞳と視線が合った。
「シモン…!」
途端にぶわわっとあらゆる糸が緩んでふにゃりと溶ける。うるうると涙腺を緩めてむぎゅーっと抱き着くと、すかさず強い力で抱き締め返された。
「久々のフェリアル様!あぁ尊い可愛い天使…!んーすんすんクンカクンカ赤ちゃんの匂い…」
ぱぁっと頬を染めてゆるゆるの笑顔を浮かべるシモン。
緊迫感なんてものは一瞬で無くなって、周囲はシモンの嬉しそうなニコニコ空気で満たされた。
むぎゅむぎゅうりうりと僕の体を抱き締めて頬擦りして、すんすんと髪やら首筋やらに顔を埋められて匂いを嗅がれる。
ちょっぴり恥ずかしいけれど我慢だ。数日ぶりに会うような状況だと、シモンはいつもこうやってうりうりすんすんと暴走してしまうから。
相変わらず変なことを言いながら匂いを確かめたシモンは、やがて「むふ…」と満足気な息を吐いてゆったり頷いた。
すごくリラックスした感じを出しているけれど、それとは真逆で状況はかなり切迫している。きちんと周りを見てシモン。大変な状況でござるよ。
「シモン、シモン。うりうりすとっぷ。マーテルがいるよ」
「ん…?あぁすみません!久々のふくふくほっぺだったもので…ちょっぴり興奮してしまいました」
ちょっぴり…?少し引っかかったけれど追及はしないことにした。僕の目にはかなり興奮していたように見えたけれど、シモンの中ではまだまだちょっぴりの段階だったらしい。
むにゅーっと引き伸ばされていたほっぺから手が離れる。ふるんっとぷるぷるしながら元に戻ったほっぺを見て、シモンが「はわわわっ!」とまたもや頬を赤く染めて興奮してしまった。落ち着いて。
むぎゅーうりうり。やっぱり止まらないむぎゅうり攻撃にむすーっと頬を膨らませて「めっ」する。
「シモンだめ。下ろして」
「むぐっ!ハァハァちっちゃいおてて可愛いですねぇ…」
シモンの顔に両手ぺしっ。隠れているのにニマニマ笑顔が見えるのは何故なのだろう…。
んしょんしょと抵抗して腕の中から抜け出そうとした瞬間、不意にシモンを纏う緩んだ空気が一瞬でピリッと凍て付いた。
「……」
「んむっ!」
突然ぴょーんと背後へ跳ねたシモンに慌てて抱き着く。胸に顔が思い切り埋まって思わず悲鳴が漏れたけれど、それは響くことなくむぐっと吸収された。
なにごと、と振り返ってぎょっとする。つい数秒前まで立っていた場所に、小規模ながら攻撃力の高そうな苛烈な炎が燃え上がっていたのだ。
クマくんを燃やした炎と同じ。思わずびくっと震えながらシモンにぎゅーっと抱き着くと、間を置かず安心感のある抱擁が返ってきてほっとした。やっぱりシモンのぎゅーは心が落ち着く。
「何してくれるんです?今の攻撃、下手をすればフェリアル様に当たっていたかもなんですが」
「……どうでもいい。どうせフェリアルは僕のものになるんだから。器を殺したところで関係無い」
執着の滲むマーテルの瞳を見て、シモンがふと目を見開いた。
けれどすぐにスッと目を細めて「そういうことですか」と上がった口角を歪める。半ば嘲笑するような表情に首を傾げた。
「随分ねちっこい神ですね。愛する相手を不幸にするのが貴方の愛ですか」
「……人間如きに神の愛は理解出来ないよ」
「どうでしょう?少なくともぐーたら神のリベラ様の愛情なら理解出来ましたけど?あの方はフェリアル様を正しく愛せている」
冷淡な空気を纏う二人の会話を顔面蒼白で見守る。
神相手に堂々と言葉を紡ぐシモンの姿がいつもよりも頼もしく、カッコよく見えた。いつもはすんすんくんかくんかむふーっと僕の匂いを嗅いでばかりで、ちょっぴり残念な感じだから。
ぎゅうっと抱き着いてシモンの首筋に顔を埋めながら様子を窺っていると、やがてシモンがおかしそうにクスクス笑った。
マーテルはそんなシモンを怪訝そうな目で見据える。シモンはどうやらマーテルにとっての愛の貫き方を聞いてしまったらしい。僕の感情を自分への憎悪で埋めて、自分以外見えなくなったところで殺すという内容の話を。
さっき吸収された光の粉を思い出す。自分の手を見下ろしてみると、小指に至っては指の根元辺りまで透明化が進んでいた。
「自分を崇高な存在か何かだと思ってます?だとしたら相当笑えますね」
笑える、という言葉の割には氷みたいな笑顔のシモン。目が笑っていない。
「神だからヤバいとかじゃないですよ。貴方がヤバいだけです。神だからとか理由にならないです。ただ貴方がメンヘラ自己中クソ野郎ってだけの話ですから」
「…………は」
「神だからとか責任転嫁は止めたらどうですか?いい加減認めた方が楽になれますって。自分が下等生物の人間より遥かに劣った倫理と思考のクソ野郎だってこと」
早口言葉みたいに満面の笑顔でスラスラ言葉を紡ぐシモン。
とても愉しそうにニコニコするものだから、一瞬何か良いことを言っているのかと勘違いしてしまった。実際はよく聞かなくてもかなり辛辣なことを言っていた。
唖然とするマーテルを見据えたシモンが悪魔みたいな微笑みを浮かべる。
不意にむぎゅっと抱え直されたかと思うと、シモンの手が頬に添えられふにっと持ち上げられた。顎クイならぬほっぺくいだ。ふくふく。
よしよしとほっぺを撫でてじーっと見つめてくるシモン。流石に恥ずかしくなってぷしゅーっと真っ赤になると、シモンは柔く頬を緩めてマーテルに聞こえるように呟いた。
「少なくとも今はその作戦、成功しそうにありませんね。今のフェリアル様は貴方への憎悪なんて微塵も覚えていない。貴方の存在なんてその辺の石ころ以下だと認識していますから」
ふにゅふにゅ。淡くもみもみされる頬が気持ちよくてふにゃあと力が抜ける。
視界の端で、マーテルが顔を真っ赤な怒りの色に染めているのが見えた。どうしてそんな顔をしているのだろうと一瞬だけ思ったけれど、ふにゅふにゅですぐに意識が戻され興味が散る。ふにゅふにゅふにゃあ。
「ふふっ…かわいい。今のフェリアル様は俺しか見えていない…俺のフェリアル様なんです」
「……ッ…!下等な人間如きが…ッ!!」
む…どこからかマーテルのぷんすか声が聞こえてくる。
なにごとじゃろかとむふむふしながら耳を澄ませると、ちょうど耳元で愉快気な声が響いた。
「下等な人間如きに愛する存在の心を独占された気分は如何ですか?」
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