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【聖者の薔薇園-開幕】
266.生存確認(シモン・ガイゼルside)
しおりを挟む「公子…」
色を失った表情で瞬く。視線の先にある黒髪が緩く靡いて、俺が抱いているジャケットを見るなり泣きそうに表情を歪めた。彼もまた全てを理解したのだろう。
奪ったナイフを近くに放ると、公子は呆然とする俺に手を差し伸べた。
「……そんな顔でフェリに会うつもり?」
静かな問いが重く伸し掛かる。
優しいフェリアル様は笑顔を好むから、こんな絶望に塗れた蒼白顔を晒すわけにいかない。いつだってフェリアル様は、大切な人の幸福な笑顔だけを望んでいたから。
まだ纏まらない思考をそのままに差し伸べられた手をとる。それと同時に床面が崩れ、瓦礫と共に地面へ落ちていくかと思われた。だが体は重力に逆らうようにその場に留まり、やがてゆっくりと地面へ下りていった。
頬に髪が当たる感触で納得する。どうやら公子の風属性の力によって、地面に叩き付けられる結末は避けられたらしい。
周囲を見渡してみると俺同様、落ちかけた人間の全てが公子の風によって無傷で地面に下ろされていた。ある意味で、公子は現状で一番落ち着いた人間かもしれない。
「…すみません、ありがとうございます」
「ありがとうって顔じゃないね。あわよくば死のうと思ってた?」
微笑に返す言葉が無い。そんなことは…と続ける発言に躊躇した。口では否定を紡ごうとしても、胸の内で叫ぶ本心がそれを許さない。
何も言えずに俯くと、公子が不意に困ったような笑みを浮かべた。
彼はどうしてこんなにも冷静なのだろう。公子はフェリアル様に惚れ込んでいたはずだ、もっと絶望しても良い状況なのに、何故か言動の全てに少なからず余裕が残っている。
公子にとってはフェリアル様の存在がその程度のものだったというわけか?八つ当たりと分かっていても、荒れる心が理不尽な怒りを湧き上がらせてしまう。
「何を考えているのか知らないけど、そんな顔しないでよ。私だって、別に何も感じていないわけじゃない」
「……それならどうして」
理性的な声音にすかさず返す。それなら結局どうして、そんなにも余裕気なのかと。
フェリアル様の結末を嘆くこともしないのなら、それは何も感じていないのと同義だろう。ぐっと拳を握り締めて激情に耐える俺に公子が苦笑した。
「冷静にもなるよ。君がまだ死んでいないんだから」
「……は?」
間の抜けた声が漏れる。ぽかんと見開いた目を更に丸くしてハッとした。
バッ!と勢いよく首と視線を下ろす。体は五体満足、普通に動くし、フェリアル様のように消えているわけでもない。何も変わりはない。
何も無いのは…おかしい。
「ま、まさか…っ」
瞳を揺らして縋るように公子を見据える。公子は更に苦く笑んで頷いた。
「あのまま死んでいたら本当に後悔していただろうね」
さっきとは別の意味での蒼白。混乱して取り返しのつかない選択をしかけたついさっきまでの自分に恐怖と呆れが湧いた。
ずっと一緒という約束を危うく破るところだった。死んだところで、その先にフェリアル様はいないのに。その証拠に、俺はまだ生きているのだから。
俺が生きているのなら、フェリアル様も当然生きているはず。約束を破る状況なんてどう足掻いても作れないことを知っていたのに、それをすっかり忘れていた。
例の誓約は、万が一にでも約束を破らない為のものだったというのに。
* * *
「おいガキ共、全員生きてるかー?」
頭上に降ってきた瓦礫を全て風で防いだ大公。あの一瞬に咄嗟の判断が追い付く辺り、大公の実力がどれだけ卓越しているのかを改めて思い知った。
瓦礫に埋まった地面から立ち上がる。歩きにくいことこの上ないが仕方ない。取り敢えず大公と父上に生存報告だけしつつ振り返った。
ディランの奴は…と見渡して瓦礫の中へ戻る。視界の端を動いた影を目敏く視認して近付くと、案の定瓦礫の影になる辺りでディランが座り込んでいた。
必死に立ち上がろうとしているが、何やら表情を歪めている。どうやら足首を挫いたらしい。
「おい、手」
ぶっきらぼうに手を差し出す。振り返ったディランが差し伸べられた手を無表情でじっと見つめ、数秒後すぐに視線を逸らした。なんでだよ。
「おいコラ耳腐ってんのか。手ェ出せっつってんだろ」
「必要ない。一人で立てる」
「うるせぇとっとと掴まれアホ」
折角優しく手を差し出してやったってのにこの野郎。
柄にもないことはするべきじゃないなと後悔しつつ、待つではなくこっちから強引に行く方針にさっさと切り替えた。ガシッと腕を鷲掴んで無理やり引き上げると、ディランは一瞬ムッとしたがまたふいっと顔を逸らしやがった。畜生コイツ。
再び手を挙げてディランの生存報告を適当に済ませる。騎士団の方と神官達も無事に生存確認が進んでいるらしい。見る限り、人数が欠けている様子はない。
「にしても、何で急に崩れたんだ?攻撃ってわけでも無さそうだったよな」
突然崩れた神殿。何の兆候も無かったはずだが、もしかすると別の場所で何かがあったのかもしれない。そう考えつつふと空を見上げハッと動きを止めた。
「どうした」と怪訝そうに問い掛けるディランに応えるように空を指さす。
「そういやさっきまであった蜘蛛の巣みてぇなやつ、無くなってるな」
神殿が崩れるほんの直前まで、帝国全体を覆うようにして空に広がっていた光る蜘蛛の巣。
天変地異の前触れかと警戒したが、今見てみるとその光は綺麗さっぱり消えて無くなっていた。
俺の言葉にディランも空を見上げ、直ぐに興味を失ったのか視線を戻す。周囲を忙しなく見渡す姿を見てすぐにその心情を理解した。
神殿が崩れたことでチビが怪我をしていないか心配なんだろう。それは俺も同意だが、チビの傍に誰かしらが付いていたならそれほど心配する必要もないはずだ。
「……あれは」
不意にディランがピタリと動きを止める。視線を追うと、目を凝らしてようやく視認できる場所に数人の人影が見えた。
「あれシモンじゃねぇか?」
「フェリは一緒じゃないようだが…」
嫌な予感を滲ませたディランの呟き。兎に角向かってみれば分かるだろうと歩き出した瞬間、突然視界の端の瓦礫が内側から勢いよく吹き飛ばされた。
「うおっ!」と思わず声を上げて腕を盾にする。飛んできた瓦礫を適当に退かして近寄ると、これまた突然もふもふの毛並みがバッ!と飛び出てきた。
デカい図体のそれが守るように覆い被さっていた場所には、小さな兎の姿もある。二体は呑気にもふっと立ち上がり、同時にのしのしと地団駄を踏み始めた。
「ぷはーっクマ!危機一髪クマ!あぶねークマ!!」
「ウサのキュートな体が潰れるところだったぴょん」
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