5 / 241
一章
5.獣人奴隷と殺人鬼
ドスッ!!と鈍い音が聞こえたのは、ジャックが俺に唇を寄せ始めた直後だった。
ぽかんと地面に仰向けに倒れる俺の上から、ふいにジャックの姿が忽然と消える。
なにごと!と辺りを見渡し、少し先に脇腹を抱えて蹲るジャックを見つけてぎょっと目を見開いた。
「──主様に触れるな」
ひょいっと筋肉質な太い片腕に抱き起され、腕の腹を座面にするように抱っこされる。片腕だけでもずっしりとした安定感があって、まるで丸太の椅子みたいだ。
そして、同時に頭上から聞こえた低い声にピタッと硬直した。聞き覚えのあるこの声は、確か普段は『御意』やらの単語しか口にしていなかったはずだけれど……?
ぱちくり瞬きながらそっと頭上を見上げる。
そこにあったのは、獲物を見据えるような獰猛な瞳。捕食する寸前のような目をジャックに向けたガウは、初めの一言以降は何も言わずに口を閉ざした。
「はっ……なんなのお前。お前こそ、僕の天使に触れるなよ」
ゆらりと立ち上がるジャック。音もなく裾から取り出したのは、切れ味の鋭そうな折り畳み式ナイフだ。
さっきまで浮かべていた甘い笑みと頬の火照りは完全に消え失せている。無表情と光の無い真っ黒な瞳は、小説の挿絵で見た『切り裂きジャック』そのものだった。
途端に湧き上がる焦燥と緊張感。早くジャックを止めないと大変なことになる。俺のガウが三枚おろしにされてしまう……!
はわわっ……!と冷や汗を掻きながら、俺は慌ててぱっと両手を掲げ、危うい雰囲気のジャックに向かってくわっと声を上げた。
「ジャ、ジャック!だめ!すてい!おすわり!」
俺の叫びを耳にした途端、ジャックは何やらハッとした様子で息を呑んだ。
目を見開いたまま、突如力を失ったように地面に膝をつく。さっきまで青白ささえ感じた肌色も、俺の指示を聞いた途端赤く染まった。
ぽーっと頬を染めて呆然とするジャックが心配になって、慌ててガウの肩をぽんぽんと叩く。どうしよう、ジャックがかちこちに固まってしまった。
「ガウ、おろせ。ジャックがおかしい」
「仰る通り奴は可笑しいです。近寄らない方が宜しいかと」
「うむ。それはそうだが……って、むむっ!?」
ガウのことだから、命令したらすぐに下ろしてくれるとばかり。
そう思っていたから、まさか言葉が返ってくるとは思わずなぬーっ!?と驚いてしまった。
ガ、ガウが喋った……!『御意』以外の単語を……いや、文章を口にした……!
「あ、あぅ、あぇ……?ガウ、喋った……?」
思わずぽかんと零れた呟きに、ガウは過剰なくらいビクッと反応した。
かと思うとむぐっと口を噤み、ほんの少しだけ顔を強張らせて俺から目を逸らす。
やべっとかまずい!とか、明らかに何かを悔いたり焦ったりしているような表情だ。
気になってじーっと見つめると、やがて俺の全く逸れない視線に観念したのか、ガウが沈んだ声を小さく上げた。
「……申し訳ございません。家畜同然の下賤な獣人如きが声を発してしまい」
そのセリフを最後に口を閉ざしたガウ。
全くもって予想外の言葉に数秒頭が混乱し、ぐるぐると理解を求める思考が絶えず巡る。
ガウの言葉の意味を全て理解した瞬間、あまりの衝撃にサーッと顔が青褪めた。
「な、なっ、ガウ、まさか……!」
まさか、奴隷が貴族に声を聞かせるのは不敬だからと、そう考えていたとでも言うのか。
ガウは俺のことが気に入らなくて声を聞かせてくれなかったわけじゃなく、奴隷が声を発するなんて不敬な行為だからと不安で……?
そんなの、そんなの……っ。
「ッ……主様?」
ガウの腕に乗せていたお尻をぐっと上げる。びっくり顔の頭を抱え込んで、後頭部に手を回して、もふもふの耳にそっと触れると、ガウはビクッと体を震わせた。
「なっ、主様!下賤な獣人の耳に触れるなど、主様の御手が穢れてしまいます……!」
「そんなわけないだろ!ばかっ!」
仰け反って俺の手から逃れようとするガウをぎゅっと拘束し、離れられないように強く抱き締める。
ガウがぴくっと肩を揺らして硬直した。俺が素を曝け出して叫んだことに驚いたらしい。
ぎゅうっと強く抱き締めて、そして耳元で囁く。お馬鹿なガウでも分かるように、しっかりと。
「俺はガウの声、とっても大好きだぞ。もふもふの耳もすごくかわいい。ずっと触ってみたかったけど……ガウが怒るかもって思って、触れなかったんだ」
金色のもふ耳をもみもみと撫でながら語ると、ガウは徐々にぽわぁっと頬を染め始めた。
「ま、まさか……奴隷の私が主様を拒絶するなど、許されざる事です。ですが、この獣耳は下賤な獣人の象徴……高貴なご身分の主様が触れるなど……」
「この癒やしの耳が穢れだと?そんなことを言うやつは俺がぶっとばしてやる」
こんなにもふもふで触り心地も良くて最高なのに。
ふすふすと鼻をケモ耳に突っ込んで匂いを吸い込み、やがてふしゅーっと息を吐き出す。やっぱりケモ耳は最高だ。とっても可愛い。
今度ケモ耳を穢れだなんて言ったらガウでもぶっとばすからな、と言うと、ガウは何やら熱っぽく涙を溜めた瞳をへにゃりと細めた。
「なんとお美しい御心を抱えていらっしゃるのか……主様、私は貴方様をお慕い申し上げております」
「ん?ふふ、俺もガウのこと大好きだぞ」
よく分からないけれど、なんか突然好きだよーと言われたので俺も同じ言葉を返した。
なーんだ、ガウは俺を嫌っているわけじゃなかったんだな。思わぬタイミングで誤解が解けてラッキーだ。
俺も大好きだぞガウ。これで俺達、お互い信頼のある主従として上手くやっていけそうだな!
「──そんな……ご主人様、もう僕を捨てて浮気するの……?」
ガウとぎゅーっと抱き締め合っていた時、ふいに聞こえてきたか細い声にハッとする。
しまった!ガウに気を取られてジャックのことをすっかり忘れていた!
慌てて振り返りジャックの姿を確認。さっきまで頬を染めて跪いていたはずのジャックは、青白い顔でこちらを見つめながらも、俺の指示を守るようにお座りしたままだった。
「はわわっ……ガウ!おろせ、ジャックのところに行かないと」
ガウは一瞬ムスッと拗ねた顔をしたけれど、すぐに俺を地面に下ろして無表情で姿勢を正した。なんだろう、ガウってば急に感情豊かになった気がする……。
様子のおかしいガウに首を傾げながらも、てくてくと駆け足でジャックに駆け寄る。
ぺたんと座り込んだ状態で涙を流すジャックに目を見開き、慌てて声を掛けた。
「ジャック、どうした?悲しいのか?」
「悲しいよ……僕のこと愛してくれるって言ったのにぃ……ご主人様が浮気なんてするからぁ……」
しくしくと切なげな姿を見せるジャックに心が軋む。
そ、そんな顔をされたら俺まで悲しくなるじゃないか……。
前世から、人の泣き顔には弱いのだ。俺が病弱なばかりにたくさん両親を悲しませて、泣かせて……けれど、二人の涙を止める術さえ俺にはなくて。そんな自分が情けなかった。
だから、人の涙にはとことん弱い。マフィアのくせに軟弱な!と思われるかもしれないけれど、これに関しては前世の自分の癖だから、何を言われたってどうしようもない。
ルカ・ベルナルディじゃない。“俺”が嫌なのだ。ルカの性格ならこんなことしないって分かっているけれど、それでも“俺”が、ジャックの涙に耐えられない。
──だから、俺はぎゅっとジャックを抱き締めた。
「……へ、ご主人、さま?」
「泣くなジャック。俺はジャックが大好きだぞ、だって家族になるんだもん。でも、ガウも同じくらい大好きだ。ガウもジャックと同じ、俺の家族だから」
「……あの獣人も、家族?」
「そうだぞ!ガウも家族だ。だからお前たちは……そうだな、兄弟だ!ジャックとガウは兄弟だから、仲良くするんだぞ。いいな?」
ジャックの朱殷色の髪をわしゃわしゃと撫でる。
俺の言葉にジャックは目を見開いて数秒固まり、やがてちょっぴり不満げに眉尻を下げながらもこくりと頷いた。
「ご主人様は僕だけの天使だけど……ま、しょうがないかぁ。ご主人様が言うなら受け入れないとねぇ」
ジャックが呟いた返事にうむと頬を緩める。よかった、どうなることかと思ったけど、どうやら納得してくれたみたいだ。
首元にスリスリと顔を埋めるジャックをぽんぽんと撫でる。
“あの”切り裂きジャックを仲間に引き入れるのに成功したことで安心したのだろうか。突然襲ってきた重いくらいの安堵に力が抜けて、がくっと膝をついてしまった。
「主様……ッ!」
「ご主人様?」
そういえばずっと雨に打たれていたし、スラム街の危険な空気に体を強張らせながら長い距離を歩いた。気付かない内に疲労が溜まっていたのかもしれない。
ジャックの胸元にぽすっと倒れ込み、なんだか火照った体を持て余しながら目を閉じる。
この調子で生存ルートのための作戦を進めないと……なんて思いながらも、やる気とは裏腹に意識はスーッと遠のいていった。
あなたにおすすめの小説
この世界は僕に甘すぎる 〜ちんまい僕(もふもふぬいぐるみ付き)が溺愛される物語〜
COCO
BL
「ミミルがいないの……?」
涙目でそうつぶやいた僕を見て、
騎士団も、魔法団も、王宮も──全員が本気を出した。
前世は政治家の家に生まれたけど、
愛されるどころか、身体目当ての大人ばかり。
最後はストーカーの担任に殺された。
でも今世では……
「ルカは、僕らの宝物だよ」
目を覚ました僕は、
最強の父と美しい母に全力で愛されていた。
全員190cm超えの“男しかいない世界”で、
小柄で可愛い僕(とウサギのぬいぐるみ)は、今日も溺愛されてます。
魔法全属性持ち? 知識チート? でも一番すごいのは──
「ルカ様、可愛すぎて息ができません……!!」
これは、世界一ちんまい天使が、世界一愛されるお話。
竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜
レイ
BL
「死ぬ覚悟はできています。でも、その前に……お口、あーんしてください」
魔力を持たない「無能」として実家で虐げられていた薬師のエリアン。
彼に下されたのは、触れるものすべてを焼き尽くす「死の竜帝」ヴァレリウスへの、身代わりの婚姻だった。
俺は夜、社長の猫になる
衣草 薫
BL
冤罪で職を追われた葵は、若き社長・鷹宮に拾われる。
ただし条件は――夜は“猫”として過ごすこと。
言葉を話さず、ただ撫でられるだけの奇妙な同居生活。
タワマン高層階の部屋で、葵は距離を崩さない鷹宮に少しずつ惹かれていく。
けれど葵はまだ知らない。自分が拾われた本当の理由を。
性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)
ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました
あと
BL
「お兄ちゃん!一肌脱ぎます!」
完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け
可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…?
攻め:ヴィクター・ローレンツ
受け:リアム・グレイソン
弟:リチャード・グレイソン
pixivにも投稿しています。
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
義兄の愛が重すぎて、悪役令息できないのですが…!
ずー子
BL
戦争に負けた貴族の子息であるレイナードは、人質として異国のアドラー家に送り込まれる。彼の使命は内情を探り、敗戦国として奪われたものを取り返すこと。アドラー家が更なる力を付けないように監視を託されたレイナード。まずは好かれようと努力した結果は実を結び、新しい家族から絶大な信頼を得て、特に気難しいと言われている長男ヴィルヘルムからは「右腕」と言われるように。だけど、内心罪悪感が募る日々。正直「もう楽になりたい」と思っているのに。
「安心しろ。結婚なんかしない。僕が一番大切なのはお前だよ」
なんだか義兄の様子がおかしいのですが…?
このままじゃ、スパイも悪役令息も出来そうにないよ!
ファンタジーラブコメBLです。
平日毎日更新を目標に頑張ってます。応援や感想頂けると励みになります。
※(2025/4/20)第一章終わりました。少しお休みして、プロットが出来上がりましたらまた再開しますね。お付き合い頂き、本当にありがとうございました!
えちち話(セルフ二次創作)も反応ありがとうございます。少しお休みするのもあるので、このまま読めるようにしておきますね。
※♡、ブクマ、エールありがとうございます!すごく嬉しいです!
※表紙作りました!絵は描いた。ロゴをスコシプラス様に作って頂きました。可愛すぎてにこにこです♡
【登場人物】
攻→ヴィルヘルム
完璧超人。真面目で自信家。良き跡継ぎ、良き兄、良き息子であろうとし続ける、実直な男だが、興味関心がない相手にはどこまでも無関心で辛辣。当初は異国の使者だと思っていたレイナードを警戒していたが…
受→レイナード
和平交渉の一環で異国のアドラー家に人質として出された。主人公。立ち位置をよく理解しており、計算せずとも人から好かれる。常に兄を立てて陰で支える立場にいる。課せられた使命と現状に悩みつつある上に、義兄の様子もおかしくて、いろんな意味で気苦労の絶えない。
処刑エンドの悪役公爵、隠居したいのに溺愛されてます
ひなた翠
BL
目が覚めたら、やり込んだBLゲームの悪役公爵になっていた。
しかも手には鞭。目の前には涙を浮かべた美少年。
——このままじゃ、王太子に処刑される。
前世は冴えない社畜サラリーマン。今世は冷徹な美貌を持つ高位貴族のアルファ。
中身と外見の落差に戸惑う暇もなく、エリオットは処刑回避のための「隠居計画」を立てる。
囚われのオメガ・レオンを王太子カイルに引き渡し、爵位も領地も全部手放して、ひっそり消える——はずだった。
ところが動くほど状況は悪化していく。
レオンを自由にしようとすれば「傍にいたい」と縋りつかれ、
カイルに会えば「お前の匂いは甘い」と迫られ、
隠居を申し出れば「逃げるな」と退路を塞がれる。
しかもなぜか、子供の頃から飲んでいた「ビタミン剤」を忘れるたび、身体がおかしくなる。
周囲のアルファたちの視線が絡みつき、カイルの目の色が変わり——
自分でも知らなかった秘密が暴かれたとき、逃げ場はもう、どこにもなかった。
誰にも愛されなかった男が、異世界で「本当の自分」を知り、運命の番と出会う——
ギャップ萌え×じれったさ×匂いフェチ全開の、オメガバース転生BL。
余命僅かの悪役令息に転生したけど、攻略対象者達が何やら離してくれない
上総啓
BL
ある日トラックに轢かれて死んだ成瀬は、前世のめり込んでいたBLゲームの悪役令息フェリアルに転生した。
フェリアルはゲーム内の悪役として15歳で断罪される運命。
前世で周囲からの愛情に恵まれなかった成瀬は、今世でも誰にも愛されない事実に絶望し、転生直後にゲーム通りの人生を受け入れようと諦観する。
声すら発さず、家族に対しても無反応を貫き人形のように接するフェリアル。そんなフェリアルに周囲の過保護と溺愛は予想外に増していき、いつの間にかゲームのシナリオとズレた展開が巻き起こっていく。
気付けば兄達は勿論、妖艶な魔塔主や最恐の暗殺者、次期大公に皇太子…ゲームの攻略対象者達がフェリアルに執着するようになり…――?
周囲の愛に疎い悪役令息の無自覚総愛されライフ。
※最終的に固定カプ