出来損ないの次男は冷酷公爵様に溺愛される

栄円ろく

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1巻

1-3

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「俺が、実家でいい扱いをされていないのは、薄々気づいていらっしゃったと思います」

 俯いていた顔を上げ、目の前の夕日を見ながらぽつぽつと言葉を紡ぐ。

「あぁ。すべては知らないが、かなりひどい」
「まぁ、俺はそこまでひどいと思っていなかったのですが……大きな原因は、ふたつあるんです」

 雲がゆっくりと流れてゆく。
 ライア様の顔は、怖くて見られなかった。

「ひとつは、俺が母を殺したから」
「は?」
「あ、父がそう思っているだけですよ。実際は俺を生んだときに出血多量で亡くなりました。だから妹のリリーは異母兄弟です。ただ、実際父に言われました。お前が生まれてこなければ、母は生きていたのにって」
「それはっ」
「いいんです。考えたって仕方ないことですし。それに、主な原因はそうじゃないから」

 体が震える。ふたつめの原因を話すのが恐ろしい。
 ライア様の美しい顔が、嫌悪に満ちる姿を想像して、吐き気がしてきた。
 また俯いてしまった俺を見かねてか、ライア様が優しく俺の背中をさすってくれる。
 少しぎこちない手の動きに温かさと勇気をもらい、喉をぐっと動かした。

「俺、同性が好きなんです」

 ぴたっと、背中の動きが止まった。

「物心ついたときにはそうでした。好きになるのも、大人しい女の子じゃなくて、活発な男の子。自分が憧れるのも、勇ましい英雄じゃなくて、王子様と結ばれるお姫様」

 今でも覚えている。
 自分の性的指向が前世から変わっていないと気付いてしまった絶望を。
 容姿とか、身分とか、贅沢なことは言わない。
 ただ、俺が女性になっているか、男性で生まれたなら女性を好きになっているか、どちらかは叶えてほしかった。

「同性同士で好きになることが、悪いことではないと頭ではわかっているんです。でも父は察したんでしょう。俺に跡継ぎを作ることはできないって。ほかの家に婿入りさせることはできないって。だから俺は、出来損ないの次男なんです」

 不幸中の幸いだったのは、この世界が転生前の日本より同性愛に寛容なこと。町に行けば、同性同士で手を繋いでいても自然と受け入れられているらしい。
 けれど貴族社会は世襲制で、子孫が残せないと用なし同然だ。
 しかもライア様は妹のリリーと婚約をしていたし、異性愛者なのは間違いない。
 となると、どうしても前世の記憶がフラッシュバックする。
 友達だと思ってた人や、愛する家族からの反応を。
 俺の本当の姿を知ってしまったときに表れる、嫌悪と、哀れみと、奇異の目を。

「それはそうだろって感じですよね。男が男を好きって、それも性的にですよ? 気持ち悪いって言われても」
「仕方ないって言うのか」

 今まで聞いたこともない。静かな怒気をはらんだ声に、思わず顔を向ける。
 と、そこには驚いたことに――瞳にうっすらと涙の膜を作る、ライア様がいた。

「え?」

 オレンジに輝く夕日に照らされたその姿を、俺の心は不相応にも美しいと感じてしまう。

「さっきも、母親の死を責められるのは、仕方のないことと言ったな……まったくまったく、そんなことはないのにっ!」

 さっきまで背中を撫でてくれた優しい手で俺の両肩を掴み、体を背けることを許さない。

「同性愛を気持ち悪いと言ったのは、父親か!?」

 走馬灯のように駆け巡る、前世の家族からの言葉。
 気持ち悪いと言ったのは、どっちの父親だっけ?

「子供ができないことを出来損ないだと言ったのは、どこの誰だ!?」

 腫れ物を扱うような同級生、陰で聞こえる辛辣な悪口。
 それもこれも、周りと違う自分がいけないんだと、仕方ないんだと、諦めて蓋をしてきた暗い闇に、ライア様の声が響く。

「なんで、なんで、なにもしていないジルが、そんな風に言われなきゃいけないんだ!」

 今まで気づかないように、考えないようにしてきたことを、俺のために、俺のことを思って、言葉にしてくれている。

「ラ、ライ、ア、様」
「だって、そんなの、おかしいだろ! ジルは……ジルはなにも、悪くないじゃないか!」

 前世からずっと、おかしいのは俺で、おかしい俺が悪くて……
 でも……でも、本当にそうなんだろうか?
 俺はどこかで願っていたんじゃないのか?
 いつか、お前は間違ってないよって、言ってくれる誰かが現れることを。
 それが今目の前に……

「ジ、ジル!?」
「え? あ」

 ライア様が焦ったように瞳を震わせるので、どうしたのかと思えば、いつのまにか目から涙が落ちていた。
 しかも、止めようにも止まらない。

「ど、どうしよう! と、止まらないです!」
「えっ、あっ、ど、どうすれば、あっ!」

 なにかひらめいた様子のライア様は、俺の両肩に置いていた手をそのまま背中に回した。
 って! これハグじゃん!

「ラっ! ライア様っ!?」
「小さいころ、あまりにも泣き止まない私に、セバスがしてくれたのだ」
「そう、なん、ですか」

 そのまま、ぎゅーっと包み込むように抱擁され、背中をとんとんとあやされる。
 なんだか幼子に戻った気分。

「ライア様は、俺がどんなやつか知っても、気持ち悪がらないんですね」
「普通そんな感覚はない。あるのはお前の父親ぐらいだ」
「ははっ、そっか……」
「ああ。そうだ」

 力強く頷かれて、ゆっくりと涙が流れていく。
 前世から今まで俺を支配していた強い固定概念が、脆い角砂糖のように崩れていった。


「……もう、落ち着いたみたいです。ありがとうございます」
「そうか。ならよかった」

 俺の涙が引っ込むころには、うっすら西の空に灯りが残る程度まで日が沈んでいた。

「すみません、こんな時間まで」
「いいんだ。どうせ書類は間に合わない。王室に頭でも下げて期限を伸ばしてもらおう。もちろん、全部終わるまでは手伝ってもらうからな」

 と言いながら微笑む笑顔に、今までなかった胸の鼓動を感じたのは――
 きっと、気のせいだろう。

「さぁ、屋敷に戻ろう。これ以上暗くなると帰りづらい」
「はい。そうですね」

 ラケットやらボールやらを持って、薄暗くなり始めた道を歩こうとしたとき、向こうからナティさんが走ってくるのが見えた。

「ライア様! セバスが明日の朝、帰ってくるみたいです!」
「なにっ! 本当か!?」

 先程届いたセバスさんからの速達便を、ナティさんは持ってきてくれたらしい。
 手紙の内容は、今日の早朝お姉さんが亡くなり、最後まで看取ったので早急に屋敷に戻るとのことだった。

「じゃ、じゃあ、人手が一人増えるってことですよね!?」
「ああ! それならまだ間に合うかもしれないぞ!」

 こほんっとわざとらしく咳払いをしたナティさんを見ると、

「お二人が遊ばれている間、こちらで再計算する書類の選別はおこなっておきました。数はそこまで多くはないようです」
「さすがナティさん! じゃあ、今からやれば……」
「だめです。今日は寝て、明日の早朝にしましょう。お二人ともお気づきじゃないかもしれませんが、連日の無理がたたってます。これでは逆に非効率的です」

 いつもは淡々としてるのにナティさんが厳しい口調で言うもんだから、俺は少し驚いてしまった。
 でも、俺たちのことがすごく心配なんだなってわかる。だって、薄暗い中で見えるナティさんの表情がそう物語っているから。

「わかった。ナティの言う通りにしよう。代わりに明日は早朝から仕事だ!」
「はいっ!」

 こうして、思わぬリフレッシュとなったテニスは、セバスさんの帰還の知らせとともに、ライア様と俺に希望をもたらした。
 でも、泣き腫らした顔で帰ってきた俺を見て「ライア様はジル様を泣かすほど、テニスで負かしたらしい」と後日使用人たちの間で噂が広まったのは、また別のお話。


 翌日、セバスさんが帰ってきたのは、ちょうど俺とライア様が久しぶりにちゃんとした睡眠をとって、執務室でさぁ始めるか、というときだった。
 朝に帰ってくる予定だったのに、本当に急いだのか予定より三時間も早い。窓の外は日が昇って間もなく、空はまだ夜の余韻を残していた。

「ただいま帰りました。この忙しい時期にお休みをいただいて申し訳ございません」

 セバスさんは白髪混じりの髪を綺麗にセットした初老の紳士だ。
 ドアの開け閉めにしろ、お辞儀ひとつにしろ、どれも所作が上品で見習いたくなる。

「いいんだ、セバス。帰れと言ったのは私だ。本当は葬儀や通夜までいさせてあげたかったが……」
「いいのです。王室から急な変更があったとナティから聞きました。それに、姉は亡くなる直前まで私に『早く帰ってライア様の手伝いをしなさいっ!』と言っていましたから。それこそ葬儀に残っていたら、怒られてしまいます」
「そうか、アンナらしいな。最期に直接会えず、申し訳なかった」

 アンナ、というのはきっとセバスさんのお姉さんだろう。ライア様もよく知った仲なのか、心の底から悲しんでいるように見える。

「姉はライア様を誇りに思っていました。だから安心して逝けたのだと思います。もし、公爵家の仕事をほっぽり出してライア様が来ていたら、ライア様の寝室に化けて出かねません」
「はは、そうだな。アンナにならできそうだ」

 セバスさんのちょっとした笑い話で、悲しい空気が一気に和む。
 今までもこんな風に、ライア様が辛そうなときは、セバスさんが和ませてきたんだろうか。

「そういえば紹介がまだだったな。彼はジル・シャルマン。シャルマン子爵の次男だ」
「初めましてセバスさん。ジル・シャルマンと申します」

 俺はセバスさんに向けて頭を下げる。

「ご挨拶遅れました。私ダルトン公爵家筆頭執事のセバスと申します」
「詳しくは聞いたかもしれないが、なシャルマン子爵に売られたのが彼だ」
「ラ、ライア様!?」

 俺はライア様のとんでもない発言に目を見開く。
 えっ! そんな暴言吐くほど、俺の父親嫌いでしたっけっ!?

「だが、シャルマン子爵に感謝だな。彼はとても優秀だぞ、セバス」

 セバスさんも、ライア様の口ぶりに驚きを隠せない。

「は、はぁ……私はブランが来ると思っていたのですが?」
「私もだ。しかし、シャルマン家はどうも私たちが聞いていた話と全然違うらしい。使用人じゃなく、実の子を慰謝料代わりに出してくるようなやつだ……ほかにもなにか裏があるかもしれん」
「そうですか……かしこまりました。シャルマン家については注意しておきましょう」

 えっ? な、なんだか、不穏な会話してない……? 
 というか俺の実家へのヘイトが前より激しい気が……とつっこむ前に、ライア様が話を変える。

「あ、そうだ。仕事に関してだがな、ジルもここで作業しているんだ。だからセバスもこの執務室で作業しろ」
「え、そうなのですか、ジル様?」
「あ、はい」

 セバスさんは少し目を見開いたが、すぐに「かしこまりました」と言って俺の前のソファに座る。
 どうしたんだろう? なにか気になることでもあったのだろうか。

「よしそれじゃあ、作業に取り掛かるぞ! ジルはこの山を頼めるか?」
「あ、はいっ!」

 ライア様の指示が飛んできて、些細な疑問は消えてなくなる。
 早速俺とセバスさんは、役割を決めて手を動かした。

「……ジル様はとても計算処理が早いのですね。どのような方法を取られているのですか?」

 作業を始めてすぐ、セバスさんが新参者の俺から学ぼうとするので驚いた。
 ほら、新人の提案する新しいやり方を自分がわからないから採用しない上司とか、会社にいるじゃん。セバスさんにはそういうのはないらしい。さすが長年ライア様が信頼を置く方だ。

「これは、こうして……」
「おお! ジル様は教えるのが上手ですね」
「確かに、ジルのおかげで早く済むようになった」
「えっ! ふ、二人ともやめてくださいよ!」

 こうして、セバスさんとも良好な関係を築きながら、三人で書類を片付ける。
 早朝から作業して、昼食も過ぎ、夜になったあたりで、ナティさんが来客の知らせを告げにきた。

「ライア様、お客様がお見えです。どうも至急とのことで」
「なんだ、こんな忙しい時期に。相手は誰だ?」
「それが……」

 ナティさんはわざわざライア様の近くまで行くと、俺とセバスさんに聞こえないようになにかを耳打ちで伝えている。

「そうか、わかった。ジル、セバス。申し訳ないが一時間ほど席を外す」

 ライア様はそう言うとナティさんを連れて部屋から出ていった。
 その顔が少し険しく見えたのは……俺の気のせいかもしれない。

「今の時期に来客なんて珍しいですね。どこの家も忙しいはずなのに」
「ええ、そうですね。なにか急用があったんでしょう」

 まあ、わからないことはわからないので、会話もそこそこにまた作業を始めようとしたとき、セバスさんが口を開いた。

「ジル様、昨日ライア様とテニスをしたというのは本当ですか?」

 どきっ! と心臓が跳ねる。
 そりゃそうだ。昨日ライア様と俺が仕事をしていないことは、この屋敷の人なら全員が知っている。

「えっ! あ、え~と! やるにはやったんですけど、その、サボるつもりはなくて、不可抗力というか!」
「あ、誤解を招いてしまいましたね。テニスをされたことを責めたいわけではないのです。ただ、この屋敷のコートを使ってテニスをされたのかと思いまして」
「え? あ、はい。敷地内のコートを使わせていただきましたが……」

 よ、よかったとりあえず仕事を放棄した件では怒られなそう。
 でもなんでコートを使ったことが気になるんだろう?

「そうですか……」

 セバスさんはそれだけ言うと、なぜか黙ってしまう。
 俺はどうしたらいいのかわからず、ただじっとセバスさんが口を開くのを待つしかない。

「……ジル様に聞いていただきたい話があるのです。ライア様について」

 少しの時間を置いたあと、なにか覚悟を決めたようにセバスさんは語り始めた。


   ◇ ◇ ◇


 今から八年前、王室と有力貴族の御一家を集めたパーティーで火事があったのをご存じでしょうか? そのパーティーにはご子息やご令嬢も参加しており、一人取り残された子供を助けようとして、公爵様ご夫妻は帰らぬ人になったのです。ライア様はそれからしばらく、自室のベッドから出てきませんでした。
 もちろんライア様のご両親は、御遺言をちゃんと残されていました。けれど遠い親戚筋だと名乗る性悪な大人が、正式な後継者だと名乗り、一時期この屋敷を引き渡すところまでいったのです。
 私と姉は遺言にあった通り、メネシア侯爵様を後継人として押し通そうとしたのですが、明らかに偽装の血縁関係でも、偽物だと証明できなければどうしようもできません。
 いよいよ引き渡しまで残り一か月となったとき、私は、

「ライア様申し訳ございません。私の力不足により、あと一か月でこのお屋敷から出なければならなくなってしまいました」

 と告げました。けれどライア様から反応はなく、もう諦めていたところ……

「セバス。テニスをしよう」

 と、翌朝、ベッドから出られたライア様がおっしゃったのです。
 今でも鮮明に覚えています。ほとんどご飯を召し上がらず痩せてしまったライア様が、やっと朝食を口に入れたとき、どれだけ安心したか。
 結局その日は一日テニスをして、日が沈むころです。
 二人でコート脇のベンチに座り、夕日の空を眺めながら、ライア様は静かに話し始めました。

「父と母にもう一生会えないと思ったら、なにもかもがどうでもよくなったんだ。ずっと、ここにうずくまって、両親のいる世界に行きたいと、そう思っていた」

 私はなにも言わずに、ただじっと、耳を傾けていました。

「でも昨日、屋敷を離れるって聞いて。このテニスコートを誰のものにもしたくないと思ったんだ。私だけの、大事な、大事な思い出の場所を、ほかの誰かに使われるのは嫌だって。そしたらここにいる場合じゃない、ここにいたら守りたいものは守れない。だから、私は、ただうずくまって、泣くのを、今日でやめる」

 そこにはもう、ベッドの中で泣いているだけの幼いライア様はいませんでした。

「今は父と母が私のために残してくれたものを、誰にも渡したくない。ただそれだけなんだ。この屋敷も、このコートも、なにもかもだ。それでもついてきてくれるか?」

 大粒の涙を流しながら、覚悟を決めた瞳でこちらを見るライア様に、私は、

「承知いたしました。ライア様のために、この身のすべてを捧げましょう」

 と言って、力一杯ライア様を抱きしめました。
 それからというもの、ライア様が泣いている姿を見たことはありません。
 結局、家を乗っ取ろうとした悪人には、虐待をされたと訴えることで退けたようです。ほかにもたくさんの人がこの家を狙ってきましたが、ライア様はさまざまなことを学び、必死に守ってきました。
 一時は精神的に過敏な時期もあり、少しでも疑いのある者をクビにしてしまうこともありました。その際に冷酷非道な暴君とまで噂されてしまい、今では誰もライア様には近づきません。だから公爵家はいつも人手不足なのです。
 幸いにも、学園に入り落ち着かれたようですが、まだ周りには冷たい態度を取られているようです。それに、八年前のあの日から、テニスコートに近づくことはありませんでした。
 だから、本当に驚いたのです。昨日テニスをされたと聞いたときは。
 ライア様は今まで悪い人たちに会ってきたからでしょう。あまり人を信じる方ではないのですが、ジル様のことはとても信頼されているように見えます。
 ライア様ご本人も自覚はないみたいですが……


   ◇ ◇ ◇


「申し訳ございません。長く話を聞かせてしまって……でも、もしよろしければライア様とこれからも仲良くしていただければ……えっ、ジ、ジル様!?」
「す、すみ、ません。でも、あ、あまりにも」

 セバスさんが驚くのも無理はない。
 なぜなら俺はドン引きするくらい大号泣していたからだ。もう涙だけじゃなくて、鼻水まですすってる。

「と、とりあえず、これをお使いください」
「あ、ありがとうございます」

 渡してくれたハンカチで涙を拭き、鼻をかんで落ち着こうとするが、ライア様の今までの境遇を思うと、昨日緩んでしまった涙腺がまた崩壊しそう。

「だ、大丈夫ですか?」
「は、はい。ただ、昨日聞いた話からは想像できないことばかりで……ライア様の辛さを思うと……」

 そしてまた泣き出しそうになる俺に、セバスさんが今度はお茶を渡してくれた。

「どうぞゆっくり飲んでください。泣くと水分が出てしまいますから」
「す、すみません」

 もらったお茶をゆっくりと飲み、心がだんだんと落ち着いていく。
 涙が完全に引っ込んだあと、セバスさんは話の続きを再開した。

「最初、執務室で一緒に仕事をされていると聞いたときも大変驚きました。ライア様の噂を知っていれば、まず嫌がりますから」
「えっ、そうだったんですね」

 言われてみれば今まで不思議そうな顔をしたり、神妙な顔つきをしていたが、あれはもしかして、今までされたことのない反応だったから?

「それに、ライア様ご自身が優秀な方ですので、あまり他人を褒めたり認めたりしないのですが、ジル様のことは認めていらっしゃるようですね」
「え? そうですかね?」
「ええ、そうですよ」

 俺は半信半疑だけれど、セバスさんがそう言うんだからそうかもしれない。
 なんだか嬉しいような、恥ずかしいような、複雑な気持ちになる。

「ライア様は本当は優しい方なんです。でもご両親の残された公爵家を守るため、貴族社会で生き残っていくには、まだ若いライア様は冷酷にならざるを得ませんでした」
「そうですよね……根が優しいのはなんとなく伝わってきました。でも、ライア様の優しい心の部分は、セバスさんと、セバスさんのお姉さんのおかげだと俺は思うんです」
「え?」

 俺は話を聞いてて、ずっと思っていたことを言葉にする。

「精神的に追い込まれているときも、そばで愛して味方でいてくれる人がいたから、ライア様は優しい心を持ち続けられたんじゃないでしょうか? なにをしても見放さないでくれる人の大切さに気づいて初めて、ほかの誰かに優しくできる気がします」

 さっきセバスさんは、学園に行ったらライア様が落ち着いたと言っていたが、それがすべてではないと思う。
 学園でさまざまな人に触れて、いろいろな生き方を知って、自分の視野の狭さとセバスさんやセバスさんのお姉さんが与えてくれる無償の愛に気づいたから、他人にも寛容になれたんだろう。

「そう、でしょうか」
「はい。直接セバスさんにお礼は言われないかもしれませんが、セバスさんとセバスさんのお姉さんにはとても感謝していると思いますよ。要は、尖ってた不良少年が親の偉大さを知って丸くなる、みたいな?」
「はは、それはそうかもしれませんね」
「おい、誰が不良少年だ」
「ブフッッ!」

 ソファの後ろから聞こえてきた声に飲みかけていたお茶を勢いよく吹き出す。

「い、い、いつからいたんですかっ!?」

 視界の隅にはドアがあるのに涙で霞んでいたからか、入ってきたことに全然気づかなかった!
 というか、セバスさんの位置からライア様が俺の後ろに立ったの絶対見えたよね!? 
 なんで教えてくれないの!?

「さぁな、忘れた。というかまた泣いたのか?」

 振り返った俺の顔の涙の跡に気づいたのか、ライア様は指で頬に触れながら心配そうに聞く。
 って、ちょ、ちょっと! か、顔が近い!

「だ、大丈夫ですっ! 泣いてないですっ!」

 ぐっと体を傾けて、ライア様から離れる。どきどきする心臓がバレないように、汚れてしまった書類を拭くことに専念した。

「ふぅん、そうか。で、なにを話していたんだ?」
「な、なんでもないです!? ね! セバスさん!?」
「ふふ、はいそうです。なんでもないですよ」

 ライア様はどこから聞いていたのかわからないけれど、問い詰める様子はなく、そのままデスクに戻る。

「まぁ、いい。それより、今日はここまでにしよう。初日から徹夜しても、残り六日が持たないからな」

 確かにこれからまだまだ作業はあるし、少しでも寝ないことには頭が働かない。とりあえず今日進めなければいけない量は終わったことだし、俺とセバスさんは作業の手を止めてソファから立ち上がった。

「あ、セバスはアンナのことで話があるから、少し残ってくれ。ジルは先に寝てていい」
「あ、はい。かしこまりました」

 一人だけ先に上がるのも申し訳なかったけれど、思い出話を邪魔したくなかったから俺は先に執務室をあとにした。



   ライアの思惑


 ジルが執務室から出たのを見届けてから、私は口を開いた。

「ライア様、それで本当のご用件はなんでしょうか」
「話が早くて助かる。先ほどの来客の件だ。二人で話したくてな」

 ジルには申し訳ないが、残念ながらアンナのこととは、ジルを抜いて私とセバスの二人だけで話すための嘘だ。先ほどの来客の件は、まだジルには話せない。

「さっき来たのは、使用人のブランだった」
「ほぅ」

 ナティから名前を聞いたとき、驚きはしなかった。とうとう来たかと。
 子爵家はブランもとい、ブランの仕事をしていたジルがいて成り立っていたようなもの。誰かしら来るだろうと思っていたが、意外と遅かったなというのが本音だ。

「とりあえず、子爵家でのジルの扱いを聞いた。食事抜きや使用人同然の生活だけじゃない。勝手に屋敷外には出られず、子爵の機嫌が悪いと鞭打ちなどもあったらしい」


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