君の虹色チョコレート

真朝一

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第2話 フルーツオレ

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 その日のお昼休み。私はひとり、自分の席でお弁当の包みをひろげた。今日は移動教室がなく、トイレも行かず、一度も席を離れなかったので中身は無事だった。甘辛きんぴらにじっくり焼いたソーセージ、ブロッコリー、チーズ入りの炒り卵などなど。いつもどおり箸を手にして食べ進めていると。

「めっちゃおいしそう」

 黙って食べる私の前に、大塚が立った。待て、なぜ今、ここに、私の前に。いつも別のクラスの男友達と一緒に弁当箱を持って教室を出て、校庭か別の教室かで食べているらしい彼が。

「俺も弁当、自分で作ってみようかな。弁当男子ってモテるでしょ」

 元からモテるくせに何を言いますか。嫌味にしか聴こえなかった。

 ドアの向こうから「聡、先行くぞ!」という声とどたばたあわただしい足音が聴こえた。彼はふりかえって「おう!」と答え、また私に向きなおった。

 私は目線をお弁当箱から離さなず、無心におかずを食べ続ける。大塚はカップに入った炒り卵を、行儀悪く指さした。

「卵にチーズを入れたんだね。俺も好き。胡椒かけるともっとおいしくなるよ」

 私は何も言わず、口の中でソーセージをもぐもぐ言わせながら鞄の中を漁った。現金が入った封筒を取り出し、大塚の腹に押しつけた。

「え、わ、おっと」

 慌てて封筒を手にした彼は、小銭の音がするそれを不思議そうに見た。

「何これ」
「昨日のお弁当のお金」
「いらないって言ったのに……」
「そういう意味じゃない。わざわざ売られなくても大塚くんにちゃんと恩は感じてるから。ありがとう。だけど貸し借りは早く無くしたい。だから受けとって」

 まるで手切れ金だ。私と大塚とをつなぐ関係を、これ以上無駄にアクセスしっぱなしにしたくなかった。ずる賢い大人みたいで、嫌な気分だった。それでも私は断固としてゆずらなかった。右手でひたすらにおかずを口に運び、左手はお弁当箱をしっかり持って。

 大塚は数秒迷ったようすで、封筒をチャリチャリと振って見せたが。

「そうじゃないんだって……あと、俺のことは聡でいいよ」

 そうつぶやいて封筒を私の机の上に静かに置き、早足に教室を出て行った。残された私は箸を止め、かえってきた封筒を見つめた。彼がいじったぶん少し皺がついている。教室にいた数人の女子が、何度も何度もふりかえって私を見る。何かを話している。

 ──だから、本当に、これ以上私に話しかけなくていいのに。
 こんな私と関わることで、あの女子たちが何をしてくるか、わかったものじゃないのに。

 私はそっと封筒に手を添えた。そしてそれをつかみ、乱暴に鞄の中に放りこむ。お弁当箱を手に持ち、ごはんを多めにとって無理やり口に押しこんだ。


   * * *


 授業が終わり、ホームルームも終わる。一日のあらゆることが終わる。私は誰よりも早く教室を飛び出し、走って下駄箱へ向かった。一年二組、大塚聡の出席番号の下駄箱をあけて、中にお金の封筒を放りこんだ。自分の靴を履き替え、まだ誰もいない昇降口を横ぎる。気分が晴れた。重くない。軽やかな足取りで正門へ向かった。

 これで終わった。ぜんぶだ。大塚聡との関係は断たれたのだ。もうつなぐものは何もない。イケメンでモテる男子に話しかけられた主人公が他の女子から嫉妬の嵐を食らう、なんていう少女漫画みたいな展開はフィクションじゃないんだ。現実でもある。そんなことで傷つきたくないし、大塚聡にだって迷惑をかけてしまう。彼に悪意がないからこそ、よけいにそう思う。

 そこまで考えて、から揚げ弁当ごときで餌付けされたか私、と思った。確かに感極まるところはあった。大いなる不本意ながらうっかり泣いたし、おいしかった。

 だが、だ。それとこれとはまったく違うし、そこを一緒にするから事態がややこしくなるんだ。お礼は言った。だからもう大丈夫。大丈夫。

 帰って漫画を読もう。お風呂あがりにカルピスを飲もう。そんなことをぼんやり思っていると、いきなり上半身をぐん、と後ろに引かれた。足だけが前に進んでころびそうになる。右手を強くつかんでいたのは、やはり、よせばいいのに、大塚聡だった。

「そろそろ観念しようよ、諦めの早い令和の若者のくせに」

 そう言ってそのまま手のひらに封筒をにぎらせる。あちこちを冒険したそれは皺くちゃになっていた。

 私はため息をついて、それを性懲りもなく聡のズボンのポケットに押しこんだ。聡は怒ったような顔でむっと唇を突きだし、ポケットからひっぱりだした封筒を今度は私の服の胸元に押しこもうとして、それは手のひらで全力阻止した。
 チャリチャリとお金の音がするので、とおりすがりの生徒がいちいちふり向く。

「あと、先生が呼んでる」

 私はえっ、と声をあげた。なぜそれを先に言わない!

「やばい、職員室行かなきゃ!」
「嘘だよ」
「嘘かよ!」

 全力ツッコミを入れる。
 な、なんなんだこいつ……一緒にいると疲れる。

 立ち去ろうとした私を、聡が「ジュースおごる」と言って呼びとめた。またおごりか。せいいっぱいうんざりしたような表情を作ると、私のことなど気にせず聡はほこほこと歩いていった。彼は肩越しにふりかえり、校門の外にある自販機を指さす。面倒事とか世話焼きとか好きそうな人だな、と思った。

 だけど疲れ果てていたのは事実なので、何か甘いものを飲みたかった。自販機の前に立ち、聡がまず自分用らしいアイスティーを買った。私は並んだパッケージを見て、甘そうなものを探した。そうして目がいったのはフルーツオレだった。カラフルな色合いがかわいい、女子向けの一品だ。

 小銭を追加する聡の背後に注文しようとすると、彼は私を一瞬ふりかえり、そして躊躇なく何かのボタンを押した。あっ、と短く声をあげる。

 選択権なしですか……と思っていると、聡が買ったのがまさしくフルーツオレであることに気づいて驚いた。冷たいパックを「ほい」と手渡されても、まだ硬直していた。

 なんで、私が飲もうとしてたのがフルーツオレだって分かったんだろう……?

 ふたりで校庭に戻って、校舎前の花壇の端に座り、アイスティーとフルーツオレをすする。遠くから野球部とサッカー部の掛け声と吹奏楽部の演奏が聴こえてくる。本館の壁にかけられた時計を見ると、もうすぐ夕方の四時だった。

 ちゅるん、とストローから口を離して、聡がおもむろに言った。

「別にさ、金で中野さんをどうにかしようとか、恩を売ろうとか、そんなのは考えてないんだってば」

 むしろから揚げ弁当とジュースごときでどうにかされる自分が嫌だ……。

 私はただ、関係をなくしたいだけなんだ。

「分かってるよ」となかばひらきなおったように言い、ジュースをちゅるると吸う。甘い。疲れた頭に糖分がゆきわたる。

「おいしいもの食べると、マイナスな気分が八割がた吹っ飛ばない?」
「あ、それはちょっと分かる」
「俺、喧嘩してる男子の前にでーんとカレー鍋置いたら絶対みんな休戦するって思うし、食べきっておなかいっぱいになったらもう喧嘩する気にならないよ」
「カレーが嫌いな人って見たことないね」

 私が言うと、聡がすっと目を細めた。静かに笑う人だ、と思った。

「うん、俺もカレー大好き」

 そう言った彼の笑顔は、やっぱり大人びていた。

「あと、焼き肉嫌いも見たことないよな」
「住宅街歩いてて、カレーとか、煮込んだトマトっぽいのとか、醤油とみりんとかの匂いがしたら本気でおなかすいてくるよね」私は苦笑しながら言った。「パン屋さんの前なんて、もう無理」
「分かる。絶対足止める!」
「夏祭りの出店でも、真っ先に目が行くのはソースの匂い垂れ流しの焼きそば屋とか」
「焼き鳥とかホットドッグとかも、つい視線が行くわー、俺」

 なんだかおなかがすいてきた。
 それをごまかすように一気にフルーツオレを飲む。聡は「でもハンバーガーの不健康っぽい匂いも食欲そそられるんだよなあ」と追い打ちをかける。

 アイスティーをちまちま飲みながら、彼は楽しそうだった。心底、楽しんでいるようだった。クラスで仲のいい男子と話している時と、あまり変わらない笑顔だった。大口をあけて爆笑したりすることはなかったが、とても上品に笑う。下ネタを言うところなんて想像できない。

「で、なんの話だっけ」

 私は今にも鳴きそうな腹を、さしあたりジュースで満たして言った。

「そうそう、おいしいものを食べると嫌な気分がなくなるっていうの」
「それ。確かに。今こうして話してるだけでも、結構楽しい」
「おなか減ってくるよね」

 こんな雰囲気、いったいどれぐらいぶりだろう。濁りのない朝の空気に似ている。つい昨日はじめて会話をした仲なのに、もう私は楽しく笑えている。この、ちょっとかっこよくてぼんやりした少年を前に、もっと早く仲良くなればよかった、と思った。

 そこまで考えて、ふと気づいた。
 もっと早く仲良くなったとして、それで……いじめがなくなってたわけでもないだろうに。
 なんなら、私がいじめられ始めると同時に、彼も巻き込まれていたかも知れないのに……。

 聡は飲みきったアイスティーのパックをていねいに折りたたむ。

「お弁当のおかずと金魚を木の下に埋めてる中野さんが」

 膝に肘をついて、ひとつため息をつく聡。

「おなかを減らしてるみたいだったから」

 キン、という金属バットの音が聴こえた。 回れ回れ回れ! センターもっとバック!

 鋭さを増した太陽の光が、連絡通路に隠れて一瞬見えなくなる。影になった花壇周辺。聡は折りたたんだパックのストローを噛んだ。私は残り少なくなったフルーツオレをすする。詰まった排水管のような音がした。そして「うん」と言った。

「食べたかった」

 お母さんの作ったお弁当が。
 毎朝、仕事に行く前に作ってくれる、私の大好きなお母さんの料理が。

 だけど、聡が揚げ弁当をくれたことが、あのときはどうしようもなく嬉しかった。味が分かることが。聡が、泣いていた私を見なかったことが。

「でも」

 どうしてから揚げって分かったの、と言おうとすると聡はベンチから立ちあがり、校舎の横に備えつけられたゴミ箱めがけてパックを投げた。狙いははずれて、地面に転がるそれを拾ってまた入れる。私もフルーツオレのパックを捨てようとして少し考え、聡のように四隅をひらいてつぶしてから放りこむ。

 太陽の光が、連絡通路の下部から差しこんだ。すっかり赤みをおびたそれが、町を夜に誘いこもうとする。人々を誘惑する。感傷的な気分にさせる。中庭の、ところどころに雑草が生えた地面の上に、私と聡の影が並んで伸びる。

 鞄を肩にかけ「帰ろうか」と言った聡の背に、私は叫んだ。

「どうして」 
 震える声でつづける。
「から揚げ弁当にしたの」
 さらにつづける。ほとんどヤケだ。
「あと、どうしてフルーツオレを選んだの」

 あざあっしたー、という野球部の声がひときわ大きく響いた。その中で、聡は初めて会ったときのように夕日を背に、目を見開いてきょとんとしている。徐々に悲しそうに歪む、逆光になった彼の表情を、私はじっと見ていた。

 聡は私から視線をはずし、片鼻をすすった。前髪をかきあげて後頭部を掻く。そして、いまだ目を離せずにいる私に、どことなく弱々しい声で「中野さんはさ」と言った。

「教室で本、よく読んでるよね」
「あ、うん、読書は好きだから」

 はぐらかされたかな、と思った。

「じゃあ、SF小説とかも読んでるよね」

 そう言って彼は微笑んだ。たぶん、彼は以前にも、きっとどこかで、誰かに向かって、同じ表情をしていたはずだ。

 私は昨日、彼が私の食べ残しを前に「いただきます」と言って手を合わせている姿を思い出した。もっと貪欲で、だけどちいさなものを大事にしていて、それ以上に臆病な人の目。


「────俺、超能力者なんだ」
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