君の虹色チョコレート

真朝一

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第3話 餃子

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 いじめられている、なんて思いたくない。そんな、大人が問題を形骸化するために思いついた言葉なんて、使いたくない。だけど、誰かにわかりやすく説明するなら「いじめられています」しかないのが悔しい。

 毒舌の私が極端ながらも選んだ道が、黙る、ということだったが、これが結構難しい。ようは何を言われようが挑発されようが馬鹿にされようが、黙っていれば飽きてくれる、という作戦だ。よく言われているいじめ対処法のひとつ。

 よし、その作戦で行こう、うん。そうして学校に来たはいいが、やっぱりギャル系の女子たちにいびられるのは変わらない。

 あいかわらず机にゴミは入ってるわ、椅子に両面テープがついてるわ、体育の間に制服の中につぶれた虫を大量に入れられるわ、私の名前が書かれた生理用ナプキンが机の上に山と積まれるわ、鞄がないと思って窓からグラウンドをのぞきこんだら階下の植え込みに落っこちてるわ、その衝撃でスマホの画面が割れるわ、挙句の果てに私がトイレの個室に入っていたら上から大量のお酢が投げこまれるわ、

 ──変わらない。

 制服にお酢が染みる。鼻と目が痛くなる。ぽたぽたと髪から滴るお酢のキツい匂いに耐えながら、私はむしろ黙るのが駄目だったのかと、便座に座ったままぼんやり考えた。

 ……ああ、でも、あんまり関係なさそうだ。

 彼女たちが求めているのは、私が黙ることじゃなくて、目の前から消えることなんだから。

 教室に戻ると、お酢でずぶぬれの私に全員の視線が集中する。一瞬で消えた笑い声。その代わりにささやき声。恐れの声。

 もう何が何だか。雑音だ、どれもこれも。

 私は重油を持ってきて全員の頭にぶちまけてやりたい気分だった。泣きたくは、なぜかならない。ただ怒っていた。折れるほど歯を食いしばった。ここにいる全員を、かたっぱしからぶん殴ってやりたかった。そうすれば私の中にかろうじて残っていた良心や、世間の大人からさしのべられる救いの手が、私の罪の前に消えてしまう。どうせ傷つくなら徹底的に、心を失うほどがいい。下手に何かを願ったり求めたりする純粋さが残っていれば、暴力の中にも希望を求めてしまう。痛みに、苦しみに、怒りに耐えているのに、いつか救われると信じてもっともっと耐えようとしてしまう。

 救われたいのは近い未来じゃなくて、今なのに。

 お酢臭いままジャージと鞄を持って教室を出る。一瞬、こちらを振り向いている大塚聡と目があった気がした。だけど、すぐにそらした。でっかい酢飯の塊に足が生えて歩いているような私を、マジックみたいに消してくれ、自称超能力者。


   * * *


 ここで出て行けば面白いことになるのは、経験上知っているけれど。

「まあ、あんな程度で勘違いはしないでしょ。聡ってみんなに優しいし、四季って意外と鈍そうだし」

 でも、面白いのは一瞬だけで、あとはややこしい空気と事態の悪化が待っているのも、経験上知っている。

 下品な笑い声をあげて、甘いリップの匂いをただよわせて、洗面所を占領し悪口に花を咲かせる女子一同。私は個室から出るに出られず、蓋をおろした便座の上に座っていた。

 まだまだ延々と絶えることなくつづけられる悪口、陰口、罵倒の数々。

 正直飽きてきた。最初は自分の悪口をトイレで言われていることに傷つき、出ることを恐れた。かといっていつまでも便座に座ってそれを聴いていることも苦痛だった。だけど今はもう「分かった、分かったから」という気分だ。トイレで悪口をかます女子は、個室に当人がいる可能性を考えないのだろうか。

 いっそのことこのままバーンと出て行って「本人登場! 最初から全部聞いてました~!」をやりたい気分だ。絶対やらないけど。

 お酢ぶっかけ事件からしばらく経ったが、今でも個室に入るのは怖い。けれど入らざるを得ないのっぴきならない事情もあるもので。だけど以前、そのまま泣いて帰るものだと思われていたらしい私が、お酢まみれで堂々と教室に現れたことに、いじめの主犯グループたちは意表を突かれたらしい。

 クラス全員が、私がいじめの標的にされていることを知っただろう。あるいは改めて痛感しただろう。今は誰もが黙っているが先生への告発を恐れているのか、みんなに見えてしまう危険がある分かりやすい嫌がらせはなくなった。

 とは、いえ、だけど。

「聡はさ、ぼーっとしてるから、自分のやってることもよく分かってないままなんだと思うよ。だって、そうでもなきゃあの四季に話しかけようと思わなくない?」
「てか、四季キモいんだけど。優たちにあんだけのことされて平気でいるの、逆に凄い。お酢かけられたとき、クラスで見せびらかして、黙って早退したじゃん。根性すわってるわ」
「神経図太いんだよ。反論しないでいじめられる側に徹するのって、単に有利な被害者の立場を崩したくないだけじゃないの」
「そんなのと一緒にいて、聡も嫌にならないのかな」
「まあいつか飽きるでしょ。もし本気で聡に近づいたら、優がその前にボコるし」

 優、とは私に嫌がらせをしている主犯格の佳山優のことだろう。派手で明るく、目立ち、頭もよく、美人だ。見た目がギャル系なので同じギャルしか周りにいない。友達には信頼されいつも一緒にいるが、地味な女子からは触れぬ祟り神扱い。

 ようはどこにでもいる、弱い者を見下して自己満足に浸る、卑屈な、しかし下手に頭のいい十代の女の子だ。そんな子に狙われたなんてやばすぎる。

 しばらくしてチャイムが鳴り、女子たちが教室へ戻る。耳をすませて誰もいないことを確認し、そっとトイレを出た。無意識にため息をつく。

 あ──────めんどくさいっっっ。

 騒々しい教室へ戻ると、先生はまだ来ていなかった。席につくまでの数秒間に、佳山優と、自称超能力者の大塚聡、それぞれの視線を感じた。胡乱なことが起こる気配は、していた。だから黙っていようと思ったのに。

 昼休みになると、聡を含めた五人ほどの男子グループが騒ぎながら一斉に席を立った。彼らがお弁当を持って教室を出て行こうとする中、大塚聡だけがふと気づいたようにこちらを見る。そして、お弁当をひろげんとしていた私の横をさりげなく通るふりをして、膝に何かを落としていった。

 それは、ちいさくちいさくたたまれたルーズリーフの切れ端だった。

 今日どこで食う? 暑いし外は無理だろ。先購買寄りたいんだけど。そんなことを話しながら出ていく男子たちの背中を追いかける聡。この紙の正体をたずねる間もなく。呼び止めようとしたが、やめた。

 何がしたいのか分からない自称エスパーからの手紙を、机の下でそっとひらく。
 トメハネハライがきちんとしているけれど、綺麗すぎずやわらかい字。

『十分後、美術準備室に来てください』


   * * *


 抗議のつもりで十五分後にドアをあけた。

「先食べちゃうとこだったよ」

 長身で黒髪の自称超能力少年は、はたして美術準備室の汚れた椅子に座っていた。購買で買ってきたらしいチキンタツタパンとサンドイッチと焼きおにぎりとコーヒー牛乳のパックをテーブルの上に並べている。

「なんでここに入れるの」
「美術部員。幽霊だけどね。疑いの目を向けられることなく鍵を借りられる」

 積みあがったイーゼル、カラフルなガラス瓶、乱雑に立てられたパレット、石膏像。そして独特の油絵の具の匂い。私は、あんまりごはんを食べるところじゃないな、と思いながら聡の正面に座った。机にお弁当を置く。

「あと三十分で昼休みが終わる」
「うん、まずは、いただきますしようか」

 そう言って彼はぱちんと手を合わせた。私もつられて同じことをする。

 目線だけで合図をし、揃って「いただきます」と言った。ぴったりだった。それが少し嬉しくて、聡と面向かって笑いあった。

 お弁当をひろげながら、ここに呼んだ理由をたずねる。

「なんでまた十分後に」
「中野さん、佳山さんたちに嫌がらせされてるでしょ」

 言葉に詰まった。箸が止まる。お酢まみれ事件ですっかり知れ渡ったことは分かっていたが、いざ本人の口から聴くと複雑な気分だ。

「朝、佳山さんとしゃべってたんだ。そしたら『最近四季によく話しかけるよね、話題ある?』って冗談みたいに言われて。冗談かなって思ったんだけど、他の女子たちと佳山さんの会話に、中野さんへの悪口が滲んでるから。ああ彼女は中野さんが嫌いなんだな、俺は牽制されてるんだなあって思って」
「牽制って言うんですかそれ」
「少女漫画の読み過ぎだよ、あの子たち」

 でも実際にあるもんなんだなあ、と言いながら聡はチキンタツタパンの封をあけた。スパイシーな香りがツンと鼻を刺激し、食欲がそそられる。

「だから、ふたりで話したかったけど、もし俺と中野さんが昼休みに一緒に教室出るところを彼女たちに見せたら、いらない火種を生むだろうと思って。なおかつ、中野さんのお弁当に何かあったら俺が気づけるような環境を作ったほうがいいなって」
「ちょっと、大塚くん」
「違う、別に同情とかじゃない。ただ、金魚の死体を入れられたお弁当ごとわざわざ木の下に埋めるような子、面白いし変だし、もっと話したいなって」

 私は驚いて腰を浮かせた。

「気づいてたの?」
「気づいてなかったよ、今想像で言ってる。この流れ的に、あの金魚、佳山さんたちにやられたんでしょ。保健室に行くとき、鞄も持ってたからおかしいと思ったんだ」
「当たってるからなんか腹立つ……」
「立たないで。別に同情じゃないから、これは。知ってる人のお弁当が目の前で台無しになるのが辛いってだけで」
「自覚あるのかどうか知らないから口に出して言うけど、大塚くん、女子からそこそこ人気だよ。佳山さんもさ、嫌いな私が大塚くんみたいなちょっとかっこいい子とつるんでるから、何が中野の分際でって思ってるんだと思う。だから、こうして時間差で合流するのは正直ありがたいけど、私とかかわって、それで大塚くんに面倒なことさせたくないんだって……」

 なんか悲劇の主人公みたいなこと言ってるなあ、という自覚はあったが、あくまで本心だ。

 自分から助けを求めるならともかく、誰かが自分を助けようとしてくれるのはありがたい以上に申しわけない。それでその誰かが不必要な痛手を背負ったら、それを償うのは私だ、というエゴも混ざっている。

 大ごとになって下手に騒がれて、父兄や他クラスも巻きこむようなことになったらきっと今以上に環境が悪くなる。友達をなくして、みんなに煙たがられて、それで卒業までを耐えていかなきゃいけないくらいなら、傷つくのは自分一人だけで十分だ……。

 私は膝の上で両手を握りしめた。

「──まあ、深い意味はないんだけど」

 聡がコーヒー牛乳をすすって言った。

「単に、一緒にごはん食べた仲だから、中野さんとは仲良くしたいっていうそれだけの話。みんなが嫌いな子だから俺も嫌いになろう、なんていう幼稚な理由で友達関係を取捨選択してる人間じゃないんだ」
「それで佳山さんにまた牽制されたら」
「それとこれとは無関係だろ。俺と中野さんが仲良くしてても、佳山さんをこき下ろしたってわけでもないのに、あの子が外野から牽制球投げても彼女の方が理由に困るだけだって」

 なんだかうまいこと屁理屈ではぐらかされているような気がするが、反論できない。

 諦めて私は浮かせた腰を椅子に落とした。そしてまた黙ってお弁当をつつく。

 今日のお弁当にから揚げはない。代わりに餃子が入っていた。これは昨日の夕飯の残りだ。
 中華料理が大好きな私は、それを最後に残して先に野菜をぱくぱく食べてゆく。

「そんなところまで分かっちゃうのも超能力?」

 少し小馬鹿にしたような言い方をしてしまったが、聡は気にした様子もなく、パンをくわえたままふるふると首をふる。

「信じてないでしょ、絶対」
「いくらSF小説を読んでるからって、百パーセントはちょっとね」
「数パーセントは信じてくれてるんだ」聡は笑ってコーヒー牛乳を飲んだ。「でも、人の心なんか読めないよ」
「超能力少年の話って、だいたい人の心が読めたり、ものを浮かせたり、死期が分かったり、似顔絵見ただけで犯人の居場所を当てたり、っていうものじゃないの?」
「だろうね。他の超能力者に会ったことがないから、分からないけど」

 ──どうやら本気で否定するつもりはないらしい。

 私はたった数パーセント残っていた、超能力を信じる気持ちが、私の中にある赤くてちいさな興奮をつついていることが分かった。

「中野さん、好きな食べものは最後にとっておく派でしょ」

 聡は左手で私のお弁当箱を指さした。

「その餃子が食べたいけれど、最後の楽しみにしてるって感じ」
「それは人の心が読めるのとは違うの?」

 私はふてくされて顔をそらし、水筒のお茶をひとくち飲んだ。なんだか適当なことを言われている気がした。

「ちょっと違う」聡は無表情だった。

「俺が分かるのは、その人の食べたいものだけ」

 …………なんだそれ。

 嫌な静けさが美術準備室を覆った。外ではしゃぐ男子生徒の声がことさらに大きく聴こえたが、それは単に私と聡が何も言わないからだった。

 黙ってチキンタツタパンを食べている聡と、数秒固まり、思い出したようにごはんをちょっとだけ食べる私。聡はパンのビニールを丸めると、私を正面から大真面目な顔で見た。

「信じる要素はあるでしょ」

 なんだか試されている気がした。

「……信じるにしても、地味すぎて反応に困った……」
「地味で悪かったな、俺だってもうちょっとかっこいいのがよかったよ……」

 ため息をつく彼を見て、やらかした、とまた私は思った。言葉がキツいのは彼の前でも同じなのか。私は慌てて弁解する。

「いや、まあ、派手じゃないから逆に信用できるんだけど」
「どういう理屈だよ。どう考えても目の前で物浮かせた方が一発で信じてもらえるだろ」

 ははっ、と笑う聡を見て少しほっとした。私のキツい言葉に気づいていないのか、あまり気にしていないだけなのか……。

「でもさ、地味だけど証拠はあるでしょ。俺がから揚げ弁当を買いに行ったのは、中野さんがおなかをすかせて、から揚げを惜しんでたから。フルーツオレも、そのとき中野さんが選んでたやつだったから」

 そうだ、それは、ただの偶然にしてはちょっと都合がよすぎる。

 私は何種類かおかずが残っているお弁当を指さした。

「この中で私が餃子をいちばん最後にとっておくつもりだったっていうのも、分かるんだ」
「そこまではっきりしてたら、結構ピンポイントで分かるよ。はっきりしてない、例えば『甘いものが食べたいなあ』っていうのも分かるんだけど、中野さんは具体的に餃子が食べたいって分かるし、それに一度も手をつけていないから、最後まで残す派かと」
「実際間違ってないんだけど」
「それはよかった」

 平然とコーヒー牛乳を飲む聡に、私は完全な懐疑の目を向けられなかった。

 本物かどうか怪しい超常現象の映像を流すバラエティ番組やYouTubeの動画は見ない。しかし現実として、テレビのこちら側で起こる人知を超えた現象を、私は全否定しない。だから宇宙人も呪いも幽霊も、多少は信じている。

 目の前の同級生に「これは超能力だ」と言われても、数パーセントは信じ、納得していた。それでから揚げ弁当だったのか、と。

 だけど、ひとつだけ分かったことがある。
 ──彼がお弁当を買ってきてくれたことは、超能力でもなんでもない、純粋な、ただの彼が持っている優しさなんだと。

「……ありがとう」

 反射的に言葉が出てきた。今度は聡が驚く番だ。切れ長の目が少し見開かれる。

「から揚げ弁当とフルーツオレ、くれたから」
「ああ、じゃあ信じてくれるんだね」

 やっぱり中野さんはそうだと思った、と聡は笑って言う。
 安心したように、笑う。

「ちょうど食べたいものや飲みたいものが目の前に出てきたら、嬉しいでしょ。そういうのが俺は好きなだけなんだ」
「じゃあ、お金を絶対に受けとらない『そうじゃないんだ』の内訳も」
「おなかが満足した人は、おなかが減ってる人よりも表情とか雰囲気が違う。それを見てるだけで嬉しいから」

 聡がチュゴゴと音を立ててコーヒー牛乳を飲みきる。そしてまたそのパックを馬鹿丁寧に折りたたみながら言った。

「空腹は、つらいよ。おなかが痛くなって、低血糖で指に力が入らなくなるし、無意識に自分の好物を思い浮かべたりする。日本は他の国に比べて、餓死者がそこらじゅうにいるわけじゃない。けど、おいしいものを食べる喜びを普段はあまり感じられなくても、おなかが減ってるときに料理を出されたら喜んでいいと思うんだ。きちんといただきますして、食べものにお礼を言って、残さず平らげる。それは絶対にいいことだし、人の心を優しくする。俺の超能力はそれがスムーズになるっていうだけ」
「ものを浮かせる超能力よりは便利そう……」
「自分の近しい人が、あれ食べたいなあって思ってるとき、それを食べに行こう買いに行こうって誘うぐらい。毎日楽しいから全然便利」

 纏う雰囲気なのか、人間性なのか、超能力などという現実離れしたを信じさせるだけの空気が今ここにあった。

 私は今、自分が彼を疑っていないことに気づく。疑って笑い飛ばすことは決して不可能ではないが、その末に残るものを私は直感的に知っている。

 それならば、信じていたい、と思う。聡ならその声にこたえてくれるかも知れない、と直感で思っていた。

 ──そこまでするほど私は人の優しさに飢えていたのか。

 冷たい杭を胸にスッと刺しこまれたようだった。俯いてお弁当を片づけ、立ちあがろうとすると、聡が言う。

「ごちそうさまは?」

 だからあなたはお母さんですか。しかし聡はあの、男らしくないふわっとした微笑を浮かべているので、文句が言えなくなった。

 仕方なくふたりで手を合わせ、「ごちそうさまでした」と言う。まるで小学校の給食の時間だ。

 なんとなく、またすぐ立ちあがる気分になれずにいると、聡が話を続けた。

「まとめると、俺が分かるのはその人が今食べたいものだけ。さっきも言ったように漠然とした内容から、具体的な料理名まで分かる。その人がおなかを減らしているのかそうじゃないのかも。他の人が同じことしてるのを見たことないから、これは超能力だと思ってる」
「じゃあ、私が今餃子も、お弁当のぜんぶを食べちゃったら」
「おなかいっぱいで食欲も満たされてたら、何も見えないよ」
「どうやって見えるの? 頭の上にポンッと吹きだしが出てくるみたいな感じ?」
「それはフィクションの超能力者。目に見えるんじゃなくて……なんていうんだろ、俺の頭でイメージできるみたいな。正直、人の気持ちを頭の中で考えるのと同じだと思う」

 そういうもんなのか、と思った。漠然とした言い口を疑わず、そっかー超能力ってテレビでやってるみたいにド派手なわけじゃないんだねー、と呑気なことを考えていた。

 予鈴が鳴った。美術準備室のドアに手をかけようとした聡を、「ねえ」と呼びとめる。

「さっきの大塚くんの、やっぱり中野さんはそうだと思った、っていうのは、私が読書好きで、SFとかを真っ向から否定しなさそうな人だから?」

 聡は少し考え、それもあるけど、とちいさな声で言った。

「少なくとも、食べものを粗末にする佳山さんたちよりは、から揚げで嬉し涙流す子のほうがいいかなって」

 ……え、ちょっと待って。
 あの時、彼はずっとお茶を飲んで空ばかり見ていたから、てっきりばれてないと思ってたのに。

「見てたの?」
「見てない。でも、鼻すする音が聴こえたから」

 うわー恥ずかしい。子どもか私。
 ひとりでぐるぐる悶絶する私を見て、聡が声をあげて笑う。二度目だ、この声。

 私はその笑顔をにらみつけた。馬鹿にされているとは思わなかったが、単に恥ずかしかった。だけど、こんなふうに何度も楽しげに笑う彼を見るのは、初めてだった。それが嬉しくて、つい私も吹きだして笑ってしまう。

 聡はまた優しい微笑に戻って、「大塚くんってのは」と言う。

「やめよう。俺の連れ、みんな聡って言うから。大塚くんとか、他人行儀っぽい」
「え、でも」私は照れを隠すように、首の後ろを掻いた。「女子が男子を名前呼びって」
「俺が名字は嫌って言ってるんだから、いいんじゃない。名前のほうが親近感あるから」

 それを聴いて、私は「じゃあ」と自分を指さした。

「私のことも四季で。春夏秋冬の四季だよ」
「四季。和風っぽいね、いい名前」

 そんなこと初めて言われた。名乗ると改めて変な名前だと思ったが、和風だと言われたのは彼が最初だった。

 戻ろうか、と言われて彼のあとにつづく。美術準備室を出ると、遠くから、現実に引き戻しにかかってくる他の生徒の騒ぎ声が聴こえた。

 ああ、またうるさい日常がはじまる。水が逆流するように、明るかった気分をまた暗い水底に叩き落とされる。

 私は背後の美術準備室をふりかえった。もう少し、あそこでごはんを食べていたかったな。いつまでも食べてるわけにはいかないけど……。

 私はくだんの、自称じゃなく、そこそこ信頼に足る超能力者の背中を、小走りに追いかけていった。突然ふり向いてこちらを見る聡に、少し驚く。彼は笑って、「ジュース買いに行こう」と言った。ふたたび歩きだした彼の歩く速さは、私と同じだった。
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