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第10話 聡の卵かけごはん
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長くなりそうだったので、私と聡は放課後、近所にあるショッピングモールの屋上に行った。子ども向けの遊具がありかつてはにぎわっていたが、今は完全停止されビニールシートがかけられている。
私たちはフェンスの傍にあるベンチに座った。私はイチゴミルクのパック、聡は缶コーヒーを持って。風が強く吹きつける。よく晴れて、景色もいい。
彼に母親がいないことは知っていたので、悲しい話になることは予想できた。だから放課後までの二時間、私はまったく授業に集中できなかった。触れてはいけないことではないのか、と気が気でなかった。
缶のプルトップをあけながら、最初に彼が話したのは、結論からだった。
「超能力が使えるようになったのは、母親が死んだ直後からなんだ」
死んだ、という単語に身体が硬直する。イチゴミルクを持つ手に力が入った。
「母はカメラマンだった。詳しくないけど、なんかの賞をもらったことがあるような、写真の世界ではいい感じに有名人らしい。戦争だとか空爆だとか、事故だとか災害だとか、物々しい写真しか撮ってなくてさ。でも、カメラマン兼ボランティアみたいな感じの立場で、写真集の売上で支援物資を届けたり、寄付したり、現地で食料を配ったりもしてたらしいんだ。だから色んな横の繋がりもあったし、有名な人だったらしいんだ。だけど、中東の物々しい紛争地に赴いたあげく、武装組織と治安部隊との銃撃戦に巻きこまれて死んだ。棺桶の蓋は開けらないまま葬儀が終わった。最後に見たのは、出国する母を空港で見送ったときのうしろ姿なんだ。俺は八歳、小学二年生だった。葬式からしばらく、父親は地獄に行って帰ってきたみたいだった。世間から優しくて勇気ある女性だったと言われるぶん、父親は自分を責めた。こうなると分かっていたらもっと早く止めていた、って。でも母が自分の仕事にプライドややりがいを持って全力で撮影していることは知っていたから、その板挟みにも苦しんだだろうな」
聡が缶コーヒーを飲むのと同時に、私もイチゴミルクをストローですすった。「まあ、このへんは関係ないか」とつぶやいて、聡はつづきを話しはじめた。
「しばらくして、母が死んだ時に残っていた写真のデータを使って、遺作の写真集が出ることになった。母のコンセプトは、日本に後進国や紛争地や災害現場の実情を知ってもらうことだったから。誰に止められても行くし、どこにでも行くし、現地で何度も人を助け、命を助けてきた。そんな人柄で有名な母だから、写真集は羽がついたように売れた。俺はそれまで母の写真を何枚も見ていたはずなのに、なぜかそのとき初めて、写真集を見ただけで分かったんだ。写真に写っている紛争地の人たちが、何を食べたがっているのか」
おかしな話だろ? と聡が苦笑したが、私は首を横に振った。イチゴミルクのパックの表面にじんわりと水滴が浮かび、私の手を濡らす。
聡は缶コーヒーをベンチに置いて、後ろに手をついて空を見あげる。
「自分でも不思議だった。よりによって食べものだもんな。心が読めるならまだしもそんな中途半端なもんだから、父親もしばらく疑ってた。他の大人は信じなかった。だけど、写真に写った少年兵とか、武装した民間人とかが、どれぐらいおなかが減っているか、食べたいものがあるならそれが、なぜか分かる。この超能力を素直におもしろがれるようになるには時間がかかった。理由は」
聡はそっと目を閉じ、そしてひらいた。
「──食べたいものがあっても、なくても、ぜんぶ見えてしまうんだ」
それを想像してしまい、ぞくりと背筋に寒気が走る。
教科書で写真を何枚も見た。大きなおなかで、だけど手脚はやせ細っている飢餓の子ども。大きなアサルトライフルをかかえる少年兵。燃える目、光のない目、もう何もうつさない目。
あたりまえのようにおいしいごはんが毎日食べられるわけじゃない、いつ死ぬか分からない国。
もし彼らとじかに会ったら、聡は何を見るのか。
分からない。想像できない。……考えることが怖い。
「普段は、写真やテレビ越しには何も見えないんだけどね」聡は話をつづける。「当時だけ、母の写真だけ例外だった。災害の跡地で懸命に生きようとする人たちからは、一杯のスープでもいいから欲しいという心が。反政府デモに参加する人たちからは、それどころじゃないっていうとても濃い煙が。大切な人を失って泣き叫ぶ人たちからは、もう何かを食べたいという欲求はいっさい見えなかった」
それらを一気に見てしまった八歳の少年。
ちいさな心にかかる負荷はどれほどのものだったろう。
人の悲しみや絶望、怒りを直視してしまうこと。それは自分の中で考えるより、重く苦しい。背負いきれない。
寒気がした。爆撃の心配をしないで暮らす私のいじめなんて、些細な苦痛に見えてしまうほどだった。
「よく、ひねくれずにまっすぐ育ったね」
ぽつりとつぶやくと、聡は声をあげて笑った。「あいかわらずズバッと言うなあ」と言われてしまった。
だけど本当にそう思った。早くにそんなものを見てしまったら、人の闇を知ってしまったら。私だったらきっと大人になるのが怖くなる。考えただけで全身の毛が逆立った。
だけど聡は気にせず、歌うような調子で言う。
「ひねくれずにいられたのは、写真じゃなく実際の人間からも見えるようになったからかな。確かに最初のショックは凄かったし、つらかった。超能力なんていらなかったって思ったけど、今はそれを役立てるために自分にしかできないことをやろうって思えるようになったし。人の食べたいものが分かって、それを食べているときの笑顔が素敵だって思ってさ。この笑顔が見れるなら悪くないって、大人になるにつれ捉えかたが変わってきた。もう五年もたつんだ、扱い方も分かるようになってきたよ」
聡は笑いながらそう言うが、その結論に辿り着くまでにどれだけ苦労しただろう。自分の目にうつるものをどれだけ信じてこれただろう。
あいかわらず漫画の主人公じみた想像しかできないが、聡がそれらと違いこうして前向きでいられるのも、母親の写真を通じて、世の中の暗い部分を知っているからなのかも知れない。
「京さん以外にも、超能力のことを知ってる人が?」
「いるよ。親と、昔からの親友とか。今のクラスの友達にも何人かいるし」
「え!? ぜんぜんそんな空気なかった……」
「別にあえて言いふらしたりしてないからね。それに、こういうSFじみたことを笑い飛ばして馬鹿にするほど子どもじゃなくて、でも無邪気に信じるほどには子どもで、冷静に事実を受けとめられるほどには大人だろ、みんな。理解者はもっと増えてくれるだろうって思ってる」
「きっとそうだよ。聡、いい人だもん」
私は笑って言った。聡も笑った。ふわっと花がひらくような空気が、私たちふたりを閉じこめた。世界のあらゆる悲しいものから、守ってくれている気がした。
細められた聡の切れ長の目に、ひと粒の切なさが浮かぶ。透きとおって消えてしまいそうな、儚くてやわらかい頬笑み。こぼれそうなそれを、手のひらで受けとめる。
「ありがとう、四季」
「いやいや、私は何も……」
「なんか、四季まで人の心が読める超能力者になったみたいだ。仲間だね」
「え、本当に? だったらチャンスだ、クラスで頭いい子の心をテスト中に読める」
聡は微笑みを絶やさず尻の位置をずらし、私の顔を正面から見て「じゃあ」と言った。
「今、四季には、俺の何が見える?」
じっと見つめる漆黒の瞳。私は、一瞬ごまかそうとして、やめた。彼の目があまりに真剣だったからだ。
私に超能力なんてない。だけど、問われた。
聡の家に行ったとき、母親のいない写真を伏せるでもなく、笑って流すでもなく、きちんと定位置に戻した理由が少し分かった。そして彼がそれを引きずらずにいて、自分の力を信じている理由も。
私たちの住む世界は、ぜんぶがぜんぶしあわせだったわけじゃない。何もかも綺麗なものでできているわけじゃない。必ずどこかが錆ついている。ときには血の上に成り立つ平和もある。ハッピーエンドの物語が売れ、作り話の奇跡が人を感動させる。常に誰かが涙を流し、理不尽ありきの世界で死に物狂いで生きている。脱落者を出しながら、それでも幸せな物語が現実にひとさじでも再現されると信じて、生きている。その傍らでまた、脱落者が出る。
だけど、そこから人のしあわせな笑顔を引きだす魔法を、聡はひとつ身につけている。与えられた魔法で、大切な人の寂しさを埋める方法を彼は探し、見つけ、そして動いた。
誰もがすぐには思い出せないことを覚えていて、将来知るだろうことをもう知っていて。怖がらずにいられるのは、たったひとくちのおいしいごはん、一本の缶ジュースだけでも、人の心をあたためることを知っているから。誰かのために、を違和感なくやってのけてしまえるからだと。
そしてそれは、別に、超能力でも魔法でもなんでもない。大塚聡が大事にしてきた優しさだ。
「聡のお母さんの気持ちが、見える」
そうつぶやくと、彼はほんのわずかに目を見ひらいた。
「お母さんは写真を通じて、『誰かをしあわせにしたい』『つらい世界でも生きていて欲しい』っていう気持ちをたくさん増やしたかったんだ。紛争地帯の支援をしてたお母さんの優しさは、規模は違っても、聡とそっくりだよ。優しくて、誰かのためを考えてて、寄り添おうとする。写真を見て悲しいとかつらいって思ったその気持ちが、元々あった優しさと繋がって、超能力になったんだ」
少しずつ、少しずつ、聡の目が充血してゆく。私は絶対に目をそらさなかった。
「その超能力はきっと、お母さんの気持ちそのものなんだよ。私、最初に聡にから揚げのお弁当をもらったとき、すごく嬉しかった。寂しくて苦しい気持ちを半分背負ってくれたみたいで、心が軽くなった。おなかがすいたっていうちいさなことでも、それを分かってくれて、ごはんをくれて、隙間を埋めてくれることが人を救うんだよ。それが誰よりもすんなりできちゃう聡は、手に入りづらい大きな幸福じゃない、本当に本当にちいさくて見えづらくなってる些細なしあわせを、ひとつずつ拾って手渡してくれる人なんだって」
そこまで話すと、聡がふいと目をそらした。そのとき閉じられた目から、ぽつりと涙が落ちた気がした。聡は音も立てず鼻を指で拭い、ごまかすように空を見あげた。赤く腫れた目元が、スコンと抜けた高い空を吸いこんで、透きとおる。
今の彼には何が見えるのだろう。もし彼の超能力が神様の手によるものではなく、彼自身のものだとしたら。お母さんの優しさがそのまま、この世界に残るためにあったのだとしたら。
私は空に願った。
もっともっと、そのままでいて欲しい。
君は優しすぎるから、その笑顔はいつも儚くて、崩れてしまいそうで。
この世界は、思っている以上にうつくしいから。また君と一緒においしいごはんを作って、机に向かいあわせに座って、笑ってそれを食べたいから。あのふわふわした、夢見心地なあたたかさを君と一緒に感じていたいから。
君の隣にいられて、私はしあわせです。
だから、君にも何かをしてあげたいし、しあわせになってもらいたいんです。
「父さんは」
聡は泣いていたことをごまかすように苦笑して言った。「消防士なんだ」
「えっ、凄い、本当に?」私は素直に驚きの声をあげる。
「かっこいい! 命を守る職業じゃん」
「俺もそう思う。母さんが死んだあとに、どうしても人命を救う仕事がしたくて猛勉強したらしい。年齢制限ギリギリだったけど採用されて、それの通知が来た日、お祝いのつもりで昼飯を作ってあげたんだ。包丁も持ったことがないチビがせいいっぱい作ったのが、なんと卵かけごはん!」
思わず、ふたりで顔を見あわせて笑ってしまった。かわいい、と思った。
聡は目尻に涙を残したまま笑って、でさ、と言う。言葉のひとつひとつを大切に、ていねいに紡ぐ。
「別に父さんが食べたがってたってわけじゃなくて、ただ俺が唯一作れる料理だったんだ。炊いたごはんに卵を割り入れて、醤油を落としただけなんだよ。なのに、父さんったら大泣きしてさ。聡は世界一いい子だ、やっぱり母さんの子どもだ、俺は母さんを救えなかったぶん何百人も人を救うよ、って言いながら。仏壇に供えて、米粒ひとつ残さず食べてくれた。手を合わせて『ごちそうさま』って言ってくれたとき、俺まで泣いちゃった」
ああ、だからか……と私は思った。
優しい頬笑みを浮かべて空を見あげる聡。私はその横顔を見て、そして同じように空を見た。飛行機が横ぎって、逆方向に雲が流れていく。
「だから俺は、消防士はやらないけど、大学を出たら後進国を支援する系の何かの団体に所属したいと思ってる。月並みかつ偽善者な話だけどさ、餓死する子どもが大勢いるような国や、紛争で食糧難にあえぐ国の人に、たくさんのパンやミルクを届けたいんだ。母が写真を通して伝えたかったことを受けとめた以上、俺がそれを叶えるためにこの能力を使いたい。そのために、まず、自分の大事な人たちに笑ってもらいたい」
風が吹いて、前髪をはじいていった。首をもたげると、聡が笑ってこちらを見ていた。思わず吹きだし笑いをしてしまう。
じゅうぶんだ。じゅうぶんすぎる。その願いがすべてだ。
何も知らないままで生きられなかった試練は、聡が背負った重荷を強さに変えることができるから与えられた。
ずっと、そういうふうに生きて、生きて、自分を生かすすべてのものに感謝してきただろうから。
誰もが毎日は思い出さない。だけど、かつては絶対に誰しもが感じたあたたかさ。それが伝染していく優しさ。歪んでいて、どこから崩れるか知れたものじゃない不安定な世の中で、そのうつくしい宝物の名前を誰かひとりでも知っていたら。
──この世界はもっと、生きやすくなるだろうか。
ただふたりで笑っていた。ビー玉が転がるように笑った。
夏はまだしつこく残っている。だけど風は秋の匂いを運んできた。これからやってくる食欲の季節を前に、今度は私が聡に料理をふるまってあげたいと思った。
私たちはフェンスの傍にあるベンチに座った。私はイチゴミルクのパック、聡は缶コーヒーを持って。風が強く吹きつける。よく晴れて、景色もいい。
彼に母親がいないことは知っていたので、悲しい話になることは予想できた。だから放課後までの二時間、私はまったく授業に集中できなかった。触れてはいけないことではないのか、と気が気でなかった。
缶のプルトップをあけながら、最初に彼が話したのは、結論からだった。
「超能力が使えるようになったのは、母親が死んだ直後からなんだ」
死んだ、という単語に身体が硬直する。イチゴミルクを持つ手に力が入った。
「母はカメラマンだった。詳しくないけど、なんかの賞をもらったことがあるような、写真の世界ではいい感じに有名人らしい。戦争だとか空爆だとか、事故だとか災害だとか、物々しい写真しか撮ってなくてさ。でも、カメラマン兼ボランティアみたいな感じの立場で、写真集の売上で支援物資を届けたり、寄付したり、現地で食料を配ったりもしてたらしいんだ。だから色んな横の繋がりもあったし、有名な人だったらしいんだ。だけど、中東の物々しい紛争地に赴いたあげく、武装組織と治安部隊との銃撃戦に巻きこまれて死んだ。棺桶の蓋は開けらないまま葬儀が終わった。最後に見たのは、出国する母を空港で見送ったときのうしろ姿なんだ。俺は八歳、小学二年生だった。葬式からしばらく、父親は地獄に行って帰ってきたみたいだった。世間から優しくて勇気ある女性だったと言われるぶん、父親は自分を責めた。こうなると分かっていたらもっと早く止めていた、って。でも母が自分の仕事にプライドややりがいを持って全力で撮影していることは知っていたから、その板挟みにも苦しんだだろうな」
聡が缶コーヒーを飲むのと同時に、私もイチゴミルクをストローですすった。「まあ、このへんは関係ないか」とつぶやいて、聡はつづきを話しはじめた。
「しばらくして、母が死んだ時に残っていた写真のデータを使って、遺作の写真集が出ることになった。母のコンセプトは、日本に後進国や紛争地や災害現場の実情を知ってもらうことだったから。誰に止められても行くし、どこにでも行くし、現地で何度も人を助け、命を助けてきた。そんな人柄で有名な母だから、写真集は羽がついたように売れた。俺はそれまで母の写真を何枚も見ていたはずなのに、なぜかそのとき初めて、写真集を見ただけで分かったんだ。写真に写っている紛争地の人たちが、何を食べたがっているのか」
おかしな話だろ? と聡が苦笑したが、私は首を横に振った。イチゴミルクのパックの表面にじんわりと水滴が浮かび、私の手を濡らす。
聡は缶コーヒーをベンチに置いて、後ろに手をついて空を見あげる。
「自分でも不思議だった。よりによって食べものだもんな。心が読めるならまだしもそんな中途半端なもんだから、父親もしばらく疑ってた。他の大人は信じなかった。だけど、写真に写った少年兵とか、武装した民間人とかが、どれぐらいおなかが減っているか、食べたいものがあるならそれが、なぜか分かる。この超能力を素直におもしろがれるようになるには時間がかかった。理由は」
聡はそっと目を閉じ、そしてひらいた。
「──食べたいものがあっても、なくても、ぜんぶ見えてしまうんだ」
それを想像してしまい、ぞくりと背筋に寒気が走る。
教科書で写真を何枚も見た。大きなおなかで、だけど手脚はやせ細っている飢餓の子ども。大きなアサルトライフルをかかえる少年兵。燃える目、光のない目、もう何もうつさない目。
あたりまえのようにおいしいごはんが毎日食べられるわけじゃない、いつ死ぬか分からない国。
もし彼らとじかに会ったら、聡は何を見るのか。
分からない。想像できない。……考えることが怖い。
「普段は、写真やテレビ越しには何も見えないんだけどね」聡は話をつづける。「当時だけ、母の写真だけ例外だった。災害の跡地で懸命に生きようとする人たちからは、一杯のスープでもいいから欲しいという心が。反政府デモに参加する人たちからは、それどころじゃないっていうとても濃い煙が。大切な人を失って泣き叫ぶ人たちからは、もう何かを食べたいという欲求はいっさい見えなかった」
それらを一気に見てしまった八歳の少年。
ちいさな心にかかる負荷はどれほどのものだったろう。
人の悲しみや絶望、怒りを直視してしまうこと。それは自分の中で考えるより、重く苦しい。背負いきれない。
寒気がした。爆撃の心配をしないで暮らす私のいじめなんて、些細な苦痛に見えてしまうほどだった。
「よく、ひねくれずにまっすぐ育ったね」
ぽつりとつぶやくと、聡は声をあげて笑った。「あいかわらずズバッと言うなあ」と言われてしまった。
だけど本当にそう思った。早くにそんなものを見てしまったら、人の闇を知ってしまったら。私だったらきっと大人になるのが怖くなる。考えただけで全身の毛が逆立った。
だけど聡は気にせず、歌うような調子で言う。
「ひねくれずにいられたのは、写真じゃなく実際の人間からも見えるようになったからかな。確かに最初のショックは凄かったし、つらかった。超能力なんていらなかったって思ったけど、今はそれを役立てるために自分にしかできないことをやろうって思えるようになったし。人の食べたいものが分かって、それを食べているときの笑顔が素敵だって思ってさ。この笑顔が見れるなら悪くないって、大人になるにつれ捉えかたが変わってきた。もう五年もたつんだ、扱い方も分かるようになってきたよ」
聡は笑いながらそう言うが、その結論に辿り着くまでにどれだけ苦労しただろう。自分の目にうつるものをどれだけ信じてこれただろう。
あいかわらず漫画の主人公じみた想像しかできないが、聡がそれらと違いこうして前向きでいられるのも、母親の写真を通じて、世の中の暗い部分を知っているからなのかも知れない。
「京さん以外にも、超能力のことを知ってる人が?」
「いるよ。親と、昔からの親友とか。今のクラスの友達にも何人かいるし」
「え!? ぜんぜんそんな空気なかった……」
「別にあえて言いふらしたりしてないからね。それに、こういうSFじみたことを笑い飛ばして馬鹿にするほど子どもじゃなくて、でも無邪気に信じるほどには子どもで、冷静に事実を受けとめられるほどには大人だろ、みんな。理解者はもっと増えてくれるだろうって思ってる」
「きっとそうだよ。聡、いい人だもん」
私は笑って言った。聡も笑った。ふわっと花がひらくような空気が、私たちふたりを閉じこめた。世界のあらゆる悲しいものから、守ってくれている気がした。
細められた聡の切れ長の目に、ひと粒の切なさが浮かぶ。透きとおって消えてしまいそうな、儚くてやわらかい頬笑み。こぼれそうなそれを、手のひらで受けとめる。
「ありがとう、四季」
「いやいや、私は何も……」
「なんか、四季まで人の心が読める超能力者になったみたいだ。仲間だね」
「え、本当に? だったらチャンスだ、クラスで頭いい子の心をテスト中に読める」
聡は微笑みを絶やさず尻の位置をずらし、私の顔を正面から見て「じゃあ」と言った。
「今、四季には、俺の何が見える?」
じっと見つめる漆黒の瞳。私は、一瞬ごまかそうとして、やめた。彼の目があまりに真剣だったからだ。
私に超能力なんてない。だけど、問われた。
聡の家に行ったとき、母親のいない写真を伏せるでもなく、笑って流すでもなく、きちんと定位置に戻した理由が少し分かった。そして彼がそれを引きずらずにいて、自分の力を信じている理由も。
私たちの住む世界は、ぜんぶがぜんぶしあわせだったわけじゃない。何もかも綺麗なものでできているわけじゃない。必ずどこかが錆ついている。ときには血の上に成り立つ平和もある。ハッピーエンドの物語が売れ、作り話の奇跡が人を感動させる。常に誰かが涙を流し、理不尽ありきの世界で死に物狂いで生きている。脱落者を出しながら、それでも幸せな物語が現実にひとさじでも再現されると信じて、生きている。その傍らでまた、脱落者が出る。
だけど、そこから人のしあわせな笑顔を引きだす魔法を、聡はひとつ身につけている。与えられた魔法で、大切な人の寂しさを埋める方法を彼は探し、見つけ、そして動いた。
誰もがすぐには思い出せないことを覚えていて、将来知るだろうことをもう知っていて。怖がらずにいられるのは、たったひとくちのおいしいごはん、一本の缶ジュースだけでも、人の心をあたためることを知っているから。誰かのために、を違和感なくやってのけてしまえるからだと。
そしてそれは、別に、超能力でも魔法でもなんでもない。大塚聡が大事にしてきた優しさだ。
「聡のお母さんの気持ちが、見える」
そうつぶやくと、彼はほんのわずかに目を見ひらいた。
「お母さんは写真を通じて、『誰かをしあわせにしたい』『つらい世界でも生きていて欲しい』っていう気持ちをたくさん増やしたかったんだ。紛争地帯の支援をしてたお母さんの優しさは、規模は違っても、聡とそっくりだよ。優しくて、誰かのためを考えてて、寄り添おうとする。写真を見て悲しいとかつらいって思ったその気持ちが、元々あった優しさと繋がって、超能力になったんだ」
少しずつ、少しずつ、聡の目が充血してゆく。私は絶対に目をそらさなかった。
「その超能力はきっと、お母さんの気持ちそのものなんだよ。私、最初に聡にから揚げのお弁当をもらったとき、すごく嬉しかった。寂しくて苦しい気持ちを半分背負ってくれたみたいで、心が軽くなった。おなかがすいたっていうちいさなことでも、それを分かってくれて、ごはんをくれて、隙間を埋めてくれることが人を救うんだよ。それが誰よりもすんなりできちゃう聡は、手に入りづらい大きな幸福じゃない、本当に本当にちいさくて見えづらくなってる些細なしあわせを、ひとつずつ拾って手渡してくれる人なんだって」
そこまで話すと、聡がふいと目をそらした。そのとき閉じられた目から、ぽつりと涙が落ちた気がした。聡は音も立てず鼻を指で拭い、ごまかすように空を見あげた。赤く腫れた目元が、スコンと抜けた高い空を吸いこんで、透きとおる。
今の彼には何が見えるのだろう。もし彼の超能力が神様の手によるものではなく、彼自身のものだとしたら。お母さんの優しさがそのまま、この世界に残るためにあったのだとしたら。
私は空に願った。
もっともっと、そのままでいて欲しい。
君は優しすぎるから、その笑顔はいつも儚くて、崩れてしまいそうで。
この世界は、思っている以上にうつくしいから。また君と一緒においしいごはんを作って、机に向かいあわせに座って、笑ってそれを食べたいから。あのふわふわした、夢見心地なあたたかさを君と一緒に感じていたいから。
君の隣にいられて、私はしあわせです。
だから、君にも何かをしてあげたいし、しあわせになってもらいたいんです。
「父さんは」
聡は泣いていたことをごまかすように苦笑して言った。「消防士なんだ」
「えっ、凄い、本当に?」私は素直に驚きの声をあげる。
「かっこいい! 命を守る職業じゃん」
「俺もそう思う。母さんが死んだあとに、どうしても人命を救う仕事がしたくて猛勉強したらしい。年齢制限ギリギリだったけど採用されて、それの通知が来た日、お祝いのつもりで昼飯を作ってあげたんだ。包丁も持ったことがないチビがせいいっぱい作ったのが、なんと卵かけごはん!」
思わず、ふたりで顔を見あわせて笑ってしまった。かわいい、と思った。
聡は目尻に涙を残したまま笑って、でさ、と言う。言葉のひとつひとつを大切に、ていねいに紡ぐ。
「別に父さんが食べたがってたってわけじゃなくて、ただ俺が唯一作れる料理だったんだ。炊いたごはんに卵を割り入れて、醤油を落としただけなんだよ。なのに、父さんったら大泣きしてさ。聡は世界一いい子だ、やっぱり母さんの子どもだ、俺は母さんを救えなかったぶん何百人も人を救うよ、って言いながら。仏壇に供えて、米粒ひとつ残さず食べてくれた。手を合わせて『ごちそうさま』って言ってくれたとき、俺まで泣いちゃった」
ああ、だからか……と私は思った。
優しい頬笑みを浮かべて空を見あげる聡。私はその横顔を見て、そして同じように空を見た。飛行機が横ぎって、逆方向に雲が流れていく。
「だから俺は、消防士はやらないけど、大学を出たら後進国を支援する系の何かの団体に所属したいと思ってる。月並みかつ偽善者な話だけどさ、餓死する子どもが大勢いるような国や、紛争で食糧難にあえぐ国の人に、たくさんのパンやミルクを届けたいんだ。母が写真を通して伝えたかったことを受けとめた以上、俺がそれを叶えるためにこの能力を使いたい。そのために、まず、自分の大事な人たちに笑ってもらいたい」
風が吹いて、前髪をはじいていった。首をもたげると、聡が笑ってこちらを見ていた。思わず吹きだし笑いをしてしまう。
じゅうぶんだ。じゅうぶんすぎる。その願いがすべてだ。
何も知らないままで生きられなかった試練は、聡が背負った重荷を強さに変えることができるから与えられた。
ずっと、そういうふうに生きて、生きて、自分を生かすすべてのものに感謝してきただろうから。
誰もが毎日は思い出さない。だけど、かつては絶対に誰しもが感じたあたたかさ。それが伝染していく優しさ。歪んでいて、どこから崩れるか知れたものじゃない不安定な世の中で、そのうつくしい宝物の名前を誰かひとりでも知っていたら。
──この世界はもっと、生きやすくなるだろうか。
ただふたりで笑っていた。ビー玉が転がるように笑った。
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「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!
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