上司がSNSでバズってる件

KABU.

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第36話:はじまった“最後の一週間”と触れられない距離の近さ

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月曜日の朝。

異動発表から一夜明けた会社は、いつもと同じように見えて、どこか違っていた。

(……今日から、“最後の一週間”なんだ)

正確には、まだ正式に席が移るわけじゃない。
誠さんが新しい“ブランド統括室”の準備に入るだけで、
仕事場はまだ同じフロアにある。

それなのに――

“距離が変わる”っていう事実だけで、
空気って、こんなに変わるんだ。

デスクに座ると、成田がすぐ覗き込んできた。

「真由……いよいよだなぁ……」

「その言い方やめて……ドラマの最終回前みたい……」

「だって最終回前だろ。部署的な意味で」

「たしかにそうだけど!」

他の席からも、ちらちらと視線が飛んでくる。

「藤原さん、大丈夫かな……」
「柊さんいなくなったら、広報どうなるんだろ」
「いや藤原さんなら平気でしょ~」

(……そう言ってもらえるのは嬉しい。
 でも、寂しいのは事実だよ……)

そんな中――

「藤原」

その声だけで、体温が一度上がる。

振り返ると、誠さんが資料を片手に立っていた。

スーツの色も、表情も、いつも通りなのに――
まるで“向こう側の人”になっていくみたいで。

「……おはようございます、誠さん」

「おはよう。今日、統括室の準備で席を空けることが多い」

「はい。気をつけてくださいね」

誠さんは小さく頷く。

「無理はするなよ。今日、仕事多いだろ」

「……なんでわかるんですか」

「顔に書いてある」

「書いてません!」

「書いてる」

(……ほんと、人の顔読むの上手いんだから……)

誠さんは去る直前、低い声でだけ呟いた。

「――会えない時間より、仕事に集中しろ。
 その方が“次に会う時”、胸を張れる」

「……っ」

(あぁもう……反則……)



午前10時。

案の定、仕事は山積みだった。
BRIDGEの案件、広報誌の改訂、新広告のチェック、
そして誠さんが抜ける前に共有していた進行表の確認。

(……全部回せる気がしない)

そんな時。

「藤原さん、大変大変!」

営業の若手・三浦くんが飛び込んでくる。

「BRIDGEのクライアントから、修正依頼きてます!
 “資料とプレゼンが違う”って!」

「え!? 違わないはず……!」

急いで資料を開く。

……違っていた。

厳密には、土曜日の時点でクライアントの仕様変更が入っていたのに、
私の方の反映が追いついていなかった。

(しまった……!)

「謝罪メール送って、15時までに修正版作るから、
 三浦くんはクライアントの時間だけ押さえて!」

「了解です!」

ドアが閉まる。

(……やるしかない)

画面に向かい、息を整えて作業に没頭する。

でも――

頭の片隅には“異動”の文字がずっと残っていた。

(……誠さんがいたら、絶対すぐ気づいてくれてたな……)

そう思うのは甘えだってわかってるのに、
脳が勝手に比較してしまう。



午後。

「藤原、大丈夫そうか?」

突然、隣の席から声がした。

「っ……誠、さん……?」

誠さんだった。
統括室の準備の合間に戻ってきたらしい。

「焦った顔してたからな」

「……見てたんですか」

「君の席が視界に入る位置にある」

「それって……ずるいです」

「また言ったな」

誠さんは資料を横から覗き込む。

「修正、俺も手伝う」

「えっ!? だめです、これは私のミスで――」

「仕事を分担するのは当然だ。
 恋人だからじゃない。チームだからだ」

(……っ……!
 なんでそんなに自然に、そういうこと言えるの……)

「……じゃあ、少しだけお願いします」

「任せろ」

二人並んでキーボードを叩く。

距離はいつもより近いのに、
触れられない。

(……もうすぐ、本当にこの席で並べなくなるんだ)

そんな事実が押し寄せてきて、
少しだけ胸の奥がチクっとした。



15時ギリギリで資料が完成し、
謝罪と説明も無事に通った。

ふぅ、と息を吐いた瞬間。

「お疲れ」

ぽん、と頭に手が置かれた。

「ひっ……か、課長……!」

「誠、だ」

「業務中です!!」

「誰も見てない」

「見てるかもしれない!」

「見られて困ることはしてない」

「いや今してます!!」

誠さんは小さく笑って、手を離した。

「ミスは悪いことじゃない。
 それを隠そうとしなければ、な」

(……ほんと、この人、タイミング完璧)



夕方。

誠さんは再び統括室へ戻り、
フロアからいなくなった。

ミーティングも全部別室だし、
数十メートルしか離れてないのに、
“全く会えない”。

(……こんなにすぐ距離ってできるんだ)

ほんの少しの会えなさが、
こんなに胸に残るなんて。



夜。

帰り際、エレベーターに向かって歩いていると、

「藤原」

後ろから呼ばれる。

振り返ると、ネクタイを緩めた誠さんがいた。

「……帰るの?」

「はい。誠さんは?」

「今日はもう終わりだ。一緒に帰る」

(……よかった。今日はこのまま会えないのかと思ってた……)

エレベーターに乗り、二人きり。

「今日、大変だったな」

「……見てました?」

「見なくてもわかる。
 君の“肩の上がり方”で全部わかる」

「そんな分析しないでください!!」

「プロファイリングの基本だ」

「怖いですって!」

エレベーターが降りるにつれ、
二人の距離が自然に近づく。

でも、触れない。

(……今触れたら、泣きそうだから)

外に出ると夜風が冷たくて、
二人の距離がほんの少し縮まった。

「……誠さん」

「ん?」

「今日……すごく忙しかったけど、
 “会えたこと”だけで、なんか救われました」

「それはよかった」

「……誠さんは?
 今日、私に“会えなくて”どうでした?」

誠さんは少しだけ視線を落とす。

「……正直に言うと――」

「はい」

「落ち着かなかった」

「……!」

「視界の端に君がいないだけで、
 仕事のリズムが違う」

「そ、それは……誠さんが依存――」

「してる。認める」

「即答!?!?」

誠さんは横を向いて、小さく笑った。

「でも、それでいい。
 依存じゃなくて“習慣”だ。
 君がいるのが、俺の仕事の形になってる」

(……また反則言った……)

歩幅が揃う。
会話が自然に繋がる。

たったそれだけなのに、

“離れ始めた距離が、すぐそばへ戻る”

そんな感覚になった。



別れ際。

誠さんが少し近づいて、言った。

「週一のルール、守るぞ」

「はい」

「でも、週一じゃ足りない気がする」

「……っ」

「君に会う理由なら、いくらでも作れる」

「だ、だめです!
 仕事サボってまで来たりしたら――」

「しない。
 ただ、“会う努力”は惜しまないと言ってるだけだ」

(……努力なんて言葉、ここで使わないで……!
 本気になっちゃうじゃん……)

「じゃあ……私も努力します」

「どんな?」

「誠さんに“会いたい”って思ったら、
 ちゃんと伝える努力」

一瞬だけ、誠さんの目が大きく見開いた。

「……藤原」

「なにか……まずかったですか?」

「いや」

誠さんは少しだけ息を吸ってから、言った。

「それを聞けただけで、今日の疲れが全部消えた」

夜風が、ふっと優しく通り抜けた。

(あぁもう……この人ほんとに……
 なんでそんな言葉ばっかり……)



その夜。

寝る前にスマホが震えた。

《@WORK_LIFE_BALANCE》
「“会いたい”が素直に言える関係は、離れても壊れない。」

真由は笑って返す。

《@mayu_worklife》
「じゃあ、これからいっぱい言います。
 “会いたい”って。」

(――離れていくはずなのに、
 なんで、こんなに近く感じるんだろう。)

その理由はきっと、

“離れない覚悟を互いに持っているから”。

そう思えた夜だった。
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