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街の灯 Ⅱ
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陸軍の特殊部隊にいたお父さんが突然戻ってから、10歳の私はもう学校へ行かなくていいと言われた。
私とお母さんはわけも分からずに驚いたが、憔悴しきったお父さんが真剣に言うので、それに従うことになった。
お父さんはいつも笑顔で優しい人だった。
でも、その時は本当に辛そうな顔をし、私たちに話した。
詳しくは話してもらえなかったが、お父さんはもうロシアは大変なことになっていると言っていた。
私とお母さんは、それが恐ろしいことだとは、まだその時には何も気付いていなかった。
ただ、お父さんの真剣に話す言葉を信じた。
お父さんは軍の基地から武器と弾薬を持って来ていた。
そのことにも驚いたのだけれど、お父さんがすぐにそれらをどこかに隠して仕舞ったので、何も聞けなかった。
そして少しずつお父さんは話してくれた。
お父さんの話では、もう基地には人間がおらず、誰も武器などの管理をしていないそうだ。
数か月前に基地が怪物に襲われ、お父さんはすぐに逃げ出したのだと。
「怪物ってなに?」
「怪物だ。大きな醜い姿で、人間に襲い掛かる」
「そんな……」
「レーナ、お父さんを信じろ。いつかあの怪物がここにも来る。今はまだ多くの人が知らずにいるけど、そのうちにみんなおかしなことに気付くようになる。そして必ず怪物がここにむ来るんだ」
「え!」
私はそのまま家にいるようになり、お父さんからサバイバルの技術を教わるようになった。
少しだけ、武器の扱いも教わった。
でもお父さんは私に武器を使わせたくないようで、本当に最低限のことだけだった。
そしてお父さんの言葉を裏付けるように、次第にテレビ放送が少なくなり、ついにはインターネットも電話も通じなくなっていった。
食糧品や生活用品の流通も途絶えるようになり、人々は困惑していた。
うちはお父さんの指示で食糧品などを集めて保管していったので、それほど困ることは無かった。
親しい人たちに、密かに分けてもいた。
でも、まさかロシアが崩壊しているとはまだ誰も思っていなかった。
お父さんから、他の人には信じてもらえないから絶対に話すなと言われた。
後から思えば、お父さんは私たちが逃げ出す準備をしていることを知られないようにしていたのだと分かる。
それに、そのことを話せば、どこかで見張っているかもしれない人間に知られることを恐れてもいたのだろう。
しばらく前から時々、上空からビラが撒かれていた。
そのビラには「虎」の軍が救出に来るので、集まって欲しいと書かれていた。
またそこには、ロシアが「カルマ」という悪魔に乗っ取られているとも書いてあった。
集合場所は私たちの街の近くの平野だった。
でも、政府の人たちが来て、そのビラは嘘で、「虎」の軍というのはロシアを侵略して支配しようとしている連中なのだと説明された。
電気や資源の不足は「虎」の軍のせいであり、ロシアは必死に戦っているのだと。
本当にみんな困っていたので、その説明を信じていた。
だから誰も「虎」の軍の呼びかけには応じなかったのだ。
お父さんにもビラの話をしたが、黙って何も言わなかった。
あの時のお父さんは、全てのことが信用できなかったのだろう。
でも、今となってはあのビラのことを思い出す。
本当にロシア政府は私たちのために戦ってくれていたのだろうか。
お父さんに聞いても「分からない」と言っていた。
だからお父さんも「虎」の軍のビラは信じないでいた。
とにかく、何もかもが信じられない状況だったのだ。
お父さんは軍隊の元の仲間の人たちとよく連絡を取り合っていた。
最初は電話やメールを使っていたが、そのうちに使えなくなった。
何度か遠くまで出かけて行ったが、それも無くなった。
お父さんに聞くと、みんないなくなってしまったそうだ。
それがどういうことかは話してくれなかった。
お父さんはとても辛そうな顔をしていた。
それからまた、何日も帰らない日々が続いた。
いつも帰ってきたお父さんはとても疲れていた。
どこに行っていたのかは教えてもらえなかった。
自分が出掛けているのを誰にも話さないようにとも言われた。
それからしばらくして、私たちの街に突然怪物が溢れるようになった。
お父さんが街に戻って来てから半年後のことだった。
本当に突然のことで、誰もが慌てふためき、そして怪物に殺されて行った。
まるで一斉に始まったように見えた。
街のあちこちから悲鳴と怒号と怪物の咆哮が聞こえた。
逃げ惑う人々と追い掛ける怪物。
怪物は人間の姿をしていたが、顔は恐ろしい形相で手当たり次第に人間に噛みついて殺して行く。
また噛まれた人は、そのうちに怪物になって他の人を襲うようになる。
あの怪物は、元は人間だったのだ!
地獄のようだった。
「サーシャ! すぐに逃げるぞ!」
「うん!」
お父さんは荷台のついたトラックを運転した。
お父さんは前から用意してあった食糧と水をトラックに積み込んだ。
武器もだ。
お父さんは軍で特殊部隊にいて、サバイバル技術もよく知っていたし、銃の扱いも上手かった。
事前に話してあったのか、何件かの家に寄り、近づく怪物はお父さんが銃で殺して行った。
元は街の人だったと分かってからは、恐ろしくて仕方が無かった。
だけど逃げ出す途中でお母さんは怪物に殺された。
近所に住む人で、一緒に逃げようとお母さんが誘いに行ってのことだった。
そのお宅の家族がもう怪物になっていたのだ。
そしてすぐに街は怪物になった人間で溢れ返り、私とお父さんは必死に逃げた。
私たちは命からがらに街を逃げ出し、街の外へ出てから東に向かって走った。
お父さんが事前に準備をしてくれていた場所に向かうのだと途中で話してくれた。
長く家に帰らなかったのは、私たちが逃げ出す場所を用意していたためだと分かった。
逃げる途中でお父さんがまた話してくれた。
特殊部隊員だったお父さんは、少し情報を持っていて、ロシアが崩壊したのは人々が怪物になっていくためだと把握していた。
だからお父さんは準備をしていたのだ。
それでも軍は最後まで残るだろうと思っていたようだ。
それは普通は軍事力を必要とする権力者がいるだろうからだ。
でも、そうではなかった。
権力を握るための革命やクーデターでは無かった。
もう、「人間」そのものがいなくなったのだ。
ロシアは軍人も政治家も学者も誰も必要とせず、怪物に覆われて行く崩壊だったのだ。
人間は生き残ることが出来ない破滅。
お父さんにも、一体何が起きているのかは分からない。
私たちはひたすらに逃げるしか無かった。
私とお母さんはわけも分からずに驚いたが、憔悴しきったお父さんが真剣に言うので、それに従うことになった。
お父さんはいつも笑顔で優しい人だった。
でも、その時は本当に辛そうな顔をし、私たちに話した。
詳しくは話してもらえなかったが、お父さんはもうロシアは大変なことになっていると言っていた。
私とお母さんは、それが恐ろしいことだとは、まだその時には何も気付いていなかった。
ただ、お父さんの真剣に話す言葉を信じた。
お父さんは軍の基地から武器と弾薬を持って来ていた。
そのことにも驚いたのだけれど、お父さんがすぐにそれらをどこかに隠して仕舞ったので、何も聞けなかった。
そして少しずつお父さんは話してくれた。
お父さんの話では、もう基地には人間がおらず、誰も武器などの管理をしていないそうだ。
数か月前に基地が怪物に襲われ、お父さんはすぐに逃げ出したのだと。
「怪物ってなに?」
「怪物だ。大きな醜い姿で、人間に襲い掛かる」
「そんな……」
「レーナ、お父さんを信じろ。いつかあの怪物がここにも来る。今はまだ多くの人が知らずにいるけど、そのうちにみんなおかしなことに気付くようになる。そして必ず怪物がここにむ来るんだ」
「え!」
私はそのまま家にいるようになり、お父さんからサバイバルの技術を教わるようになった。
少しだけ、武器の扱いも教わった。
でもお父さんは私に武器を使わせたくないようで、本当に最低限のことだけだった。
そしてお父さんの言葉を裏付けるように、次第にテレビ放送が少なくなり、ついにはインターネットも電話も通じなくなっていった。
食糧品や生活用品の流通も途絶えるようになり、人々は困惑していた。
うちはお父さんの指示で食糧品などを集めて保管していったので、それほど困ることは無かった。
親しい人たちに、密かに分けてもいた。
でも、まさかロシアが崩壊しているとはまだ誰も思っていなかった。
お父さんから、他の人には信じてもらえないから絶対に話すなと言われた。
後から思えば、お父さんは私たちが逃げ出す準備をしていることを知られないようにしていたのだと分かる。
それに、そのことを話せば、どこかで見張っているかもしれない人間に知られることを恐れてもいたのだろう。
しばらく前から時々、上空からビラが撒かれていた。
そのビラには「虎」の軍が救出に来るので、集まって欲しいと書かれていた。
またそこには、ロシアが「カルマ」という悪魔に乗っ取られているとも書いてあった。
集合場所は私たちの街の近くの平野だった。
でも、政府の人たちが来て、そのビラは嘘で、「虎」の軍というのはロシアを侵略して支配しようとしている連中なのだと説明された。
電気や資源の不足は「虎」の軍のせいであり、ロシアは必死に戦っているのだと。
本当にみんな困っていたので、その説明を信じていた。
だから誰も「虎」の軍の呼びかけには応じなかったのだ。
お父さんにもビラの話をしたが、黙って何も言わなかった。
あの時のお父さんは、全てのことが信用できなかったのだろう。
でも、今となってはあのビラのことを思い出す。
本当にロシア政府は私たちのために戦ってくれていたのだろうか。
お父さんに聞いても「分からない」と言っていた。
だからお父さんも「虎」の軍のビラは信じないでいた。
とにかく、何もかもが信じられない状況だったのだ。
お父さんは軍隊の元の仲間の人たちとよく連絡を取り合っていた。
最初は電話やメールを使っていたが、そのうちに使えなくなった。
何度か遠くまで出かけて行ったが、それも無くなった。
お父さんに聞くと、みんないなくなってしまったそうだ。
それがどういうことかは話してくれなかった。
お父さんはとても辛そうな顔をしていた。
それからまた、何日も帰らない日々が続いた。
いつも帰ってきたお父さんはとても疲れていた。
どこに行っていたのかは教えてもらえなかった。
自分が出掛けているのを誰にも話さないようにとも言われた。
それからしばらくして、私たちの街に突然怪物が溢れるようになった。
お父さんが街に戻って来てから半年後のことだった。
本当に突然のことで、誰もが慌てふためき、そして怪物に殺されて行った。
まるで一斉に始まったように見えた。
街のあちこちから悲鳴と怒号と怪物の咆哮が聞こえた。
逃げ惑う人々と追い掛ける怪物。
怪物は人間の姿をしていたが、顔は恐ろしい形相で手当たり次第に人間に噛みついて殺して行く。
また噛まれた人は、そのうちに怪物になって他の人を襲うようになる。
あの怪物は、元は人間だったのだ!
地獄のようだった。
「サーシャ! すぐに逃げるぞ!」
「うん!」
お父さんは荷台のついたトラックを運転した。
お父さんは前から用意してあった食糧と水をトラックに積み込んだ。
武器もだ。
お父さんは軍で特殊部隊にいて、サバイバル技術もよく知っていたし、銃の扱いも上手かった。
事前に話してあったのか、何件かの家に寄り、近づく怪物はお父さんが銃で殺して行った。
元は街の人だったと分かってからは、恐ろしくて仕方が無かった。
だけど逃げ出す途中でお母さんは怪物に殺された。
近所に住む人で、一緒に逃げようとお母さんが誘いに行ってのことだった。
そのお宅の家族がもう怪物になっていたのだ。
そしてすぐに街は怪物になった人間で溢れ返り、私とお父さんは必死に逃げた。
私たちは命からがらに街を逃げ出し、街の外へ出てから東に向かって走った。
お父さんが事前に準備をしてくれていた場所に向かうのだと途中で話してくれた。
長く家に帰らなかったのは、私たちが逃げ出す場所を用意していたためだと分かった。
逃げる途中でお父さんがまた話してくれた。
特殊部隊員だったお父さんは、少し情報を持っていて、ロシアが崩壊したのは人々が怪物になっていくためだと把握していた。
だからお父さんは準備をしていたのだ。
それでも軍は最後まで残るだろうと思っていたようだ。
それは普通は軍事力を必要とする権力者がいるだろうからだ。
でも、そうではなかった。
権力を握るための革命やクーデターでは無かった。
もう、「人間」そのものがいなくなったのだ。
ロシアは軍人も政治家も学者も誰も必要とせず、怪物に覆われて行く崩壊だったのだ。
人間は生き残ることが出来ない破滅。
お父さんにも、一体何が起きているのかは分からない。
私たちはひたすらに逃げるしか無かった。
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