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四度目の別荘 Ⅲ ほぼ肉談義
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屋上でのお喋りは、深夜二時くらいまで続いた。
俺は翌朝は朝食は食べたい人間が自分で作るようにした。
寝ててもいいが、12時の昼食はみんなで食べる、と。
皇紀と双子は寝かせ、俺と栞と亜紀ちゃんが残った。
「少し、小腹が空いたな」
「じゃあ、何か作ってきます!」
亜紀ちゃんが言った。
「いや、ちょっと飲みたいから三人で手早くやるか」
俺たちはキッチンに降り、俺がホワイトアスパラとナス、ベーコンを炒めた。
亜紀ちゃんにほうれん草を茹でてもらう。
煮びたしだ。
栞は氷と水を用意してもらい、ワイルドターキーと一緒に屋上に運んだ。
グラスを傾けると、夜の暗闇が一層深くなった気がする。
栞と亜紀ちゃんもしばらく黙って飲んだ。
「やっぱりここはいいな」
「そうですね!」
「石神くんって、なんで建築まで詳しいの?」
栞が聞いた。
「俺はアイデアを出すだけで、あとはプロが何とかしてくれるからなぁ」
「でも、発想がスゴイよ」
「元々は、ダリの『磔刑図』を見た時に考えたんだ」
「どういうものなんですか?」
「いろんな画家が磔刑図を描いているんだよな。有名なのは例えばベラスケスのものだ。でも、ベラスケスもそうだけど、大半は下から見上げる構図だ。しかしダリは、上から見下ろす角度で描いているんだよ」
「へぇー!」
「それで、ダリは「自分はキリストを三角形の中に閉じ込めることに成功した」と言った。あの人は実は数学が大好きで、物理学の数式なんかにも慣れていたんだな。だから誰もやらなかった構図で描いた」
「なるほど」
「その磔刑図を見たときに、十字架が俺の中で回転したんだ。空中に浮かぶ水平の十字架。それがこの屋上の発想になった」
「なんか、すごいですね!」
俺は笑って亜紀ちゃんの頭を撫でた。
「お前らって、文学や音楽関係はそこそこ好きになったようだけど、どうも絵画芸術や塑像のような美術には興味がねぇよな」
「すいません」
「リャドは踏みつぶされるし、すぐ後にジャコメッティはへし折られるし」
「すいません!」
「栞の実家に行って、掛け軸とか長谷川等伯なんかも観ただろう。なんにも感じねぇのかなぁ」
「そうですね」
栞が笑っている。
「あの斬だってなぁ。ただの人殺しじゃねぇんだぞ?」
「ひどいよ、石神くん!」
栞が半笑いで抗議する。
「あ! レクター博士!」
亜紀ちゃんが言った。
「亜紀ちゃんもひどいよー!」
「アハハハ」
「俺はあのハンニバル・レクターって好きだよなぁ。芸術好きなのと料理好きなところは最高だよな」
「でも料理って、人間食べちゃいますよね」
「それだってだよ。人間だからいけないというのは、一つの枠組みでしかないからな」
「えぇー」
「動物はエサがないと共食いをするじゃない。それを芸術的に行なうのがレクターよな」
「よく分かりません」
俺はグラスを空けた。
亜紀ちゃんが注いでくれる。
「この問題は、どうして人を殺してはいけないのか、という問題に通ずる」
「はい」
「実は、絶対的なものではない、というのが結論だ」
「戦争なんかそうですよね」
「そうだな。殺すことが善にもなるんだ。人肉食だって同じなんだよ。やらなければならん、善になることもあるんだ」
「そうなんですか!」
「1972年に、航空機がアンデス山脈に墜落したことがあった。半数以上が瞬時に死に、最終的に16人が生き残ったんだな。極寒の環境で食料も無い。救援がいつ来るのかわからない。そんな中で、その人たちは遺体を食べて生き延びた」
「はい」
「俺は本でその事件を読んだわけだけど、もちろん絶望的な葛藤があったわけだよ。でも彼らはそれを実行した。俺は物凄い崇高性を感じたよな」
「どうしてですか?」
「人肉食が絶対にいけないことだからだ」
「!」
「それをやれば、世間的に物凄い非難を受けることは分かっている。宗教的にも厳しい糾弾もあるだろう。しかし、彼らは選んだ。それは、食べて生き延びることに神の道を見出したからだ」
亜紀ちゃんは考え込んでいた。
こういう、破滅的な問題を考えるのもいいことだ。
「お前らは肉が無くなったら、すぐにやるだろう?」
「そんなことはないです!」
「多分、あの世で牛さんたちに責められるだろうなぁ」
「えぇー!」
栞が笑っている。
「前に響子にさ、お前らがライオンに「お前ら食べ過ぎだ」って怒られたって言ったんだよ。大笑いしてたよな」
「アハハハ!」
「そう言えば石神くんって、六花ちゃんとワニ食べてたよね!」
「エェッー!」
「ああ、こないだ病院の食堂でな。みんな怖がってたよなぁ」
「美味しいんですか?」
「な、栞。こいつらはやっぱり肉ならなんでも喰うんだよ」
「ウフフフ」
「そ、そんなことないですよー!」
心地よい酔いが回って来た。
会話の間の、山の静けさがまた良い。
「俺と栞だったら、「大好きだよ、栞」とか、「嬉しい、石神くん」とかってなぁ。ムードの語らいになるんだけどな。亜紀ちゃんがいると、どうしても肉の話よな」
「ひどいですよ!」
「石神くんだって、全然そんなこと言わないよ!」
「ほんとにひどいです!」
「アハハハハ」
「タカさんが食べた中で、一番美味しいお肉ってなんですか?」
「そうだなぁ。やっぱり高校三年の時に食べたステーキかな」
「え、意外です」
「生まれて初めて食べたステーキだったんだ。だから感動が一際なんだよ」
「へぇー!」
「うちは貧乏だったからなぁ。この世でこんなに美味いものがあったのかって思った」
「アハハハ」
「何しろ初めてだからな。翌日物凄い下痢になったんだ」
「アハハハ」
「消化できなかったんだな。その時に、大人になったら幾らでもステーキが喰える人間になろうと誓った」
「「アハハハハ」」
栞と亜紀ちゃんが笑った。
「亜紀ちゃんたちはそういう感動はねぇだろう?」
「そんなことないですよ。タカさんに初めて焼肉をご馳走になったときなんて、感動しました」
「ああ、俺も支払いの時に感動したぞ」
「アハハハ!」
「でも、亜紀ちゃんは子どもの頃に松坂牛を食べてただろ?」
「ええ、そうですね」
「だから、俺が味わった感動よりも断然低い。あれはうちがド貧乏だったからこその感動よな」
「なるほど!」
「栞なんかも、結構いいものを食べてただろ?」
「そうねぇ。貧しいってことはないかな」
「まあ、裕福な幸福もあるけど、貧しいからこその感動もあるってことだな」
「でもタカさんの料理に、みんな感動してますよ?」
「どうだかなぁ。結局とにかく肉って連中じゃない」
「アハハハ」
「そういえば、前にお友達の家に泊りに行ったじゃないですか」
「ああ、バナナ持ってった」
亜紀ちゃんが俺の腕を叩いた。
「夕飯をご馳走になって、生姜焼きだったんですね」
「そうだったか」
「一皿食べて、次をっていつもの癖で。でも、普通は一皿だけなんだって思い出しました」
「やばかったなぁ!」
俺と栞が笑った。
「栞にも時々話すんだけど、お前らが外の人間と食事する時に、大恥をかくんじゃねぇかってなぁ」
「ああ、よく話すよね」
「それは、大丈夫ですよ! きっと」
亜紀ちゃんが自信をもって言う。
「でも、鍋とかはダメだろう?」
「エッ! それはですねぇ。大丈夫ですよ、多分」
「お前、言い切ってくれよー!」
みんなで笑った。
俺たちは、夜明けまで話した。
俺は翌朝は朝食は食べたい人間が自分で作るようにした。
寝ててもいいが、12時の昼食はみんなで食べる、と。
皇紀と双子は寝かせ、俺と栞と亜紀ちゃんが残った。
「少し、小腹が空いたな」
「じゃあ、何か作ってきます!」
亜紀ちゃんが言った。
「いや、ちょっと飲みたいから三人で手早くやるか」
俺たちはキッチンに降り、俺がホワイトアスパラとナス、ベーコンを炒めた。
亜紀ちゃんにほうれん草を茹でてもらう。
煮びたしだ。
栞は氷と水を用意してもらい、ワイルドターキーと一緒に屋上に運んだ。
グラスを傾けると、夜の暗闇が一層深くなった気がする。
栞と亜紀ちゃんもしばらく黙って飲んだ。
「やっぱりここはいいな」
「そうですね!」
「石神くんって、なんで建築まで詳しいの?」
栞が聞いた。
「俺はアイデアを出すだけで、あとはプロが何とかしてくれるからなぁ」
「でも、発想がスゴイよ」
「元々は、ダリの『磔刑図』を見た時に考えたんだ」
「どういうものなんですか?」
「いろんな画家が磔刑図を描いているんだよな。有名なのは例えばベラスケスのものだ。でも、ベラスケスもそうだけど、大半は下から見上げる構図だ。しかしダリは、上から見下ろす角度で描いているんだよ」
「へぇー!」
「それで、ダリは「自分はキリストを三角形の中に閉じ込めることに成功した」と言った。あの人は実は数学が大好きで、物理学の数式なんかにも慣れていたんだな。だから誰もやらなかった構図で描いた」
「なるほど」
「その磔刑図を見たときに、十字架が俺の中で回転したんだ。空中に浮かぶ水平の十字架。それがこの屋上の発想になった」
「なんか、すごいですね!」
俺は笑って亜紀ちゃんの頭を撫でた。
「お前らって、文学や音楽関係はそこそこ好きになったようだけど、どうも絵画芸術や塑像のような美術には興味がねぇよな」
「すいません」
「リャドは踏みつぶされるし、すぐ後にジャコメッティはへし折られるし」
「すいません!」
「栞の実家に行って、掛け軸とか長谷川等伯なんかも観ただろう。なんにも感じねぇのかなぁ」
「そうですね」
栞が笑っている。
「あの斬だってなぁ。ただの人殺しじゃねぇんだぞ?」
「ひどいよ、石神くん!」
栞が半笑いで抗議する。
「あ! レクター博士!」
亜紀ちゃんが言った。
「亜紀ちゃんもひどいよー!」
「アハハハ」
「俺はあのハンニバル・レクターって好きだよなぁ。芸術好きなのと料理好きなところは最高だよな」
「でも料理って、人間食べちゃいますよね」
「それだってだよ。人間だからいけないというのは、一つの枠組みでしかないからな」
「えぇー」
「動物はエサがないと共食いをするじゃない。それを芸術的に行なうのがレクターよな」
「よく分かりません」
俺はグラスを空けた。
亜紀ちゃんが注いでくれる。
「この問題は、どうして人を殺してはいけないのか、という問題に通ずる」
「はい」
「実は、絶対的なものではない、というのが結論だ」
「戦争なんかそうですよね」
「そうだな。殺すことが善にもなるんだ。人肉食だって同じなんだよ。やらなければならん、善になることもあるんだ」
「そうなんですか!」
「1972年に、航空機がアンデス山脈に墜落したことがあった。半数以上が瞬時に死に、最終的に16人が生き残ったんだな。極寒の環境で食料も無い。救援がいつ来るのかわからない。そんな中で、その人たちは遺体を食べて生き延びた」
「はい」
「俺は本でその事件を読んだわけだけど、もちろん絶望的な葛藤があったわけだよ。でも彼らはそれを実行した。俺は物凄い崇高性を感じたよな」
「どうしてですか?」
「人肉食が絶対にいけないことだからだ」
「!」
「それをやれば、世間的に物凄い非難を受けることは分かっている。宗教的にも厳しい糾弾もあるだろう。しかし、彼らは選んだ。それは、食べて生き延びることに神の道を見出したからだ」
亜紀ちゃんは考え込んでいた。
こういう、破滅的な問題を考えるのもいいことだ。
「お前らは肉が無くなったら、すぐにやるだろう?」
「そんなことはないです!」
「多分、あの世で牛さんたちに責められるだろうなぁ」
「えぇー!」
栞が笑っている。
「前に響子にさ、お前らがライオンに「お前ら食べ過ぎだ」って怒られたって言ったんだよ。大笑いしてたよな」
「アハハハ!」
「そう言えば石神くんって、六花ちゃんとワニ食べてたよね!」
「エェッー!」
「ああ、こないだ病院の食堂でな。みんな怖がってたよなぁ」
「美味しいんですか?」
「な、栞。こいつらはやっぱり肉ならなんでも喰うんだよ」
「ウフフフ」
「そ、そんなことないですよー!」
心地よい酔いが回って来た。
会話の間の、山の静けさがまた良い。
「俺と栞だったら、「大好きだよ、栞」とか、「嬉しい、石神くん」とかってなぁ。ムードの語らいになるんだけどな。亜紀ちゃんがいると、どうしても肉の話よな」
「ひどいですよ!」
「石神くんだって、全然そんなこと言わないよ!」
「ほんとにひどいです!」
「アハハハハ」
「タカさんが食べた中で、一番美味しいお肉ってなんですか?」
「そうだなぁ。やっぱり高校三年の時に食べたステーキかな」
「え、意外です」
「生まれて初めて食べたステーキだったんだ。だから感動が一際なんだよ」
「へぇー!」
「うちは貧乏だったからなぁ。この世でこんなに美味いものがあったのかって思った」
「アハハハ」
「何しろ初めてだからな。翌日物凄い下痢になったんだ」
「アハハハ」
「消化できなかったんだな。その時に、大人になったら幾らでもステーキが喰える人間になろうと誓った」
「「アハハハハ」」
栞と亜紀ちゃんが笑った。
「亜紀ちゃんたちはそういう感動はねぇだろう?」
「そんなことないですよ。タカさんに初めて焼肉をご馳走になったときなんて、感動しました」
「ああ、俺も支払いの時に感動したぞ」
「アハハハ!」
「でも、亜紀ちゃんは子どもの頃に松坂牛を食べてただろ?」
「ええ、そうですね」
「だから、俺が味わった感動よりも断然低い。あれはうちがド貧乏だったからこその感動よな」
「なるほど!」
「栞なんかも、結構いいものを食べてただろ?」
「そうねぇ。貧しいってことはないかな」
「まあ、裕福な幸福もあるけど、貧しいからこその感動もあるってことだな」
「でもタカさんの料理に、みんな感動してますよ?」
「どうだかなぁ。結局とにかく肉って連中じゃない」
「アハハハ」
「そういえば、前にお友達の家に泊りに行ったじゃないですか」
「ああ、バナナ持ってった」
亜紀ちゃんが俺の腕を叩いた。
「夕飯をご馳走になって、生姜焼きだったんですね」
「そうだったか」
「一皿食べて、次をっていつもの癖で。でも、普通は一皿だけなんだって思い出しました」
「やばかったなぁ!」
俺と栞が笑った。
「栞にも時々話すんだけど、お前らが外の人間と食事する時に、大恥をかくんじゃねぇかってなぁ」
「ああ、よく話すよね」
「それは、大丈夫ですよ! きっと」
亜紀ちゃんが自信をもって言う。
「でも、鍋とかはダメだろう?」
「エッ! それはですねぇ。大丈夫ですよ、多分」
「お前、言い切ってくれよー!」
みんなで笑った。
俺たちは、夜明けまで話した。
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