ゴールドの来た日

青夜

文字の大きさ
1 / 3

第一話

しおりを挟む
 俺、石神高虎は東大医学部を卒業し、今の蓼科文学院長に誘われて、港区の大病院に勤めている。
 出世にはそれほど興味は無いが、蓼科院長の命により、第一外科部長となった。
 この部署はあらゆるオペを担う。
 オペの経験では、病院内でも随一と言えるだろう。

 忙しい俺だったが、二年前に交通事故で亡くなった親友の子ども四人を引き取って育てている。
 前から可愛がっていたせいもあり、子どもたちも新しい生活に慣れ、俺を慕ってくれている。
 毎日笑い、怒り、困らせられ、楽しい日々だ。
 長女の亜紀、長男の皇紀、そして双子の瑠璃(通称ルー)と玻璃(通称ハー)。
 みんな可愛くてしょうがない。




 9月に入り、急に涼しくなった。

 院長室に呼ばれた。
 8月の終わりに休暇を取っていたので、久しぶりだ。

 「石神、入ります!」
 「おう、座れ」

 院長室の机には、俺が引き取った双子の写真が飾ってある。
 俺が贈ったものだ。
 院長は、俺の双子に夢中だ。
 特に可愛がってくれている。
 
 院長は病院内で非常に厳しい人間と思われている。
 顔がごつい。
 ゴリラのようだ。
 院長も指が恐ろしく太い。
 外科医として世界的に有名な人間だ。

 しかし、俺だけは違う。
 尊敬はしているが、時折悪戯を仕掛け、怒られる。
 怒りながら、院長は「しょうがない奴だ」と言って笑ってくれる。
 俺のことを若い頃から可愛がってくれている。
 俺の周囲の人間だけが、院長が怖いだけの人間ではないことを、俺を通して知っている。
 俺と院長は上司と部下だが、深い絆がある。
 お互いに、大事なことが何なのかを知っている。
 それは、誰かのために自分を擲つことだ。
 俺たちは、互いにそれを持っていることが絆となっている。



 「実はな、お前が休んでいる間に入院した女性がいてな」
 「はぁ」

 「末期がんで、余命は一ヶ月ということだ」
 「そうなんですか」

 大病院なので、そういう患者は常にいる。
 麻痺したとは思いたくもないが、やはりまったく動揺はない。

 「その患者が何か?」
 「うん、実は俺の友人の奥さんでなぁ」
 「はぁ」
 「できるだけのことはしたいと思っているんだが、どうにもご本人が入院生活に不慣れでな」
 「はい」

 「お前に何とかしてもらいたい」
 「はぁ?」



 詳しく聞くと、院長の友人である旦那さんは既に10年以上前に亡くなっており、院長の知り合いということでその奥様が、うちの病院で面倒を見ることになったらしい。
 元は埼玉に住んでおられたが、地元の病院からの転院だ。
 ペイン治療(末期がんの患者などに、治療ではなく痛みを軽減する処置を行なうこと)も充実していることもあって、院長が引き受けたとのことだ。
 まあ、治療もしないでただ寝かせて置いてくれる病院はない。
 渡りに船ということで追い払われた、というのが実情だろう。


 終末医療の病棟は、特別な看護師がつく。
 寿命が尽きることを認識した患者は、千差万別の反応を見せる。
 中には運命を受け入れられずに、手こずる患者もいる。
 院長の友人の奥さんという五十嵐さんも、その一人ということだ。
 ベテランのナースがついて対処しているが、どうにもならないらしい。


 俺が病棟へ行くと、早速看護師と揉めている場面だった。

 「家に帰りたいと言っているのです。何度も申し上げているのに!」
 「そのお身体では無理です。担当医師の許可を取ってからにして下さい」
 「ここは刑務所ですか? なぜあなたに私は縛られるのですか」

 まあ、よくある遣り取りだ。

 「あ、石神先生!」
 看護師が俺の顔を見てホッとした顔をする。

 「どうも、お邪魔いたします」
 「あなたは?」
 「はい、医師の石神と申します。五十嵐様がうちの院長の知り合いということで、一度ご挨拶をと思いまして」
 「ではあなたにお願いします。私を家に帰してください」

 「分かりました。では私が担当医に話して、許可をもらいましょう」
 「ほんとうですか!」
 「はい。少しお待ちください」

 「石神先生!」
 看護師が慌てて言った。
 簡単に引き受け過ぎると思ったのだろう。

 「まあ、待てよ。俺が何とかするから」
 「はぁ」




 
 「石神先生、僕は責任を取りませんよ」
 「分かってるよ。もちろん何かあれば責任は俺だ。院長にもちゃんと話を通すから」
 「でもなぁ」
 「君は必要な機材や薬を手配してくれ。一泊で帰るよ」
 「はぁ、分かりました。本当にお願いしますよ?」
 「ああ、ありがとうな」

 俺は担当医を説き伏せ、病人や怪我人に負担をかけない特別移送車を手配した。
 明日には使えるようだ。

 
 「五十嵐さん、明日、ご自宅へお送りしますよ。俺が運転ですが、よろしいですか?」
 「ああ、本当に! 石神先生、ありがとうございます」
 五十嵐さんは心底喜んでくれた。

 体力は相当に落ちているはずだが、気力は充実している。
 この様子ならば、丁寧に看護すれば一泊くらいは大丈夫だろう。





 翌日、俺は五十嵐さんの自宅へ向かった。
 自宅には、娘さんが毎日来ているらしい。
 たしか、旦那さんが亡くなってから独り暮らしと聞いていたが。

 「お嬢さんはご自宅で何かなさっているんですか?」

 車を運転しながら聞いてみた。
 五十嵐さんは痛み止めの点滴を入れている。
 この車には、そういう装備もあるのだ。

 「ええ、犬の面倒を頼んでいるんです」

 話を聞くと、五十嵐さんはご主人を亡くしてから犬を飼い始めたらしい。
 ゴールデンレトリバーの子犬を友人から譲り受け、ずっと可愛がっているのだと。

 「ゴールドがいてくれたお蔭で、主人を亡くしても寂しくはなかったんですよ」

 五十嵐さんは、少しずつその犬「ゴールド」の話をしてくれた。
 無理をなさらず、辛ければ寝てくださいと言ったが、俺に聞いて欲しいらしい。

 「でも、娘は面倒がっているようで、私は心配なんです。ですからワガママを言ってしまい、申し訳ありません」
 「とんでもないですよ。それほど可愛がっている家族なんですから、五十嵐さんのご心配はよく分かります」
 「本当にありがとうございます」

 五十嵐さんは涙ぐんで礼を言った。
 誰にだって大事なものはある。
 それが他人に理解できなくたって、本人には命よりも大事なことがあるのだ。
 どんなに丁寧にやっても、この移動は確実に五十嵐さんの寿命を削る。
 それを分かっていても、五十嵐さんは来たがったのだ。




 1時間ほどで五十嵐さんの自宅へ着き、俺がチャイムを押した。
 連絡してあったので、すぐに娘さんが出てくる。

 「ああ、本当に来たのね」
 心底面倒そうな顔をされた。

 俺が何か言うべきものではない。
 人それぞれに事情はあるものだ。

 五十嵐さんは挨拶もそこそこに自宅へ入られた。
 一匹の犬が駆け寄って、五十嵐さんに飛びついた。

 「ああ、ゴールド。まあこんなに痩せてしまって!」

 五十嵐さんは涙を流しながら犬を抱きしめていた。

 居間に着くなり、五十嵐さんは激しい調子で娘さんをなじる。
 娘さんも反論するが、どうも犬の面倒はほとんど見ていなかったらしい。



 30分もしないうちに、五十嵐さんは娘さんを追い出した。

 「石神先生、私、ここで最後まで暮らすことにしました」

 当然そう言うだろうことは、先ほどの遣り取りを見ていて思っていた。




 「五十嵐さん、私のことは少しでも信頼していただけますか?」

 五十嵐さんは俺の突然の言葉に、理解できないようだった。

 「はぁ、それは今日のこともありますし、石神先生は信頼できる方だと思っておりますが」
 「それでしたら申し上げたいのですが、そのゴールドをうちでお預かりするというのはいかがでしょうか?」
 「え、ゴールドを?」
 「はい」



 ここでは暮らせないとは言わない。
 そう言えば五十嵐さんは断固拒否するだろう。
 しかし、毎日の末期がんの苦痛は、病院でなければ耐えられない。
 五十嵐さんの状況は、既に麻薬の使用が必要だった。
 それは、医師でなければ扱えない。

 「もちろん院長の許可を得て、それからうちの子どもたちにも了解させた上でのお話です。ですが、私は必ずそうするつもりでいます。五十嵐さんのご信頼がいただければ、是非うちで大事なゴールドのお世話をさせて下さい」


 五十嵐さんは少し考えているようだった。
 結局、ここに自分がいても、ゴールドの世話は難しい。
 何よりも、余命は短い。
 それを納得してくれた。

 「それでは石神先生。宜しくお願いいたします」
 「お任せください!」





 そうして、突然ではあったが、ゴールドが我が家に来ることとなった。
 俺が話すと、子どもたちは大層喜んでくれた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

雪嶺後宮と、狼王の花嫁

由香
キャラ文芸
後宮に降る雪は、呪いではなく嘆きだった。 巫女として献上された少女セツナは、 封じられた狼王の“花嫁”としての前世を思い出す。 人と妖、政と信仰の狭間で、 彼女が選ぶのは従属ではなく均衡。 雪嶺を舞台に描く、異種婚姻×後宮伝承譚。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

幼き改革者、皇孫降臨 〜三歳にして朝廷を震わせる〜

由香
キャラ文芸
瑞栄王朝の皇孫・凌曜は、わずか三歳。 泣かず、騒がず、ただ静かに周囲を見つめる幼子だった。 しかしその「無邪気な疑問」は、後宮の不正を暴き、腐敗した朝廷を揺るがしていく。 皇帝である祖父の絶対的な溺愛と後ろ盾のもと、血を流すことなく失脚者を生み、国の歪みを正していく凌曜。 やがて反改革派の最後の抵抗を越え、彼は“決める者”ではなく、“問い続ける存在”として朝廷に立つ。 これは、剣も権謀も持たぬ幼き改革者が、「なぜ?」という一言で国を変えていく物語。

処理中です...