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ベンジャミン、領地について学ぶ
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「そう。そんなことがあったの」
裏口から酒場の中に通されたアイビーはモリスからこれまでの事情を聞く。あまりの内容に肩を落とした。
義父が亡くなった途端、家令のモリスだけでなく、自分に都合の悪いことばかり言う古参の使用人は全て解雇していた。
この酒場は料理長ら同時に解雇された使用人と共に、少ない手切れ金を寄せ集めて開いたそうだ。
開け放った扉の影からちらちらとこちらを覗いているのが解雇された使用人達だろう。
「王都の屋敷にまで気が回らずに貴方たちの解雇に気がつかないなんて。申し訳ないことをしたわ」
「いえ。アイビー様のせいではありません。ベンジャミン様のご判断でされたことですから。それに、やり始めてみればこの暮らしも楽しいもんですよ」
アイビーの謝罪にモリスは首を振る。経理を担うモリスがいうには料理長の料理が話題を呼び、少しずつ美食家の常連客が増えて売り上げも上々だという。
落ち着いてよく見ると店内は店構えで思い描いた印象よりもずっと落ち着いている。
知らぬ間に父親が屋敷から追い出されていたことに憤怒の表情を浮かべていたスザンナも、楽しげに話すモリスの様子に落ち着きを取り戻していた。
「ねえ、モリス。やっぱり一度屋敷に戻ってきてもらえないかしら。あっ、違うのよ。働いて欲しいってわけじゃないの。ううん。働いて欲しいといえば働いて欲しいのだけど……」
自分でも何を言いたいのかわからなくなって、アイビーは頬に両手を当てる。
モリスは何かいいたそうな顔のままアイビーの次の言葉を待っている。
「ああ、もう。まどろっこしい話は苦手だからはっきり言うわね。ベンジャミンの不正を集めてわたしは貴族院にベンジャミンを廃爵してもらうように申し立てをしようと思うの」
「おやめください! アイビー様、そんなことをなさってはいけません! 貴女のお立場が……」
「わたしはもうすぐ離縁されるの」
アイビーは一通の手紙を鞄から取り出す。
ベンジャミンから送られてきた手紙を読んだモリスは頭を抱える。
「どちらにしろ平民になるのよ。だったらベンジャミンにもそれ相応の報いを受けてもらわないと」
モリスが頷くのを見て、アイビーは胸を撫で下ろした。
***
「父上!」
「マシュー元気だったかい? 少しやつれているようだが」
「父上こそ……」
屋敷に戻り、繰り広げられた父子の感動の再会に声をあげて泣き涙を流す男がいた。
「ベンジャミンは泣く立場にないと思うわ」
まぶたを腫らし鼻水をすする姿にアイビーは戸惑う。
「ああ。家族を引き離したのは、ベンジャミ……俺なんだろ? なんて酷いことしやがるんだ。俺、最低な野郎だな」
「最低の自覚がおありになるのね」
濡れた緑の瞳がアイビーをまっすぐ捉える。無駄にキラキラとしていて居心地が悪い。
「ああ。最低な野郎だ。アイビーさんにも酷い扱いをしてたんだろう?」
「え? そう思うの?」
「マシューさんにこれまでの話を聞いて、はらわたが煮え繰り返るかと思ったよ」
「……そう、はらわたがね」
(マシューったら、何を伝えたのかしら)
マシューは信用に値する男で、アイビーの不利益になるようなことは言わないはずだ。
そうは思いつつ、ベンジャミンの見た目をしているのにベンジャミンではないと言い張る男は、アイビーの知るベンジャミンと勝手が違いなんだか気安い雰囲気がある。
つい色々と話してしまいそうで、油断しないように気を引き締める。
「あの、さ。アイビーさんやマシューさんたち家族に、俺がお詫びをしたら少しでも気分は変わるかな」
「お詫び? その……ベンジャミンが?」
「あぁ。謝って許されるもんじゃないのはわかっている。それにそもそも俺はベンジャミンの見た目をしているだけでベンジャミン本人じゃない。たださ、ベンジャミンの姿をした俺が謝ることで少しでもみんなの溜飲が下がるなら、いくらでも謝ろうと思うんだ」
「それでしたら……謝罪ではなく、今後どうされるのか私どもにお聞かせ願えますか」
アイビーに代わり、モリスが割って入る。
「今後の見通しってことか」
「はい。いまの貴方様はご自身がベンジャミン様ではないとお思いなのでしょう。ベンジャミン様ではないと言い張る者から形だけの謝罪を伺っても何の解決にもなりません」
マシューが申し訳なさそうにこちらを見ている。感動の再会をしつつモリスにベンジャミンの状況を説明したのだろう。
「そうだな。謝りたいのは俺の自己満足だ。うわべの謝罪だけされても困るって言うのはよくわかる。しかし……ただのしがないサラリーマンでしかない俺が、貴族の当主として今後の見通しを勝手に話してもいいもんだろうか」
「もし、本当に貴方がこことは異なる世界から来たベンジャミンとは別の人間だというのが事実なのであれば、ベンジャミンが立てないような見通しを立てれば貴方が本当にベンジャミンではない証拠になるんじゃないかしら」
「なるほど」
ベンジャミンは腕を組み考え込んでいる。
(ベンジャミンが計画する今後の見通しなんて自分に都合のいいことばかりだもの。仮に目の前にいるのがベンジャミンでわたしたちの計画を知り廃爵を恐れ、雷に打たれたのをいいことに自分じゃないふりをしているだけなののだとしたら、らしくない見通しを言わせて言質をとっておくのだって一つの手だわ)
そんなことを考えながらベンジャミンの返事を待つ。
「わかった。今後の見通しを立てるために、ベンジャミンの治める領地について教えてもらえないだろうか」
よしと膝をたたいたベンジャミンの答えは思ってもみないものだった。
アイビーよりも、ベンジャミンに長く仕えるモリス達の方が驚いている。スザンナに至っては「あのプライドが高くて勉強嫌いのベンジャミン様が? 人に教えを乞う? 信じられない!」と手で口を覆う。
周りの反応に一瞬驚いた様子のベンジャミンはすぐに真剣な顔で頭を下げた。
アイビー達は顔を見合わせ頷きあう。
「モリス、マシュー。ベンジャミンに領地について教えてあげてくれるかしら」
「かしこまりました」
「ありがとう!」
ベンジャミンが手を握る。とても大きくて暖かい手だった。
──それから数日。
マシューが中心になり、ベンジャミンが領主として学んでおくべきことについて教えることになった。
モリス達解雇された使用人達は王都に開いた店と屋敷を行き来している。
ベンジャミンが嘘をついていた場合は計画通り廃爵の申し立てをする。
使用人達は新しい領主が継続して雇うように便宜を図ってもらうつもりだが、再就職先は複数あるに越したことはない。
残された使用人もベンジャミンが雇った新しい使用人も、そしてアイビーもモリス達と共に屋敷と店の両方の仕事を行うことにした。
「アイビー様。少しお時間をいただけますか?」
今日はアイビーとスザンナが王都の店で働く日だった。屋敷に戻ってすぐマシューが待ち構えていたとばかりに声をかける。
着替えもそこそこにマシューの話を聞くことにした。
「私はベンジャミン様は生まれ変わったとしか思えません」
ソファに座り話し合いの準備が整うと、開口一番マシューは断言した。
「証拠はあるの? 私たちの計画を知って回避のために一芝居打ってる可能性は否定できないんじゃない? ベンジャミン様自体は愚かでどうしょうもないけれど、愚か者を裏で手を引くものがいるかもしれないわ」
スザンナの問いにアイビーも頷く。
「証拠とまでは言えないかもしれませんが、こちらをご覧いただけますか?」
マシューは抱えていた書類を机に広げた。領地の帳簿の写しだ。
帳簿を読めば、領地ではいつどのような作物が採れ、どうやって収益を得て、どのような支出をしているのかが分かる。
「これをベンジャミンが読んだの?」
「はい。問題なく帳簿をお読みになられました」
「じゃあこれは?」
「ベンジャミン様の書かれた覚え書きです」
「覚え書き? 落書きではなくて?」
その帳簿には見慣れた文字の他に、四角が並び屋根や窓のついた建物を記号にしたような絵がたくさん書かれていた。
「ベンジャミン様はご自身が以前いらした世界でお使いになっていた『カンジ』という文字だとおっしゃっていました」
「カンジ」
「はい。私の説明を理解した上でこの『カンジ』という文字を書かれていました。ご覧ください。この植木鉢に木が生えたような文字が複数書かれてますよね」
「そうね」
「この文字はある果物を意味するそうです」
ベンジャミンが帳簿の写しにいくつも書いていた「杏」という記号のような文字は、プラット子爵領の特産品である「アンズ」を意味していた。
裏口から酒場の中に通されたアイビーはモリスからこれまでの事情を聞く。あまりの内容に肩を落とした。
義父が亡くなった途端、家令のモリスだけでなく、自分に都合の悪いことばかり言う古参の使用人は全て解雇していた。
この酒場は料理長ら同時に解雇された使用人と共に、少ない手切れ金を寄せ集めて開いたそうだ。
開け放った扉の影からちらちらとこちらを覗いているのが解雇された使用人達だろう。
「王都の屋敷にまで気が回らずに貴方たちの解雇に気がつかないなんて。申し訳ないことをしたわ」
「いえ。アイビー様のせいではありません。ベンジャミン様のご判断でされたことですから。それに、やり始めてみればこの暮らしも楽しいもんですよ」
アイビーの謝罪にモリスは首を振る。経理を担うモリスがいうには料理長の料理が話題を呼び、少しずつ美食家の常連客が増えて売り上げも上々だという。
落ち着いてよく見ると店内は店構えで思い描いた印象よりもずっと落ち着いている。
知らぬ間に父親が屋敷から追い出されていたことに憤怒の表情を浮かべていたスザンナも、楽しげに話すモリスの様子に落ち着きを取り戻していた。
「ねえ、モリス。やっぱり一度屋敷に戻ってきてもらえないかしら。あっ、違うのよ。働いて欲しいってわけじゃないの。ううん。働いて欲しいといえば働いて欲しいのだけど……」
自分でも何を言いたいのかわからなくなって、アイビーは頬に両手を当てる。
モリスは何かいいたそうな顔のままアイビーの次の言葉を待っている。
「ああ、もう。まどろっこしい話は苦手だからはっきり言うわね。ベンジャミンの不正を集めてわたしは貴族院にベンジャミンを廃爵してもらうように申し立てをしようと思うの」
「おやめください! アイビー様、そんなことをなさってはいけません! 貴女のお立場が……」
「わたしはもうすぐ離縁されるの」
アイビーは一通の手紙を鞄から取り出す。
ベンジャミンから送られてきた手紙を読んだモリスは頭を抱える。
「どちらにしろ平民になるのよ。だったらベンジャミンにもそれ相応の報いを受けてもらわないと」
モリスが頷くのを見て、アイビーは胸を撫で下ろした。
***
「父上!」
「マシュー元気だったかい? 少しやつれているようだが」
「父上こそ……」
屋敷に戻り、繰り広げられた父子の感動の再会に声をあげて泣き涙を流す男がいた。
「ベンジャミンは泣く立場にないと思うわ」
まぶたを腫らし鼻水をすする姿にアイビーは戸惑う。
「ああ。家族を引き離したのは、ベンジャミ……俺なんだろ? なんて酷いことしやがるんだ。俺、最低な野郎だな」
「最低の自覚がおありになるのね」
濡れた緑の瞳がアイビーをまっすぐ捉える。無駄にキラキラとしていて居心地が悪い。
「ああ。最低な野郎だ。アイビーさんにも酷い扱いをしてたんだろう?」
「え? そう思うの?」
「マシューさんにこれまでの話を聞いて、はらわたが煮え繰り返るかと思ったよ」
「……そう、はらわたがね」
(マシューったら、何を伝えたのかしら)
マシューは信用に値する男で、アイビーの不利益になるようなことは言わないはずだ。
そうは思いつつ、ベンジャミンの見た目をしているのにベンジャミンではないと言い張る男は、アイビーの知るベンジャミンと勝手が違いなんだか気安い雰囲気がある。
つい色々と話してしまいそうで、油断しないように気を引き締める。
「あの、さ。アイビーさんやマシューさんたち家族に、俺がお詫びをしたら少しでも気分は変わるかな」
「お詫び? その……ベンジャミンが?」
「あぁ。謝って許されるもんじゃないのはわかっている。それにそもそも俺はベンジャミンの見た目をしているだけでベンジャミン本人じゃない。たださ、ベンジャミンの姿をした俺が謝ることで少しでもみんなの溜飲が下がるなら、いくらでも謝ろうと思うんだ」
「それでしたら……謝罪ではなく、今後どうされるのか私どもにお聞かせ願えますか」
アイビーに代わり、モリスが割って入る。
「今後の見通しってことか」
「はい。いまの貴方様はご自身がベンジャミン様ではないとお思いなのでしょう。ベンジャミン様ではないと言い張る者から形だけの謝罪を伺っても何の解決にもなりません」
マシューが申し訳なさそうにこちらを見ている。感動の再会をしつつモリスにベンジャミンの状況を説明したのだろう。
「そうだな。謝りたいのは俺の自己満足だ。うわべの謝罪だけされても困るって言うのはよくわかる。しかし……ただのしがないサラリーマンでしかない俺が、貴族の当主として今後の見通しを勝手に話してもいいもんだろうか」
「もし、本当に貴方がこことは異なる世界から来たベンジャミンとは別の人間だというのが事実なのであれば、ベンジャミンが立てないような見通しを立てれば貴方が本当にベンジャミンではない証拠になるんじゃないかしら」
「なるほど」
ベンジャミンは腕を組み考え込んでいる。
(ベンジャミンが計画する今後の見通しなんて自分に都合のいいことばかりだもの。仮に目の前にいるのがベンジャミンでわたしたちの計画を知り廃爵を恐れ、雷に打たれたのをいいことに自分じゃないふりをしているだけなののだとしたら、らしくない見通しを言わせて言質をとっておくのだって一つの手だわ)
そんなことを考えながらベンジャミンの返事を待つ。
「わかった。今後の見通しを立てるために、ベンジャミンの治める領地について教えてもらえないだろうか」
よしと膝をたたいたベンジャミンの答えは思ってもみないものだった。
アイビーよりも、ベンジャミンに長く仕えるモリス達の方が驚いている。スザンナに至っては「あのプライドが高くて勉強嫌いのベンジャミン様が? 人に教えを乞う? 信じられない!」と手で口を覆う。
周りの反応に一瞬驚いた様子のベンジャミンはすぐに真剣な顔で頭を下げた。
アイビー達は顔を見合わせ頷きあう。
「モリス、マシュー。ベンジャミンに領地について教えてあげてくれるかしら」
「かしこまりました」
「ありがとう!」
ベンジャミンが手を握る。とても大きくて暖かい手だった。
──それから数日。
マシューが中心になり、ベンジャミンが領主として学んでおくべきことについて教えることになった。
モリス達解雇された使用人達は王都に開いた店と屋敷を行き来している。
ベンジャミンが嘘をついていた場合は計画通り廃爵の申し立てをする。
使用人達は新しい領主が継続して雇うように便宜を図ってもらうつもりだが、再就職先は複数あるに越したことはない。
残された使用人もベンジャミンが雇った新しい使用人も、そしてアイビーもモリス達と共に屋敷と店の両方の仕事を行うことにした。
「アイビー様。少しお時間をいただけますか?」
今日はアイビーとスザンナが王都の店で働く日だった。屋敷に戻ってすぐマシューが待ち構えていたとばかりに声をかける。
着替えもそこそこにマシューの話を聞くことにした。
「私はベンジャミン様は生まれ変わったとしか思えません」
ソファに座り話し合いの準備が整うと、開口一番マシューは断言した。
「証拠はあるの? 私たちの計画を知って回避のために一芝居打ってる可能性は否定できないんじゃない? ベンジャミン様自体は愚かでどうしょうもないけれど、愚か者を裏で手を引くものがいるかもしれないわ」
スザンナの問いにアイビーも頷く。
「証拠とまでは言えないかもしれませんが、こちらをご覧いただけますか?」
マシューは抱えていた書類を机に広げた。領地の帳簿の写しだ。
帳簿を読めば、領地ではいつどのような作物が採れ、どうやって収益を得て、どのような支出をしているのかが分かる。
「これをベンジャミンが読んだの?」
「はい。問題なく帳簿をお読みになられました」
「じゃあこれは?」
「ベンジャミン様の書かれた覚え書きです」
「覚え書き? 落書きではなくて?」
その帳簿には見慣れた文字の他に、四角が並び屋根や窓のついた建物を記号にしたような絵がたくさん書かれていた。
「ベンジャミン様はご自身が以前いらした世界でお使いになっていた『カンジ』という文字だとおっしゃっていました」
「カンジ」
「はい。私の説明を理解した上でこの『カンジ』という文字を書かれていました。ご覧ください。この植木鉢に木が生えたような文字が複数書かれてますよね」
「そうね」
「この文字はある果物を意味するそうです」
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