さらば従順な羊とギャル

色沢桜

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「……つまり、昔は山桐組にいて、一葉さんが小さい頃、よく面倒を見ていたってことですか?」

「そういうこった。これでも、一昔前は鬼の柴原って言われてたんやで」

 そう言って豪快に笑う。今でも十分鬼っぽい。

「まあ、それからシノギも儲からなくなって、足洗ったんや。今じゃまっとうな商売してるさかい、あんまり怖がらんといてくれ」

「儲からないんですか?」

 ぼくは純粋な好奇心から質問した。

「もちろん。サツの取り締まりも年々厳しくなって、ヤクザもすっからかんよ。上納金もらってる幹部は知らねぇが、末端は貧乏やろな」

「大変ですね」

 上納金がなんだかわからないが、きっと大金が動いているんだろう。

「どの仕事も大変よ。ヤクザなんて特にそうやで」

 柴原さんは大げさにため息をつくと、「ヤクザなんてやるもんじゃなかったな」と言った。

 ぼくは失礼だと思いながらも、「なんでヤクザになったんですか?」と聞かざるを得なかった。柴原さんは嫌な顔をしなかった。

「おれにはこれしかなかったからや。昔から人さまに迷惑をかけて生きてきたからな。まっとうに生きる生活が想像できなかったんやろ。まじめに勉強していい大学入ってたら……いや、変わんなかったやろうな」

「なんでです?」

「それは、おれがヤクザな性分だからや。クズって言われる人種やな」

「でも、柴原さんは良い人だと思います。一葉さんからの信頼も厚いみたいでですし」

 ぼくがそう言うと、柴原さんが大笑いした。

「おおきに。でもなぁ、会ったばかりの奴に、知った風に口きかん方がええで。賢治は人がいいみたいだから、つけこまれて、コロッと騙されてまう」

「そうですかね……」

「そういうもんや。ヤクザな商売してきたからわかる。……そうや、ええこと教えてやるわ。おれの人生経験からわかった、世の中には二種類の人間がおる、って話」

 柴原さんがぼくの目の前に二本指を立てた。

「社会に騙される奴と、なかなか騙されん奴。どういう意味やと思う?」

「そのままの意味じゃないんですか?」

「違う違う。ずばり、自分の頭で考えられる奴と、考えられない奴や。前者は社会で成功し、後者は失敗する。頭の良さは関係ない。馬鹿だって成功するし、天才だって失敗する。なんでかわかるか、賢治?」

「……わからないです」

「自分の頭で考えられねぇ奴は、他人の言葉を鵜呑みにする。間違い探しなんかしやぁせん。誰かから与えらえた答えを最適解だと思い込む。いいか? 社会で偉いって言われてる奴は、人を平気で騙す。それも、ただ騙すんやな
い。あたかも相手の利益になるかのようにそそのかすんや」

 柴原さんの表情が邪悪さを帯びる。

「考えられない奴は、言葉の裏にも文章の本当の意図にも気づきやせん。おれらにとっちゃ絶好のカモや。いい大学出のエリートが破滅していくさまなんて、飽きるほど見てきたで」

 そこまで言うと、毒気が抜かれたようにふっと表情を和らげて、「まあ、金でも借りなければヤクザと関わりなんか持たんから安心せい」と大きな手で、肩を痛いくらい強く叩いてきた。

 自分はどちらだろうか? いや、間違いなく自分の頭で考えられないタイプだ。母さんの言葉をひたすらに聞いて服従し続けているのだから。

  髪の毛を洗い終わり、股間をタオルで隠した一葉さんが入ってきた。少し赤らんだ顔は妙に色っぽくて、妙にどぎまぎしてしまう。

「おいおい、お前見とると本当の女みたいで目のやり場に困るんやけど」

「わたしは女以上に女のつもりだから、当然の反応だよ」

 そう言いながら、ぼくの隣に腰かけてきた。

「そういえば一葉。お前、親父から逃げてるんだって?」

「知ってるんじゃん。なんでさっき知らないふりなんかしてたの?」

「まさかここに来るとは思ってなかったんや」

「意外とゴシップ好きなんだね」

「引退してても、元は山桐組幹部やし。聞きたくない情報だって色々耳に入ってくるんや」

 一葉さんが、「げぇ」と顔をしかめる。

「もうすぐ親父の就任式やろうが。もちろんお前も出るんやろ」

「出ないよ。あんなの」

「お前も親父のこと嫌いだって知ってるけど、親父にも面子ってもんがあるやろ。ここは一つ、立ててやったらどう
や?」

「絶対に嫌だね」

 一葉さんはそっぽを向き、鼻まで湯船につかった。

「おい一葉。事の発端はお前にあるんやぞ」

 一葉さんが少しだけ顔を上げ、「違うもん。あのクソ親父のせいだもん」と抗議した。

泰我亜タイガーの奴らと付き合ったからやろ」

 一葉さんが柴原さんを睨みつける。

「それは言わないで」

「賢治には言ったんか?」

「まだだけど」

「それなら、教える義務があるやろ。お前のわがままに付き合ってるんやし。ええな?」

 一葉さんは渋々首を縦に振った。

「なにがあったんですか?」

「半グレって知っとるか? ヤンキーとヤクザの中間みたいな奴らなんやけど、前に一葉がそういう連中の男と付き合ってたことがあったんや。それが山桐組でも問題になって、親父に迷惑をかけたんや」

「わたしが誰と付き合っても勝手じゃん」

「んなわけないやろ。もしかして、まだ未練があるとか言わんよな?」

「完全にないよ。今じゃ、あいつと付き合ったのも信じられない」

 一葉さん顔が強張った。柴原さんもそれに気づいたようで、急に優しい声音で、「念を押すが、あいつには金輪際関わるなよ」と忠告した。

「はいはい。もう連絡先も全部削除したよ」

「それならええ」

 柴原さんが立ち上がり、「賢治、一緒にあがろうや」と肩を掴んできた。

「は、はい」

「わたし、入ったばっかなんだけど」

「お前はまだ浸かってろ。ちゃんと百まで数えろよ」

 一葉さんが「はーい」と間の抜けた返事をする。ぼくは柴原さんにがっちりと掴まれながら、脱衣所まで向かった。
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