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アパートの香り
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古びたアパートの階段を昇ると、どこからか漂うスパイシーな香りが鼻をくすぐった。夏美は空腹のあまり、思わずお腹をさすりながら部屋のドアを開けた。
「はぁ、また自炊か…」そう呟きながらキッチンに立つが、何を作ろうかと考える気力も湧かない。
その時、不意にドアがノックされた。
「はい?」
ドアを開けると、隣に住んでいる大学生らしき青年が立っていた。彼の名前は大輝。顔を合わせることはあっても、これまで言葉を交わしたことはほとんどなかった。
「えっと、これ…よかったらどうぞ。」
彼は照れ臭そうに鍋を手に持ち、夏美の目の前に差し出した。鍋の中には、さっき感じたカレーの香りが立ち込めている。
「え?これ、私に?」
「うん。さっき作りすぎちゃってさ、一人じゃ食べきれないから。迷惑じゃなければ、どうぞ。」
夏美は驚いたが、すぐに笑顔を浮かべた。
「ありがとう!ちょうど何作るか悩んでたんだ。助かる!」
その日を境に、二人は料理をお裾分けし合う関係になった。ある日は夏美が作ったスープを大輝に、別の日には彼が焼いたパンを夏美に。ボロアパートの狭い廊下で交わされるやり取りが、二人の距離を少しずつ縮めていった。
やがて季節は流れ、春の風が吹き始めた。大学生活も終わりが見え始め、卒業が迫ってきていた。二人とも忙しく、料理をお裾分けし合う機会は次第に少なくなっていった。
ある日、久しぶりに大輝が夏美の部屋を訪ねてきた。
「卒業、もうすぐだね。」
彼の言葉に、夏美は少し寂しさを感じた。
「うん、もうすぐだね。なんか、あっという間だったな…」
二人はしばらく黙ったまま、カレーの匂いが漂うキッチンに立ち尽くした。いつもなら軽やかな会話が弾むのに、今日はどこかぎこちない空気が流れていた。
大輝が小さく笑った。
「最後にさ、もう一回カレー作らない?」
「うん、いいね。最初にお裾分けしてくれたのもカレーだったし。」
二人は一緒にカレーを作り始めた。狭いキッチンで肩が触れ合いながら、昔の思い出話に花を咲かせる。最初はただの隣人だった二人が、こんなに親しくなったことが不思議に思えた。
カレーが出来上がり、テーブルに並べて食べ始めると、夏美は心の中に溜めていた思いが膨らんできた。大輝への特別な気持ち、それを伝えるべきかどうか迷っていた。
けれど、大輝はもうすぐ卒業してしまう。言わなければ、もう二度とこの気持ちを伝える機会はないかもしれない。
「ねえ、大輝…」
勇気を出して声をかけようとした瞬間、大輝が口を開いた。
「夏美、卒業したら…どうする?就職はもう決まってるんだっけ?」
夏美は一瞬戸惑ったが、すぐに答えた。
「うん、決まってるよ。地元に戻る予定。」
「そっか。俺も地元に戻るから、しばらく会えなくなるね。」
お互いに言葉が詰まった。いつもは話が途切れることなんてないのに、この時ばかりは何を言えばいいのかわからなかった。
結局、どちらも想いを伝えることができないまま、最後のカレーは静かに食べ終わった。
その後、二人は別れの言葉を交わし、静かにそれぞれの部屋に戻った。
そして、卒業の日。キャンパスで顔を合わせた二人は、短い挨拶だけを交わし、それぞれの道へと進んだ。あの時伝えられなかった言葉が、二人の心に静かに残ったまま、風に吹き飛ばされていくように感じた。
想いを伝えられなかった淡い恋は、カレーの香りと共に記憶の中で静かに残り続けた。
卒業から数年後、夏美は地元に戻っていた。忙しい日々に追われ、あの大学時代の出来事は次第に心の奥にしまい込まれていた。
ある日、ふと立ち寄った小さなカレー専門店。扉を開けると、懐かしいスパイシーな香りが店内に充満していた。まるであの古びたアパートで大輝からお裾分けをもらった時のことを思い出させるかのような、どこか優しい香りだった。
「懐かしいな…」
ふと、カウンター席に腰を下ろしながら、二人でカレーを作ったキッチンの様子や、毎日のように交わしたお裾分けのやりとりが、走馬灯のように頭の中を駆け巡った。
卒業の日、結局想いを伝えることなく別れたあの日のことも思い出す。夏美は、どこか胸の中にぽっかりと空いた穴を感じながらも、そのカレーの香りに包まれて、少しだけ心が温まるのを感じていた。
カレーが運ばれてくるのを待っていると、不意に背後から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「一人じゃ食べきれないから、迷惑じゃなければどうぞ。」
その瞬間、時間が止まったように感じた。ゆっくりと振り返ると、そこには大輝が立っていた。彼は大学時代と変わらない、少し照れくさそうな笑顔を浮かべている。
「大輝…?」
涙が止めどなく溢れてきた。あの時、想いを伝えられなかった後悔や、もう一度会えるとは思っていなかった驚きが、一気にこみ上げてきた。
夏美は、震える声で精一杯答えた。
「ありがとう!ちょうど…何食べようか悩んでたところだったんだ。」
その言葉は、あのアパートで初めて交わしたやり取りとまったく同じだった。大輝もまた、それを思い出したかのように微笑みながら、カウンターの隣に座った。
「俺も、久しぶりにこのカレーの匂いを嗅いだら、あの頃のことを思い出してさ。まさか、ここで会えるなんて思わなかったよ。」
二人の間に漂うカレーの香りが、再び二人をつなげていくように感じた。
その日、二人はアパートで過ごした日々を思い出しながら、昔と変わらない温かな時間を共有した。カレーの匂いに包まれた再会は、まるでずっと待っていたかのように、二人を元の場所へと戻してくれたのだった。
「はぁ、また自炊か…」そう呟きながらキッチンに立つが、何を作ろうかと考える気力も湧かない。
その時、不意にドアがノックされた。
「はい?」
ドアを開けると、隣に住んでいる大学生らしき青年が立っていた。彼の名前は大輝。顔を合わせることはあっても、これまで言葉を交わしたことはほとんどなかった。
「えっと、これ…よかったらどうぞ。」
彼は照れ臭そうに鍋を手に持ち、夏美の目の前に差し出した。鍋の中には、さっき感じたカレーの香りが立ち込めている。
「え?これ、私に?」
「うん。さっき作りすぎちゃってさ、一人じゃ食べきれないから。迷惑じゃなければ、どうぞ。」
夏美は驚いたが、すぐに笑顔を浮かべた。
「ありがとう!ちょうど何作るか悩んでたんだ。助かる!」
その日を境に、二人は料理をお裾分けし合う関係になった。ある日は夏美が作ったスープを大輝に、別の日には彼が焼いたパンを夏美に。ボロアパートの狭い廊下で交わされるやり取りが、二人の距離を少しずつ縮めていった。
やがて季節は流れ、春の風が吹き始めた。大学生活も終わりが見え始め、卒業が迫ってきていた。二人とも忙しく、料理をお裾分けし合う機会は次第に少なくなっていった。
ある日、久しぶりに大輝が夏美の部屋を訪ねてきた。
「卒業、もうすぐだね。」
彼の言葉に、夏美は少し寂しさを感じた。
「うん、もうすぐだね。なんか、あっという間だったな…」
二人はしばらく黙ったまま、カレーの匂いが漂うキッチンに立ち尽くした。いつもなら軽やかな会話が弾むのに、今日はどこかぎこちない空気が流れていた。
大輝が小さく笑った。
「最後にさ、もう一回カレー作らない?」
「うん、いいね。最初にお裾分けしてくれたのもカレーだったし。」
二人は一緒にカレーを作り始めた。狭いキッチンで肩が触れ合いながら、昔の思い出話に花を咲かせる。最初はただの隣人だった二人が、こんなに親しくなったことが不思議に思えた。
カレーが出来上がり、テーブルに並べて食べ始めると、夏美は心の中に溜めていた思いが膨らんできた。大輝への特別な気持ち、それを伝えるべきかどうか迷っていた。
けれど、大輝はもうすぐ卒業してしまう。言わなければ、もう二度とこの気持ちを伝える機会はないかもしれない。
「ねえ、大輝…」
勇気を出して声をかけようとした瞬間、大輝が口を開いた。
「夏美、卒業したら…どうする?就職はもう決まってるんだっけ?」
夏美は一瞬戸惑ったが、すぐに答えた。
「うん、決まってるよ。地元に戻る予定。」
「そっか。俺も地元に戻るから、しばらく会えなくなるね。」
お互いに言葉が詰まった。いつもは話が途切れることなんてないのに、この時ばかりは何を言えばいいのかわからなかった。
結局、どちらも想いを伝えることができないまま、最後のカレーは静かに食べ終わった。
その後、二人は別れの言葉を交わし、静かにそれぞれの部屋に戻った。
そして、卒業の日。キャンパスで顔を合わせた二人は、短い挨拶だけを交わし、それぞれの道へと進んだ。あの時伝えられなかった言葉が、二人の心に静かに残ったまま、風に吹き飛ばされていくように感じた。
想いを伝えられなかった淡い恋は、カレーの香りと共に記憶の中で静かに残り続けた。
卒業から数年後、夏美は地元に戻っていた。忙しい日々に追われ、あの大学時代の出来事は次第に心の奥にしまい込まれていた。
ある日、ふと立ち寄った小さなカレー専門店。扉を開けると、懐かしいスパイシーな香りが店内に充満していた。まるであの古びたアパートで大輝からお裾分けをもらった時のことを思い出させるかのような、どこか優しい香りだった。
「懐かしいな…」
ふと、カウンター席に腰を下ろしながら、二人でカレーを作ったキッチンの様子や、毎日のように交わしたお裾分けのやりとりが、走馬灯のように頭の中を駆け巡った。
卒業の日、結局想いを伝えることなく別れたあの日のことも思い出す。夏美は、どこか胸の中にぽっかりと空いた穴を感じながらも、そのカレーの香りに包まれて、少しだけ心が温まるのを感じていた。
カレーが運ばれてくるのを待っていると、不意に背後から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「一人じゃ食べきれないから、迷惑じゃなければどうぞ。」
その瞬間、時間が止まったように感じた。ゆっくりと振り返ると、そこには大輝が立っていた。彼は大学時代と変わらない、少し照れくさそうな笑顔を浮かべている。
「大輝…?」
涙が止めどなく溢れてきた。あの時、想いを伝えられなかった後悔や、もう一度会えるとは思っていなかった驚きが、一気にこみ上げてきた。
夏美は、震える声で精一杯答えた。
「ありがとう!ちょうど…何食べようか悩んでたところだったんだ。」
その言葉は、あのアパートで初めて交わしたやり取りとまったく同じだった。大輝もまた、それを思い出したかのように微笑みながら、カウンターの隣に座った。
「俺も、久しぶりにこのカレーの匂いを嗅いだら、あの頃のことを思い出してさ。まさか、ここで会えるなんて思わなかったよ。」
二人の間に漂うカレーの香りが、再び二人をつなげていくように感じた。
その日、二人はアパートで過ごした日々を思い出しながら、昔と変わらない温かな時間を共有した。カレーの匂いに包まれた再会は、まるでずっと待っていたかのように、二人を元の場所へと戻してくれたのだった。
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