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BL小説家と私小説家がパン屋でバイトしたらこうなった3
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しおりを挟む二人分の缶酎ハイと、つまみになりそうなものをいくつか。彼は彼で、私が泊まりにくるということなので、いつもより多めに総菜を買って帰ったという。
女子のように総菜を皿に移し替えるなどということはせず、持ち寄ったものをパックのままテーブルに並べ、お疲れさまと乾杯して食べはじめる。
「しかし本当にびっくりしました。でもいまは、別の意味でびっくりしているというか、嬉しいです。あなたが俺とのことを、これほど積極的に考えてくれていると知って」
私は口に運びかけていた箸をとめた。
穂積とのことを積極的に考えている……?
急な宿泊依頼は、積極的と捉えられてしまうかもしれない。けれども、穂積の言いまわしは私の心情と微妙に齟齬があるような。
反応できずにいる私を、穂積がからかい半分の色っぽいまなざしで覗き込んでくる。
「そういうことだと受けとめていいんですよね。俺のことをもっと知りたいってことは、俺と、もっと深い仲になりたいということでしょう?」
「ば……っ、そういう……」
私は赤面した。
そういうつもりではない。
ただ、知りたいだけだ。知って、己の感情を見極めたいだけだ。
「そういうことじゃなくて……。ただ純粋に、きみのことを知りたいと……」
何をどう弁明しても穂積の解釈を肯定しているようで、焦る。穂積は嬉しそうに顔を綻ばせて、うろたえる私を余裕たっぷりに見つめていて、そのさまがますます私の顔を熱くさせる。
「だから、その……。きみも、私のことを知らないのに好きだとかいうから、それもなんか違うと思うし」
「じゃあ教えて。あなたのことをもっとたくさん」
すかさず甘く囁かれる。
「でもね、さほど知らなくても恋はできますよ。俺がどれほどあなたのことを想っているか、本気で伝えてもいいのなら、喜んで今すぐ教えてあげます。あなたがわかってくれるまで、夜通しみっちり丁寧に」
フランス男が愛を囁くように軽やかに色っぽく、本気かからかいか判別つかない調子で言いだす。
私としては、穂積という男を冷静に観察するつもりで来たのに、しょっぱなから甘い雰囲気を出されてしまい、早々にギブアップする形となった。
「もう……、もう、いいや」
私は赤い顔をしかめ、彼から目を逸らしておにぎりをパクついた。穂積がクスクス笑って軌道修正してくる。
「俺の普段の生活でしたね。バイトがあった日の俺の夕食は、こんな感じでショッピングセンターの総菜です。休みの日は近所の牛丼屋とか。たまに自炊もしますけど。久見さんは?」
「私も、バイトの日は同じだな。休みはカップラーメンか蕎麦」
「蕎麦、好きですよね」
「うん。池波正太郎ファンとしては外せない。夏はそうめんもローテーションに加わる。朝は食パンを食べたり食べなかったり」
「俺も朝はパン派です。って、前にも言いましたっけ」
「うん。知ってる」
こんな話は、以前にも何度かした覚えがある。
穂積のことを知らないと言っているが、知識としては、けっこう貯め込んでいるかもしれない。言葉で知りたいのではなく、実際にこの目で見て確認するのが今回の目的なのだ。あとは、普段知りえないことを知りたい。
「久見さんは、俺のなにが知りたいですか」
「下世話な話だけど、ここに住める財力が気になってる。賃貸?」
「ええ。駅前ですけどそんなに高くないですよ」
穂積が家賃を口にする。私が予想していたより高かった。
財源はというと、強いて云えば株の投資とのことだった。バイト代と原稿料は生活費、会社勤め時代の貯蓄と印税を投資にまわしているのだとか。
「投資か。やっぱそうだよな」
知識も元手もないので手が出ないが興味はある。素人にもわかるように教えてほしいと頼み、しばらく株についての話になった。
それからその話の流れで、穂積がパン屋にバイトに来る前に勤めていた会社の話にもなった。ストレスで辞めたということは以前聞いていたが、詳しいことは聞いたことがなかった。
そんな話をしているうちに時間が過ぎていき、ハッと我に返った。
「すまない。いつも通りの生活を見せてほしかったのに、つい話し込んでしまった。食事のあと、いつもは?」
「郵便物をチェックしたり、雑用を済ませてから執筆ですかね」
「そうか。じゃあ私は邪魔にならないよう静かに過ごしているから、いつも通りにしてくれ」
テーブルの上を二人で片づけ終えると、穂積はダイニングテーブルで郵便物を開封した。私はソファに座り、そんな彼を眺めた。
ややもして、穂積が面映ゆそうにこちらを見た。
「あの。そんなにじっと見てる感じですか」
「気にするな」
「そう言われましても。つまらなくないですか。本でも読みます?」
「あ。じゃあ、本じゃなく……」
私はずっと念頭にあった用件を、ちょっともじもじしながら口にした。
「VR、やってみたいんだけど」
穂積は面映ゆそうな表情から一転、無表情になった。
「今は無理です。壊れてて」
速攻の返答に、私は思わず立ちあがった。
「嘘ッ」
「いや、本当に」
困ったそぶりも見せず、いっそ冷淡なほど無表情に伝えてくる男を、私は呆然と見つめてしまった。
「昨日、今度はうちでって……VR、興味あるでしょって、言ったじゃないか……」
「まさか、こんなに早く来てくれるとは思ってませんでしたから。これなんですけどね。修理にだすより、最新のを買ったほうがいいかなと検討してるところです」
穂積がテレビ台の引き出しからヘッドギアをとりだして見せてくれる。操作しても作動する気配はない。
なんということであろうか。
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