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一話
しおりを挟むたまには運動を兼ねて、なんて思ったのが間違いでした。
「ふう……はあ……ひぃぃ……」
春先らしいぽかぽかとした日差しに似合わぬ滝のような汗を流し、ひいこら言いながらマンションの階段を私―――七星朱莉ななほしあかり―――は登っています。
ちょうど目の前でエレベーターが行ってしまい、向かった先が最上階。戻ってくるまで待つのもちょっと億劫だなぁ。だったらいっそ……と、思ってしまったのは間違いだったかもしれません。
「つ、疲れたぁ……けど、ここまできたら負けるもんかあー!」
いったい何と戦ってるんだ、私。と内心ツッコミつつも、ここまで来たからにはエレベーターに頼らず登り切ろう……! と硬く決心をする。
同時に思う。部屋に付いたらアイス食べよ、とも。
……大丈夫大丈夫、いつもよりもカロリーいっぱい消費したから、アイスの一つや二つ、ヨユーヨユー。イケます……!
アイス効果で気合いの充填は十二分です。よっこらしょー!
ふんす! と鼻息も荒く、再び階段を上っていきます。待っててね私のアイス!
無理なことだと思っても、人間、やれば以外となんとかなっちゃうものなのです!
「ふぅー。……やりきったぜ私……ふぅ……はぁ……」
マンションの7階にある自室にたどり着き、荒い息を付きながらも勝利宣言をします。
とは言え、無理を続けてしまうと無理が当たり前になって、それが続くと……考えただけでゾッとしてしまいます。
今度からは素直にエレベーター待とう。私は強く、強く、心に誓いました。
ともあれ、
「アッイスアイス~♪」
運動で火照った体で食べるアイスは、普段の倍以上の美味しさであるに違いない。ウキウキルンルン気分でガチャリ、と扉を開けます。
「ただいま~」
すると、ぽてぽてと軽い足音が聞こえてきて
「朱莉ちゃーん、おかえりなさーい!」
ルームシェア相手であり、私のひとつ年上の従姉妹でもある由香里さん―――洗井由香里あらいゆかり―――が両手を広げ、満面の笑顔で飛び付いてきました。
避けました。
「げぶぅ!」
ビターン! と豪快に床にダイブする姿を見て、
「もう、いちいち飛び付いてこないでって何度も言ってるじゃないですかー」
はぁ、と軽くため息をつく。
……これ、由香里さんが先に帰宅してた場合は毎回の事なんですよねー……。
以前、まだルームシェアをはじめる以前の事。親戚付き合いでたまに会うときに毎回ぎゅー! っと抱きつかれるのは、まあ、分からなくもなかったです。
でも、大学進学に伴う上京、ルームシェア開始からすでに丸一年以上が経っています。
決して嫌なわけではないのですが、いい加減、さすがに、その、ちょっと、ね?
「うう……痛いれふ……」
涙目になり、鼻の頭を擦りながら由香里さんが立ち上がります。あの勢いで顔面から盛大にいって、これで済むのは凄いなぁ。毎度の事ながら、その頑丈さには思わず感心してしまいます。
……いや、こんなことで態々感心させないでくださいよおねーちゃん。
ホントにこの人は私より年上なのだろうか?
「ちょっと運動して汗かいちゃってるから、止めてください」
部屋のテーブルに荷物を置きながら言います。
「運動?」
こてん? と首を傾げながら質問されました。
……こーゆー動作がいちいち可愛いんですよねーこの人は。
それでいて、そこに一切のあざとさを感じないのは凄いです。
「はい、エレベーターに目の前で行かれちゃって、たまには階段で行こうかなーって」
でも疲れちゃいました、と言いながら上着を椅子の背にかけ、
「暑くなっちゃったんでちょっとアイス食べますね。お昼ご飯、少し遅くなっても大丈夫ですか?」
基本的に食事は私が担当しており、今はちょうどお昼前。食後でいいじゃないか、とも思いますが、
私は! 今! 食べたいのだー!
この誘惑には抗えません。少しだけ悪い気もしますが、ちょっとだけ我慢してもらおう。なので、言いながら振り返ります。
「……え?」
私は今、何かおかしな事を言ったのでしょうか?
「あわ……あわわわ……!」
振り替えると、いつもはふんわりほにゃっとした顔をしている由香里さんが、ピシリと表情を固くしていました。
「ええっと……由香里さん?」
思わず、困惑した声を出してしまいます。
「ひゃっひゃい!」
ビシィッ! と背筋を伸ばし、怯えた様子で返事をされました。
……なんでしょうか、この反応は?
昼食が作りが遅くなる、と言っただけの筈ですが。えー、とむくれられるならともかく、怯えている……?
怪しい。露骨に怪しいです。……何か私に負い目がある?
視線をずらします。
「あ」
そして
ああ」
私は
「あああ……!」
見つけてしまいました
「嫌あああああああ!」
空になったアイスの容器をーーー!!
怒っています。私は今、とても怒っています。おこです。檄おこぷんぷん丸です。
「あ、あの……朱莉ちゃん……?」
「……何ですか?」
「ぴっ!?」
じろり、と。びくびくながら言った由香里さんに思わず睨み付ける様に視線を向けながら返事をすると、悲鳴のような声が返ってきました。
「ご、ごめんなさい。おねーちゃん、ちょっと小腹がすいちゃって……」
まるで飼い主に叱られた小型犬の様な、そんな雰囲気を漂わせながら由香里さんは言いました。
……はあ。
「……まあ、いいです。食べないで、と言ったわけでも、名前を書いてあったわけでもないですし」
それに、と。口には出さずに内心で思います。
……それくらいでいつまでもへそを曲げるって、あまりに子供っぽいですしねー。
許す言葉を口にした途端、ぱあああっと笑顔になる目の前の人を見ながらそう思いました。
でも食べたかったなーアイス……。
ともあれ、気持ちを切り替えます。ぱんっと、手を合わせ
「じゃあお昼作っちゃいますねー。何か」
簡単なものでいいですよね? と続けようとしたら、
「あ、おねーちゃんね、スパイスが効いたのが食べたいなぁ」
さっきまで甘いの食べてたからその反動かなぁ、と。のほほんとした笑顔で悪気なく言うのを見て、額に青筋が浮かぶのをハッキリと自覚しました。
……この人は本当にーーー!
無言で踵を返し、キッチンに向かいます。
スパイスですかー。そうですかー。甘いもの食べたからですかー。そうですか、うふふふふ。
私は、お茶碗によそったご飯と、冷蔵庫から出したあるものを持って、ふにゃふにゃしてる由香里さんのところに戻りました。
「ほらよ」
たーん! とテーブルに手にしたものを置きました。
「あ、朱莉ちゃん……? ええっと、これは……?」
何で怒ってるの? みたいな雰囲気を漂わせながらおずおずと問われました。
気づいてよ!
むすっとした気持ちのまま、私はそっけなく言いました。
「由香里さんの今日のご飯です」
「え」
手元に目を下ろし、こちらを見上げ、また見下ろしました。
「え? でもこれ……」
困惑した様子の由香里さんに構わず、私は言いました。
「今日の由香里さんのご飯は……ハリッサご飯です」
ハリッサ。それは、唐辛子のペーストをベースにコリアンダーやクミンなどを加えられて作られた調味料です。
「ご飯にハリッサをのっけて食べてくださいね。お望み通り、とってもスパイシーですよ?」
良かったですね? と、言いながら、にぃっこり、と笑みを浮かべました。
「それじゃ、ご飯に調味料乗っけただけじゃないですかそんなのやだー!」
「食べもしないうちから否定しないで下さいっ」
つーんとそっぽを向き、素っ気なく返します。なんと言われようと、今はご飯を作る気になんてなれません。食べ物の恨みは、とっても恐ろしいのです!
「えええー」
不満そうにしながらも、瓶の中身をご飯にのっけて一口。
「あれ……美味しい?」
不思議そうに首を傾げ、続けて二口、三口。
「美味しい!」
ぱあっと、表情を明るくします。
そう、嫌がらせでしかないような物を出しましたが……以外と美味しいんです、これ。ご飯と調味料のシンプル過ぎる組み合わせのお陰でスパイスの香りを最大限に感じらます。
私の中だと、卵かけご飯とか、猫まんまとか、そこらへんと同列な感じですね。
「美味しいと言うことで、じゃあそれで」
「待って、待って! 確かに美味しいけど、これだけじゃやだー! おねーちゃん、朱莉ちゃんがちゃんと作ったのが食べたいのー!」
「えー」
思わず、冷たい目で見てしまいます。
「……私の食べたかったアイス勝手に食べたのに」
「うぐぅ!? それは、おねーちゃんが悪かったけどぉ……後でアイス買ってくるからそれで許してえ!」
「はー……。もう、しょうがない愚姉ですねえ」
愚姉!? と驚く姿を無視し、ヒョイっとハリッサの瓶を取り上げます。
折角なので、今日はこれを使った料理にでもしましょうか。
三角巾を被り、エプロンの紐を腰裏できゅっと結びます。家庭料理ですし、別にそこまでする必要もないのですが……まあ、気分の問題です。
「さて」
ハリッサを使った料理と言うと、一番の定番はクスクス……なのですが、私は作ったことがありません。
「まあ、やっぱりあれですかねー」
呟き、冷蔵庫から必要な物を取り出します。
これから作っていくものはとてもシンプルな料理なので、その数はさほど多くはありません。
まず食材ですが、これは玉ねぎと挽き肉の二つだけです。
続いて調味料、そして香辛料ですが、
「スパイスが効いたのが食べたいって言ったのは由香里さんですからねー?」
うっすらと意地悪く笑いながら……カレー粉、ホワイトペッパー、ガラムマサラ、カイエンペッパー、輪切り唐辛子を次々と取り出します。
実は、私……辛いものが大好きだったりするんです。辛くしだすと際限がなくなってしまうところがあるので普段は自重しているのですが、
……私の為じゃなくて、由香里さんの為だから思いっきり辛くしていいんですよーだ。
更に追加で、スーパーで見かけてたまたま手に取った『超辛!』『クレイジー!』『デンジャラス!!』などと書かれている深紅に染まった唐辛子ペーストを取り出します。
「これ、買ったはいいものの、なかなか使う機会に恵まれなかったんですよねー。うふ、うふふー」
今回は遠慮せずに入れられますね♪
それでは早速、調理開始です。
始めに、オリーブオイルをひいたフライパンで、微塵切りにした玉ねぎを強火で炒めていきます。
ホワイトペッパー適量と少量の塩を振り掛けつつ、適度に飴色になったところで火を弱火にし、しばらく炒めます。
程よくしんなりしてきたら火を強め、挽き肉と残りの調味料、スパイス類を入れて再び炒めていきます。
「げほっげほっ」
わかる人ならわかると思いますが、スパイスたっぷりな物を調理してるときの匂いってとっても暴力的です。鼻腔にクリティカルにスパイスが刺さると言いますか……これは中々、辛さに期待が持てそうですねえ。
火が通り、馴染んだところで軽く味見を。
「っ」
これは……ほほう。
軽く顆粒コンソメを追加して、味を整えたら。
「完成ですっ」
と言うわけで、今日のご飯は『簡単キーマカレー』です!
今日はサラダも無し、ご飯とカレーのみの超シンプルな組み合わせです。あの後なのでそこまでキッチリ作る気にはなれなかった、と言うところとも勿論ありますが。
……たーっぷりと辛さを味わってほしいですからね、逃げ道なんて与えませんとも、ええ。
「由香里さーん、できましたよー」
「わーい、待ってましたー!」
……ククク、無邪気に笑ってられるのも今のうちさ……!
などと、子悪党のような事を考えながら、朱莉ちゃん特製デスカレー(仮)をサーブします。
「わーい、キーマカレーですか♪ 美味しそ……う!?」
ニコニコしていた由香里さんでしたが、漂う刺激臭にビックリした様子で顔を仰け反らせました。
「スパイスが効いたのが食べたい、とのリクエストですから、たーーーっぷり効かせてみましたね。召し上がれ~♪」
ニッコニッコ。
「う、うん……おねーちゃん、たしかにそう言いましたけど……あのこれ」
「召し上がれ~♪」
ニッコニッコニッコ。
「あ、朱莉ちゃ」
「召・し・上・が・れ♪」
「はひ」
ごくり、と喉を鳴らし、恐る恐る口に運びました。
瞬間、
「ん"~~~!?」
反応は劇的でした。
即座に上気する頬、吹き出す汗。
辛さを紛らわせるためでしょう。コップに手を伸ばしますが、
「うっかりうっかり、飲み物用意するの忘れてました♪」
てへぺろ♪
食べ物の恨みは斯くも恐るべし、です。
飲み物を求めて台所に駆け込む背中を見ながら、私はそう思うのでした。
改めて、食事再開です。
「うう……ちょっと辛すぎないですか、これぇ……」
「そうですか?」
私の正面に座る涙目な由香里さんをよそに、自分の分を用意してぱくぱくと口に運びます。
……うん、一口目から口内にガツンと痛さにも似た辛さが暴力的に広がっていきます。
これがいいんですよねー、と、うんうんと頷きながら食べ進めていきます。
確かに辛かに意識が向きがちですが、ただ辛いだけ……なんてことは勿論なく、程よい塩気と香辛料の豊かな香りもしっかりと出ています。
「うん、美味しくできましたね」
我ながら上出来ですねー。もぐもぐ♪
嘘だろコイツ、みたいな目で由香里さんが見てきますが、好きなものは好きなんだからしょうがないじゃないですかあ。
「美味しい……でも辛いぃ……」
少しずつ、少しずつ食べ進める姿を見て意地悪しすぎたかな?
……でもこれ、私はフツーに美味しいんだもん。
だから、私は悪くない! そう思う本日のお昼模様なのでした。
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