上 下
52 / 60

52 看護人

しおりを挟む
 おかしなところばかりだ。

 私は医師に雇われているらしい女性の看護人が入って来たのを見て、軽く挨拶をした。

 彼女は何気なく私に近づき小さな白い紙を渡したので、私はなんだろうと反射的にそれを見た。

『今すぐに裏口にまで一人で来てください。これを誰かに教えれば、弟は殺します。証拠が欲しければ、体の一部を送ります』

 意味を頭で理解した瞬間、喉がヒュッと鳴ったような気がした。

 けれど、その手紙を渡した彼女はここに居て、扉の前にはイーサンの残した屈強な用心棒が二人隙なく周囲を見回して居た。

 白い看護服は変装だったらしい彼女は淡々とお父様の身の回りをゆっくりを見て、私をチラリと一瞥してから去って行った。

 敢えてそうしているのかもしれないけど、全く特徴らしい特徴がない顔と姿だった。今、私が服を変えたあの人を大通りで見掛けても、きっと気がつかないだろう。

 心臓が今までにない速度で、高鳴っていた。

 普段聞こえないはずのドクドクドクという大きな音は、耳に聞こえている。ここからどうにか私が裏口へと行かないと、クインは殺されてしまう。

 理性的な誰かなら、二人で死ぬより一人を見殺しにして良いと思うのかもしれない。

 だって、犯人は私が行けば、クインを解放するとは書いていない。

 いいえ。もし、書いていたからって、なんなの。こんなことをするような、卑劣な犯人なのよ。

 私にとってクインはたった一人の弟で、亡き母にも立派に成長させると約束した大事な男の子だ。ほんの少しでも、あの子が生きられる可能性があるのなら、私はそこへ向かうしかない。

 それに、今はイーサンが居てくれる。

 利に聡い商売人なら、人情を犠牲にするのかも。

 けれど、将来的に王様になるギャレット様に恩が売れるなら? そうよ。王様とそれ以外。どっちが得かなんて、わかり切ったことだ。イーサンの商売のセンスなら、私は絶対の信頼を置いている。

 彼は自分の得になるような選択肢を選んでくれるはずだと。

「あの……私、少し外の空気を吸ってきます。すぐに戻りますので」

 私は用心棒の二人に微笑んで、扉を出た。

 彼らも私が先ほど父親について精神的に大きな衝撃を受けたことを理解しているので、頷いただけで何も言わずに通してくれた。

 私はなんでもないような顔をして、ゆっくりと医師の診療所の廊下を歩いた。

 すれ違う人だって、私の弟が誘拐されて今私が行かなければ殺されてしまうかもしれないなんて、思ってもないはずだ。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

【完結】悪役令嬢はラブロマンスに憧れる☆

恋愛 / 完結 24h.ポイント:56pt お気に入り:326

男装令嬢はもう恋をしない

恋愛 / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:539

あなたの瞳に私を映してほしい ~この願いは我儘ですか?~

恋愛 / 完結 24h.ポイント:534pt お気に入り:3,068

処理中です...