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第一章
第十話
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第十話「火の手前で立ち尽くす」
姉はまだ未明書房の奥の椅子に座っていた。
手には妹の詩が収められた文集。
読み終えても、なぜだか閉じられずにいる。
文字が静かすぎて、そこから漏れ出す声になれなかった何かが、まだ手放せなかった。
ふと、扉の鈴が鳴った。
「……開いてますか」
その声に、姉はわずかに顔を上げる。
入ってきたのは、無骨な男。
くたびれたコートの裾に、わずかに雨粒の痕跡。
けれど、どこかで嗅いだことのあるにおい――木の焦げた匂い。
いや、思い出したくない記憶のにおいだった。
彼は棚に向かうこともなく、店内を一巡するようにゆっくり視線を巡らせていた。
その目が、一瞬だけ姉の手元の本に留まる。
そして、ほんのわずかに表情が揺れた。
店主が何も言わず、古びた箱を差し出す。
男が開けたその中には、焼けた紙の断片がいくつか収められていた。
「……これ、もしかして」
ひとつの断片を拾い上げると、その端に小さな文字が浮かぶ。
手紙の切れ端。そこにはかすかに、
“あのひとに、ほんとうのことを言えなかった”
そう記されていた。
彼はふと顔を上げる。そして、もう一度、姉の背を目にする。
姉は本を閉じ、ゆっくりと立ち上がる。
目が合う――でも、名を呼ぶことはない。
ただその一瞬、どこかで同じ火を見たことがあるかもしれないという沈黙が、ふたりのあいだに灯った。
「……火事のあと、何が残ると思いますか」
姉の声が、無意識のようにこぼれる。
男は答えず、握っていた紙をそっと棚に戻す。
そして、一言だけ残して出て行く。
「……声、ですね。忘れられないやつが」
扉が閉まり、風の余韻が残る。
姉は残された箱の中をそっと覗く。
最も焦げた一枚にだけ、小さく滲むように書かれていた。
“わたしを読んでくれて、ありがとう”
彼女は静かに目を閉じた。
聞こえなかったはずの声が、少しだけ近くなった気がした。
姉はまだ未明書房の奥の椅子に座っていた。
手には妹の詩が収められた文集。
読み終えても、なぜだか閉じられずにいる。
文字が静かすぎて、そこから漏れ出す声になれなかった何かが、まだ手放せなかった。
ふと、扉の鈴が鳴った。
「……開いてますか」
その声に、姉はわずかに顔を上げる。
入ってきたのは、無骨な男。
くたびれたコートの裾に、わずかに雨粒の痕跡。
けれど、どこかで嗅いだことのあるにおい――木の焦げた匂い。
いや、思い出したくない記憶のにおいだった。
彼は棚に向かうこともなく、店内を一巡するようにゆっくり視線を巡らせていた。
その目が、一瞬だけ姉の手元の本に留まる。
そして、ほんのわずかに表情が揺れた。
店主が何も言わず、古びた箱を差し出す。
男が開けたその中には、焼けた紙の断片がいくつか収められていた。
「……これ、もしかして」
ひとつの断片を拾い上げると、その端に小さな文字が浮かぶ。
手紙の切れ端。そこにはかすかに、
“あのひとに、ほんとうのことを言えなかった”
そう記されていた。
彼はふと顔を上げる。そして、もう一度、姉の背を目にする。
姉は本を閉じ、ゆっくりと立ち上がる。
目が合う――でも、名を呼ぶことはない。
ただその一瞬、どこかで同じ火を見たことがあるかもしれないという沈黙が、ふたりのあいだに灯った。
「……火事のあと、何が残ると思いますか」
姉の声が、無意識のようにこぼれる。
男は答えず、握っていた紙をそっと棚に戻す。
そして、一言だけ残して出て行く。
「……声、ですね。忘れられないやつが」
扉が閉まり、風の余韻が残る。
姉は残された箱の中をそっと覗く。
最も焦げた一枚にだけ、小さく滲むように書かれていた。
“わたしを読んでくれて、ありがとう”
彼女は静かに目を閉じた。
聞こえなかったはずの声が、少しだけ近くなった気がした。
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