未明書房

はぐ

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第二章

第四話

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「名前のない頁」

棚の隅に、分類票のない本が一冊だけあった。
書影は真っ白で、タイトルも著者もない。
それでも、翼はなぜかそれを読むべき気がした。

ページを開くと、文字はほとんど載っていない。
けれど、ページの左下にだけ小さな痕跡が残されていた。
手書きの一行。にじんだインク。

「だれにも名前を呼ばれなかった人について」

翼の心に、静かな振動が起こった。
それは記憶というより、誰かが記憶になり損ねた瞬間だった。

ページには語りかけるような声の残響だけが浮かんでくる。

――誰かが、忘れられる前に
ほんの数秒だけ自分を思い出してくれることを望んでいた。

翼はその声なき存在に、妙に惹かれてしまった。
名前がないのに、情景がある。
呼びかけがないのに、自分のなかに応答が生まれる。

そして気づいた。
これまで読んできたどの記憶よりも、
この「名前のないページ」が、自分に似ている。

いまの自分もまた――
誰かの手によって思い出された存在ではなく、
「たまたま開かれた頁の一部」だったのかもしれない。

翼は本を閉じ、棚に戻す。
その背表紙にも、誰の名前も刻まれていない。

なのに、その無記名の気配だけが、胸に深く沁みていた。

店主が視線を投げかけてきた気がしたが、翼はそれを受け止めず、
そのまま店を出た。

外の空は、少しだけ明るくなっていた。
けれど、自分の影が伸びる先に、名前は落ちていなかった。

“ぼくが翼と呼ばれる前の影は、どんな形をしていただろう”

そんな言葉が、心の奥でそっと紙のようにめくられていった。
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