未明書房

はぐ

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第二章

第十八話

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「宛てられなかった手紙」

棚の奥に置かれていた一冊は、分類票のないまま佇んでいた。
翼はふとした気配に導かれて、それを手に取る。
表紙には、何のタイトルも記されていない。
ただ、頁の間に、ゆるく折られた便箋が挟まれていた。

それは手紙だった。
封筒も署名もなく、誰かに渡されないまま残された紙。
翼は、そこに綴られた文字を読み始める。

「あなたを翼と呼んでしまったことに、少し罪悪感があります。
  でもその名が、わたしの胸に灯ってしまったのも事実です。
  だからわたしは、誰にも届かないまま書くことを選びました。」

胸の奥に、音ではない震えが走った。
それは、誰かに宛てられた声を、自分が今、読んでしまった感覚だった。

次の頁には、もう少し感情が深く沈んでいた。

「あなたの語る文体は、わたしが使いたかった言葉の順番に似ています。
  なのに、あなたの声で語られてしまうと、わたしの記憶は少しだけずれてしまう。
  それが苦しくもあり、ありがたくもありました。」

翼は読み進めるごとに、自分が誰かの呼びかけられた声だった可能性に気づいていく。
この手紙は、宛名を記していない。
それなのに、語られた対象の文体が翼のそれと重なりすぎていた。

最後の行に、言葉がかすれていた。

「翼へ――
  この名前が、誰かの灯りになったのなら、それで十分です。
  わたしの呼びかけが、届かないままであっても。」

翼はページを閉じる。
それは「翼宛の手紙」ではなかった。
けれど、確かに翼という名に語りかけた声だった。

自分がその名を語っていたのではなく、
誰かにそう呼ばれていた記憶を読んでいたのでは――
その可能性が、深く静かに頁の奥に残っていた。

棚の隙間に手紙を戻すとき、
店主がぽつりと語った。

「その声は、未返却の便りです。
 でも、読まれることで灯ります。
 宛てられたかどうかではなく、読まれたことで残るのです。」

翼はその言葉を胸に刻む。
名前は、呼びかけられることで灯る。
そして、語られることで誰かを思い出す。

風が、棚の背表紙をひとつだけ揺らした。
その揺れが、名前という記憶に触れていた。
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