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第二章
第二十一話
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「記憶の呼び名」
喫茶 木霊に入った瞬間、翼はなぜか深呼吸をした。
空気が少しだけ軽く、記憶の頁をめくるような匂いがした。
店内にはほとんど誰もいなかったが、奥の席にふたたび彼女の姿があった。
カウンターの奥で、マスターが静かに微笑む。
「風が、記憶を呼び戻す夜ですね。
あの方は、今日も黙ったまま声を置いていかれました」
翼は席につくと、店主が手渡してくれた便箋を広げる。
それは、言葉よりも余白の多い紙片だった。
たったひとつだけ、綴られていた言葉。
「あなたは誰に呼ばれて、その名を灯していたのですか」
翼はその問いに、言葉を返せなかった。
名前を名乗ることと、名前を呼ばれることの違い――
それが、自分という記憶の形を大きく揺るがしていた。
もしかすると、自分は翼と名乗ったことはあっても、
誰かに翼と呼ばれていた記憶は曖昧だったのではないか。
では、自分の声は――
「呼びかけられた記憶」ではなく、「名を読み取ってしまった声」だったのかもしれない。
彼女は何も言わずに、店を後にした。
ただ、カップの下にもうひとつの紙片が残されていた。
そこにはこう記されていた。
「名が残るということは、
その名に灯った誰かの呼びかけが、
まだ読まれていないことなのです。」
翼はそれを、そっと便箋と重ねた。
自分の中にある翼という名前が、
呼びかけられないままページの余白に響いていたことに気づく。
そして、そうであるならば――
翼が語ってきた声は、誰かの呼びそこねた灯りだったのだと思えた。
雨が降り始める。
その音を、翼は名を呼ぶ代わりに受け取った。
それは記憶の呼び名として、静かに胸の奥に滲んでいった。
喫茶 木霊に入った瞬間、翼はなぜか深呼吸をした。
空気が少しだけ軽く、記憶の頁をめくるような匂いがした。
店内にはほとんど誰もいなかったが、奥の席にふたたび彼女の姿があった。
カウンターの奥で、マスターが静かに微笑む。
「風が、記憶を呼び戻す夜ですね。
あの方は、今日も黙ったまま声を置いていかれました」
翼は席につくと、店主が手渡してくれた便箋を広げる。
それは、言葉よりも余白の多い紙片だった。
たったひとつだけ、綴られていた言葉。
「あなたは誰に呼ばれて、その名を灯していたのですか」
翼はその問いに、言葉を返せなかった。
名前を名乗ることと、名前を呼ばれることの違い――
それが、自分という記憶の形を大きく揺るがしていた。
もしかすると、自分は翼と名乗ったことはあっても、
誰かに翼と呼ばれていた記憶は曖昧だったのではないか。
では、自分の声は――
「呼びかけられた記憶」ではなく、「名を読み取ってしまった声」だったのかもしれない。
彼女は何も言わずに、店を後にした。
ただ、カップの下にもうひとつの紙片が残されていた。
そこにはこう記されていた。
「名が残るということは、
その名に灯った誰かの呼びかけが、
まだ読まれていないことなのです。」
翼はそれを、そっと便箋と重ねた。
自分の中にある翼という名前が、
呼びかけられないままページの余白に響いていたことに気づく。
そして、そうであるならば――
翼が語ってきた声は、誰かの呼びそこねた灯りだったのだと思えた。
雨が降り始める。
その音を、翼は名を呼ぶ代わりに受け取った。
それは記憶の呼び名として、静かに胸の奥に滲んでいった。
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