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2.始発、正装、氏より育ち

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居間に陣取りテレビを観ている制服姿のジェーケー。……朝九時前である。

「あぁああああっ! これ新しいシーズン配信されてんじゃんっ!」

 えぇっと、このシチュエーション……なんてエロゲ?

「ただしぃ、一緒に観よ?」

 莞爾と笑う彼女に顔が火照る。

「い、いいよ、僕は。ハナさん、気にせず一人で観てなよ」
「ん?」

 足早にその場を離れ、用を足し、洗面台で顔を洗い、歯を磨いた。朝の日課、という以上に、早くこの気持ちを入れ替えたかったのだ。
 だって…………めっちゃ可愛いじゃぁああああああああああんっ! 
寝起きに食らった急展開におつむがついてゆけなかったが、意識がハッキリした今ならわかる。
あれは熊なんかじゃない。ヒロイン属性マックスのジェーケーだ! 
……って、いかんいかんっ! 僕は大人で相手は未成年! そもそもそういう関係ではない。気をしっかりと……

「……うわぁあああああああっ! ビックリしたっ!」

 目をパチパチさせなが鏡越しに僕を覗く彼女が背後に立っていた。

「あははははっ! ただしうけるぅ! いちいちリアクション大きいぃ」
「誰だっていきなり後ろに立たれたら驚くだろうっ!」
「ふ~んっ」
「……なんだよ」
「べっつにぃ~」

 そういうと彼女は居間へと戻っていった。

「……はぁ、これからどうすんだぁ、マジで」

 十七歳のジェーケーにビビる二十八歳の会社員。……情けないが現実だ。
 しかし、本当にあんなあどけない可愛い子が狼に変身するのだろうか? まぁ、あれから普通に時は流れているし、夢オチグッドエンドでもないし、現にこうしてジェーケー来ちゃったわけだし……。
 唯一の誤算と言えば、彼女が可愛い、ってことくらいか。……ああああっ! そうじゃないっ! 消えろ雑念っ!
つぅか、考えてもみりゃあ僕も高校生の時には普通に女子高生とお付き合いしていたわけだし(最初は一つ上の先輩だったっけ)、何もそんなに女子高生だからってビビることも、変な気を遣うこともないだろう。自然に自然に。……と、胸中独りごつ。
頬を両手でバシっと叩き、鏡に映る自身を見つめ、小さく頷いた。

「ああ、ハナさん。はなし……が……」

 居間に戻ると背筋をピンと張り、正座をしている彼女がいた。そしてその瞳は真っ直ぐ僕の方を見つめていた。

「相葉正さん。大変ご迷惑だということは重々承知の上です。それでも、私にはあなたの力が必要です。どうか宜しくお願い致します」

 そう言い、彼女は頭を下げた。
 その姿は凛としていてとても美しかった。
 それ以外のどんな言葉も意味をなさないような、そんな感じがした。

「えへへっ!」
「うっ!」

 急に顔をあげて僕に微笑みかける彼女。不意打ちを食らった……。

「改めて、今日から宜しくね! たぁだしぃ!」
「お、おう、よろしくな」

 調子狂うんだよなぁ、こういう天性のやつ。

「ちょっと話そうか」
「んっ?」

 僕は彼女の前に腰を下ろした。その理由は今後の生活におけるルールを決めようと思ったからだ。
 変な話、僕は童貞じゃない。別れた女性とは五年間同棲をしていた。そして、その彼女が初めての人だった、という訳でもない。
 何かの自慢をしたい、という訳ではなく、経験上、男女間の問題は想像以上にややこしく、そしてそれが同棲ともなればさらに面倒が付きまとう。
 匂いの趣味や洗濯のやりかた、ちょっとしぐさや癖、食事の好き嫌い、寝相や一日のタイムスケジュールなどなど。
赤の他人が同じ屋根の下で生活をするのだ。問題が発生することは必然。
 それが恋人同士、婚約をしている者同士ならばまだしも、僕たちの場合はそうじゃない。
 今日初めてあった男女、それも二十八の三十路手前のおじさん予備軍と、可憐な十七歳の学生だ。
 僕はどうなろうと構わない。男に二言は無い。死にたくはないが、万が一にでもそうなった場合は、それは僕が弱かった。というだけだ。
 こうで自制もちゃんと働く。会社の後輩の女性が酔いつぶれてしまい、介抱がてら泊めた時も何もしなかったし、そういった経験は一度や二度ではない。
 そうじゃない、そうじゃないんだ。僕はこの際どうなっても構わない。
 僕が一番心配していることは……

「ハナさ……」
「ちょっとタンマっ!」

 いきなり腰折るなよぉ……。

「あのさぁ、うちらさぁ、てか、ただしぃ? なんかきょどってない?」
「はぁ?」
「だってぇ、ハナさんっ! とか、ビクビクっ! ってしたりぃ、もっと気楽にやってこうよぉ。まぁもしかしたら、あなたのこと食べちゃうかもしれないけど」

 おいおいおい、最後の言葉はダメだぞ。倫理的、にじゃねぇ、エロい意味でもねぇ、ただの恐怖しかわかねぇからだっ!
 冷汗三斗しながらも気を取り直し、僕のペースに持っていくため、大人の男として淡々と、冷静に語り始めた。

「先に言うが、僕は女性の人と一つ屋根の下で暮らすという経験は初めてじゃない」
「えっ? おかんとか?」
「……いや、別れてしまったがな。恋人だよ」
「…………」
「んっ? どうした?」

 よく彼女を観察してみたら、顔を真っ赤にして下をうつむいていた。……どんだけ純情なんだよっ!

「話、つづけるぞ」
「……あっ、う、うん」

 得心した。彼女は紛れもない、純真無垢な、子供だ。正確には、身体だけは発育し、それに反して心の発育は追いついていない、さなぎから蝶になりかけてる、そんな状態だ。
それらを鑑みれば、本当にこの世は狂っている。こんな幼気な子供を性的な目で見たり、食い物にしたり、吐き気がする。
勢い半分だったとしても、引き受けたからにはしっかり保護者として彼女の成長を見守り、さらにはそういった毒牙からも守ってゆこう。僕は改めて心に誓った。

「最初の内は僕が家事全般担うが、そのうちにキミにも覚えてもらい、手伝ってほしい」
「はぁい! ……と、あたし、キミ、じゃないんですけど、ハナですけどぉ!」

 こりゃ一日かかりそうだな。そう覚悟した僕は、とりあえずお茶を二つ用意し、テーブル越しに腰掛け、本腰を入れて会話を再開した。

「あ、お茶さんきゅーっ」
「あいよ。……で、まずは互いの呼び方からかぁ」
「うんうんっ! うちらもう家族みたいなもんっしょ? まぁ正確には、ただしぃがご主人様で、あたしぃが飼い犬? みたいなもんかな」
「違うっ! それ絶対に外で言っちゃダメだぞっ!」
「えっ? なんで?」
「何でもだ! 悪い意味で誤解を招くんだ。とにかく、僕とキミ、じゃなかった、ハナは、年の離れた兄妹、もしくは従兄妹(いとこ)ってことにする」
「えへへぇっ、ハナって呼んでくれた」
「はぁ……いちいちだなぁもう」

 彼女の天衣無縫な可愛さと言う毒気にさらされまいと気を取り直し、会話を再開させた。って、何回中断すんだよ……。

「で、僕のことを、ただし、と呼びすてにするのはやめろ」
「なんでぇ? かわいいじゃん」
「親しい仲であっても、相手を尊重しなければならない。僕はハナの保護者だ。関係性は兄妹や従兄妹だったとしても、お預かりした以上、真上のおじちゃんとおばちゃんの代わりをしなければならない。だから僕はハナを、ハナ、と敬称を付けずに呼ぶ。だからハナは僕を……」
「ただしっち! ……ちがうな。たっつん! これもいまいち、たっしー、たーやん、ただしー、たっぴ、たぴたぴ、てぃーてぃー……」

 ふぅ、こういう時は放っておいて気が済むまでやらせ……

「たぁくんっ!」

 胸がズキンと疼く。この痛みはきっと僕の罰なんだ。……嫌なこと思い出させんな。

「その呼び方だけはやめてくれ」
「たぁくん?」
「ああ」
「うん、わかった。いやだってことはいないからねっ」
「…………」
「ああああああああああああああああああっ!」
「っ! 急に大声出すなよ」
「たぁりんっ!」 
「…………」
「これいいよ! なんかいい!」
「…………」
「だぁりん、と、ただし、合体させて、たぁりんっ! 決まり!」
「……おい、一人で勝手に盛り上がるな」
「なぁに? たぁりんっ」
「…………」
「……ほら、ぱないっしょ? このナジみかた、エグっ!」
「んじゃあ、家事はおいおい覚えてゆくこと。で、次は……」

 一々相手をしていたのでは日が暮れるとと思い、僕は半ば強引に話を進めることにした。

「はいはぁい! しっつもん!」

 ……やっぱダメかぁ。

「たぁりん、お腹空いたぁ」
「……って、なんだその質問っ! ……でもまぁ、そうか、僕もまだ朝食べてないしな」

 時計は、朝九時を少し回ったあたりだった。

「あたしさぁ、早くたぁりんとこ来たくてね、めっちゃ早起きしたんだよっ! だからね、おにぎり三つしか食べてなくてさぁ」
「………」

 色々とツッコミたい。色々とツッコミたい。が、グッと堪えた。

「四時四十分くらいのに乗ってきて、電車の中でおばちゃんの美味しいおにぎり食べたんだぁ。いいでしょぉ?」
「よ、よじぃいいいっ?」
「ん? そだよぉ。始発始発ぅうううう」

 僕はスマホで奈良から東京までのルートと始発を調べた。
 四時四十八分発、八時二十三分着。所有時間三時間三十五分。
 思わず笑みがこぼれてしまった。
 きっと、それはどうしようもないほどに、残酷な運命かもしれないのに、彼女は、この子は、健気に、乗り越えようとしているんだな。そう思うと、胸が熱くなった。

「よく頑張ったな、ハナ。早起き偉かったぞ」

 気づけば僕は彼女の頭を撫でていた。

「えへへぇ、でしょぉ?」

 っと、いけないけない! お触り厳禁っ!

「あれぇ、もっとナデナデしてよぉ~」
「……ダ、ダメ」
「けちぃいいいいい……」
「……確かに長旅すりゃあ腹も減るわな。さて、飯でも買いに行くか」
「いくいくぅうううううう!」

 食い物で釣る。これは基本中の基本である。ってこいつ、小学生かぁ? とはいえ、さっきの挨拶の時は凛として大人っぽかったし、まったく今どきの女子高生なのか、この子がそうなのか、僕には皆目見当もつかないので思考を停止させた。

「ああ、そうだ。ハナはさ、なんで制服なの?」
「うん、これ、正装だから。だってたぁりんとこ来るんだよ? 普通じゃん?」
「ああ、ごもっとも」

 こういうとこなんだよなぁ……。すっげぇ常識人。……やっぱおじちゃんとおばちゃんに育てられたからなんだろうなぁ。良い子だよなぁ。
とはいえ、こんな休日にジェーケーと僕が歩いていたら変な目で見られてもおかしくはない。というか、訝しい目つきで邪推されるに決まってる!
 そう僕の心は叫んだのでハナに着替えを提案した。

「ハナ、正装なら余計に汚しちゃダメだろうし、今日は学校でもないんだから、私服に着替えたらどう?」
「うんっ、そだねぇ」
「洗面所で着替えると良いよ」
「はぁい……のぞかないでよねっ」
「バ、バカっ!」

 ……はぁ~、誰も悪くはないんだが、その、やっぱり男女であることには違いなく、はぁ~、これからもっと気を遣うんだろうなぁ。しっかしおじちゃんも急なんだよなぁ。引っ越しするにも手持ちねぇし、預貯金もねぇし、てか2DKは狭くはねぇが、これ、恋人同士の距離感なんだよなぁ。など、いつもの胸中独りごつ。であった。

「おっまたせぇー!」
「おっ、可愛いじゃん」
「でしょぉ?」

 デニムに大きめのパーカー。元が可愛いから何着ても似合うよな。ってダメダメダメダメっ! 普通に可愛いとかも言わない方がいいっ! ……いや、それはそれで可哀想な。
 もっと気楽に考えろ、そうハナは言ってくれたのに、僕にはそれが難しい。きっと、純粋性の喪失なのだろう。
 とにかく、今は今を乗り切る。それを第一に考えよう。そう思った。

「どしたの? たぁりん、早く行こうよっ!」
「あ、ああ……」

……って、僕も寝間着の上下スウェットのままだったことに今気が付いた。
あいつはしっかり正装なのに、この僕ときたらこんな寝起きの姿のままで……。何だか急に恥ずかしくなってきた。

「ちょっと僕も着替えてくるから待ってて」
「のぞいちゃおうかなぁ~」
「はいはい」

 彼女同様に着替えを持って洗面所へと行く。
 毎度これが続くとなるとさすがに面倒だし、いずれどこかで何かしらのアクシデントが起きてもおかしくはない。
 積み上げられてゆく問題に頭を悩ましていると、何かしらの視線を感じた。

「うぉいこらっ! ホントに覗くんじゃねぇっ!」
「えへへっ~ごめんなさーいっ!」

 走って逃げてゆくハナ。……まぁ可愛いと言えば可愛いのだが、大人としての、男女としての云云かんぬん……云云かんぬん……まぁいっか。と、僕は諦めた。
 変に大人ぶって叱ったりしてみても、せっかく楽しんでくれているような雰囲気を僕は壊したくなかった。
 始発に乗ってわざわざここまで来て、そして着いたばかりだ。
 そして何より、考えてもみれば、一番つらいのはきっと彼女なのだから。

「よしハナ、お待たせ!」
「うぇーいっ!」
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