心の破壊者ーCordis Destruction

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:001/Archangel

:011 時間稼ぎ

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***

 スキアが一階に戻ると、キイチ達は立ち上がっていた。
 もともと少ない荷物も身に掛け、出発の準備が整っている。スキアを待っていたようだった。

「来ましたか。行きますよ」

 キイチはそう言うが、外は薄暮。日が沈みこれから夜が来る。

「今日はここに泊まるんじゃ?」

「予定が変わりました。取り敢えず外に来て下さい」

 言われて外に出ると、診療所建物の裏にセダンタイプの乗用車が停まっていた。来た時には見ていない車だった。
 ロネリーが、既に後部座席に足を組んで乗っていた。

「キイチ、よくこんな車見つけたな」

「落ちてました」
 
 そう言ってそそくさと助手席へ乗り込むキイチにヴィルは訝しんだが、深くは考えず、ボンネットを開いて鉄糸を突き刺しセルモーターを探る。
 スキアも急いだ。

「ところでリアスは何処行ったんだ?」

 エンジンがかかるとヴィルは運転席に乗り込んだ。

「リアス?」

「ツクヨミの兄ちゃんだよ。挨拶も無しに消えやがった。キイチ知ってるか?」

「……さあ?トイレじゃないですか」

 エンジン音は静かだった。年式は古くない。
 数年前までは、よく街を走っていた車種。ヴィルの趣味とは外れるが、懐かしさがあった。





***

「いやぁまいったッスよジュース飲んだら急にお腹痛くなっちゃって、水道の水は赤茶色だし……ってあれ?」

 リアスがトイレから出てきた時には、そこには誰もいなくなっていた。
 隠れているとは思えないから何処かへ去っていったのだろうが、ここで一夜を明かすと聞いていたから話が違う。
 ヴィルとかいう男とはウマが合ったからもう少し語らいたいとも思ったが、こうなればリアスには仕事に戻る他やる事はない。

「仕方ない、こんなとこで一人で寝るのもアレだし、戻るか……」

 と呟きながら外に出て、

「……?」

 おかしいな、と思った。
 診療所の裏、比較的平坦な地面だったのを覚えている。「職員以外駐車禁止」と書かれたプレートも覚えている。その前に停めていた筈。

 それから自分の記憶違いを疑って診療所の周囲を探し回るが、それは見つからない。
 そうしてようやく確信した。

「……車盗まれたな」

 暗闇の中で頭を掻いてしばらく途方に暮れて、仕方ないと気を取り直し、

「ま、歩いていけばいいか。休憩返上で行けば間に合うかなっと」

 リアスは、“南”へ向かって歩き始めた。





***

 ──三年前。

 暗黒物質核が引き起こした大規模な爆発、「Emotion Bigbang」。
 原因はまだ突き止められていない。被害の全容もまだ把握されていない。ただ一つ確かな事は、それ以降の世界が暗澹な闇に包まれているという事。

 大気中には漆黒の粒子が舞い、暗黒物質に肉体も精神も侵蝕された生物は黒く染まり、化け物──「ペイシェント」と呼ばれる異形の存在と化す。
 それが見渡す限りの崩壊した世界に、そして恐らくは地球上全てに跋扈している。

 その中で、生き残った人々は怯えながら生きていた。



(まだ、何も解明されていない)

 乱雑に散らかった鉄骨の上で、銀髪の男は大天使を見ていた。黒衣を纏い、頭上に二つの輪を浮かべたその大天使アークエンジェルは、高濃度の暗黒物質粒子の中に佇んでいる。
 あの存在の為に、この第七区の侵蝕は急速に広まり、そしてここより北はシリウスから完全に隔絶されてしまっている。
 第九区境界監視塔のアリエスが裏切らなくとも、あの大天使を倒さない限りシリウスは勢力を伸ばせない。

(真実に、最も近づいているのは……)

「クロード」

 女に呼ばれて銀髪の男──クロードは振り返りもせず返事もしない。
 思案を妨害された事に苛立っている。

「シリウスが近付いて来ている」

 無視されたが、女は気にせず話を続けた。

「救援を頼むか?クロード」

「来ないだろ」

 ようやく、クロードは振り返った。
 女の黒い長髪が大天使にも似て不快だった。視界には入れたくなかった。

「シア、お前が時間を稼げ」

「それは構わないが、どれだけ必要だ?」

 クロードは再び前を向いた。
 ここ数日の間、大天使の“核”が活性化している。
 故に“もう少し”の筈だった。あと少しで、全ては上手く行っていた。

(いつも、もう少しというところで仕損じる……死ぬのが下手な俺らしくもある)

 しかし今回に至っては、もう失敗は許されない。

(アークエンジェルが覚醒するのは今日か明日……どうして、たったそれだけが間に合わなかった)

 覚醒すれば、月読命計器ツクヨミの設置したあの粗末な壁も壊せる。
 そして奈落川を超え、その先の──

「クロード?」

「六時間だ」

「……そんなに長い時間を?」

 クロードは、俯いた。それが不可能であると知っている。
 聞いていた情報では、シリウスのデストロイヤーで最も厄介なのは“ロネリー”という白髪の少年の筈だった。
 しかし違う。あの黒髪の──スキアと呼ばれていた──少年には、底知れぬ何かがある。あんな“手駒”がシリウスにあるなど、聞いていない。

(いや、それが手に入ったからシリウスは……)

 思考が悲観的に過ぎたとクロードは思い直し、再び振り返った。

「シア、やはりお前には……」

 シアは、既に消えていた。
 冷たい風だけが残っていた。





***

 日付が変わる時刻まで走り続け、半壊した地上駅を見つけるとその屋根の下に乗り付け、そこで車内泊とした。
 四人乗っている車内は広くはないが、ヴィルのオープンカーよりは快適だった。雨風も防げ、空調も利かせられる。

 それでもスキアの眠りは浅かった。夜明けと同時に目を醒まして車外に出て、冷たい空気を吸い込んだ。
 ふと見れば、ロネリーも外に居た。スキアよりも早く目覚めていたようだった。
 昇る朝日を眺めながら、シリウス支給の栄養パックゼリーを飲んでいる。
 穏やかになった風に、短い髪が揺れている。

「いつからいた」

「え?僕は今起きたところで……」

「違う」

 ロネリーはパックゼリーを投げ捨て、車から離れるように飛び退いた。
 直後その足元の地面が隆起し車を横転させた。スキアは状況の判断がつかず、一歩下がる。

「敵がいる。見られているが姿が見えない」

 ロネリーは、キイチとヴィルが横転した車内から脱出しているのを確認し、駅舎を通り抜け線路上にまで退がった。
 線路上に立ち、神経を研ぎ澄ませる。

(レールが震えている)

 攻撃の予兆。
 不意に隆起する地面はレールも押し上げ、速さと鋭利さを持って下方からロネリーを攻め立てた。攻撃は一度ではなく二度、三度と連続して襲い掛かって来る。
 ロネリーはその攻撃を躱しながら、駅舎から離れるように線路上を走った。隆起のタイミングで、鉄鋼のレールが軋む。それが敵の攻撃の到達を教えてくれている。

 敵はまだ見えていない。しかし攻撃はロネリーを追っている。
 互いの思惑が一致していた──スキア達から、距離を取りたい。

 ロネリーはスキア達のいる方角とは逆の道へと全力で走った。これが互いに一番の選択。別れた方が互いにメリットが大きい。


(ロネリーは敵を引き離してくれた...僕は)

 彼を追いかけたところで、スキアは自分が役に立つとは思えない。
 それにここから動けない理由もあった。あの敵とは別に、ペイシェントの気配を感じる。
 ヴィルも横転した車の上に立ち周囲を警戒している。キイチは、式神を展開していた。

 地響きが起こっていた。
 足元が揺れる。この状態で先程の隆起を躱せるとは思えない。スキアはロネリーの判断の正しさを知った。
 突然、目の前の地面に亀裂が入り、そして大きく割れた。
 その地割れの中から這い出てきたのはやはりペイシェント。それは巨人の姿にも見えたが、全容が見えた時上半身だけしかなかった。
 暗黒物質に侵蝕された漆黒の姿、顔に目の光だけが浮かんでいる。

「キイチ、他には?」

 ヴィルが訊いた。

「いません……が、こいつは少しマズいかもしれませんね」

 この大きさのペイシェントは、式神では対抗出来るかどうか難しい。背後のスキアに指示を出したいが、彼の動きが遅い。まだ自らの武器である獣の爪を顕現させていない。

 巨人は腕を伸ばし、車体と同程度の大きさの手でヴィルを潰しにかかる。
 ヴィルは紙一重で車から飛び降りながら、鉄糸を巨人の腕に絡め、同時に幾つかの薬瓶を鉄糸と共に垂れ流す。締め上げながら電気を流した瞬間薬瓶が大爆発を起こした。爆発の反動で白煙が舞い上がり、数秒間状況が見えない。幾度も大爆発が起こり数秒が経過した、煙も少しずつ晴れ、しかし巨人はびくともしなかったどころか傷一つない。振り回した腕に鉄糸は引っ張られヴィルも体ごと宙に放り投げられ、鉄糸の拘束も容易く千切れた。

「うぉ、やべ……」

 体勢が悪い。足では着地出来なかったがなんとか受け身は取った。
 白衣の汚れを気にする間もなく立ち上がり、前を向くが、視界にある筈の車が消えている。
 自分に落ちる影に気づき見上げれば、その車が降ってきていた。

「うわっ!」

 転がるようにして避け、なんとか下敷きになるのを免れた。が、白衣の裾が車体と地面に挟まれてしまった。引っ張るがなかなか取れない。

(ヴィルさんの攻撃も無力ですか……)

 キイチは巨人の力を推し量るが、あれがまだ全力ではないだろう事も分かっていた。
 あとは、この巨人の移動速度が遅くあってほしいと願っていた。逃げ切れるのなら生き延びられる。
 それも散り散りに逃げた時にヴィルを追ってくれれば尚良い。ヴィルの方が、足も速く体力もある。

「キ、キイチ!」

 ヴィルが叫んでいた。
 キイチはハッとした。巨人がこちらに目を向け、右手の指先を向けている。

(式神を……いや式神では)

 自分は戦闘には向いていない。しかし役には立たなければならない。仲間だけを前面に立たせ一人安全圏から見ている事など出来ない。とすれば式神を使うしかない──しかしそれにも限界はある。
 そんな思考の遅れが、判断を鈍らせた。
 数知れない式神を獣に変形させるよりも早く、巨人の指先は刹那に伸び、キイチの右脇腹を抉った。

「あっ! ……ぐ……!」

 赤い血が、舞った。
 致命傷ではない。式神が僅かに軌道を逸してくれた。深くはなく、すぐに治療すれば大事には至らない。

 が、スキアの目にはそれは大仰な傷に見えた。

 その赤が──記憶にある中では、始めて見る仲間の鮮血が、スキアの心臓を震わせる。

「──キイチさん!!」

 ようやく、スキアの身体は走り出していた。そして両腕が深く黒く変異していく。
 巨人は指を戻し再びキイチに向けている。ヴィルは白衣を脱ぎ捨てたが距離がある。

 ──今は、迷わなくていい。

 巨人が伸ばした鋭い指先──受け止めたのは、スキアの獣の爪。

「退がってて。僕が戦う!」

 ──守る為なら。

「ロネリーが帰ってくるまでは、耐えきってみせる!」





***

 何度目かの隆起と同時にロネリーは跳躍し、沿線の傾いた四階建てビルの上へと上った。

(近いな……)

 足音が聞こえた。完全に気配を消せる程には訓練されていないのだろう。
 相手の能力がどれだけの効果範囲を持つかは知れないが、万能である筈はない。ペイシェントではなく人間であるなら尚更。

(この建物にも同じ事をするのなら、触れる必要がある筈だ。この建物そのものに)

 果たして程なくしてロネリーの足元、ビルのコンクリートは隆起し再び襲いかかってきた。
 跳躍し身を翻しながら、

「ローダンセ、チェンジナンバー001」

 ロネリーは反撃へと移る。機械仕掛けの目が一瞬だけ強く光り、“獲物”を捕らえた。



 ──ビル内部。

 一面がガラス張りの、傾いたフロア内。朝日が差し込む中で、シアはコンクリートの柱に触れていた。
 触れるだけで建物内の全ては把握出来る。当然ロネリーの位置も。ビルを形状変化させる事で攻撃もいつでも出来る。

(時間を稼げとは不服だな。“殺せ”と命じてくれればいいのに)

 などと考えていた、その時。

(……気配が消えた。建物から落ちたか?)

 と、

「!!」

 一面の窓ガラスが突然、大きな破壊音とともに割れ散った。
 シアは反射的にその方向へと顔を向けたが、差し込む朝日に視界が眩んだ。
 と同時に、天井が崩れる音。

(背後!!)

 すぐに振り返り、視線の端に白髪を捉えた。
 低い体勢から既に剣を振るい始めているロネリーの姿を見て、シアはビルの柱に触れ直した。

「……!」

 ──躱せない体勢だった筈。

 ロネリーは思った。しかし手応えが無い。
 見ればその女は、眼下に沈んでいた。床に空いた穴に、足から沈み込んでいる。

「流石シリウスのデストロイヤー、甘く見ていた。だが、もう会う事は無い」

 そう言ってそのまま穴へと消えていった。直後、ビルの壁、床、天井は大きく動き始めた。
 窓ガラスや天井、床の穴を蠢くコンクリートが塞いでいく。そうしてやがて球体状にロネリーを囲い、隙間は消え、完全に閉じ込めた。
 光も遮られた。その暗闇の中で、四方八方のコンクリートの隆起が、ロネリーに襲いかかった。



 事が終わり、シアは外へ出た。

「六時間、か……」

 シリウスからの救援は間に合わないだろうし、そもそもそんな人員を割く余裕も無いだろう。
 最高戦力の白髪の少年さえ無力すれば、後は──そう思っていたその時。

 まるで大型車両同士が衝突したかの様な、巨大な破壊音。
 朝焼けの空に反響し、それと共にコンクリートの破片が落ちてきた。
 シアはすぐに振り返った。
 ビルには大きな穴が空き、そこから青い光に囲われたあの少年が姿を見せている。

「……シールドバリアも使えるのか」

 冷や汗が流れた。
 シアは、覚悟を決めた。スマートな勝利は困難である。
 クロードは自分を嫌っているが、利用しなければならない。
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